軽い命
「じゃあ始めるわよ」
「了解です」
俺はヘッドホンを装着して横になった。
聴き慣れた音楽が流れてきて、俺の意識が深海へと誘われる。
深い、深い場所に潜っていった。
他人の意識へと潜るときはいつも違う感覚だ。
結のように大きな樹の下だったりもするし、今回のように海をひたすら潜っていくような場合もある。
視界には色々な魚が映っている。
どうやら今回の対象の心象風景は『海』らしい。
どれだけ潜っただろう。
深い青から蒼へ。
灰色の闇から暗闇へ。
さらにそこを越えると青白い空間にたどり着いた。
空のような澄んだ青色ではない。
闇を内包した蒼色だった。
しかしその光景を綺麗だと感じるのもまた事実だ。
感じ取れる闇の儚さや、脆さ、哀しさに人間らしさを感じるのかもしれない。
中心には一人の女性が佇んでいた。
黒い髪を深海の水に揺らしながら、女性はぼんやりと上を見上げている。
空へと続く光の先を。
「こんにちは」
俺は躊躇わずに声をかけた。
初対面の相手でも気負うことなく接触を試みることができるのが俺の数少ない長所だと、鬼軍曹が評価してくれているのだが、俺としては無神経と大差ないのではないかと首をかしげたいところである。
「あなた、誰? もしかして死神?」
「は……?」
いきなりとんちんかんなことを言われて思わず声が裏返ってしまう。
なんでよりにもよって死神なんだ?
黒い着物も羽織ってないし斬●刀も鎌も持ってないぞ。
「だってわたしは死んだはずだわ。だからわたしの意識が存在するここは死後の世界で、そこにやってきたあなたは死神じゃないの?」
女性はそんなことを言う。
「……あんたはまだ生きてるよ、西織縁さん。まあ、もうすぐ死ぬけどな」
俺は女性の名前を呼びかけた。
死んだと思い込んでいる西織さんに現状を認識させる為でもあるが、何よりも情報を得るために彼女自身が『西織縁』だと自覚しているかどうかを確かめる為でもある。
西織さんの記憶や意識が破壊されている状態ならば情報は得られない。
そうなれば俺は無駄足を踏んだことになるのだが。
「もうすぐ……ということは、わたしは今死にかけているのね?」
「その通りだな」
「それで、あなたは死神ではない」
「ああ」
「ではあなたは誰?」
「俺は瑚島憧護という。警視庁特殊公安部のSDだ。今は西織さんの記憶域に潜らせてもらっている。ここまで言えば俺の用件は分かるだろう?」
「……人の意識がないときに余計なことを」
西織さんは忌々しげに吐き捨てた。
「それについては俺も同感だが、あんたと違って文句を言える立場でもないんでね。出来れば情報を与えてくれると助かる」
「協力する義理はないわよね」
「確かに。だが悔しくないのか? あんたは例のストーカーに追い詰められて自殺したんだろう? 捕まって欲しいとは思わないのか?」
「そりゃあ思うわよ。だけど無駄よ。ストーカーに関しては警察なんて当てにならないもの。確固たる証拠がないと動いてくれないし、精々動いたとしても見回り程度で役に立たないわ」
「あー……一応頼ろうとはしたんだな」
「後悔してるけどね」
警察への信頼度が最底辺まで落ちている。
まあ俺としてはどうでもいいことだが、しかしこのままはいそうですかと引き下がるわけにもいかない。
鬼軍曹にお仕置きされる。
ガクガクブルブルレベルのお仕置きが待っている。
「だがあんたが自殺したことで警察も本格的に動くらしいぞ。だから俺がここに居る。あんたが情報を渡してくれるなら、犯人は必ず捕まえると約束するよ」
ここは地道に説得するしかないだろう。
説得はあまり得意ではないのだが、そんなことも言っていられない。
「だから、無駄なのよ。あの男は正気じゃない。捕まったとしても責任能力が欠落していると判断されて精神科送りが関の山よ」
「無駄……か。あんたは自殺するよりもそいつを殺したかったのか?」
「そうね。殺してやりたいと思ったわよ。実際そうしようとも思った。だけどやっぱり女の力だと男には敵わないのよね。返り討ちで随分と酷い目に遭ったわ。次に会う時は殺すと言われた。あんな奴に殺されるぐらいなら自分で死んだ方がマシよ」
「だから自殺したのか」
「ええ。少なくともこれであの男の目的を壊すことが出来た。最後まであの男の思い通りにさせてたまるものですか」
どうやら随分と酷い目に遭い続けたらしい。
西織さんの言葉の一つ一つに深い憎悪が滲み出ている。
「その男を捕まえたとしても裁きを下せないから無駄だと、あんたは言いたいんだな?」
「その通りよ」
「ふむ。ちょっと待っててくれるか?」
「?」
俺は一つの案を思いついたのだが、しかし独断で決めるわけにもいかない。
なので一旦枝宮さんと鬼軍曹のところへ戻ってから相談しなければならない。
「悪いな、また来るから。クローズド!」
キーワードを口にして俺は強制的に肉体を覚醒させた。
西織さんには俺がいきなり消えたように見えただろう。
「おかえり~」
「ただ今戻りました」
「情報はまだだろうが、一体何をぐずぐずしている。餌の代わりに鉛玉を食らいたいか?」
「のーっ!」
戻った瞬間に物騒なセリフをぶつけてくれるのはもちろん鬼軍曹だ。
言い訳タイムぐらいの猶予はプリーズと叫びたい。
そして言い訳タイムに突入。
「つまり、情報を得る代わりにその男を廃人にするということか?」
俺の相談はつまりそういうことだった。
もしもその男が責任能力を持たない場合、俺が責任を持ってそいつの意識を破壊する。
そうすることで男は廃人となり、二度と目覚めることはない。
植物状態で一生を過ごすことになる。
身体が生きていても中身が死んでいるのだから当然の結果だ。
「もちろんその交換条件で西織さんが応じてくれるとも限りませんが、少なくとも彼女は復讐を望んでいます。だったら交渉の余地はあるんじゃないかと」
「なるほどな。自殺したことすら相手の目的を失わせるための意趣返しという訳か。なんとも命の扱いが軽い事だ」
鬼軍曹が呆れたように呟いた。
まあ一般論からすればそうなのかもしれないが、何に対して自分の命を賭けるかは本人が決めることだと思う。
大事なものや信念は人それぞれだ。
「どうせ捕まえたあとは管轄が変わるんだ。その後にこっそりとやらかす分には構わんだろう。意識体の破壊ならばいいデータが取れそうだ」
「はいはーい。モニター希望でーす♪」
「………………」
犯人の人権とかは微塵も考慮されないらしい。
大いに助かるのだが、この二人の非人間性には時々ついていけなくなる。
精神の生き死にに対してデータ収集以上の意義を見出せていないのだから。
まあ、今は深く考えないでおこう。
ともかくこれで西織さんとの交渉が可能になったのだから素直に喜ぶべきだろう。
「じゃあその方向で交渉してきますね」
と言って俺は再び西織さんの意識へと潜るのだった。




