第9話 新技術の昇華
年が明けて1901年元日。
『阿蘇』艦上では乗員が一堂に会し、ささやかな年賀式、もとい、一周年記念式が催された。
艦長の島田が壇上で挨拶する。
「我々がこの世界に来て丁度一年が経った。
この間に諸君らの努力によって、軍部との繋がりも出来た。
これからは更に諸君ら個々の能力を行使する機会も多くなるだろう。
私は、いや、この世界における大日本帝国の国民全てが、その諸君の能力に期待している。
その期待に応える様、諸君らも尚一層の奮励努力をして欲しい!」
「奮励努力ですか。艦長の頭では早くも日本海海戦ですかな?
『皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ』 Z旗でも掲げますか?」
片山がニヤリと笑って横槍を入れる。
「こらっ! 茶化すなよ、機関長」
島田は苦笑いする。一堂がどっと沸く。
「まあ、今日は無礼講だ。みんな寛いでくれ」
こうして始まった1901年。
海軍士官学校教官の任に就いた秋山真之は、新設された舞鶴鎮守府に来ていた。
同府の長官となった東郷平八郎を訪ねたのだった。
「秋山君は『阿蘇』の連中をどう思うかね?」
東郷は長官室の窓から外の様子を見ながら、背中越しに秋山に訊く。
窓からは舞鶴鎮守府が見渡せる。
その先には日本海が在り、更には中国大陸が、露西亜軍が跋扈する満州の地がある。
「島田大佐らですか? 良くやっていただいていると思いますが」
椅子に座った秋山も東郷の背中を見ながら答える。
「たしかにそうだな。山本大臣の信任も厚いそうだ。
しかし、彼らは所詮、未来から来た外様に過ぎない。
いざとなったら率先して戦うのは、この世界の我々であって、彼らではない」
「はい」
秋山は力強く頷く。
「以前に、清の北洋艦隊が威嚇訪問に来た時の事を覚えているかね?」
「ええ、覚えてます」
「『定遠』『鎮遠』は、戦艦として当時最大最強の性能を有していた。
しかし、人的能力はというと、統率力はともかく、乗員の士気・練度は真にお粗末なものだった。
つまり、器が立派であっても、中身が伴わなければ駄目だという事だ。
我々も『阿蘇』がもたらす新技術に頼りきりになってしまっては、清の二の舞にもなりかねない」
「長官のおっしゃる通りです。私もその事で東郷長官に相談に参りました」
「ほう、どんなかね?」
興味を持った東郷が振り返る。
「まずはこれを御覧下さい」
秋山はテーブルの上に一枚の大きな紙を広げる。それは日本とその近海を表した地図だった。
それも唯の地図では無く、日本海一帯を中心に細かい三角の升目の様なものが記入されている。
「これは何だね?」
東郷は興味深く眺めながら訊く。
「哨戒網です。この頂点一つ一つに無線電信機を設け、互いに連絡を取り合わせます。
こうして敵国-今ならさしずめ露西亜となりましょうが、動向を探るのです」
「ふむ、なるほど」
「『阿蘇』なら、おそらく我々が想像も出来ない程の高性能無線機を持っているでしょう。
しかし、彼らとて、この広い領域全てを網羅出来るとは考えられません。
その為にも我々独自の力で、こういった哨戒網を構築する事が必要なのです。
戦いには所詮、数で勝負しなければならない部分もありますから」
「君の言う通りだな。連中を頼る前に、我々が出来うる限りの事は全てやっておかねばならん。
その後に連中に教えを乞えば理解も深まれよう。是非やってみなさい」
東郷も太鼓判を押す。
史実においても1895年イタリアのマルコーニが初の無線電信機を考案して以来、日本、特に海軍では
その有効性に着目、早くから開発・改良を進めて来た。
中心となったのは、松代松之助と木村駿吉の二人である。
彼らの血の滲む様な努力が功を奏し、早くもこの年1901年には、150kmの送信能力を誇る34式無線
電信機が制式化されるのである。その後も改良を重ね、日露戦争を翌年に控えた1903年には、
送信能力を370kmまで高めた36式無線電信機が制式化され、連合艦隊のほとんどの艦艇(大型艦100%、
駆逐艦等の小型艦艇でも85%)に装備され、日本海海戦大勝利の影の功労者となるのだ。
これには安中電機製作所(現アンリツ電気)のインダクション・コイルや、島津製作所の蓄電池といった
民間技術の力によるところも大きかった。
この世界においても、『阿蘇』を抜きにしても着々と戦争準備を整えていったのである。
6月25日。後の大正天皇となる嘉仁皇太子は、節子妃との間に年子となる第二子を設けられた。
史実でいうところの秩父宮雍仁親王である。
先の宥仁親王の場合と同じく丁度一年早い生誕であり、名前も靖仁と微妙な違いが有った。
6月30日。その生誕を祝うかの様に、遂に実用飛行機が完成した。
『富式1型甲飛行機』と名付けられたこの機体は、七夕に当る7月7日に陸軍関係者が見守る中、
無事初飛行に成功した。
操縦者は日野熊蔵陸軍中尉。
史実においては、徳川好敏大尉と共に、1910年12月19日、日本における最初の航空機による飛行に
成功するが、日野がドイツより買付けたグラーデ機は、徳川がフランスより買付けたアンリ・ファルマン機より
性能が劣る上、若くして徳川将軍家の血筋にも連なる彼の面目を立てて、日本初飛行の座を譲る等、
損な役回りを背負う事となる。
しかし、初飛行が10年近く早いこの世界においては、徳川は未だ16歳の少年でしかなく、
その後早速編成された世界最初の航空隊において、日野はその隊長に抜擢されたのだった。
ちなみに「富式」の"富"とは、もちろん元となったブレリオXI型機に由来する。
これは、メーカー名の頭文字から採るという史実における命名例に倣ったもので、
本来なら「ブ式」とでも称するところだろうが、そうもいかず、縁起も良い"富"の字を充てたのだ。
この事実は『阿蘇』関係者のみ知るところである。
エンジンはメルセデスE4F・6気筒水冷100馬力を元にしている。
第一次世界大戦における青島要塞攻略戦にて、日本のファルマン水上機と本邦初の空中戦を演じた
ドイツのタウベ(鳩の意・機体の平面形に由来する)機に採用されたものだが、日本でも「ダ式六型」
("ダ"はダイムラー)として1916年東京砲兵工廠にて国産化。更に民間に下りて、東京瓦斯電気工業
(自動車生産部門は戦後いすず自動車となる)では、「ダ式一〇〇馬力発動機」として1918年に
航空機用としては初の量産エンジンとなり、車載用に転じた物は、こちらも初の国産実用戦車である
89式中戦車に採用される等、日本でも何かと縁の深いエンジンである。
本来、水冷エンジンより空冷エンジンの方が構造が簡単で軽く出来る利点があるものの、
史実の日本が水冷エンジンを苦手としていた事の克服と、先述の通り戦車用エンジンにも転用出来る
という理由もあって、あえてこの水冷エンジン採用に踏切ったのだ。
元々ブレリオXI型機は25馬力のエンジン(アンザニ空冷3気筒)しか搭載してなかったところを、
その4倍の出力を持つ水冷エンジンを搭載した事で、『富式1型甲飛行機』は必然的に一回り以上
ブレリオXI型機より大型化した。
名称は「豊11型」となった。
これも史実の中島製エンジンの命名法(漢字一文字・仮名で三文字)に倣ったもので、零戦に搭載された
「栄」や、何かと物入りだった2000馬力級エンジン「誉」が有名だ。他に「光」や「護」等がある。
ちなみにもう一方の雄、三菱の場合は星シリーズで、戦争初期の大馬力エンジン「火星」や「金星」、
三菱版「栄」ともいうべき「瑞星」等がある。
7月20日。今度は海軍版となる水上機が三菱の手により飛行に成功した。『富式1型乙飛行機』である。
陸軍の甲型との違いは、車輪の代わりに二つのフロート(双フロート式)を持つ点と、座席が縦に二つ並んだ
複座式だという事だ。この初飛行の操縦は、新鋭の奈良原三次が行い、小林久三は後部座席に収まった。
余裕ある馬力のエンジンと、機体が大型化した事で浮揚力が増し、抵抗の多い水上からの離着水も
何ら問題無く、関係者を感激させた。
しかし、海軍の活動はこれだけでは済まなかった。
『富式1型乙飛行機』の初飛行成功後、『阿蘇』のサポート船『福井丸』の後部甲板上には、
クレーンを横倒しにした様なアングルが組まれた。射出機である。
カタパルトの射出動力は様々で、空母用カタパルトの開発に失敗した史実の日本海軍では、
戦艦や巡洋艦等の戦闘艦に搭載された物に火薬式を採用していた。
今回『福井丸』に設けられた物も火薬式が当初考えられたが、油漕船でもある同船では
引火の危険性がある事と、何分世界最初の事ゆえ、最も初歩的で確実な錘式が採択された。
これは錘を落下させた反動を利用して射出を行うもので、カタパルトの本来の意である投石器と
同じ原理である。ライトフライヤーもこれを副動力として世界初の飛行に成功している。
8月15日。海軍関係者が見守る中、『福井丸』船上から世界初の発進実験が行われた。
カタパルト上にセットされた『富式1型乙飛行機』に搭乗するのは、初飛行時と同じく、
奈良原&小林のコンビである。
エンジンを全開にした『富式1型乙飛行機』の後で、高所に設けられた錘が勢い良く落下する。
その反動で前に押出され、『福井丸』を離れた『富式1型乙飛行機』は、一度海面近くまで沈み込み
関係者を慌てさせるが、その後体勢を立直し、波間を蹴るかの様に大空へと駆け登る。
夏の蒼い海と空に『富式1型乙飛行機』の白い羽布張りの機体が映えた。
『阿蘇』がもたらした新技術が又一つ、昇華したのだった。
火曜日あたりから風邪を引いてしまい、投稿もどうなるかと思いましたが、なんとか出来ました。
今回ようやく実用機が飛びます。
史実データを寄せ集めて、でっち上げましたが、本当にこんなのが飛ぶのでしょうかね?
ま、所詮はフィクションですから。
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