表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時空の波涛  作者: ELYSION
1/19

第1話 正岡子規と二宮忠八

後頭部に痛みを感じつつ、彼-島田喬一(しまだ きょういち)一等海佐は目を開けた。

意識が途切れていた時間はどれくらいだったのだろうか?

そんな思いが頭をよぎるが、まずは命令を下す方が先だ。彼は直ちにそれを行う。

「光学迷彩を展開!」

下すやいなや、「既に行ってます」と返事がある。女性の声だ。

声の方向に振向けば、ショートヘアの士官が「どうだ!」と言わんばかりに、茶目っ気を伴った笑顔で、

こちらを見返している。副官の岡本千香(おかもと ちか)二等海佐だ。

島田は先を越された事に苦笑いもしたくなったが、それは表情に出さず、次の命令を下す。

「『あそ』の状態確認と共に周囲の散策を急いでくれ」

まもなく彼の手前の卓上スクリーンには、担当各部署より『あそ』の状況を示すデータが上がってくる。

外装、内部、そして機関、全て異常無し。

「外の様子はどうだい?」

『あそ』自体に異常無いのに安堵しつつ、部下と共に周囲の状況を探っていた千香に尋ねる。

「天測の結果が出ない事には断定出来ませんが、海岸線の状況を過去のデータと照らし合わせてみて、

92%の確立で西暦1900年の呉であると示してます」

「そうか!」

千香の報告に島田は本当に安堵した気分で、叫びともとれる声を上げる。

『あそ』の長として常に沈着冷静であれねばならないところを、いささか軽はずみな言動ではあるが、

彼に限らず、この艦の乗員全員の気持は同じであったはずだ。

『あそ』CIC内正面スクリーンに映し出される1900年の呉。

東の横須賀と並び日本帝国海軍の一大拠点として、そして巨大戦艦『大和』が産声をあげた場所。

しかし波乱に満ちた1900年代、20世紀の幕開けとなるこの時、彼らの時代から遡る事120年も前の呉は、

まだまだ設備も貧弱な港湾都市に過ぎなかった。



天測結果も併せた結論で『あそ』が居る現在地は、西暦1900年1月1日の広島県呉と断定された。

この結果は、場所も含めて『あそ』の時空跳躍が寸分の狂いも生じず成功した事を裏付けていた。

島田は結果を聴きながら、自分たちをこの時代に送り込んだ里見扶桑(さとみ ふそう)海将捕を思い浮かべていた。

彼より3つ歳下の彼女は、その歳で海将捕まで登りつめた事からも、稀代のマッドサイエンテイストなのだった。

もっとも島田自身32歳にして一等海佐であり、『あそ』の艦長も務める身なのだから充分優秀な事に変わりは

無いのだが、彼女の履歴の前には何事も霞んでしまう。

とにかく狙い通りに自分たちがこの時代へと舞い降りた以上、既に行うべき事は決まっていた。

結果を成就させるまでの時間は限りがある。少ないくらいだ。彼らは速やかに行動に移った。



『あそ』は光学迷彩を展開したまま呉から遠ざかる。

「出現の際、見られただろうか?」

彼は副官の千香に訊く。

「それは無いと思います。

出現から光学迷彩展開までのタイムラグは僅かでしたし、今日なんて誰も海なんて見てませんよ。

それに万一見られて怪しまれれば、港で何らかの動きがあるでしょうけど、今のところそれもないですし」

「そうだな・・・」

島田は頷く。たしかに彼女がいう通りだ。

彼らが1月1日元日という日を選んだのは、新しい門出に相応しい事ももちろんあるが、いくら軍であっても

正月は警戒の気が緩むという事を見越してでもあったのだ。


西に向って航行を続けていた『あそ』は、愛媛県松山沖に来た。

ここで島田ともう一人、幕井七郎(まくい しちろう)一等海尉の二人は短艇(カッター)に乗り移り、この地に上陸する。

既に二人とも軍装から市井の格好に着替えている。もちろん怪しまれない為だ。

そして二人を送り届けた『あそ』が遠ざかっていく。

しばらくは瀬戸内海に浮かぶ島々の一つにその身を潜め、待機する事になる。

光学迷彩は隠密性に優れているが、エネルギーを多く必要とする。

原子力ならいざしらず、通常動力の『あそ』は、燃料である重油の消費量を節約しなくてはならなかった。



松山は愛媛県の県都であるが、今では想像も出来ないくらいに牧歌的風景の続く中、二人は最初の目的地に

向かう。正月らしく凧を掲げた絣の着物姿の子供たちが駆け足で二人を追い越していく。

「この辺りのはずですね」

太い声で幕井が言う。

彼はいざという時には陸戦隊の隊長を務めるだけに、がっしりとした体躯をしている。

島田のボディガードとして彼ほど相応しい者は『あそ』にはいない。


まもなく目的の家が見つかった。正岡子規の家である。

結核を煩った子規は故郷松山の実家に戻って養生していたのである。

「こんにちわ」

家の前で島田が声を上げると、一人の女性が怪訝そうな顔して出て来た。

子規の妹の(りつ)だ。彼女は此処で母の八重と共に兄の看病をしているのだ。

「正月早々、何の用事です?」

いかにも不機嫌そうに訊く。

「子規先生にお会いしたくて、はるばるとやって来ました」

島田は満面の笑顔を浮かべて律に挨拶する。幕井もそれに倣うが、厳つい顔が多少引き攣っている。

これで「120年先の未来から」と加えれば、より効果的だが、そんな事は言えないし、勝気な律が相手では、

すんなりと子規に目通りが適う訳でもない。それでもなんとか面会が許された。


結核も末期状態にあった子規は、この時期は結核菌が転移して脊髄カリエスも併発していた。

その為、激痛に寝返りをうつ事さえ出来ず、ただただ青白い顔をして床に伏すだけの哀れな状態だった。

「こんにちわ正岡先生。私は島田と申します。こっちは連れの幕井です」

島田は挨拶するが、痛み緩和のモルヒネが効いているのか、子規は虚ろな眼で天井を見入っているだけだ。

しかし島田は構わず話しを続ける。

「先生の子規という俳号は、ホトトギスという鳥から採られたとの事ですが、

私たちは、人が鳥の様に大空を飛べる様になれれば良いという夢を持っているのです」

島田の言葉に子規は興味が湧いたのか、僅かながら虚ろな眼に光が灯る。

「そういった人が空を飛べる様になる道具、たぶん『飛行機』という名称になるでしょうが、

それを研究している者が東京にいますので、私たちは彼に協力して夢を実現させるつもりです。

飛行機が完成した暁には、真っ先に先生やお妹様を御招待しますので見てやって下さい」

島田は淡々と話し、最後にこう結んだ。

「先生を看護する為に、後ほど私の部下である医者を遣わせますよ。それでは失礼しました」


律は帰っていく島田たちの後姿を「何だっていうんだ。あの人たちは」と、呆れ顔で見送った。

島田は待機している『あそ』に密かに連絡を入れる。

「子規との接触に成功した。これから予定通りに東京に向う。

それから露本女史に子規の看護をしてもらう様に伝えておいてくれ」



島田と幕井は瀬戸内海を渡り、岩国から鉄道を使って帝都東京に向う。

今なら新幹線で四時間半から五時間足らずの行程だが、当時はゆうに二日間はかかる大旅行である。

ちなみに帝都のターミナル駅となる東京駅はまだ開設されておらず(開設は1914年)、新橋駅が起終点だった。

又、東海道本線は1889年に全通しているが、それより西、神戸-下関間の山陽本線は、民営の山陽鉄道に

よって開設されたものだった。

鉄道国有化法によって、山陽鉄道を含む全国主要路線が国有化されるのは1906年。

だから、島田たちが乗ったこの当時はまだ民営山陽鉄道の路線であった。

山陽鉄道は瀬戸内航路と競合するせいか旅客サービスに努める会社で、寝台車や食堂車等をいち早く

導入していた。

しかしながら当時は全てSL列車。

冷暖房の効いた現在の列車に乗り慣れた二人には、快適どころか、かなりの苦痛を強いられる事となった。

それでも何とか東京に辿り着いた二人は、この地で二人目の男を訪ねる事となる。

男の名は二宮忠八。日本航空界のパイオニアたる人物である。


二宮は陸軍衛生兵として従軍していた経験があり、その際の1889年頃、カラスが滑空飛行をしているのを

ヒントに、ゴム動力の模型飛行機「(からす)型飛行器」を製作。飛行に成功した。

彼は更に有人飛行を前提とした拡大発展型である「玉虫型飛行器」の縮小模型を製作し、その有用性について

上司である長岡外史大佐や大島義昌旅団長に説いたが、二人は興味を示さず却下してしまう。

失望した二宮は軍を退役、大日本製薬株式会社に入社し、今は研究開発資金を貯めている最中だった。

二人はそんな彼を帝都に訪ね、飛行機(彼自身は「飛行器」と称してたが)の開発援助を申し入れたのだ。

最初は胡散臭いペテン話だと警戒していた二宮だったが、島田が自分の実情を的確に言い当てた事、

札束(もちろん偽札である。当時の稚拙な印刷技術下の札なら比較的簡単に偽造出来た)を散らつかせて

交渉を続けた結果、だんだんと信用する様になり、とうとう援助を受入れる事にしたのだった。

その結果、機体の設計・開発者として二宮の名前を前面に出すが、実際の機体製作はこちらに

一任してくれる様に取決められた。既に機体の図面は大方出来ていたので、島田たちはそれを借受け、

カメラで複写し、待機している『あそ』に転送する。

「どうだ、飛べそうか?」

島田は図面転送後、技術担当の小林久三(こばやし きゅうぞう)一尉に連絡して訊いてみる。

「理論上は可能です。ただし、条件をつけてですが」

「どういう条件だ?」

「この当時の部材を使って製作したのでは重くなってしまいますし、強度的に不足する箇所もあります。

それらを『あそ』の手持部品にアレンジしなければなりません。これが条件です」

技術畑らしいクールな答えが返ってくる。

「エンジンの方はどうだ?」

史実でも機体はほぼ完成していながら、飛行に必要なエンジンの入手がままならったばかりに、

ライト兄弟の後塵に帰すことになってしまったのだ。

「ええ、これも手持のバイク用エンジンを使っても良いのであれば」

小林が言うのは『あそ』に搭載されている50cc原チャリ用のをチューンしたものである。

現在からみれば枯れた仕様のエンジンだが、この当時なら充分に小型高性能エンジンだ。

「それは構わない。私もそれは想定していた事だ。

我々はとにかく飛んだという実績を作らなければ計画を先に進める事は出来ない。

それには多少のアンフェアには目を瞑らないとな。早速手配してくれ」


極東の島国におけるライト兄弟に先駆けての世界初の動力飛行。

史実とは異なる歴史が始まろうとしていた。

外伝が中断している最中ですが、全体の構成を見直す意味で書き始めました。

執筆ペースは、一ヶ月毎くらいでゆっくりと行うつもりです。


時空転移するくらいの科学技術があれば、もっと凄い事が出来るだろとか、技術バランスがおかしいところも

あると思いますが、大目に見てやって下さいw

『あそ』は通常動力航行です。

普通だったら原子力にしたいところですが、この先50年近く運用させるには、20世紀初頭の技術では

とても保守出来ないと考えてです。乗員だって歳を取るのだし。


御意見・御感想をお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ