尋問のお時間
尋問するなどという物騒なことを言っていたが、しかし鬼軍曹もたまには人間らしい優しさを発揮してくれるようで、事情聴取は彼女のマンションで行われることとなった。
……て、はい!?
なんで鬼軍曹の私室でそんなことが行われるんだ!?
職場からさほど遠くない、つまりは都心グッドアクセスな場所にあるそのマンションはいわゆる高級マンションというやつで、さすがはウルトラキャリア組だと感心したのだが……いやいやそうじゃなくて。
「あのー……」
もの凄く高級っぽいソファに座らされた俺は飲み物を出されても手を出すことが出来ずに、恐る恐る鬼軍曹に質問を試みる。
ご主人様に怒られる寸前の犬的心境だ。
「なんだ?」
「どうして俺は沖浦さんのお部屋に招待されているのでしょう?」
「ふむ、そうだな。女にここまでさせておいてその意味が分からないとは……とか言ってみるか?」
「………………」
逃げたい。
首輪さえなければ速攻で逃げ出しているのに……。
「冗談だ。というかそこまで本気で嫌がることはないだろうが。私はこれでも悪くない身体をしていると思うのだがな」
「……の、のーこめんとでお願いします」
確かに美人だしスタイルもモデルなみに素晴らしいが。
だけど俺には結という相手が!
「心配しなくとも私もお前に対してそういう意味での興味はない」
「………………」
それもそれで寂しい気持ちになってしまうのだから男というものは随分と勝手な生き物だと思う。
鬼軍曹は俺の向かい側に座ってから缶ビールを開けた。
……おいおい、一応仕事中じゃないのか?
「細かいことは気にするな」
しかも思考を読まれてるし。
「お前をここに招待したのはその方が都合がいいからだよ。下手に個室のある店やホテルなどだと余計な関心を引き寄せてしまうからな。自分の部屋に招待したということならば勝手にそういう勘繰りをしてくれるだろう? 私には現段階で五人以上の監視がついているからな」
などと、恐ろしいことをのたまってくれた。
「監視って……」
そういう勘繰りをされるのも非常に困るのだが、しかし五人以上の監視がついているという話も聞き捨てならない。
つまり現在進行形で俺も監視されているということじゃないか。
「心配しなくてもこの部屋ならば安全だ。定期的な調査で盗聴器の類は回収しているし、防音も完璧だから外に音が漏れることはない」
「なんでそんな物騒なことになってるんですか?」
「まあ色々と厄介な事情があってな。要はSDS絡みだ」
「はあ……」
よく分からないがそういうことらしい。
「とにかくそんな状況で枝宮なるの話をするわけにもいかないのさ。だからここに連れてきた」
「どうして枝宮なるの話が監視されている状況では出来ないんですか?」
監視そのものが枝宮なるに関係しているのだろうか。
いや、それなら枝宮なる本人を監視するなり拉致するなりすればいい。
それなのに鬼軍曹を監視する理由とは……
「SDSそのものの可能性が広がったからだ」
「可能性……一般的に利用されている忘却記憶の回収だけではなく、犯罪捜査への利便性、その他の可能性と言えば……」
それが枝宮なるに関係することならば、答は一つしかないだろう。
「そう。記憶の書き換え。今のところ枝宮なるの特殊スキルだというのが関係者の認識だが、しかしSDSの解析が進めばその限りではないだろう。つまり……」
「記憶の書き換えによる洗脳が可能になる」
「その通りだ」
ならば監視しているのは軍事関係者だろう。
それがこの国の者なのか、それとも外国の者なのか定かではないが。
「記憶を書き換えることが出来れば洗脳による軍の強化も可能になる。それだけではない。記憶の上書きも可能になれば、それは経験を上書きできるということだ。それがどういう事を意味するか理解できるか?」
「兵士の訓練時間を大幅に短縮できる」
「正解だ」
記憶とは経験だ。
経験とは行動を伴った過去だ。
だが記憶の書き換えが自由になったならその限りではない。
例えば戦闘機。
車の運転すら出来ない程機械に弱い人間に、戦闘機の操縦方法を記憶として植え付ける。
もちろん行動を伴っていないので最低限の実践は必要になるが、それでも記憶に書き込まれた擬似的な経験が訓練時間を大幅に減らしてくれるだろうし、熟練者の経験記憶を書き込めば実戦でも効果的な操縦が出来るかもしれない。
他にも洗脳を施すことで裏切りの心配のない兵士を量産することが出来る。
人間の心という不安定な代物をまるでデータのように書き換え、上書きし、そして操る。
単純に夢の中に潜入でき、忘却した記憶を回収できるだけのSDSが随分と当初の道から外れてしまったものだ。
「SDSの軍事利用についてはまだ反対意見も多い。そもそも人間の記憶を勝手に書き換えるという倫理的問題もあるしな」
「それはそうでしょう」
「枝宮なるにも監視は付いているが、それはあくまでも肉体のみだ」
「そして枝宮なるの本領はSDS、つまり精神体のみで発揮されるから意味がない、と」
「その通り。だが適性の高いSDの数が限られているため、神出鬼没の枝宮なるに対する記憶領域内の監視は不可能らしい」
「それはそうでしょうね」
いつでもどこでも現れては悪戯めいたことをしていく枝宮なる。
彼女は猫のように気まぐれで、とてもその行動を予測することは出来ない。
「という訳で如月結の夢で枝宮なると接触したお前に話を聞かせてもらいたい」
なるほどね。
ようやく呼ばれた理由が分かった。
俺自身じゃなくて枝宮なるに関する情報が重要なわけか。
そして肉体接触ではない枝宮なるの情報を他に漏らしたくない、と。
今回は枝宮さんの監視下ではないから情報源が俺しかないわけだ。
「といっても役立つ情報は無いですよ。あくまでも個人的な接触だったんで」
「構わん。いいから話せ」
「……イエッサー」
という訳で俺は枝宮なるに会ったときの話をした。
「つまり、お前ではなく如月結の記憶を奪ってやると言ったんだな?」
「まあ、そういう事ですね」
都賀峰隼人に関する記憶を奪ってやると枝宮なるは言った。
それは俺がどこかで望んでいたことで、だけどそれを承諾してしまったら俺の中の何かが壊れてしまう予感もあった。
「なるほど。枝宮なるも随分と特殊だが、それと同レベルでお前も特殊なSDだったな。興味を持たれるのは必然というわけか」
鬼軍曹は深々と溜め息をつく。
自分の監視下にあるはずの飼い犬が監視の外で厄介事を引き寄せたのが気に入らないらしい。
鬼軍曹は缶ビールを飲み干してからぐしゃりと握り潰した。
「………………」
握り潰した。
ぺこ……とかいう可愛らしい握りつぶし方じゃないんだぜ。
原形留めてないレベルで圧縮されてるんだ。
ぐしゃ、べきゅ、と異音を発しながらビールの空き缶だったものは直径四センチほどの鉄塊となってテーブルへと放り投げられた。
怖ぇぇぇ!
俺の骨ぐらいべっきんばっきんにやってくれそうだ!
やっぱりこの人に逆らう度胸はない!
絶対服従が基本姿勢だと改めて誓うのだった。
「で、お前はどうしたいんだ?」
「……それが、分からないんですよね」
「………………」
「俺の記憶を奪うって言うんなら迷わず拒否できたんです。だけど結の記憶を奪うって言われたから……」
「ふん。自分の罪から逃げるのを良しとしないが、それでも如月結から忌まわしい記憶がなくなってくれるのなら、とでも考えたか?」
「……ええ、まあ」
都賀峰隼人には俺も結も散々な目に遭わされた。
この先結が目覚めたとき、生きていく上でのトラウマになりかねないほどのものだと思う。
だからこそその記憶が無くなれば結は幸せになれるのではないだろうか、と考えてしまうのだ。
だがそれは同時に俺が自らの罪から目を背けるということも意味している。
結は俺が都賀峰を殺したことをまだ知らない。
だがいずれ知るだろう。
俺は隠すつもりもないし、もしもその事で結が俺を拒絶したとしてもそれは仕方のないことだと思っている。
「どちらを選んだとしても正しいとは言えないな。だからこそ難しい問題だ」
「正しいとは言えない、ですか?」
意外な言葉だった。
どちらが正しいなんて決まりきっていると思っていたのに。
「言えないだろう。罪から目を背けず一生背負う覚悟を持つことも正しいし、大切な人が少しでも幸せでいられるように願うこともまた正しい。まあ広義の意味では『正しさ』なんてものは本来存在しないのだがな。時と場合、そして立場が変われば殺人すらも正義になるのが世の中の姿だ」
「………………」
「憧護。お前はあの時、都賀峰隼人を殺した。それを正しいと思ったことはあるか?」
「いいえ」
「ではその事を後悔したことは?」
「ありません」
その答だけは明確だった。
迷う必要すらもない。
間違いだと分かっていても、あの時も今も、俺は同じ選択をしただろう。
人間は正しさのみで生きていくことは出来ない。
間違うことでしか精算できない因縁もあるのだ。
「ならば答は簡単だ」
「簡単……ですか?」
「どちらも正しくないのなら、自らが望む方を選べばいい。自らの罪から逃げることになるとか、そんな事はどうでもいい。お前が一番に望むことは何だ?」
「結を護ること」
「ならば答は一つだ」
「一つ……」
「都合の良いだけの選択というのは意外と存在しないものだ。たとえ如月結から都賀峰隼人の記憶を消し、彼女の中からお前の罪を無かったことにしたところで、お前自身から都賀峰隼人の記憶が無くなる訳ではない。その矛盾は一生背負うべき負い目となるだろう。逃げたところで意外と釣り合いは取れるものなんだよ。だから逃げることに対してそこまで否定的に考えなくてもいい。人間は逃げたい時はいくら逃げても構わないんだ」
「そんなものですか?」
「そんなものだ。どうせ逃げたところで最後には追いつかれる。それがいつになるかは分からないが、いつかは直面しなければならない時が来る。それまでは精々引き延ばしの努力を続ければいいのさ。その間に緩衝材を構築しておけば最終的なダメージは少なくなる」
「それって沖浦さんの経験則だったりします?」
「馬鹿を言え。私なら問題に直面した段階で完膚無きまでにぶち壊している」
鬼軍曹は獰猛な笑みを浮かべながらそう言った。
「……ですよねぇ」
がたがたぶるぶる……。
俺はしばらく震えが止まらなかった。
「でも、ありがとうございます。少しだけ楽になりました」
人生の先輩から貴重なアドバイスをもらえただけでもありがたかった。
「結局どちらにするか決めたのか?」
「まだですけどね。取りあえず一人で悩むのだけはやめることにします」
最終的には望む方を取ればいい。
楽になる方を選んでも構わない。
たとえ引き延ばしであっても、最後には精算するときが来るのだから。
時間稼ぎ上等。
「今後は如月結に対するSDにも月陽の監視がつくからな」
「マジっすか……」
「枝宮なるの監視をしようと思えばその方が都合が良い」
「待ってくださいよ。それならあの二人が直接接触すればいいじゃないですか。母娘なんでしょう?」
「馬鹿を言え。そんな無粋な真似を勧められるか」
「無粋って……」
訳が分からない。
「あの二人の関係は特殊なんだよ。対立を楽しんでいるというか、まあ好んで協力するのではなく勝負して奪い合うというのがお互いの愛情表現というか……」
さすがの鬼軍曹もげんなりとしていた。
まあ無理もない。
「天才っていうのはどこか人とは違うんですかね?」
「むしろ馬鹿と紙一重の方だろう」
「………………」
鬼軍曹の評価は厳しい。
「まあ性格に難があったところでSDSの研究は月陽がいないと始まらない。下手に機嫌を損ねて研究が滞っても面倒だろう」
「もしかしてなるに監視が付いているにもかかわらずあれだけ自由に動き回らせているのはそういう理由ですか?」
「もう少し複雑だな」
「複雑?」
「海外のエージェントが枝宮なるを拉致してその能力を解析しようとしているのと相反して、日本政府側のエージェントが月陽の機嫌を損ねない為に枝宮なるを影ながら護衛している。双方の組織が水面下で衝突しているからこそ枝宮なるは無事でいられるんだ」
「………………」
平気で薄氷の上を走り回っているのかよ。
かなりナイスな根性の持ち主だ。
「とにかくそういう訳で枝宮なるの行動には大きな興味が集まっている。SDS内部の監視と解析を行うことにより研究が大幅に進む可能性があるわけだ」
「あくまでなるの特殊スキルでしかなく、解析不能だったら?」
「その時は諦めて貰うさ。私としては犯罪捜査の利用が最優先だからな。お偉方の思惑など正直どうでもいい。出世の餌になれば儲けものだが売れもしない材料を無理に押し売りするつもりもないさ」
「………………」
まだ出世するつもりなんだこの人。
将来的には国家公安委員会にでも入るつもりなのかもしれない。
しかも五人の中でトップを牛耳るつもりだ。
くわばらくわばら。
そんな感じで震え上がりつつ、俺は鬼軍曹の自宅から解放されるのだった。




