SDSの可能性
他愛のない会話を続ける。
会話を続けて、結の精神を、そして魂を活性化するのがこの潜入の目的である。
――如月結が二度と目を覚まさないかもしれないと告げられた時のことを思い出す。
脳にかなりのダメージを受けた結は、辛うじて命を繋いだものの、植物状態になってしまった。
頭に血が昇って都賀峰を殺し、そして改めて結の状態を鬼軍曹に聞かされた後、俺は数日間放心状態だった。
懲役期間中の強制労働に対しても機械的に頷くだけで、全く使い物にならない状態だっただろう。
結が二度と目覚めない。
彼女の声を二度と聞けない。
その事実は俺を完膚無きまでに打ちのめすには十分で、そして生きる気力すら根こそぎ奪い尽くしていった。
普通ならこのような欠陥品を特殊公安部のSDとして使おうなどとは思わなかっただろう。
しかし無気力状態で受けた適性数値計測で千八百という以上数値を叩き出した俺は、そのまま放っておいてもらえるような存在ではなかった。
五年間、屍のように大人しく牢屋で過ごそうと考えていた。
その後は自殺でもするかと本気で考えていた。
だがそんな生きた屍状態の俺に突き付けられた現実は、再び命を吹き込まれるのに十分な熱量を持っていた。
SDS。
人間の夢、つまりは記憶領域へと干渉出来るこの技術は、あらゆる可能性を秘めていた。
当初の予定通り、忘却記憶を取り戻すことはもちろん、犯罪捜査における隠蔽記憶を暴くこと。
現状では枝宮なるのみが可能とする特殊技能である記憶の書き換え。
これらの技術が進化し、完成すれば、それは人間の精神、すなわち魂への干渉が可能になる。
魂への干渉を行うことによって何らかの劇的な変化が起こることは確実で、システム開発者である枝宮月陽はその先を求めていた。
その実験の一環として、SDSを植物状態の如月結に使用すること。
脳への深刻なダメージを受けているとはいえ、彼女はまだ生きている。
生きているという事は、その精神がまだ活動しているという事だ。
此処とは違う世界で。
此処とは違う領域で。
そこへ干渉を行うことにより、精神を復活もしくは魂の活性化を行う。
精神が肉体に与える影響というのは計り知れないものがある。
病は気から。
火事場の馬鹿力。
それを示す言葉も数多く存在する。
これは決して大袈裟な意味ではなく、偶然の産物でもない、というのが枝宮さんの意見だ。
魂の力。
心の力。
すなわち意志力。
これらの現象を、枝宮さんは『人間が乗り越えていける可能性』という綺麗事ではなく『明文化された理論』として確立させようとしている。
その第一歩がSDSであり、表向きの忘却記憶回収はあくまでもデータ収集でしかないらしい。
そして本来の目的である魂への干渉の実験を行うため、枝宮さんはある提案をしたのだ。
この実験が成功すれば、如月結は意識を取り戻すかもしれないと。
魂の活性化が肉体に与える影響。
現代医学では治療不可能な症状も、魂を活性化させることにより肉体の自己治癒力を引き上げることにより覆せるかもしれない。
現状、この方法以外に如月結を助ける方法はない。
俺は一も二もなく実験協力要請を承諾した。
俺だけではなく結も実験体扱いされているというのは気に入らないものがあるが、それも割り切るべき事実として受け入れている。
万が一の奇跡に賭けるのではなく。
自分の全てを懸けて救い出す道を選ぶ。
そうすることでしか俺は自分を許すことが出来なかったから。
護りたかった彼女に護られることしか出来なかった無力な自分を。
だから俺はここにいる。
可能な限り彼女へと逢いに来る。
最初に訪れた時は中に眠る精神があまりにも幼かったことにびっくりしたものだが、しかしそれもありのままの結だと思うと変わらぬ愛情を抱くことが出来る。
肉体が眠ったままの彼女は記憶がほとんど破損しているらしく、こうして俺と会話することにより徐々に回復していっているらしい。
ある程度の回復が行われると『本』となって現れる。
具現化能力の一環なのだろう。
こうして結は生まれてからの記憶を少しずつ取り戻し、魂の活力をも取り戻している……というのが枝宮さんの見立てなのだが、本当にそうなっているのかどうかはまだ分からない。
『本』には如月結として生きてきた記憶が物語風に書かれているらしく、一人の時はそれを読んで過ごしている。
今のところ十歳ぐらいまでの記憶を取り戻せているらしい。
十歳までの記憶。
つまり、彼女の中に瑚島憧護という恋人はまだ存在しないのだ。
それでも結は俺をきちんと認識してくれている。
かつての恋人としてではなく、この世界に訪れてくれる夢の旅人として。
「この本にはね、運動会のことが載ってたんだよ」
「へえ、徒競走で一番をとったこととか?」
ハードカバーの本を抱えた結はちょっと複雑そうに微笑んだ。
どうやら苦い思い出らしい。
「リレーの記憶だったの。最後から二番目でね、アンカーにバトンを渡すはずが、汗で滑ってアンカーの顔にべしって当てちゃったの……」
「ありゃりゃ……」
それは確かに苦い思い出だ。
「結局わたしのクラスはドべになっちゃってね。アンカーの子にはしばらく口を利いてもらえなかった」
「まあ、そういうこともある。あんまり気にしない方がいいぞ。誰にだって失敗はあるんだから」
「うん。次は頑張る」
「……まあ、頑張れ」
既に学生ではないし、目覚めた後も恐らくは学校に通うことなどないであろう結に、今後リレーなるものに参加する機会があるかどうかは怪しいものだが。
しかしそこで水を差すような真似はしない。
今の結はあくまでも十歳の子供なのだから。




