第3話 秋山真之、『あそ』に乗艦する
夜。人気の無い海岸に出た島田は、無線で連絡した後、沖合に向ってライトを掲げ、合図を送る。
やがて、バラバラバラと地響きの様な低い音が空から聞こえ、その音は次第に近付いてくる。
律は姿無き音の主に怯え、秋山にしがみつく。
秋山もこの得体の知れない物に警戒し、音が聞こえて来る方向の空を睨む。
そして次の瞬間、いきなりその音の主が空から出現した。
秋山と律には、それはこの世のものとは思えない怪物としか見えなかった。
怪物は夜空に浮かんでいた。頭上には大きなプロペラがあり、それが勢い良く回転している。
白と灰色の塗り分けで、どうやら全体が鉄で出来ている様だ。即ち怪物は人が作りし物という事になる。
尻尾の様な部分に字が描かれているのが、ほのかな明るさの中に見える。
「海上自衛隊」-そう書かれていた。そして日の丸のマーク。
すると、この怪物は日本のものなのか? しかし、「海上自衛隊」というのはいったい何だ?
秋山は驚きの中に疑問を隠せず、目を見開いた。
怪物は高度を下げ、やがて着地する。その途端、横腹のドアが開く。
島田はそのドアの淵を握り、二人に乗れと合図する。
二人が躊躇していると、後に控えていた千香が「乗って下さい」と促す。
今までの明るい千香とは全く違った冷徹な声だ。
恐る恐る二人は乗込む。中には座席がいくつか備えられており、そこに座込む。
四人を呑み込んだ怪物は、再び大空に舞い上がった。
秋山たちは空を飛んでいた。
側面に並んだ小さな窓からは、光が密集した地域が見下ろせた。帝都東京の市街地の灯りだろう。
やがて、敷居で区切られた前方からは別の男の声が聞こえてくる。
「こちらフライト1。『あそ』に告ぐ。着艦の為、光学迷彩を解除してくれ」
「了解フライト1。直ちに解除する」
途端に薄暗い海面に、今乗っている怪物と同じく突如、何やら巨大な物が横たわっているのが見える。
それは、どうやら軍艦だ。
しかも帝国海軍最大の艦船である富士級戦艦よりも、全長はありそうだ。
逆に船幅は狭く、全体にほっそりしている。戦艦ではなく装甲巡洋艦の類なのだろうか?
秋山はそんな考えを思い巡らせていた。
四人を乗せた怪物は、その巨大な船の後甲板にふんわりと着地した。
そして秋山と律の二人は、島田や千香と共にこの船に乗込んだ。
秋山にずっとしがみ着いていた律は、途中で引き離されて、千香と共に別の場所に行ってしまい、
彼自身はこの船の乗員の案内で、広めの部屋に通された。船の中とは思えない質素だが整った部屋だ。
けれども秋山は、この部屋に来るまでに見た船の内部構造と、海軍士官としての経験から
この船が軍艦、それも戦艦並に強力な武装を誇る艦である事は間違いないと直感していた。
部屋に一人待たされた秋山の前に再び島田が現れた。
しかし、島田の姿は今までとは違っていた。秋山と同じく海軍士官の姿をしていた。
ただし、秋山の帝国海軍の軍装とも少し違う。
どちらかというと、秋山が直前まで駐在武官をしていたアメリカ海軍の士官軍装に近い様に思えた。
戸惑う秋山に、島田は笑顔で語り掛ける。
「改めて秋山大尉。日本海上自衛隊イージス護衛艦『あそ』にようこそ。
私はこの艦の艦長、一等海佐の島田喬一です」
島田が秋山と面談しているのと同じ頃、別室では岡本千香が正岡律と向き合っていた。
千香も島田と同様、既に軍装に着替えている。
「・・・岡本さんて、軍人さんだったのですか?」
千香の姿を見て、律は上目遣いで不思議そうに尋ねる。
この時代、世界のどの国にも女性兵士は存在しない。男性のみの務めと決まっていた。
なので、女性である千香が幼馴染の秋山と同様の姿をしているのは、とても奇異に映った。
「まあ、そんなところです」
千香は曖昧な返事をした後、急に真面目な顔をし、律に詰め寄る様にして言い放つ。
「ごめんなさい律さん。私たちは、貴方やお兄さんの子規先生を利用していたの!」
「120年先の未来から来られたと・・・」
「そうです。私も、他の乗員も、この艦『あそ』も」
「とても信じられません」
「そうですかな? もう少し合理的な考えをされる方だと思っておりましたが。
貴方は既に、この時代ではありえない我々の進んだ技術を御覧になっておられるはずだ。
例えば貴方や律さんをこの艦にお連れした飛行機。あれはヘリコプターと呼ばれる物ですが、
垂直に飛び立ち、降りる事も出来る。狭い船の甲板でも運用出来る優れものです。
これに較べれば、二宮さんには悪いが、昼間の飛行機なんぞ玩具に等しい」
たしかに島田の言う通りだった。どうみてもこの時代の物とは思えない。
それは欧米の列強国にも存在しないだろう。
「ま、口先だけで言っても始まらないでしょうから、これを見て下さい。
我々の世界で起こった歴史を要約したものです」
島田はそう言って、リモコンのスィッチを押す。
スクリーンが、するすると天井より降りてきて、映像が流れ始める。
日露戦争の勝利、続く第一次世界大戦、関東大震災、中国大陸への進出、第二次世界大戦と敗北、
アメリカ占領下での復興、そして躍進。
一方で敗戦のどさくさで残留した朝鮮人が社会に溶け込み、癌の様に日本を蝕む。
やがて、第二次朝鮮戦争を機に朝鮮半島を併呑した中国は、更に日本へも牙を剥く。
そうはさせじとする世界の覇者アメリカ。
橋頭堡となった日本の国土は蹂躙され、更に多くの韓国難民の流入によって、衰退の一途を辿る・・・
秋山は映像が流れ終わっても、スクリーンを注視したままだった。
特に初盤、露西亜との戦いで、参謀となった数年後の自分が活躍し、日本を勝利へ導く。
幼馴染で親友の正岡常規(子規)は病死して既にいない。
一級上の先輩である広瀬武夫は旅順港閉塞作戦中に戦死し、軍神に祀り上げられる。
いったいこれは何なのだ? 酷く手の混んだ冗談か?
呆然とする秋山の横顔を、島田はしばらく見ていたが、やがて静かに語り掛ける。
「これが貴方たちが守り伝え続けた神国日本の行く末です。
ただし、あくまでも私たちが元居た世界での事ですが」
我に還った秋山も訊き返す。
「それで貴方がたは、この世界をどうされたいのですか?」
「もちろん、この様な顛末を迎えない様に改革します。それを目的に我々はこの世界に来たのですから。
しかし、いくら我々が先進の技術を持っているからといっても、これだけの人数です。
この僅かな人数で行える事は限られている。
ですから、この世界で協力してくれる方々が是非とも必要なのです」
「それが私という訳ですか?」
「そうです!」
今まで穏やかに語り掛けていた島田が、この時ばかりは力強い口調で返事をする。
「それでしたら、私の様な一兵卆よりも、もっと上位の方が良いと思いますが」
「たしかにその通りです。
しかし、その様な上位の方が、我々みたいな何処の者とも判らない連中に簡単に会うと思われますか?」
「やはり難しいでしょうね」
「そうなのです。貴方に会うのだって、言い方が悪いかもしれませんが、幼馴染であられる松岡兄妹や
二宮さんの人脈を利用させていただいて、何とか機会を得られたのですから」
「しかし、他にもっと効果的な方法があるはずです」
「どの様にでしょうか?
例えば、この『あそ』を、いきなり皇城近くの東京湾に出現させてみましょうか?
たしかに効果的です。しかし、黒船の再来だと大騒ぎになるのがオチです。
そうはならなくても、目当ての人物以外にも大勢の人々に知られる事になります。
その中には列強国と通じている者もいるはずです。
列強の連中は我々の存在を怪しみ、優れた技術を持っていると知れば、いかなる手段を使ってでも
これを盗み出し、直ちに模倣するでしょう。
白人至上主義を自負する彼らは尚の事、極東の有色人種である我々が先走る事を許さず、
躍起になってかかれば、その習熟速度は予想以上に早いかもしれません。
貴方が直前まで駐在武官を務めておられたアメリカなどは、特にそうだと思われます。
我々の優れた技術や知識は、日本が列強に優位に立つ事のみに行使しなければならない。
その為には公にはせず、慎重に秘匿する必要があるのです」
「なるほど、おっしゃる事は解ります。しかし、それでもなお何故私なのか、合点がつきません」
島田は秋山に対し、諭す様に言う。
「いくら高位におられる方でも、私利私欲に走る様では、私どもに協力していただくのに相応しいとは
言えません。その点、貴方は東郷平八郎閣下、更には山本権兵衛海軍大臣閣下にも繋がるお方だ。
必ずや我々の力になっていただけると期待しております」
「未来から来たですって・・・」
別室でも同様に、律が千香の言う事に驚いていた。
千香も律に、自分たちが未来から来た事を話したのだ。
本来、律は『あそ』に来るべきではなかった。
けれども、秋山と一緒に居た為に成行き上そうなってしまった。
そんな律への対応について、千香はどうするか悩んだが、結局話す事にしたのだ。
「だったら、私や兄はこれからどうなるんです? 未来から来たのなら解っているのでしょ?!」
律に懇願されるかの様に問い詰められ、千香は静かに口を開いた。
「お兄さんの子規先生は1902年(明治35年)に亡くなるわ。でも、これは私たちの居た世界での事。
この世界では理恵さんが看てくれているから、もう少し生延びられるでしょうけど。
その後の律さんは、先生の業績を守りながら生きる事になるわ」
律は千香の言う事を一語一句噛締める様に聴いていたが、やがて、はにかんだ笑い顔を浮かべて言った。
「そうなんですか・・・ 解ったら何だか妙に安心しちゃいました!」
その後、秋山と律は元の海岸に戻された。
秋山には島田の言葉が囁く様に思い出される。
「貴方も突然の出来事に驚いたでしょう。ですから直ぐに返事を寄越せとは申しません。
ただ貴方が、日本が、我々を必要だと感じたならば、速やかに連絡願います。我々は待っています」
その言葉を脳裏に、秋山はヘリの飛び去った方向を追う。
あの先に『あそ』が居る-何も見えない暗闇の海を、彼はじっと見詰め続けていた。
艦載機のコールネームってどうなっているのでしょうね? 適当に「フライト1」なんてしてしまいましたがorz
御意見・御感想をお待ちしています。