第9.5話 飛魂という存在
貨物船『福井丸』の後部甲板では、景気の良い音が響いていた。
この船の船魂である福井丸は当初、いよいよ廃棄処分かと慌てもしたが、それは違っており、
どうやら船倉に石油タンクを設置する工事以来、二度目となる改装工事を行っているらしいと解った。
その工事の音が止んだ時、甲板には積荷を上げ下げする起重機が横倒しになった様な巨大な物体が
後部甲板を占領していて、唖然としたものだ。
それから数日後、今度は人が作りし大きな鳥が『福井丸』近くの海面に舞い降り、
本来のクレーンを使ってそれを引き上げ、横倒しのクレーンもどき上に背負わされる様に設置される。
周りには多くの人々-たぶんあの『阿蘇』の乗員たちだろう-が何やら忙しく調整作業をしている。
福井丸は、それら連日にわたって繰広げられ続けた作業を、ぼんやりと甲板の隅から眺めていた。
そして、喧騒が収まった本日の夜、福井丸は恐々と大きな鳥に近付いてみた。
翼に触ってみる。帆船の帆に使う様な布で覆われており、ざらついた手触りが伝わってくる。
胴体部は木と鉄を組合せて出来ているらしく、その骨が一部剥き出しになっている。
次に、その胴体部に設けられた二つの席の内、前の方に座ってみる。
自分自身でも驚くほど大胆な行動していると思える福井丸だが、その席に露わな身体を埋めてみる。
前方にはあのクレーンもどきが軍艦の大砲の様に突き出しており、更に先には夜の海が広がっている。
その時だった。ふいにこの人造の大きな鳥から、光る球が漂い出て来たのは。
上下方向に細長く、大きさからいってもラグビーボール程度のその光球は、福井丸の間近に浮かぶ。
それに驚く彼女だったが、やがて「そう、そうなんだ・・・」と、自分自身を納得させるかの様に呟き、
露わな我が身に引寄せると、愛惜しく咆哮した。
翌日、『福井丸』には、軍装姿も凛々しい将士官たちが、多勢乗込んできた。
今まで経験した事もない多勢の軍人の乗船に、只事では無いと感じた船魂の福井丸も、
さすがにいつもの全裸姿ではまずかろうと思い、急いで志乃から貰った一張羅の服を着込む。
そして、出航して沖合に出た『福井丸』は、そこで停船した。
すると、乗込んで来た将士官たちは皆、『福井丸』の後部甲板へと上がり、そこに据付けられた
クレーンもどきの奇妙な物体と、その上に乗る人造の大きな鳥の周りに、幾重もの人垣を作った。
福井丸は、己が宿るこの船に、どんな処置が下されるのか、おどおどと見守っていたが、
その人垣の輪の一番外側に、一人の見慣れた人物を見つけた。津島志乃である。
他の者と同じく軍装に身を包み、三つ編みにした髪は、結上げて帽子の中に隠しているのか男装姿だが、
彼女に間違い無かった。志乃の方でも福井丸を探しているのか、辺りをさかんに見回している。
「津島様! 津島様!」
福井丸は、そんな志乃の傍まで一目散に近付いて行き、声を掛ける。
「ああ、福井丸さん、探してたのよ」
志乃も、彼女以外では見えない福井丸の姿を認めると、安堵した表情で応える。
「津島様、この船は・・・」
普段穏やかな福井丸も、今日ばかりは焦った様子で志乃に問質そうとする。
「待ってよ、福井丸さん。この場所では落着かないから、まずは皆から離れましょ」
志乃は福井丸を宥め、二人は輪から外れて船室の片隅まで移動する。
途端に堰を切った様に福井丸の質問攻めに遭う。
「あの方々は何なのですか? この船はどうなるのです?
あの奇妙な物体はいったい何なのですか? そして、津島様はどうしてこの船に?」
「福井丸さん、貴方が焦る気持は解るけど、いっぺんには答えられないわ。今から順に話すから」
圧倒される志乃だったが、福井丸に諭す様に話し始める。
「まず最初に言うと、これから貴方が宿るこの『福井丸』で、飛行機の発進テストが行われるの」
「『飛行機』でございますか?」
「うん。あの上に載っている大きな鳥みたいなのね。
それが、この船から無事飛び立てるのかテストする訳。ま、自力で発進する事は、この船の甲板の
広さでは難しいので、カタパルトというあの細長い物体の力を借りて、押出してもらう事になるけど。
そして、この多勢の人たちは、それを視察する帝国海軍のお偉いさん達であり、
私は、貴方が宿るこの『福井丸』に乗れると聞いて、島田艦長に無理言って同行させてもらったの。
男性ばかりの中に混じるから、こんな恰好に変装する羽目になっちゃったけどね。
どう? これで貴方が疑問に思っている事には一通り答えられたと思うけど」
志乃はいささか得意になって説明を終える。福井丸もそれによって強張っていた表情が緩む。
「そうでございましたか。理由を聴かせていただいたおかげで、私も安心する事が出来ました。
そして津島様こそ、この様な汚い船に、ようこそおいでいただきました」
福井丸は深々とお辞儀をするが、志乃は眉をひそめる
「福井丸さんは、いつもそうやって自分や自分の宿る船の事を卑下して言うけど、
このテストが成功すれば一躍、『飛行機の発艦に成功した世界初の船-福井丸』として歴史に残るのよ」
「本当でございますか? それは光栄な事ですね」
福井丸は笑顔を作るが、欲も無く他人事の様な素っ気無さに、志乃は小さく溜息を吐く。
やがて、奈良原と小林の二人が飛行服を身に纏って現れ、その飛行機-富式1型乙水上機に搭乗する。
エンジンが始動されると、そこから昨夜福井丸が抱えた光る球が漂い出てくるのが二人には見えた。
「何なのっ? あれっ!」
まるで風船みたいに漂い、二人の方にふらふらとやって来るその物体に、志乃は驚きの声を上げる。
しかし、手前で取巻いている軍人連中は何ら騒いでない事からも、気付いているのは二人だけの様だ。
「津島様は御存知ではないのですか? やはり私どもと同じく、人が造りし物に宿る魂でございますよ。
私ども船魂/艦魂とは違って、人の形を成してない、もっと下級な魂ではありますが・・・」
そう言って福井丸が説明したその下級魂は、やって来るなり、彼女の胸元に抱きかかえられた。
「自分がちゃんと飛べるかどうか、不安な様です」
福井丸が下級魂を抱きながら言う。
傍から見ている志乃には、その様子がまるで乳飲み子を宥める母親みたいに感じられた。
しばらくすると、福井丸に勇気付けられたのだろうか?
この下級魂は彼女から漂い離れ、宿るべき飛行機に戻る。途端にエンジン音がひときわ大きく響き渡る。
カタパルトの錘が落下し、それを前に押出す力へと変化させ、飛行機は『福井丸』から飛び立つ。
しかし、離れるやいなや艦舷から下に落ち、遠くから眺めていた二人の視界から消えた。
二人は息を呑み、集まった連中からも悲鳴に似た叫び声が聞こえてくる。
やがて、少し離れた場所に再び現れた機体は、そのまま何も無かったかの様に蒼空へと上昇していく。
悲鳴が歓声に変わり、大きく旋回した富式1型乙水上機は、戻り際『福井丸』をフライパスする。
二人も笑顔で見上げる。
そして『福井丸』近くに着水すると、クレーンで持ち上げられ、再びカタパルトにセットされた。
ふと、志乃が福井丸を見ると、眼には涙が光っていた。福井丸自身もそれが解ったらしい。
「何だか不思議です。私ども船魂や艦魂には人間殿と違って子を成す術は持ち合わせておりませんが、
あの下級魂を見ていると、愛しくて、無事に戻ってきてほしいという想いが募るのです。
親が子を想う気持というのは、こういうものかもしれませんね・・・」
彼女はぽつりと呟く様に言い、志乃も黙って頷いた。
結局この日は、『富式1型乙水上機』をカタパルトを使って発進させては飛行して着水、再び発進の
テストを三回ほど繰返した後、無事に終了となった。
志乃としては、福井丸が宿る船内をもっと詳しく見学したかったのだが、他の者と一緒に来てる手前、
我慢するしかなかった。
けれども飛行機に宿る魂-さしずめ「飛魂」と呼ぶべきものだろう-の存在や、福井丸の想いが
知れただけでも満足であった。
それと共に、ある疑問も湧いてきた。
『阿蘇』にもヘリコプター2機とティルトローター機1機、合計3機の航空機を搭載している。
それらの機体にも当然魂が宿っていると思われる。そして、艦魂である阿蘇の立場だ。
「うん、居るよ」
志乃は福井丸の話をした後、阿蘇にこの疑問をぶつけてみた。
結果、彼女は素っ気無く答えたのだ。
「何故、教えてくれなかったの?」
「別に志乃が訊かなかっただけじゃん」
「それはそうだけど、だったら今から見せてくれる?」
「いいよ!」
二人は『阿蘇』の後部甲板に設けられた誰も居ない格納庫へと来た。
「みんな、出てきて!」
阿蘇が叫ぶと、昼間『福井丸』船上で見たのと同じ、やや楕円状をした光る魂が漂い出てきた。
そして、幼き艦魂の周りに3つ浮かぶ。
「これが、この艦の飛魂だよ!」
阿蘇は3体の飛魂を侍らせながら得意そうに言うが、何だか3匹のペットと戯れている少女としか見えず、
福井丸が見せた親子関係には程遠そうに志乃には思えてならなかった。
『福井丸』船上で行われた発進テストの結果は、まだ時期尚早と判断された事と、列強各国の反応を
懸念して、軍備化は見送られた。
けれども、設けられたカタパルトと、テストに使用された『富式1型乙水上機』試作3号機は、
そのまま『阿蘇』との連絡用に残される事となった。
『福井丸』と『阿蘇』とのランデブー時、福井丸が笑顔と共にこの飛魂を伴う様になったのは言うまでもない。
10日毎、2回に1回、月末分に作品内番外編掲載というパターンでやってきましたが、
本編のストーリー展開上、一回分早めさせていただきます。
今回、本編でも実用飛行機が登場したのを期に、「飛魂」なるものを登場させてみました。
この飛魂、艦魂作家様によって様々な描き方をされてますが、軍艦に較べれば量産兵器という事で、
私は下級精霊的な描き方をしてみました。
シェアワールド展開をしているラノベ『神曲奏界ポリフォニカ』に出てくる下級精霊ボウライを、
ある程度念頭に入れております。
この様に空母でなくても艦載機があれば、飛魂を支配下に置けるという理屈が発展しますと、
軍艦に搭載されている内火艇なんかにも下級船魂が宿るのか?と言われそうですが、
さすがにそこまで来るとキリが無いので、登場させる予定はありませんw
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