第一章 殺し屋の出勤
アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州都サクラメント市ミッドタウン。
暗いサブウェイから朝の忙しい通りへ歩み出た男は、十六番通りを南へ向かう。
男は無地のワイシャツにスラックスだけという、非常に簡素な格好をしていた。首元にはネクタイも巻いていない。彼の横を通り過ぎたフォーマルスーツ姿のサラリーマンとは違い、およそ出勤中という風には見えない男だが、手には革製の黒いブリーフケースが握られている。
男は長身で細身だったが、しっかりとした身体つきは健康的な印象を与えた。
黒い短髪の隙間から覗く細い目は決して鋭くなく、寧ろ男の柔和な人柄を物語っているようにも見えた。
顔立ちからして、少なくとも西洋人ではない。やや面長ではあるが、鼻筋や目元からしてアジア系、恐らくは日本人だろうか。
歩き慣れた合衆国の街並みを男は往く。緑豊かな都会を楽しむような足取りで、赤い屋根の角を斜に渡って小さなパークへ。
四角く切り取られたパークの敷地内を、対角線を引くように敷かれた石のブロックの道を突っ切ってまた道路へ抜ける。途中、男はすれ違った老夫婦に笑顔で挨拶をした。
そうしてしばらく街路樹の脇を歩き、幾人かと挨拶を交わし──男はある会社の前で立ち止まった。
五階建ての普通の建造物、趣からして中小IT企業のビルのようだ。
看板には、「RedRum」の赤い文字。
「いらっしゃいま……ああ、どうも。おはようございます」
受付の若い女性が、自動ドアに迎えられた男を見て笑みをこぼした。
「やあ、おはよう」
男も気さくに返す。女性はにこやかに微笑んで、
「一昨日貸していただいた和食の本、すごくおもしろかったです。日本料理ってすごくきっちりしてるんですね」
「あれに載ってるのは日本の料理であって、和食ってほど伝統のあるものじゃないけどね」
男は受付のカウンターの上に、持っていたブリーフケースを置いた。
「それにきっちりしてるっていうよりは、日本人は几帳面で神経質なところがあるから。分量とか細かく書いてないと困るみたいだね」
言いながらポケットを探る男に、
「あ、いいですよ。そのまま通ってください」
そう言って若い受付の女性が男のブリーフケースをそのまま返そうとすると、
「ダメだよ」
男はそれを受け取る代わりに、ポケットから社員証を提示した。
「僕らはこういう仕事をしてるんだから、顔パスなんてシステムは覚えちゃいけない」
「……失礼しました」
女性は苦笑しながらブリーフケースを隣の女性に渡して、差し出された社員証を受け取った。隣の女性は渡されたブリーフケースを手元に置いて、丁寧に検査機に掛けた。
男の社員証を磁気カードリーダーに通した女性は、丸く青い瞳で男の優しい目を見上げながら、
「それでは、氏名と職業をお願いします」
男は微笑んで、いつもの通りこう答えた。
「僕はHLuKi。殺し屋だ」




