枝宮なる
結が見えなくなる位置まで歩いてから、ふと足を止める。
このまま『クローズド』とコマンド入力をすればこの世界から出られるのだが、どうやらもう一つばかり済ませなければならない用事が出来たようだ。
「そこにいる奴、出てこいよ」
丈のある草に隠れてはいるが、そこに何者かが隠れているのは明白だった。
「ふふ。やっぱり憧護くんは鋭いなぁ」
俺の呼びかけに素直な態度で応じたのは、十七歳ぐらいの少女だった。
僅かに癖のあるショートボブヘアは、年相応の少女らしさを感じさせる。
しかしその瞳に宿る危険な光が、彼女から少女らしさを根こそぎ奪っていた。
「枝宮なる……?」
「せいか~い♪」
ブレザーの制服でくるりと一回転してから自己紹介を始めるなる。
「ママから予告されてただろうから名前を言い当てられたことには驚かないわよ。でもちゃんと自己紹介はしないとね。一応礼儀として。あたしは枝宮なるです。よろしく憧護くん♪」
「……瑚島憧護です」
「うん。知ってる♪」
なるは陽気に笑う。
一体彼女は何をしに来たのだろう?
この世界、結の記憶領域には箱は存在しない。
結の精神が不安定な状態では隠蔽記憶も忘却記憶も関係ないからだ。
箱を奪い続ける枝宮なるにとって、この領域で果たすべき役割はないはずなのに。
「あ、不思議そうな顔してるね、憧護くん。あたしがどうしてここに来たのかが不思議なんでしょ? 箱も何もない、一人の女の子がいるだけの世界に」
「ああ。その理由は是非とも知りたいところだね」
俺は銃を具現化してなるに突き付ける。
「あは。さすがだね。銃みたいに複雑な構造を持つ道具をこの世界で具現化できるのは憧護くんぐらいのものだと思うよ。すごいすごい!」
なるは感心したように突き付けられた銃を眺めている。
自分に突き付けられたものだということをまるで意に介していない。
ただただ好奇心を満たす為だけにそれを観察しているのだ。
「………………」
常軌を逸している。
そう思った。
仮にこの銃でなるを撃ったとしても、現実の枝宮なるの身体は傷一つつかないだろう。
しかしそれはあくまでも身体が無事というだけであって、中身が無事で済むわけではない。
もちろん今までは記憶を探すという仕事のみであり、敵と遭遇するという事態は想定外なので一度も実例はない。
しかし一度も実例がないということは、どうなるか分からないということでもある。
夢の世界でその身体を傷つけられた場合、そのダメージはどこに負わされるのか。
本来の肉体なのか、それとも精神の崩壊なのか。
可能性としては後者の方が強いだろうが、しかしその崩壊の在り方すらも分からない。
自分がどうなるのか分かっていれば覚悟の決めようはあるだろう。
しかし自分がどうなるのかも分からない状態では、ただ未知の恐怖があるだけだ。
未知の恐怖。
そんなものに対して明確な覚悟を決められる人間がそれほどいるとは思えない。
ならば目の前に立つ枝宮なるという少女はそのごくわずかな存在なのか。
それとも……
覚悟を決めるまでもなく、彼女は壊れているのかもしれない。
恐怖を感じる心そのものが正常に機能していないのかもしれない。
「さてと、何だか失礼なことを考えられているような気がするけど、そろそろ本題に入ろうかな」
「………………」
変なところで鋭いのは母親譲りなのかもしれない。
「憧護くんの予想通り、ここには愛しの結ちゃんの記憶を頂きに来たんだよね」
「俺の前で堂々とそれを言うんなら、それなりの覚悟は出来てるってことでいいんだよな?」
近づいてきたなるの額に冷たい銃口を押し当てる。
ひんやりとした感触がなるの額には感じられていることだろう。
「撃つならそれでも構わないけど。でも人の話は最後まで聞きましょうって誰かから教わらなかった?」
「……ああ、教わった気がするな。誰からかは忘れたけど」
「じゃあ最後まで聞こうよ」
「じゃあさっさと話せよ」
「せっかちだなぁ、憧護くんは。そういうところもかなり好みなんだけどね」
「………………」
「でも憧護くんにとっても悪い話じゃないはずだよ」
「どういうことだ?」
銃口を額に押し当てられたまま近づいてきたので、銃そのものがずれてしまう。
俺の耳元にまで近づいてきたなるは、ふっと妖しく笑った……ような気がした。
俺の右手にある銃は今はなるのこめかみに添えられている。
いつでも引き金を引けるように。
「都賀峰隼人」
「っ!」
その名前を聞いた瞬間、俺の身体が強張った。
その反応に満足したのだろう。
なるはそのまま俺の耳元で続けた。
「彼の記憶を如月結から奪ってあげる……と言ったら?」




