SDS(ストレージダイブシステム)
「……とまあ、そんな疑問を抱きながらも、SDSの奴隷として働き続けるしかない悲しい現実が俺なのですが」
ぼんやりと考え事をしてソファに寝転がっていた俺は、気怠い動作で起き上がる。
動作だけではなく気分も気怠い。
働きたくないし、動きたくない。
ここで改めて自己紹介をしておこう。
俺は瑚島憧護。
十九歳独身。
って、独身は別に紹介の必要なかったかもな。恋人募集ってわけでもないし。
警視庁特殊公安部に所属する刑事……ではなく囚人だ。
囚人ならば牢屋が本来の居場所だろうというツッコミを入れたいと考えた人がどれだけいるかを数えるつもりはないが、しかし牢屋を与えられなかった囚人というのも稀に存在するのだ。
たとえば腕利きのハッカー、つまり電脳犯罪者が逮捕された場合、その後の捜査協力をすることにより牢屋ではなく職場に軟禁されるというのは漫画や小説でよくある事例だろう。
俺の場合も似たようなものだ。
俺が犯した罪は殺人。
突発的な殺人ではなく報復殺人なので、懲役五年という判決が下された。
五年間檻の中で大人しくしていようと思っていたら、意外なところからお声がかかってしまう。
ほんの僅かな自由と引き替えに、俺は懲役期間中に限りSDSにおける強制労働者になってしまうのだった。
俺自身が望んだわけではない『適性』のお蔭で、というよりも『所為』で、今はこうして特殊公安部の奴隷と化している訳だ。
適性。
潜入者としての適性が恐ろしく高かったため、SDSの潜入者としてこき使われることになった。
SDSの潜入者は誰にでも務まるわけではない。
潜入される側にそのような制限はないのだが、潜入する側には厳しい条件が存在する。
分かりやすく言えば適性。
他人の夢、つまりは記憶へ潜ることには大きな危険が伴う。
肉体ではなく精神、つまり意識体で他者の記憶に触れるということは、他者の記憶に染まるという危険性があるのだ。
肉体という強固な外殻に護られていない意識体の防御力は障子紙よりも脆い。
水に触れたトイレットペーパーあたりといい勝負かもしれない。
……たとえが悪かったが分かりやすさ優先という事で勘弁してもらいたい。
こうなってくると潜入者となりえるのはごく一部の人間だけだ。
割合で言えば百万人に一人ぐらい。
何十億という人類の数に比較すれば案外多いかもしれないが、依頼者の数に較べたらやはり人材不足と言うしかないだろう。
もちろんこれは他者の夢へ潜る場合という条件によるものであり、自分で自分の夢へと潜る場合は問題ない。
しかし自分の夢に潜るというのはあくまでも好奇心や遊び心から行うことであって、実利を伴った行動ではない。
何故なら『忘却記憶』というのはあくまでも『忘却記憶』であって、たとえ夢の中に潜ったところでその記憶を見つけ出す成功率は恐ろしく低いのだ。
必然、忘却記憶を求める人間は本職の潜入者へと依頼する。
潜入者となるにはまず強固な自我が必要だ。
他者の記憶に自身という異物を紛れ込ませるのだ。
本来ならば無事で済むはずがない。
記憶側からは異物を排除すべくじわじわと攻撃を開始される。
それは目に見える物理攻撃ではない。
異物を自分の領域にふさわしく染め上げようとする意識への侵略だ。
少しでも気を緩めればすぐに他者の意識へと染められる。
適性のない人間が他者の夢に潜入すれば、戻ってきた時に高確率で人格への影響が現れる。
人が変わったように振舞う事もあるし、逆に自意識を破壊されて虚ろな反応しか示せなくなることもある。
SDSが本格的に普及する前に繰り返された潜入実験中に、その人格を変質させられ、破壊された者は決して少なくない。
潜入が短時間だった為、実験協力者たちはメンタルケアでどうにか回復することが出来たが、しかし潜入時間に較べて回復に要した時間は数十倍では済まなかった。
たった九十分間潜っただけなのに、回復するまでには約半年を必要としたのだ。
命を脅かす心配はないといっても、危険な技術に変わりはない。
一時期はSDS技術そのものの研究を廃止しようという動きもあったが、結局のところデメリットよりもメリットの方が遥かに大きいということで研究は続けられた。
そしてSDSの研究が進むにつれて、適性者の存在が明らかになっていく。
潜入適性者。
百万人に一人の割合で存在する彼らは、強固な自我とそして抗体を持っていた。
他者の意識というウイルスに対する、自我の維持というワクチン。
彼らは他者の意識に触れても自我を保つことができる。
適性者の抗体メカニズムはまだ解明されていないが、それでもSDSの実用化が一歩前進したことは確かだった。
潜入適性者の適性数値にはばらつきがあるが、基準値は二百以上ということになっている。
今現在活動している潜入適性者の適性数値はおよそ二百五十から三百二十。
しかし俺の適性数値は千八百。
こうなってくるとよくある異世界やVRMMO小説のチート仕様では? などと思えてくる。
開発者は突然変異だと言っていたが、俺にはただの欠陥だとしか思えない。
他人と違うことに優位性を感じるような選民意識は初めから持っていない。
庶民万歳。
普通ウェルカム。
可愛い彼女と結婚して、一軒家はこの不景気で難しいだろうからアパートでも借りて、子供も生まれて親子仲良く平和に暮らしていけたらそれだけで幸せなのに。
そんなささやかな夢さえも完膚無きまでに壊された俺には、こんなことぐらいしかやることが残されていないのかもしれないけれど。
まあ壊されたからといって諦めるつもりはない。
奪われたものは取り戻すし、二度とこの手に戻らないものであっても手を伸ばすことを諦めたりしない。
そして他の潜入適性者よりも圧倒的に適性数値が高く、尚かつ殺人犯という枷を嵌められた俺は、犯罪捜査におけるSDS協力を強いられていた。
SDSは忘れた記憶だけではなく、隠したい記憶も曝くことが出来る。
いくら事情聴取をしても口を割らない犯人にリンカーを装着させ、そしてSDである俺が夢の中へと潜る。
そうすることによって隠したい記憶も丸裸状態というわけだ。
恐ろしい技術だと思うよマジで。
犯罪捜査における黙秘という選択肢が日本から消えて久しいが、潜る方としてはたまったものではない。
犯罪者の頭の中、つまり記憶なんて正直覗きたくもないし関わりたくもない。
覗かれる犯人も殺人者である俺にそんなことは言われたくないだろうが、それでも一緒にするなと言いたいね。
犯罪捜査にSDSを利用するという案は、開発当初から出ていたことだが、問題はSDの方だった。
ただでさえ少ないSDを一般的な忘却記憶回収依頼ではなく、犯罪捜査に利用するのは困難を極めた。
特に殺人犯の夢に潜ったSDは、人格が無事であるにも関わらずがたがたと震えながら二度とやりたくないと口にする。
それでも他に方法がないからと繰り返し潜らせていると、今度はストレスによって精神を病んでしまう。
犯罪捜査に関わったSDが三人ほど精神科の閉鎖病棟に送り込まれたところで、ようやくSDSを利用した犯罪捜査が問題になった。
機密扱いにしていたが、精神を壊されたSDの身内がマスコミにリークしてから一気に世論が爆発した。
法治国家である以上、世論に逆らうのは難しい。
結果、表立ってSDを利用しづらくなった警察組織は、逮捕した犯罪者全員に適性数値の計測を行い、基準値をクリアした者は問答無用でSDS捜査専門組織である『特殊公安部』へと在籍させられることになる。
日々壊されていく同僚というか、強制労働者を見ていると俺も心穏やかではいられない。
しかし適性数値の影響か、俺の精神は潜入を繰り返しているにもかかわらず比較的安定していた。
もちろん潜る度に辟易とさせられるし、いつ病んでもおかしくないなと思っている。
しかし俺はまだ壊れるわけにはいかないのだ。
どうしてもこの手に取り戻したいものがあるから。
その為にSDSを利用するSDで居続けなければならない。
「働きますか」
俺は立ち上がって特殊公安部のオフィスへと向かった。
それでは今日も犯罪者の記憶領域で一暴れするとしよう。