第三章 殺し屋の書類事務
「これ、先月のマイク・バートンスに関する資料。事後処理でのトラブルも含めて作り直したから、ファイリングしておいて」
「こないだArThと合同でやった案件は、べつに殺さなくてもいいんだよな? neut、ここに無いようなら、昼の間にInBaから直接関連のファイルを貰ってきてくれ」
「おいGolGor、催促状が来てるぞ。二ヶ月前の仕事の報告が済んでないってどういうことだよ」
「カリーア・M・ナーティの精神鑑定結果ってその山の中か? ……ほら、「チャルズ駅無差別殺傷事件」の容疑者の女」
「neut、今度この形式の書類の操作を教えるから時間空けとけ。うちで一人前の殺し屋になるのに必要になってくるぞ」
「そういえば、先々週の「RPH」が埠頭で派手に動いた件はどうなったんだろうな」
「それなら、うちと「RPH」本部が協力して情報操作してるって小耳に挟んだ」
殺人を担う会社「RedRum」、数あるオフィスの一角で男たちは今日も職務に励む。
壁に掛かったシンプルな時計の針は、十時過ぎを指していた。
「よし、こんなもんかな」
腕時計の文字盤を確認しながら、HLuKiが肩に手を添えて伸びをした。凝り固まった首筋の骨がコキッ、ゴキッと気泡の破裂音を鳴らせる。
そのすぐ後を追うように、他の三人も作業を終えたようだった。デスクに満載していた書類のあるものは分厚いファイルへ綴じられ、あるものは封筒に入れられ、またあるものはデスク上に残ったままになった。
GolGorとStar Mは、それぞれ隣に座る男のデスクに積まれた書類の束に目をやると、
「おいStar M、報告書の作り方が杜撰だぞ。なんだこの鶏の餌みたいな情報量は。舐めてんのか?」
「そういうGolGorこそ、例のバルに入り浸りすぎなんじゃないか? それとも産まれたばかりの赤ん坊が可愛いのか? 何にせよ、私事で報告書を遅延しすぎだ」
膨大な量の書類に適切な処理を施して、疲労の溜まった二人の殺し屋は互いに嫌味を放ち合う。
唐突に始まった諍いを諌めるのは、見習いのneutの役目だ。
「ちょ、ちょっと……二人とも落ち着いて!」
「だいたい、おまえはいつも偉そうに場を取り仕切るくせに、自分のこととなると途端に粗っぽくなるんだ」
「俺は単純に、書類書くのを面倒がってるだけだ。仕事よりも身繕いなんかを大事にしてる、どっかのモデル気取りとは違ってな」
「もう、やめてくださいってば。まだ仕事は残ってるんですよ?」
冷静を装って静止を促すneutだが、睨み合う二人はそんな言葉には耳も貸さない。
「仕事は喧嘩の後でもできる」
「あー、嫌だ嫌だ。なんでもすぐ拳で収めようとするなんて。それが大人の殺し屋がすることか?」
「Star Mさん! 煽らないでください!」
neutは叫んだが、Star Mは薄く笑いながらぺろりと舌先を露出した。その様子に困り果てたneutは、最後の砦へと顔を向ける。
「……は、HLuKiさん……。なにか言ってくださいよ……」
「うーん」
見たのは、HLuKiの楽しそうな困り顔だった。
「好きなようにやらせてあげたら?」
「この間そうしたら、GolGorさんラウンジのコーヒーメーカーぶっ壊したじゃないですか! 課長涙目でしたよ?」
必死に訴えるneut。
するとHLuKiはすっと儚げな表情を見せて、
「……僕はコーヒーメーカーにはなりたくない」
──返したのは、日和見主義的な金言だった。
「に、日本人ってこれだから……!」
もうHLuKiに頼っても無意味なことが分かったのだろう。neutは未だ言葉の鍔迫り合いを続ける二人の間に割って入って、
「と、とりあえず今まで溜めてた分の書類は全部終わりましたね! これで未来に目を向けられますよ!」
「………」
「………」
それは、単に険悪な場を取り成そうとして出たなんの変哲もない言葉だった。
が、それを聞いて言い争っていたGolGorとStar Mはぴたりと口喧嘩をやめた。
どこか真剣な面持ちを以て互いが互いを見遣り、鋭い青と茶色の瞳とが深いところで交差する。
「………? あ、あの……どうしたんですか?」
恐る恐る、neutは突如として静止した二人に話しかけた。
「……いや、なんでもねえ。そうだな。未来に焦点を当てられるのは、いいことだ」
「は、はあ………?」
困惑を見せるneutの肩を、斜向かいのデスクからStar Mがぽんと叩いた。
「〝未来〟の資料は……コレだな」
Star Mは、neutのデスクに残った堆い文字がびっしりのA4用紙の集合から一つの束を選び取った。
「俺たちが殺した奴らと違って、俺たちはまだちゃんと生きてる。だから俺たちは、そいつらの分まで未来を見つめないとな」
薄いブラウンの瞳を陰らせたStar Mは、ステープラーで留められた数枚の束を眼前に持ってきた。一番上の一枚には、大仰に十数人のサインが認められている。
「Star Mさん………なんだか、HLuKiさんみたいです」
neutの率直な感想に、
「HLuKiの受け売りだからな」
Star Mは悪びれもせず素直に答えた。neutはHLuKiの顔を覗き見て苦々しく笑ったが、HLuKiはいつもの笑顔のままだった。
「よし、じゃあこれからの仕事の話をしよう」
目に摯実の光を宿らせたGolGorが、小さなオフィスの内で場の統制を務める。異論は出なかった。
「Star M、日時は?」
大して大きくはないホワイトボードを用意しながら、書類の束を握るStar MにGolGorは尋ねる。
「来週の水曜日、時間は不問」
「ずいぶんと急ぎの依頼だね」
HLuKiが口を挟んだ。
「ああ。今日が金曜日だから、今日を入れても実行まで一週間を切ってる」
「なにか、事情がありそうな感じですね」
neutが首を捻った。
「わかった。場所は?」
「州内。フレズノ郡のタンジェール市」
neutが書棚から差し出したカリフォルニア州全域の地図を受け取って、HLuKiが地名を確認する。
「タンジェール市……。フレズノ郡の中央を東に逸れた辺りだ。それほど大きい街じゃない」
「フレズノ郡っていやあ、たしか州内でも最大の農業地帯じゃねえか」
「そうだね」
カリフォルニアは、合衆国でも珍しい西岸海洋性気候を有する最大の州だ。その特性を活かして穀物や野菜、なにより様々なフルーツ類を栽培することで、国内外から莫大な収入を得ている。関連する経済活動を含めれば、州内にあるサンフランシスコやロサンゼルスといった世界的に有名な観光都市での収益よりも農業生産額が上回るという。
HLuKiはカリフォルニアの詳細な地理情報が纏められた小冊子を参照しながら、
「中でも、タンジェール市はブドウとオレンジの栽培が盛んらしい。──neut、ここのページとこっちの拡大図。後でカラー印刷頼む」
「了解です」
横から地図を覗き込んで、neutが答えた。
「……よし、できた」
耳に入れた情報をホワイトボードに書き込んでいたGolGorはマーカーを走らせる手を止めた。
「それじゃあ、罪状を読んでくれ。Star M」
一声掛けてGolGorはホワイトボードに向き直り、長文を素早く書き留める体勢を調えた。
──が、
「………おい、どうした」
「……Star M?」
「どうかしました?」
Star Mは一向に話す素振りを見せなかった。それどころか、三人の声に反応を示しもしない。
「おいってば。早く読めよ」
GolGorが苛立ち混じりに声を飛ばしたが、相変わらず応答はない。
三人が顔を向けると、そこではStar Mが紙面をじっと見つめて怪訝な顔を続けていた。
「どうしたんだよ、いったい」
「いや、なんか………」
どうしてよいものか決め倦ねる、といった様子でStar Mは言葉を途切れさせた。
「変なんだ」
「……変?」
「ああ、変だ」
Star Mは頷く。
「何度も読み直したが、暗号ってわけでもなさそうだ。だが、これは……いや。実際聞いてもらったほうが早いな。言っとくが、読み間違いとかじゃないからな?」
三人の不可解な視線を一身に浴びて、Star Mは紙面の中央に書かれた短い一文を読み上げた。
「『ビジネスホテルの部屋で、オレンジの皮を剥いた罪。』」
「……………」
「……………」
「……………」
三人は押し黙ってしまった。
そうする他なかった。
「書き間違いも考えた。それぞれの単語の別の意味もできる限り考慮した。妙なスラングじゃないかとも勘繰った。……でもやっぱり変だな、なんだこれ」
印字された奇妙な一文を穴が空くほど眺めながら、左右の眉を上げ下げしてStar Mは唸る。
「……奇妙にも程があるだろ」
空気が抜けたように、言葉を失っていたGolGorの口から疑惑が湧出する。
「こんなの、俺の殺し屋人生始まって以来初だぞおい」
「僕もだよ。これはなんというか……シンプルに意味がわからない」
HLuKiはStar Mの持つ書類の束を裏側からまじまじと見つめた。それから、
「二箇所だね」
「……二箇所だな」
「二箇所あるな」
HLuKi、GolGor、Star Mの三人は口々にそう断じた。
「えっ?」
示し合わせる様子もなく同じことを呟くHLuKiたちに、neutはびくっと震える。
「な……、なにが二箇所なんですか?」
「違和感がだ」
前後の文章も含めて、Star Mは何度か該当部分を読み直す片手間に答えた。
「違和感?」
訳の分からないneutは、ただ首を傾げる。左で頭を縦に振ったHLuKiが、
「うん。一つ目の違和感は、『ビジネスホテルの部屋で、オレンジの皮を剥いた罪』っていう文章そのもの」
「それがなんで罪に問われるのかわかんねえ、ってのが正直なところだ。そこんところは、おまえもそうだろ?」
デスクに据え置かれたブックシェルフから数冊の書籍を取り出して何やら調べ物を始めたGolGorに、
「は、はい。それは僕も感じました」
neutは素直に返事をする。
「僕もカリフォルニアで生まれ育ちましたけど、そんな法律は今まで聞いたことないです。……でも、もう一箇所の違和感がなんなのか……全くわかりません」
「お前はまだ新人だし、依頼本文に目を通した回数も少ないから仕方ないかもしれんがな」
まるで百科事典のような分厚さを持つ書籍のページを、GolGorはばさばさと慌ただしく捲っていく。それらはどうやら法律関係の書籍らしい。
「だが思い出せ。俺たち殺し屋は法のお守りをしてるんじゃあない。……俺たちが殺すのはどんな誰か、よく思い出してみろ」
太く無骨な指が紙を繰るのを聞きながら、neutは眼球を右上へ動かした。
実に二年前。自分を殺し屋にスカウトした彼らに教わった内容を思い返す。それは確か、最初の座学でのことだった。
「えっと……、初めの講義で……」
メモは一切取るな、勿論誰にも教えるな、全部頭に叩き込め。そう切り出した教育係の眼鏡の殺し屋から初めに言われたのは、
「……〝殺し屋は秩序ある組織だ。生命を軽んじない俺たちが殺すのは、過去罪を犯した輩ではなく、未来に罪を犯す可能性の限りなく高い輩だ〟」
「正解」
独り作業の輪から外れるHLuKiは、neutの出した結論を肯定した。
「たとえそれが前科百犯の大悪人でも、今後犯罪を行う見込みがない限り僕たちは一切手を出せない」
でも、とHLuKiは区切って、
「逆に言えば、そいつが罪を犯す可能性が限りなく高い場合であれば、僕たちはたとえそれが前科無しの一般市民でも殺さないといけない」
「………はい」
HLuKiはどこか寂しい顔を見せた。目の前の表情に感化されて、neutは俯いて目を伏せる。
「……でも、それとこれと……なんの関係があるんですか?」
「もう一度、よく依頼文を思い出してみて」
言われた通り、Star Mが熟読する書類に書かれていたらしい一文を思い出して口に出す。
「えっと……『ビジネスホテルの部屋で、オレンジの皮を剥いた』……───あっ」
「そう」
neutは何かに気付いて顔を上げた。
「『オレンジの皮を剥いた罪』。依頼文にはそうあった」
「だが、罪を裁くのは裁判所の役目だ。俺たちは誰がどんな罪を犯していようと関係ない、ただ近い将来に犯罪を犯す可能性が限りなく高い下衆を殺す。それだけだ」
GolGorはページを捲る書籍を次へと移行した。
「そんな条文が実在するかはともかくとして、なんらかの罪で裁きたいのならウチじゃなく警察や裁判所なんかの公的な機関を頼ればいい。むしろそうでないと、俺たちはただの人殺し集団になっちまう」
片手間に繰り出されたGolGorの警句を、
「……………」
neutは深く噛み締めた。先達から学ぶことは数多い。
そんな横合いで、
「……ダメだ。こっちには何も見つからない」
「こっちはヒットしたぞ」
ふう、と息を吐いてStar Mが紙面から目を離すと同時、GolGorの低い声が三人の耳に滑り入った。
「なに? 本当か」
「どっかで聞いたことがある気がしてたんだ。妙ちくりんなローカル法律ってのをよ」
身体を寄せる三人に、GolGorは黒塗りの『州法と連邦政府』という本を開いてみせた。
そのページの上部に印字された小さい文字を、HLuKiは思わず読み上げる。
「……〝州の変てこりんな法律〟?」
「ここだ。カリフォルニアの項の、一番上」
茶色い指が指し示す先を目で辿る。そこにはなんの注釈もなく、一言こう書かれていた。
〝It is against the law to peel an orange in a hotel room.〟
「鶏の餌」という表現は「つまらないもの」という意味のほかに、日本語では「雀の涙」の対訳を持つことができるそうです。




