第10話 日の丸航空機、欧州へ
『阿蘇』に三度目の正月が廻り、時は西暦1902年。
この年の初頭、日本にとって重要な出来事がある。そう、日英同盟だ。
それはこの世界においても同じであった。
ロシアが満州の地に居座るのを良しとしないのは、何も日本だけではない。
阿片戦争以来、中国(清)に侵攻しているイギリスも又、己の権益を脅かす者として、ロシアを敵視していた。
しかし当時のイギリスは、前世紀末から続く南アフリカでの紛争、即ちボーア戦争の鎮圧に手一杯で、
とても極東の地に派兵をし、正面きってロシアと戦う余裕は無かったのである。
そこで目を付けたのが、同じくロシアに対して頭を痛めている日本だった。
イギリスは「栄光ある孤立」を棄て、日本に歩み寄る。自分たちの代わりにロシアと戦う尖兵になれと。
日本もイギリスの言う立場を理解していた。
それを差引いても、日本単独では全く歯が立たない大国ロシアを相手にするには、
この上なく力強い味方である事には変わり無かった。
かくして日本とイギリスは同盟を締結する。1902年1月30日であった。
この日英同盟については『阿蘇』のメンバー達も、諸手を上げてとまでは行かないまでも
実情では仕方ない事として、喜ぶべき方向にあった。ただ、問題が全く無かった訳では無い。
「やはり言って来たか・・・」
島田はいささか顔を曇らす。
「ま、当然だとは思いますがね・・・」
機関長の片山も同意するが、渋い顔だ。
イギリスは日本との同盟締結の手土産として、半年前に開発されたばかりの『富式1型飛行機』の
譲渡を要求して来たのだ。
日本が実用航空機である『富式1型飛行機』を開発したニュースが世界に伝わると、
列強を中心にその譲渡を希望する国が後を絶たなかった。
それを島田たち『阿蘇』のメンバーが、ともすればホイホイと譲渡を快諾しようとする
お人好しの上層部の手綱を締め、頑として拒んできたが、今度ばかりはそうも行かない。
「だからといって対策を練らなかった訳では無い。これは歴史を知る我々にとっては想定内の事。
連中がイギリスに戻る頃には申請も認可されているだろう。
『富式1型飛行機』を解析し、いざ模倣し生産する段階になって、慌てふためく姿が見ものだぞ」
島田は一転、顔を緩めニヤリと笑った。
甲型3機、乙型2機、計5機の『富式1型飛行機』は一度分解され、丁寧に梱包される。
そして三ヶ月の航海を経てイギリス本土に届けられると、再度組立てられ、綿密な調査に供された。
中心となって調査を行ったのは、アリオット・ヴァードン・ロウ、ジョン・ウィリアム・ダン、
サミュエル・フランクリン・コーディの三人。いずれも自身で航空機開発の経験のある者たちだ。
彼らは寝食を忘れて調査に没頭した。そして一週間後、三人は軍の幹部たちが待つ前に現れた。
「どうだったかね? 日本の飛行機は」
幹部の一人が訊く。
「素晴らしいの一言です。先の『玉虫型飛行器』は、人類初の動力飛行に成功したといっても、
稚拙な部分が多々見られました。しかし、この『富式1型飛行機』は全く違う。
サルからヒトへ突然変異したくらいの急速な進歩です。それに生産もし易い様に工夫されてます」
「その通りです。調査を行っていて、我々を唸らせる事項が度々ありました。
この機体に較べれば、我々が開発してきた機体が何と幼稚な物であったか思わずにはいられません」
三人は口々に感想を述べる。
「飛行機の開発に携わってきた君たちが口を揃えて誉めるくらいだから、
相当の完成度の高さを誇るのだろうね。『富式1型飛行機』という機体は。
極東の小国が開発したとは、にわかに信じられない事だが・・・
では早速、我が国で量産出来る様に準備を整えてくれたまえ」
幹部がそう指示を出すと、途端に三人の口が重いものへと変わる。
「・・・それが・・・その・・・出来ないのです・・・」
「出来ない? そんなバカな事が有る訳ないだろう。極東の小国が出来て、何故我が国が出来ないのだ?」
幹部は憤慨しながら言う。
「たしかに我が国の技術で生産することは充分可能です。
しかし、日本の連中は、この機体のあらゆる箇所、あらゆる機構に特許を掛けているのです。
例えばこの機体の様に、まずエンジンがあって次に一枚の主翼、最後尾に尾翼というスタイル、
これにも特許が掛けられてます」
彼らの言う今日、「プロペラ飛行機」といえば思い浮かべる御馴染みのスタイルは、一般的ではなかったのだ。
ライト兄弟のフライヤー号にして、まず水平尾翼があり、主翼は複葉で、操縦席後ろにエンジンがあり、
プロペラは後部に向って付いていて(これを推進式という)、垂直尾翼は別個に最後部に、というスタイルだ。
黎明期の飛行機は、それ以外にも様々なスタイルが試行錯誤され、『富式1型飛行機』スタイルの出現は
元となったブレリオXI型の1909年になってからだ。
その後も第一次世界大戦中あたりは、単葉機よりも複葉機の方がむしろ一般的だった。
有名な撃墜王、レッドバロンことリヒトホーフェンの愛機フォッカーDr.Iに至っては、複葉どころか三葉機である。
「他にも後部の水平尾翼と垂直尾翼には、それぞれ昇降舵と方向舵、主翼には補助翼付き、
これらの機構にも特許が掛けられているのです」
彼の言った機構とは、機体を旋回させたり上昇下降させたりといった運動機能に用いられるものだ。
その内、補助翼はオリジナルのブレリオ機にも採用されていない。
ブレリオ機はそれまでの機体と同じく主翼を捻る事で、それに代えていたのだ。
史実で補助翼を採用したのは、アンリ・ファルマン機が最初だ。
「それから、水上機である乙型のフロートにも・・・」
「解った解った! もういい!
要するにこれと同じ物を作ろうとするには、多くの特許使用料と、連中に頭を下げる必要があるという事だな?」
幹部は彼らの言う事を遮り、そう結論付けた。
「そうなりますね」
彼らもこれ以上話しても同じだと思って、手短に同意する。
「しかし、連中に頭を下げるというのは、どうにも癪に障る。
日本人が掲げる特許なんぞ無視して、勝手に作ってしまっても構わんのではないか?」
別の幹部の一人が横暴な発言をする。
「それも一つの方法かもしれませんが、もし彼ら日本人が特許違反をしていると言って騒いだらどうしますか?
我が大英帝国は、国際法も遵守しない恥知らずの国として、列強各国から嘲笑されるかもしれません」
「たしかにそうなってしまっては、先進国である我が国にとって、まずい事になりかねない。
君達の力で、連中の特許に抵触しない別の機体を開発出来ないものかね?」
「時間を掛ければ何とかなるかもしれませんが、今直ぐという訳にはとてもまいりません。
目の前に優れた機体を見せつけられてしまいましたし・・・」
「解った。今日のところはこれで閉会としよう。後日再び、意見を訊く事になるかもしれんが」
三人は部屋を出て行き、残った幹部たちの間からは、溜息があちこちで聞こえてくる。
「連中の技術がこれほどだったとは。そして、それらに特許を掛ける抜かりなさ。
我々は連中を甘く見過ぎていた様だ」
「たしかにそうだ。しかし、そうなったのはここ数年の事だろ?
技術もさる事ながら、以前の連中は我々の言うがまま、騙そうと思えば簡単に騙せた。
我が国に留学した者も居たが、ここまで国際情勢に明るく、特許なんて思い付く者はいなかった。
急激に発展したあの国には何か裏がある。調べる必要があると思うが」
「ああ、密かに探ってみる事としよう」
彼らは頷きあった。
こうして、イギリスでの生産は棚上げされた恰好となったが、飛行が出来ない訳では無い。
譲り受けた5機の『富式1型飛行機』を使って、国内で盛んにテスト飛行が繰返された。
そしていよいよ、他の列強国(特にフランス)を牽制する意味合いも兼ねた、衝撃的な飛行計画が
実施されようとしていた。
1902年7月25日、イギリス南端の港町ドーバー。周囲にはこの地方独特の白色の崖が連なり、
ドーバーの古城も又、この崖の上に港町を見下ろすかの様に建っている。
その近くの草地から、一機の『富式1型飛行機』が飛び立った。
それを合図とするかの様に、沖合の巡洋艦も墜落した場合の救助に備え、スタートする。
操縦席に収まるのは、同機を調べ上げた三人の内の一人、ジョン・ウィリアム・ダンだ。
『富式1型飛行機』は随航する巡洋艦をたちまち追越し、対岸にあるフランスの町カレーへと向う。
飛行は順調で、30数kmの海峡を28分間かけて無事横断に成功。カレーの海岸に着陸した。
史実から丸7年早く、逆コースによって成された航空機によるドーバー海峡初横断の瞬間だった。
間もなく随航する巡洋艦に同乗していたロウやコーディ、その他の軍関係者も駆けつけ、
横断飛行の成功を祝した。
このドーバー海峡横断飛行の成功は、もちろんフランスの面子を潰すには充分だった。
フランス政府は1897年、クレマン・アデールが作ったアヴィオンⅢが、僅かに浮上しただけで大破し、
飛行と認められず一度は引っ込めたものの、1900年に日本が世界初の動力飛行に成功を知るやいなや、
この事実を覆し、「自分たちこそ世界初の動力飛行を成し遂げた」と公言していたのだ。
そんな彼らは、宿敵イギリスとの間に横たわるカレー海峡(フランスではドーバー海峡をそう言う)の
横断飛行をも先越された。
このままでは、首都パリでのエッフェル塔一周レースであるドゥーチェ賞も、イギリス人の手によって
掻っ攫われてしまう。そう考えた彼らは同賞の取消しを決定した。
これには日本に出向いて協力を求め、それを断られた後も自力で成し遂げようと意欲を燃やしていた
サントス・デュモンを失望させる結果となった。
目標が失せた彼は、きっぱりと飛行機の開発から足を洗ってしまったのだ。
ライト兄弟に続き、史実の航空界のパイオニアが又一人、姿を消した。
『緋色の波涛』の執筆に時間を割かれて、二日で書き上げたので、雑になってしまいましたorz
加筆する事になると思います。
ここ数話、飛行機の事ばかりです。この時代だと軍艦主体のはずなのですが・・・
史実の欧州における黎明期の航空界は、フランスが先導してました。
ボアザン兄弟、ファルマン兄弟、ルイ・ブレリオ、サントス・デュモン、皆フランスです。
イギリスはというと、本文で挙げた三人くらいです。
この内、アリオット・ヴァードン・ロウは、自分の名前の頭文字にちなんだアブロ社を設立してます。
ランカスター爆撃機で有名ですね。
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