第7話 冷徹な仕打ち
6月21日、前年の1899年より続いていた義和団と称する秘密結社の対外排疎運動を、
西太后を中心とした清朝が支持、列強に対し宣戦布告を行う。
義和団の乱、もしくは北清事変と呼ばれる対外紛争である。
宣戦布告された列強国は直ちに鎮圧を目的として軍を派遣する。
この派遣軍は、イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・ドイツ・オーストリア・イタリアに
日本を加えた8ヶ国にものぼる連合軍であった。
中でも日本は、列強に対して自軍のアピールと、中国大陸に確固たる地位を築く事を念頭に、
どこよりも多くの兵を派遣していた。
乱自体は9月初めに鎮圧され、敗れた清朝は多額の賠償金を毟り取られ、
ますます弱体化の度合いを強めていく。
鎮圧後も警備の為に留まっていた各国兵士も、徐々に帰国の途に就き始めたが、
日本に次いで多くの派兵をしたロシアだけは、なお満州の地に留まり続けているばかりか、
更に南下する構えを見せ、日露間の緊張はいよいよ激しさを増していく事となる。
一方、その頃の朝鮮半島情勢はというと、1894年~95年にかけての日清戦争にて勝利した日本は
当時の朝鮮王朝-李氏朝鮮を清朝の支配下から切離し、大韓帝国を名乗らせ自主独立を促すが、
それをするには甚だ心許無い状況だった。
長らく中国歴代王朝の属国として存続してきたゆえ、大国に身を委ねてなければ不安で仕方ないのだ。
その事大主義が骨の髄まで染み込んでいるゆえ、こともあろうに今度はロシアに摺り寄ろうとしていた。
日本は朝鮮の背信行為を苦々しく感じつつも、おいそれと大国ロシアを相手にする訳にはいかず、
今はただ、傍観するしかなかった。
そんな中でも、日本からの援助を元に自主独立近代化を図ろうという動きが無かった訳ではない。
独立協会-これこそが、その代表たる派閥結社であった。
しかし、独立協会の革新路線を嫌う保守派や、彼らに担ぎ上げられ絶対王政を称える高宗(大韓帝国成立
後は光武皇帝)によって、協会は強制解散させられ、主だった運動員は投獄されるという憂き目に遭う。
「そろそろこの男も排除しておいた方が良いだろう」
『あそ』の主要メンバーが会した席上で、島田がそう言って指した写真の男も
その独立協会の運動員の一人であり、現在は投獄中の身であった。
「そうですね。史実通りですと、彼は1904年には釈放され、使者として渡米してしまいます。
そうなってからでは少々厄介ですし、今の内に手を下した方が良いでしょう」
一人が島田に同意する意見を述べる。これに対する反対意見は無い。他の者も意は同じ様だ。
「政敵であるはずの彼を釈放して、使者にまで仕立てあげるとは、よほど当時の朝鮮政府は人材不足
なのだろうか? まあ、その点は問題にすべきではないがね。
さて、皆も賛成の様だから、それでは実行する事にしよう。
とはいっても、今の彼は一介の運動家に過ぎず、更には拘束中の身だ。
日本政府を動かしてまで行うほどの事もないし、我々が直接手を下す必要もない。
対立派閥である保守派の連中をそそのかすだけで済むだろう」
温厚な島田もこの時ばかりは冷徹であった。
8月。大韓帝国の留置所にて、その男はひっそりと処刑された。
史実において彼は、1948年、建国した大韓民国の初代大統領となり、以来3期にわたり独裁政権を敷く。
日本に対しては戦後の混乱期に勝手に領海線を引き、後々竹島問題として紛争の原因を作りもした。
そんな彼こそ誰あろう李承晩その人である。
所は変わって、愛媛県松山。
「理恵さん、もういいです・・・」
露本理恵は、正岡律と二人きりになった時、いきなりこう言われた。
「え? どうしたの?」
突然の事に驚き、彼女は律に訊き返す。
「だから、兄さんの看病をです。
理恵さんに看て貰っても、兄さんは遅かれ早かれ死ぬんでしょ?
だったらもう充分。理恵さんみたいな美人のお医者さんに看て貰ったし、飛行機も見れたし。
兄さんだって思い残す事は無いと思います」
「そうは言っても、私も医者の端くれ。患者を途中で見捨てたりは出来ないわ」
理恵は医師として、当り前の答えをする。
「理恵さんたちは未来から来たのでしょ?」
「何でそれを?」
さすがに理恵も律の口から出た突拍子もない言葉に訊き返す。
「私、東京に行った時、淳さんと一緒に貴方たちの船に乗ったの。
私にはお船の事なんて解らないけど、凄い船である事くらいは解った。
そして、千香さんが自分達について話してくれたの」
「そういう事だったの・・・」
理恵も納得する。
「その千香さんですけれど、最近、家に来ませんよね。
それって、何か別の事をやっているからじゃないのですか?
理恵さんだって、本当は兄さんの看病をしているより、きっともっと大事な事があるんでしょ?」
律は刺す様な目つきで理恵を見た。
「律さん・・・」
彼女の言う事は全くもって正しかった。
『阿蘇』が本格的に活動を開始した今、理恵にもやるべき事があった。
けれども、それをどう律に切出していいものか悩んでいたのだ。
責任を全うしなければならないとする、彼女の医師としてのプライドも板挟みになっていた。
だから、彼女からの申し出は渡りに船といってよかった。しかし・・・
「ごめんね・・・」
理恵はもう、それだけしか言えなかった。
引継ぎを済ませると、露本理恵は後ろ髪を引かれる想いで、子規の家を後にした。
そして彼女はその足で一人の女性を訪ねる。齢70となるのその女性は既に隠居生活を送っていた。
楠本イネ-それが彼女の名前であり、日本人としては彫の深い顔立ちをしている。
それもそのはずで、彼女は当時としては珍しい混血児であった。
父親はドイツ人で、名はフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト。
そう、医師であり博物学者として日独両国に多大な影響を与えたシーボルトである。
そして、彼が駐日中、日本人女性・楠本滝との間に設けたのが、楠本イネだった。
父親の医師としての素養を受継いだ彼女は、近代女性医師の草分けとなる。
理恵はそんな彼女を同じ女医として、尊敬の念を抱いていたのであった。
一ヶ月に一回程度と言いながらも10日毎に投稿が出来てます。
しかし、別個に『疾風怒涛! 太平洋戦争』なるものを書き始めたり、前回が番外編だったりしたせいか、
随分久しぶりの気がしています。ストックしていた原稿という事もあるのでしょう。
時系列に沿って書いていくと、一話当りのボリュームを持たせるのが、なかなか大変です。