表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

記憶と。

作者: まだら

何も考える事が無くなると、いつもあの笑顔を思い出す。

そして、あの声を思い出す。

それは未練なのか。思い出なのか。

どちらにしても、全てを思い出す事は出来ないし、忘れる事も出来ない。

そして、過去に戻れることは無い。

人は記憶を忘れることが出来る。

それは幸せなことなのか。

まったく忘れる事が出来なければ、人は自分の記憶で殺されてしまうかもしれない。

だから忘れるのかもしれない。

それでも、忘れたくない事もある。

忘れてしまえば、そこに生きた人の存在も消えてしまう。

あの人は、消したくなかった。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 高校3年の冬休み、僕は家族旅行に出かけていた。

僕にとっては恒例の家族旅行。

が、何故かその日の朝だけは、吐き気のような嫌悪感があった。

 途中、車で1時間くらいは走っただろうか。

横向に寝ていた僕の頬を、急に涙がこぼれた。

理由なんて解らなかった。

ただ、涙が溢れ出て、止まらなかった。

「俺、帰るわ。」

頭で考えたわけではなく、体、本能的になぜか言葉が出てきた。

車で同じ道を引き返し、僕は1人で家に帰った。


 家に帰った僕は、特に何をしたかったわけでもなく、何をすればいいのかも解らずただ自分のベットで天井を見つめていた。

・・・3時間くらいがたった頃だっただろうか。

突然僕の携帯が鳴った。

電話をかけてきたのは、中学の時に一番仲の良かった健二からだった。

「もしもし・・・?」

「おいヒロ!お前高木の話聞いたか!?」

久しぶりにかけてきた親友の声は、酷い焦り声だった。

状況把握の出来ないまま、体を起こし、ベットに腰を掛けた。

「・・・高木?」

「そうだよ!高木綾子だよ!」

何を焦っているのか、それさえ解らなかった。

ただ健二の尋常ではない声が、これから起こることが、僕にとって良い知らせでないのは伝わった。

「高木が病院に運ばれたって!」

「高木が病院・・・?嫌、わけわかんねえよ。」

健二が何を言っているのかが解らなかったが妙に冷静に聞いていた。

「いいから早く来い!市民病院だ!」

それだけで電話が切れた。

どういう事なのか理由も解らないまま、高木綾子、彼女の事を思い出しながら、僕は支度を始めた。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 高木綾子、中学1年の時、僕に初めてできた彼女だった。

いま思い出してもありえないくらいに一緒にいた。好きで好きでしょうがなかった、それくらい大好きな子だった。


 中学1年の春。

入学式が終わり、僕は自分の教室へ向かった。

担任になったのは威勢のいい、体育の先生だった。

僕の実家はいわゆる田舎で、中学校といっても1学年で70人程度しか生徒がおらず、クラスも2つしかなかった。

それも3つの小学校が集まってその程度の人数である。

もちろん田舎なので小学校の同級生はみんな同じ中学校だった。

それを1クラス35人分けるもんだから、自分が小学校で仲の良かった友達もほとんど同じクラスになった。

HRが始まると黒板に先生が適当なアミダを書き始めた。

それなりに僕もわくわくしながら、友達と一緒になるように祈りながらあみだの上に自分の名前を書いた。

が、結果は6人班なのに自分の知り合いは一人もいなかった。

たとえ1学期に1回班を変えるといっても、それは明らかにつまらないスタートだった。


 先生の自己紹介が終わり、生徒の自己紹介が始まった。

僕は正直真面目な人間ではない。

知ってる人間が多いなかで、いまさら自己紹介する必要もないだろうと、適当に考えていた。

「中野博之(なかの ひろゆき)です。趣味は色々です。」

みんなそれなりに手を抜いて自己紹介をやっていたものの、僕は群を抜いて浮いていた。

そしていきなりまだ会って1時間も経っていない担任に叱られるハメになった。

小学校が同じだった友達はげらげら笑っていたが、僕の班員は、皆気まずそうだった。

が、一人だけクスクスと隣の女の子が笑っていた。

僕はなんだか恥ずかしい気持ちになった。でもなんだかうれしくもあった。

 一通り叱られてたが僕に反省の色は無い。先生が呆れて「もういい」と言うとさっき笑っていた女の子の番になった。

「高木綾子です。趣味は色々です。」

まったく同じことを言われた僕は唖然とした。

そしてさっきまで笑っていた友達も、怒っていた先生も、みんなが唖然としていた。

漫画の中のような事で、あまりにありえないことで、教室が一瞬静まりかえった。

そしてその女の子はまたクスクスと笑い始めた。

ハッ、と先生が気が付き、やられたよという顔をしながら自己紹介を続けさせた。

しばらく女の子は僕を見ながら笑っていた。

僕はいきなり知らない子に馬鹿にされた感じがして、ちょっと膨れていた。


 自己紹介も一通り終わり、休憩時間になった。

先生が教室を出て行くと同時に、一斉に教室が騒がしくなった。

みんながそれぞれの友達のところに集まり始めた。

僕も友達のところに行こうとしたその時、

「さっきはごめんね?面白かったから真似しちゃった。」

隣の女の子がいきなり話かけてきた。

「い、いや。いいけどさ」

僕はいきなり話かけられたことに驚いてしまい、なんでもない返事をした。

そしてその事をいい終わると、彼女は席を立った。

僕は複雑な心境のまま、席を立とうとすると今度は反対の席から

「よう、お前面白いな。」

と、またいきなり声をかけられた。

「俺、今岡健二。さっきも自己紹介したか・・・。小学校違うやつと早く喋ってみたかったんだよね。」

「あ、俺、中野博之。」

「博之・・・ヒロね。よろしく。」

「ああ、よろしく」

最初僕はいきなり喋りかけてきた健二に対して、馴れ馴れしいやつだと思っていた。

しかし、話をしていくにつれ、ゲームが趣味だったりサッカーが好きだったりとなかなか話が合うやつだった。

そしてしばらく話をするうちに、2,3日後にはすっかりほかの友達と同じ感覚になっていた。


 学校が始まってしばらくは学校中の説明や、オリエンテーションだった。

入学式から3日目くらいして、ようやく授業が始まった。

中学校ということで、小学校にはなかった授業、そう、英語の授業も始まった。

さすがに英語の授業のときには緊張を隠せなかったが、最初はアルファベットや、数字、誕生日程度だった。

僕は姉の次いでではあったが小学校から家庭教師の先生がいた。

その先生が少しでもやっておけば楽だということで、最初にやりそうなところだけをやっていた僕は、変な自信と共に授業を受けていた。

そしてパターンである自己紹介が始まった。

もちろん僕はただ丸暗記である英語で自己紹介をした。

単語の意味も解っていないまま、発音も丸ごと言ったことで、先生には褒められた。

すると隣から失敗した健二が話しかけてきた。

「お前英語できんの?」

「当たり前だろ。俺だぞ俺。」

僕は自信たっぷりに健二に言った。

すると反対側から制服の袖を引っ張られた。

「ねえ中野君。英語できるんなら私のも教えてよ。」

「ええ?なんで。」

突然の話に僕は焦った。だが英語ができるといった手前、嘘を認めるのも嫌だった。

「いいじゃん。私4月24日なんだけどさ。24はトゥエンティフォーでしょ。4月ってなんていうの?」

「ああ、なんだっけ・・・。エイプリルフールってんだからエイプリルじゃないの?」

僕は本気で適当に言った。

冗談だよ。という準備もしていた。

すると先生からOKの声が出た。

僕はあまりのラッキーに心の中で喜んでいると、

「ありがと。ユキ。」

僕は初めて、心を揺さぶられる笑顔をみた。

「い、いや。っていうか、なんでユキなんだよ。博之でいいよ。」

僕は恥ずかしいのを必死に隠して、そして必死に言った。

「うーん。なんていうか。私だけの特別って感じ。」

僕は完全に恥ずかしくなって下を向いてしまった。

「呼んじゃだめ?」

「い、いやいいけどさ・・・」

その横で、彼女はまた同じ笑顔で、笑っていた。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 僕は少しずつ健二の電話を理解し始め、正直頭がおかしくなりそうだった。

いくら何かが在りそうな感じがしていたにしても、自分の事だと思っていた。

それも、なんで綾子が。訳が解らなかった。

外は真冬だったが上着も着ずに、僕は家を飛び出し、必死にバイクを飛ばした。

バイクに乗っている間、ずっと電話の内容の意味を考えていた。

15分以上もバイクに乗っていたが、それでもぐちゃぐちゃな頭では、何の結論も出なかった。。

それでも、僕は必死にバイクのアクセルを開け続けた。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 季節は夏になりかけようとしていた。

すでにクラスでは最初の頃の緊張感は無くなり、それなりにみんなが打ち解けていた。

僕と綾子は、小学校の地区は違っていたものの、道がほとんど同じで、いつの間にか一緒に帰るのが当たり前になっていた。

少しずつ、僕の中で綾子が近い存在になり始めていた。

そんな帰り道、綾子にある女の子の転校の噂を聞かされた。


 僕のクラスには、1人だけ飛びぬけて身長の高い女の子がいた。

その女の子はバレーボールの選手で中学1年ですでに170cm後半ほどあった。

その子が引き抜きという形で転校をするかもしれないという噂がちらほら出始めていた。

 小学校の頃僕もバレーボールをやっていた事もあって彼女の存在は知っていた。

僕も昔から身長は高く、6年生で168cm程あったがそこで生まれて初めて、自分より大きい同級生をみた。

それまで自信満々だったスパイクをあっさりブロックされ、自分のブロックの上からスパイクを打たれた。

その実力差にチームメイトはやる気を失い、僕一人がコートを走り回っていた。

その姿を、違う小学校でバレーをしていた綾子は同じ会場で見ていたのだと言った。

僕はその情けないとも見える姿を見られていたことに恥ずかしくなった。

だが綾子は、よくがんばったね。とやさしく頭を撫でてくれた。

それを認めてくれる人がいたという事は、本当にうれしかった。


 日が経つにつれ、転校の話が徐々に真実味を増してきた。

しかしいくらバレーが強いといっても、在学中の引き抜き転校なんてあるんだろうかと半信半疑だった。

ある日、

「本当に転校するの?」

休み時間に遠くから話し声が聞こえてきた。

僕はなんとなく聞き耳を立てていた。

まだ決めていないといった返事をしていた。

それは、僕の中ではほぼ行く事を決めているのだろうと思っていた。

「ねぇ。」

横から綾子の声が聞こえた。

「本当に転校しちゃうのかな」

「たぶん。」

「ユキ、寂しくないの?」

「いや・・・わかんない」

僕は言葉に詰まった。

寂しいのか寂しくないのかといわれても、寂しくないとは思わないけど、難しかった。

実際まだ入学して3ヶ月くらいで、そこまで仲間意識も無かったのも事実だった。

「せっかく友達になれたのに。私は、寂しいけどな。」

綾子も小学校は違った。おなじ3ヶ月そこそこの付き合いしか無いはずだった。

それでも、本当に寂しそうに見えた。

そんな所に、僕は魅かれていた。

 そして1学期終了の時期が近づいていた。

7月の終わりの頃、ホームルームで、その事が担任から伝えられた。

それにクラスはどよめいたが、みんな、やっぱりそうか。という感じのほうが多かった。

その子と仲の良かった友達はもちろん、女子はほとんどみんな、泣いていた。

綾子も僕の横で、目が赤くなっていた。それでも、涙は流してはいなかった。

 帰り道、僕と綾子は寄り道をしていた。

小さな公園みたいな空き地で、ベンチに座って、少し重い空気だった。

それに耐え切れなくなった僕は、ジュースを買って来るねと言い残し、席を立った。

少し離れた自販機まで歩いていって、カフェオレを2本買い、ベンチへ戻った。


「カフェオレでよかった?」

僕は少しでも場の空気を明るくさせようと必死だった。

綾子からの返事は無かったが、すぐに、真っ赤な目で僕を見上げた。

「ありがと。」

涙を拭きながら、必死の笑顔で僕に答えた。

僕はその笑顔を見ても、どうしていいのかわからなかった。

ただ、うつむいている綾子の横で、缶を何度も何度も、持ち替えていた。

「なんで、さっきは泣いてかったのに・・・。」

僕は、何を言っていいのかもわからず、少し無神経な質問をした。

しばらくして、少し落ち着いた感じになった綾子が口を開いた。

「あそこではさ、私が泣くところじゃないと思ったから。」

「泣くところじゃない?」

「たぶん、ずっとおんなじ学校だった子とか、一緒に部活やってた子が泣くところだと思ったから。」

「・・・そっか。」

僕は、綾子のやさしさというか、強さを見た。

まだ、13歳の綾子は、僕なんかの考え方からくらべたら、すごく大人で、僕は自分が情けなくなった。

「ごめんね?」

無理をした感じの明るい声で、綾子が話しかけてきた。

「いや・・・なんで?」

「ずっと泣いてばっかでさ。」

「いや、いいよ。」

僕は気の利いた答えを考え付かなかった。

ただ、ずっと横で泣いている大好きな人を、慰めることもできない自分が、嫌になっていた。

「もう、大丈夫だから。帰ろっか。」

「・・・。綾子が落ち着くまで俺もずっとここにいるからさ、ゆっくりしようよ。」

綾子はまた下を向いてしまった。

僕は、本当に綾子の気が済むまで、ずっと一緒にいようと思っていた。

そのとき、右肩に何かの感触があった。

驚いて横を見ると、綾子が頭を僕の肩に寄せていた。

僕はドキドキしながら、ありったけの勇気を振り絞って、綾子の型に手を置き、抱き寄せた。

綾子の体は、見ている感じとは全然違って、力を入れたら、折れてしまいそうで、そして小さかった。

そしてその小さな肩はずっと震えていた。

僕は、二度と彼女の涙は見たくないと思った。

そして、世界で一番、愛しく感じた。

夕日が、真っ赤に染まっていた。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 僕は健二に呼ばれて、病院に来ていた。

「ヒロ!」

健二の大きな声が聞こえた。

男女5,6人の集まりから、健二が出てきた。

みんな、泣いているようだった。

「お前なにやってたんだよ。」

「いや、全然知らなくてさ・・・それで倒れたってなんで・・・。」

「・・・自殺だったみたいよ。」

その集まりは中学の時、綾子と仲が良かった女の子達だった。

「自殺って?それで綾子は?」

「いや・・・。あ、うん・・・。なんとか大丈夫だったらしい。自分で睡眠薬を少しずつ貯めて一度に飲んだらしい。」

「大丈夫だったって。睡眠薬ってやばいんじゃないのか?」

「いまどき睡眠薬じゃそうそう死ねないものらしい。」

「そっか・・・」

僕は複雑な気分だった。

早く綾子の様子が見たい気持ちと、冷静にならなければいけない気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。

それにもう付き合っているわけではない綾子に対して、限界くらいに必死になっている自分が不思議だった。

「それで、病室は?」

「まだ治療中らしい。だから俺らもここで待ってんだよ。」

「そっか・・・。」

まともな会話さえ出来なかった。

とりあえず無事だったという話を聞いて、ホッとする反面、自分がここに来てなにをするのか、それを考えていた。

 僕は健二たちとロビーで待った。

みんなとはひさしぶりに会ったのだが、とてもそんなことをいう気分ではなかった。

しばらくして、綾子のお母さんが出てきた。

「今日は治療だけでとても面会なんてって感じらしいのよ。ごめんなさいね。」

おばさんとは綾子を家に送っていたときに何度か会ったことがある。

それからたった3,4年ほどしか経っていなかったのに、とても綺麗だったおばさんは白髪交じりで、酷く疲れている感じだった。

そしておばさんは、綾子は大丈夫だから。と言い残して、また奥に入っていった。



 僕達は外に出た。

そして各々が、病院を後にした。

僕はなんとなく、そこを離れる気になれなかった。

「ヒロ、今日はここにいてもしょうがねえよ。今日は帰ろう。」

後ろから健二が話しかけてきた。

「いや・・・ああ、うん」

「おばさんも言ってたじゃん。大丈夫だって。」

「いや、そうだけどさ。」

「つうかお前、あれから早かったな。それにこんな真冬にそんな格好でさ。」

「え?ああ、訳わかんなくてさ、そのまま出てきちゃったから。そういえば寒い。」

「お前、まだ高木のこと好きなのか?」

「いや・・・。」

僕は返事に困った。

僕は自分でもよくわからなかった。

綾子が倒れた。その言葉を聴いたとき、頭がめちゃくちゃになったのは確かだった。

そして嫌いになって別れたわけでもなかった。

別れて3年近くも経って、それでもずっと心の奥で好きだったのかもしれない。

でも僕は、なんとなくその事実を受け入れたくはなかった。


 僕は家に帰って、自分のベットに横になった。

そして机の上に出ていた中学校のアルバムに気が付いた。

卒業して、一度もアルバムを開いたことが無かった。

それは自分では特に意味は無いものだと思っていた。

そして初めてアルバムを開いた。


 そこには懐かしい顔がたくさん並んでいた。すでに忘れていた人間もいた。

クラス分けでの写真は、2ページしかなかった。

そして、綾子の前で目が止まった。

写真の中の綾子は、笑顔だった。

それは僕がいつも見ていた、大好きだった女の子のやさしい笑顔だった。

アルバムには、3年間のさまざまな行事の写真も残っていた。

そこには、僕と綾子が校旗の下でグラウンドを見ている写真も入っていた。

僕はまさかそんな写真が取られていたのも知らず、苦笑いをした。

そして、当時の綾子を3年ぶりに見て、僕は少し泣きそうになっていた。

懐かしくてということじゃなくて、安心したからでもなくて、

僕は深い付き合いじゃない人間にさえ、本気で泣いてあげることが出来る綾子が、死を選んだことが、悲しかった。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 学校は夏休みも終わり、2学期が始まっていた。

そして最初のホームルームで恒例の作業のように席替えが始まった。

ただ2学期だということで、好きに席を決めることになった。

僕と綾子は、1学期と同じ位置で、2人とも机を動かすことはなかった。

もちろん健二もそのままだった。

休み時間に健二が後ろから飛びついてきた。

「おまえ等なんかロマンチックなことやってんな」

「なにが?」

「なにがって・・・。無意識かよ。幸せなやつらだな。」

「だからなにが。」

「席、動かす気まったくねーじゃん。」

健二に言われて自分で始めて気が付いた。

後ろの方で、それでいて隣には好きな子がいて、友達がいて。席を替える気がまったくなかった自分に気が付いた。

入学したときにはこれからどうするのかと思っていたのが。たった4ヶ月でまったく逆になっていた。

その反面、綾子が席を動かすのではないかという不安もあった。

しかし休憩時間が終わっても、綾子の机は僕の横にあった。

授業のチャイムが鳴った。僕たちは自分の席に戻った。

僕は思い切って綾子に聞いてみた。

「席、このままでよかったの?」

キョトンとした目で、綾子が聞いてきた。

「なんで?」

僕はいろんな答えを気にしながら聞き続けた。

「いや、友達とかと同じ班じゃなくて良かったの?」

「ユキはさ、私に移動して欲しかったの?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ。」

「じゃあいいじゃん。私はここが良いんだからさ。」

それは、僕にとって一番うれしい答えだった。

そしてそれは、僕がここにいるからと錯覚させるほど、あっさりした答えだった。

隣で健二が横腹を突付きながら笑っていた。


 2学期も体育祭が終わり、文化祭が終わり、そして季節外れの遠足の季節となった。

僕の中学では11月に遠足があった。理由は涼しくなったほうが歩きやすいからということだった。

たしかにそれはそれでいいのだが、距離が尋常では無く、11月の山は結構寒く、正直テンションがあがる行事では無かった。

 ・・・そしていよいよ面倒な遠足の日が近づいてきた。

現代の遠足というのは、現地までバスでいって、楽しくお弁当を食べて、おかしを食べて帰る!といった学校が多いようだが、

田舎ではもちろん全てが歩きだった。

僕は部活をさぼって、遠足のコースを健二と軽く自転車で走ってみることにした。

そして、少しだけ楽しみだった遠足は、若干の絶望に変わった。

そのコースは、自転車で1時間走っただけでは半分も進むことができなかった。

そしてそこからは更に山をひたすら登っていくコースだった。

「俺ら・・・こんなところいくの?」

健二が本気で疲れ果てた声でいった。

「そうみたいね・・・」

僕も信じられないコースに正直心が折れていた。

僕達はぐったりしながら家へ帰った。

 健二と別れ、僕は自販機でジュースを買っていた。

そして帰ろうと自転車に乗ってペダルを踏み込んだ瞬間、後ろにいきなり過重がかかった。

僕は驚いて後ろを振り向いた。

「ユーキ。なにしてんの?」

振り向くと荷台には綾子が乗っていた。

「びっくりした?」

「びっくりするよ・・・。」

「で、なにしてるの?」

「お前こそ、なにしてんだよ」

「私は部活帰りに決まってんじゃん。部室にいってもユキいないしさ。」

「ああ、ごめん。」

「で、なにしてたの?」

「健二と遠足のコース見に行ってたんだよ。うちのガッコ、遠足辛いって言ってたからさ。」

「ふーん。で、なんで私誘ってくれないの?」

明らかに不機嫌そうな口調だった。


「いや、だってさ。」

僕は返事に困った。

誘えば付いて来そうなのは解っていた。

しかし1年から部活をサボるというのはそれなりに面倒くさいことにもなる可能性もあった。

そんないろんな理由で、なんとなく誘えなかった。

「ふーん。まあいいけどね。で、もちろんお詫びに家まで送ってってくれるんでしょ?」

あまり聞かない綾子の意地悪な口調を断れるわけもなく、綾子を荷台に乗せて自分の家より離れた綾子の家へ向かった。

「ねえ!」

後ろから綾子が叫んだ。

「何!?」

「今度はさ、そういうの、私もちゃんと誘ってよね!」

僕はゆっくり頷いた。

綾子はクスっと笑い、僕の背中に抱きついてきた。

すごく、すごく、幸せな距離だった。

往復でかなりの距離を走って疲れた足のことも、

おそらくかなり辛いだろう道も、完全に忘れていた。

それくらい、幸せな時間だった。 

 綾子の家の目の前まで初めて来たのはその日だった。

「ここでいいよ。」

家の手前で綾子が言った。

「どうせだから玄関辺りまで送るよ」

「ううん。大丈夫。ちょっとね、うち、お父さんが五月蝿いからさ、こういうの。」

「そ、そうなんだ・・・。わかった。」

「うん。また明日。バイバイ。」

「ああ、うん。」

僕はゆっくり手を振った。

すぐ目の前だった綾子の家の前には、綾子のお母さんらしき人が、花壇らしきものをいじっていた。

すごく若く見えて、綺麗な人だった。

僕は、全力で自分の家へと自転車を漕いだ。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 僕はアルバムを見続けていた。

そこのはあの遠足の写真も載っていた。

写真を見ながら、僕はいろんなことを思い出していた。

それは本当にひさしぶりに、中学校の頃のことを思い出した。

楽しかった記憶も多かった。

でも、そんないろんな楽しい記憶より、綾子と別れたことが僕には大きく、重かった。

中学の事を思い出せばかならず綾子の事を思い出す。

僕は高校になって、綾子の事を忘れるのに必死だった。

綾子の事を考えることが無くなるのに、3年もかかった。

そして、3年目に、再び綾子に向き合うことになった。

それは、本当はもう一度振り返りたい過去だったのかもしれない。

でも、自分で過去を振り返るのが怖かったのかもしれない。

僕は、自分が今少しだけ、過去に戻れている、あの時の、僕になれている感じがした。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 2学期も終わり、冬休みに入り、正月を迎えた。

僕は生まれて初めて、2人で初詣に行った。

綾子は綺麗な着物を着ていた。

普段着だった僕は、少し恥ずかしかった。

「ユキ。どうかな。」

「う、うん。いいんじゃないかな・・・」

「ホント?ありがと。」

僕の大好きな笑顔だった。

「ごめんね。俺、こんな普通の服でさ。」

「え、いいよいいよ。ハカマ履くわけにもいかないでしょ。」

「そりゃそうか・・・。」

僕たちはいつもの学校への道を通り、神社へむかった。

同じクラスの人間もたくさんいた。

僕は、綾子と一緒にそこにいることが、少し誇りげだった。

知り合いに適当に新年の挨拶をし、僕たちは家に帰ることにした。

着物で草履だった綾子に下り坂はとても難しそうで、僕はとっさに手を貸した。

そのまま、家に向かった。


 帰り道、僕達は、あのベンチに座っていた。

「カフェオレでよかった?」

「ユキはいっつもカフェオレだね」

「ごめん、好きなんだよ。これ。」

「ううん。私も好きだよ。これ。」

僕達は寒い中、1時間以上そこにいた。

少しなんとなく重い雰囲気で。ボゥとしたまま。白い息をしていた。

そのなんとなく緊張感のある空気の中、口を開いたのは綾子だった。

「ねえ、ユキ。」

「ん?」

「私達、別に付き合ってるわけじゃないんだよね。」

「・・・。うん。」

僕にはその言葉が、なんだか別れ話にも感じた。


「じゃあさ、私に今好きな人がいるっていったらさ、どうする?」

「どうするって・・・。」

僕は少しずつ不安になっていった。

「やっぱ。嫌、かな。」

「嫌?」

綾子は真剣な顔で僕の顔を見つめた。

僕は恥ずかしくなって目線を下に向けた。

「それって、妬いてるの?」

「・・・。」

僕は素直に答えることができなかった。

心の中の、その不安な気持ちで、僕はその場から逃げたしたくなっていた。

そして僕が黙っていると、綾子はゆっくりと深呼吸みたいな事をしていた。

「ねえ、私はユキの事好きだよ。」

僕はその一言の意味をすぐ理解できなかった。。

もちろん複雑な意味なんて無かったんだとおもう。

でも僕は、それまでの極限に近い不安のせいで、それさえも別れに聞こえた。

「好きって・・・。じゃあなんで。」

じゃあなんで。僕は自分でも良くわからないことを言っていた。

綾子は少し怒ったような顔をしていた。

その理由を聞こうと思った瞬間。綾子の顔が急に近づいてきた。

「・・・。」

僕は頭がパンクしそうな状況で、生まれて初めてのキスをした。

それはこんな寒い空き地でも、人のあったかさを感じることが出来た。

「なんでわかんないかな。」

途切れそうな声で、綾子は言った。

僕が全てを理解したのは、その言葉を聴いてからだった。

「ユキってさ、すごく優しいんだけど、ちょっと臆病だよね。」

「臆病・・・。そうかな。」

「そうだよ。」

僕は、なんていったらよく解らなくて、ただ相槌をうっていた。

「寒くなってきたね。帰ろっか。」

「・・・。綾子。あのさ。」

「ん?」

「俺はさ、ずっと前から、好きだったよ。」

臆病な僕の、精一杯勇気だった。

それは、ずっとずっと言えなかった、大好きな人への素直な想いだった。

そして。僕の目の中には、僕の大好きな笑顔がそこにあった。


 僕たちは、いつもの分かれ道にきた。

「じゃあね。」

いつもの笑顔で、綾子は言った。

僕もいつも通り、手を振った。


そして、僕たちは、付き合い始めた。


とはいっても、今までの生活と特に何か変わるわけでもなく。

僕たちは、ずっと一緒にいた。

もう一緒にいたいとか、そういう感覚ではなかった。

むしろ、一緒にいるのが当たり前、そして僕の中で綾子に対する恋は、確実に愛に変わっていた。

僕は、綾子の為ならなんでも出来ると思っていた。 

あの大好きな僕を呼ぶ声。大好きな笑顔。僕は、ずっと、守り続けたいと思った。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 そして僕達は2年生になっていた。

健二が、今年も一緒のクラスだと言ってきた。それはそれで嬉しかった。

しかし、僕と綾子は、別々のクラスになった。

たった2つしかないクラスで、別々になってしまった。

それは予想以上に、綾子との距離を作ることになった。

それまで、中学に入ってから、家に帰るまで綾子と一緒にいなかった時間はほとんどなかった。

休憩時間、昼食、掃除の時間、季節行事、ずっと傍には綾子がいた。

しかしクラスが違うというだけで、僕と綾子が一緒にいる時間は、たまの昼休みくらいになっていた。

帰りの時でさえ、行事や部活などで時間も合わず、ほとんど一緒に帰れることはなかった。

そして、1学期が終わり、2学期が終わろうとしていた。

 2学期が終わる頃には、ほとんど会う機会もなく、積極的に会いに行くこともなくなっていた。

それは綾子が嫌いになったとか、好きでなくなったとか、そういうのではなかった。

僕にとって綾子は、もう家族のような身近な存在に感じていて、意味の無い自信と共に、不思議と不安は無かった。

 そして2学期の終業式が近づいていた。

僕は部活を終え、ふと綾子の部室を見上げた。部室にはまだ明かりが点いていた。

僕は部活の疲れもあり、そのまま家に帰ることにした。

そして僕はいつものカフェオレを飲みに空き地に来ていた。

いつものベンチには、人が座っていた。

綾子だった。

「あれ、綾子・・・?何やってんの。部活まだやってたんじゃないの?」

「サボった。」

「いいんかよ。」

「・・・。ユキ、待ってた。」

「俺?」

「ここで待ってれば、ユキ、来る気がして。」

「ふうん。」

僕はカフェオレを2本買って、綾子の横に座った。

「で、何?」

「・・・。」

綾子は僕を待っていたと言ってたのに、何も喋らなかった。



しばらく沈黙が続いて、ようやく口を開いた。

「最近さ、私達、ぜんぜん会えてないと思わない?」

「クラス変わっちゃったしね。」

僕は当たり前のように答えた。

「そういうのだけじゃなくてさ、なんていうか、私のこと避けてない?」

僕は何故かドキッとした。

自分ではまったく避けているつもりは無かった。

それでも話せない日々が続くと、多少なりとも気まずい感じはあった。

「そんな事ないよ。避けてるんだったら、今声かけるかよ。」

「そっか・・・。」

綾子は少し安心したような声を出した。

僕はカフェオレで手を温めながら言った。

「俺はさ、綾子のこと今でもずっと好きだよ。」

僕は、ここで別れ話をされるのではないのかと不安だった。

ちょうど去年の今頃、まったく同じような事で不安になっていたのを思い出していた。

「今でも、綾子とずっと一緒にいられるんなら。俺は一緒にいたいよ。」

僕は必死だった。

出来るだけ焦っている感じを隠しながら、気持ちを必死に抑えていた。

「・・・。」

綾子はまた喋らなくなってしまった。

そして、少しずつ、泣き始めてしまった。

僕は、初めて綾子とここに来た日、二度と彼女の涙は見たくないと思った日を思い出していた。

周りからの障害からも彼女を守ろうとさえ思っていたのに、僕は自分の自己満足で彼女を泣かせている。

僕はいったい何をしていたんだ。

「ごめん。」

僕の体から急に言葉が漏れた。

それは、どうしようもないくらい綾子が好きでたまらない、僕の精一杯の表現だったんだと思う。


 それから僕達は、お互いが部活が早く終わったりした日でも、校門の近くで待つことが多くなった。

僕は、綾子に謝罪するかのように。ほとんど毎日、彼女を待ち続けた。

そして彼女も、日が暮れるような時間になった日でも、僕を待っていてくれた。

自分を待っていてくれる人がいるということが、どれだけ嬉しい事なのか。

自分を好きでいてくれる人がいるということが、どれだけ幸せな事なのか。

僕は、綾子に教えて貰った気がする。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 アルバムは、3年になるにつれ、写真が増えていた。

それも2学期、体育祭、文化祭、いろんなイベントがあって。

そこまでは受験のことを少しだけ忘れていられる期間で。

そんな風に思わせるかのように。2学期の写真ばかりだった。

僕はゆっくりその暑い季節を思い出していた。

3年の1学期の終わりの頃の7月、綾子にとって、とても辛い出来事が起きた。

彼女の父親が、亡くなったのだった。

僕は、彼女の力になってあげることが出来なかった。

あの時、僕にもっと、彼女の為に使える力があれば、違う未来があったのかもしれない。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 僕達は三年生になっていた。

中学校最後の年、僕達は同じクラスになることが出来た。

もちろん健二も一緒だった。結局健二は3年間同じクラスだった。

席はくじでの抽選だった。健二とは離れたけど、綾子とは同じ班だった。

そして、3年といえば受験を意識しないわけにはいかない時期だった。

僕は正直進路を真面目に考えておらず、行きたい高校とかも無かった。

僕より成績がよかった綾子は、それなりにいい高校を選んでいた。

高校を調べる気さえなかった僕は、とりあえず綾子と同じ高校でいいかな、程度に考えていた。

しかし綾子は、僕にちゃんと考えることを勧めた。

それでも僕は、高校はとりあえず普通科でいいか程度だった。

それは、あの7月になっても、そのままだった。

「ユキ、本当にそんなに適当に決めちゃっていいの?」

その言葉は僕の胸に突き刺さった。

僕は適当に、選んだつもりはなかった。

ただ綾子と一緒にいたい。それだけだった。

「俺、迷惑?」

「ううん。それは嬉しいんだけど。ユキ、やりたい事とかないの?」

「うーん。」

僕はなんとなくでしかない進路より、綾子と一緒にいたいほうが強かった。

それは女々しい行為だったのかもしれない。

それでも、たとえ周りからそういわれても、僕はそう思っていた。

「お前大学は考えてんのか?」

前の机に健二が座り、割り込んできた。

「うーん。一応。行こうかなとは思っとるけどさ。」

「お前、普通に大学受験して受かる気なのか?」

「無理かね?」

「無理だろ。」

キッパリと言われた。

こういう健二との漫才みたいな掛け合いをすると、綾子はかならず笑ってくれた。

しかし、この日の綾子は、難しい顔をしていた。

「どうしたの?」

「ユキ、本当に高校はちゃんと考えたほうがいいと思うよ。」

真剣な顔の綾子を見て、ようやく冗談言ってる場合じゃないと気が付いた。

しかし高校、それは行く意味があるのかどうなのかさえ解らなかった。

もちろん現実をみれば中卒ではなにも出来なくなるのもたしかだった。

しかし高校にいったからといって何かができるわけでないような気もしていた。

僕は、いろんなことを考えながらも、少し真面目に考えてみることにした。

しかしどんな高校があるのか、通学時間はどのくらいなのか、それさえわからなかった。

しょうがないので昼休みに担任に相談に行ってみたりもした。

先生の話では、綾子の目指す学校はとりあえずは遠い存在ではないことを教えてくれた。

大学の話も聞いたが、一般入試ではやはり難しいが、高校でがんばって推薦を取ればなんとかなるかもしれないという話も聞いた。

僕はとりあえず高校でゆっくり考えればいいかな、くらいで綾子にそのことを伝えに教室に戻った。

 教室に戻ると、綾子の姿は無かった。

「健二、綾子は?」

「あ、お前どこいってたんだよ。」

「職員室だよ。進路、聞きに行ってたんだよ。で、綾子は?」

「高木の親父さんが倒れたとかで、今家に帰ったよ。」

「倒れた?」

なんだかとても嫌な感じがした。

僕は学校が終わるとすぐに綾子の家の近くまで行ってみた。

玄関の前で、2,3回深呼吸をして、インターフォンを鳴らした。

しかし、中には誰もいる感じではなかった。

玄関には鍵がかかっていた。

僕はどうしようもなく、自分の家に帰った。

 それから、綾子は学校に来なくなった。

そして綾子が学校に来なくなって3日がたった。

出席の時、担任は綾子を喪中だといった。

「喪中・・・?」

「お前聞いてなかったのかよ。高木の親父さん、亡くなったらしいぞ。」

僕は心臓にすごい衝撃を受けた。

会ったことの無い綾子の親父さんの死での衝撃ではなかった。

それは交流が短い友達が転校するというだけで、あれだけ泣いていた綾子を思い出したからだった。


僕は身内の死を体験した事がなかった。

身内ですでに亡くなっているのは父方の祖父がいるが、僕が生まれる前にすでに亡くなっていたいたのでわからない。

それでも、なんとなく身内がいなくなる苦しみを、解る気がした。

そして綾子も、おそらく初めての身内の死だったはずだった。

 僕は学校が終わるのを待つこともできず、鞄も机に置きっぱなしで綾子の家に向かった。

綾子の家はまだ昼前だというのにカーテンは締め切られていて、人がいる気配もなかった。

僕はインターフォンを鳴らし、玄関の前でしばらくまった。

しかし、誰もでてくる気配も、誰かがいる気配もなかった。

それでも僕は何度も鳴らし続けた。

きっと綾子はここにいる、そんな気がしていた。

それでも、中からは誰も出てこなかった。

 僕はゆっくり、来た道を帰り始めた。

そしてその道中、ずっと気づいてあげられなかった自分を悔やんでいた。

綾子はこの3日、ずっと泣いていたんだと思う。

僕はなんのためにここに存在しているのか。

こういう時、そばに居てあげるためじゃなかったのか。

もう、綾子の事しか考えられなくなったまま、いつものベンチで、情けない自分を、悔やんでいた。


 僕はそれから、毎日学校が終わって綾子の家に通った。

綾子が学校に来なくなって1週間。

僕も、どうしていいのかわからず、限界が近くなっていた。

そんな7日目、いつもの様に綾子の家の近くまで来た僕は、少し違う雰囲気を感じた。

上を見上げてみると、家のカーテンが開いていた。

僕は急いで玄関の前に行き、いつもの様にインターフォンを鳴らした。

すぐに、家の中のほうで、足音がした。

中からは、すごく疲れた顔をした綾子のお母さんが出てきた。

「あ、あの。俺、中野といいます。綾子さんは・・・?」

僕はいろんなことが頭の中を駆け巡る中、必死に冷静になろうとしていた。

「あなたが・・・中野君?綾子なら上にいるわ・・・。どうぞ。上がって。」

おばさんは僕の事を知っている様子だった。

でも、そのときはそんな事を考える余裕は無かった。

僕は、こんな状況で、初めて綾子の家に入ることになった。

階段を上ると、奥の方からもの音がしていた。

「綾子・・・!」

綾子はだれかの荷物をダンボールに詰めていた。

それはおそらく父親のだったんだと思う。

「ユキ・・・?なんで・・・?」

「なんでって、お前学校に来なくなってからさ、心配で、家に来てみても誰もいないし・・・。」

「・・・。お葬式とか、いろいろあってさ。おじいちゃんの家でやってたから。」

「そっか・・・。」

綾子はずっと荷物をダンボールに詰めながら、泣くのを我慢するような、小さな声だった。

「親父さんは・・・なんで?」

「・・・。心筋梗塞だったんだって。」

「心筋梗塞・・・。」

「朝、一緒に御飯食べたんだよ。いつも通り、目玉焼きにソースかけちゃったりしてさ。」

「・・・。」

「それがね、病院にいったらね、もう、全然動かないんだよ。」

「綾子・・・。」

「お父さん、お父さんって呼んでもさ、なにも言ってくれなくて。すごく、冷たくて・・・。」

綾子の泣きそうな声を聞いて、僕も泣きそうになっていた。

でも、俺がここで泣くことが許されないのは、解っていた。

ここは、俺が泣いていい場所なんかじゃなくて、ただ目の前にいる大好きな人の為に、自分がいるんだと思った。

僕はその震える小さな肩をみて、抱きしめてあげたくなった。

でもそれは、ただのごまかしになるような気がして、出来なかった。


僕は、ただ廊下から、泣いている綾子を見ていた。

 しばらくすると、おばさんが階段を上ってきた。

「ごめんなさい中野君。綾子、まだちょっとショックが抜けきれてないみたいなのよ・・・。」

「いえ・・・。まだそんな日にちも経ってないし・・・。俺、今日は帰ります。」

おばさんは綾子の肩を抱いてあげていた。

僕は、どうしてあげることもできず、綾子の家を後にした。

 僕は、あそこまで沈んでいる綾子を見るのは初めてだった。

お父さんのこと、大好きだったんだろうという事も伝わってきた。

それでも僕は、身内を亡くす悲しさを、解ってあげられることが出来なかった。


 あの日から3日後、教室に入ると、僕の横の席には綾子がいた。

ひさしぶりの登校ということもあって、友達が彼女の周りを囲んでいた。

僕は授業が始まるぎりぎりまで、廊下で庭を眺めていた。

そして始業ベルが鳴った。

みんなが綾子の周りからいなくなるのと同時に、僕は自分の席に座った。

「もう、大丈夫なの?」

「うん、ごめんね。せっかく来てくれたのに。」

「いや・・・。」

少しだけ、ほんの少しだけ、自分と綾子が違う気がしていた。

その日は、それ以来、一言も話せなかった。

 学校が終わり、僕達はいつもの道を帰り始めた。

「本当に大丈夫?元気ないみたいだったけど・・・。」

「うん・・・。大丈夫。」

「本当に?」

「大丈夫だってば!」

綾子がいきなり泣きそうな顔で叫んだ。

「出来るだけ思い出さないようにしてるのに!なんでそうやって思い出させようとするの!」

僕は自分の言葉の無神経さに気が付いていなかった。

ただ、心配で、それだけだった。

それが綾子にとってどれだけ辛いことを言っていたか、解っていなかった。


「ご、ごめん。でもさ・・・」

「博之にはわかんないんだよ!私の事気持ちなんかさ!家族が急にいなくなる辛さっていうのが!」

僕は、一番綾子との距離を感じていたところを指された気がした。

綾子に、初めて、特別じゃない、普通の名前で呼ばれた。

そして、何も言えなかった。

綾子はそのまま、走っていってしまった。

僕はショックや悔しさで、ただ、その走り去っていく後ろ姿を、見ていた。


 次の日から、綾子とはずっと話せなくなった。

ずっと隣にいるのに、目を合わせることもできず、ずっと、僕は机を見ていた。

そんな日がしばらく続いたまま、1学期が終わり、夏休みになった。

僕はその夏休み、何をしていたかまったく思い出せない。

たぶんずっと、綾子のことを考えていたのかもしれない。

そして、夏休みも終わり、2学期が始まった。

 最初のホームルームで、席替えのくじが行われた。

僕と綾子は、見事なまでに教室の端と端になった。

それから体育祭、文化祭、2学期にはいろんな行事があった。

でも、一度も、綾子と何かをした行事はなかった。

 2学期も終わりに近づき、ついに受験高校を決めるときがきた。

僕は、気まずい空気の中、綾子に話しかけた。

「綾子・・・。俺、高校決めたよ。一緒のところじゃなくて、工業の大学が付いてる高校にしようと思う。」

それは、僕にとって、自分から切り出した、別れ話だった。

別れ話といっても、もうほとんど、付き合っているといえる状態ではなかった。

でもそれでも、けじめとして、きっちりしとくべきだと思った。

綾子は、そっか。とだけ言った。

僕は、綾子から逃げるかの様に、綾子の高校とまったく反対方向の高校を選んだ。

そして、高校生活では、ほとんど会うこともなく、3年の月日がたち、忘れかけていた。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 アルバムの中で一番多い、3年2学期の写真の中に、僕達は一枚も写っていなかった。

それは、アルバムの編集に入っていた健二の配慮だったんだろうか。

それが真実かどうかはわからないけど、親友のやさしさが、僕の目を、少し潤ませた。


 健二の電話から2日がたった。

それでも、まだだれからの連絡もなかった。

旅行に行ってた家族も帰ってきた。

しかし僕は、誰にも話さなかった。

ただ、元気になったとか、もう会って話せるとか、そういう電話をずっと待っていた。

 僕は、なんとなく外へ出た。

前の日はいろいろ考えたりしていたせいもあって、ずっと部屋の中にいた。

さすがに2日間も部屋の中に閉じこもるのも、気分が滅入ってしまって少し耐えられなくなりそうだった。

僕は自分のバイクに乗り、ゆっくり、昔綾子とよく歩いた道を走っていた。

そして地元で2つしかない信号機、その1つで僕は止まった。

1月の空は、とても寒くて、30分程度しか走っていない僕の体も冷え切った。

そして、なんとなく路肩に目をやると、小さな白い、縦に細長い看板が目に入った。

「・・・。高木家・・・。葬儀場・・・。・・・高木 綾子・・・。」

田舎の小さな葬儀屋の看板だった。

田舎は老人比率が高く、ほぼ毎日のようにその看板は立っていた。

もちろんずっと住んでいる僕にしてみれば、もはや気にしたことさえなかった。

それでも、僕の目の中に入ってきたのは、高木 綾子の看板だった。


 僕はわけが解らなかった。

たしかに倒れたと電話があった日。

健二も、おばさんも、大丈夫だといった。

いまどき、睡眠薬じゃ死ねないもんだと。

それなのに、あそこには、綾子の名前が書いてある看板があった。

僕は必死に書いてあった場所へ向かった。

その前にいろいろ走っていたせいもあって、ガソリンもかなり減っていた。

それでも、とても給油をしている余裕はなかった。一刻も早く、真実を知りたかった。


 そして、僕はその場所にたどり着いた。

そこには、お経の声と、真っ白な花輪が並んでいた。

そして・・・。入り口には大きな木の板のようなものに、こう書いてあった。

「高木・・・綾子・・・。享年・・・18歳・・・。」

頭がどうにかなりそうだった。

そこに、立っていることも出来なくなりそうだった。

もちろん、この時点で、それが本当に綾子の葬儀なのか。それは解らないはずだった。

でも、2日前、僕が感じた嫌な感じ。そして勝手に流れてきた涙。

この葬儀が、綾子以外のものであるとは、まったく思えなかった。

涙が出てきそうになっていた僕は、綾子の言葉を思い出していた。

「あそこは、私が泣くべき場所じゃなかった。」

その言葉が頭の中を駆け巡った。

そう、僕も、ここで泣いていい人間ではない気がした。

綾子に自分で別れを告げ、綾子を守ることをやめた自分が、ここで泣いていいとは思えなかった。

僕は、この葬儀が綾子のものかどうかも確認しないまま、バイクに乗り、綾子の家に向かった。


 綾子の家の周りでは、綾子のお父さんが亡くなった時と同じ空気があった。

そして、カーテンは全て閉められ、インターフォンを鳴らしても反応はなく、ドアには鍵がかかっていた。

それでも僕は、何度も、何度も鳴らし続けた。

もしかしたら、綾子は2階にいるんじゃないのか。

そんな気がしていた。

 僕は、たぶん30分以上も鳴らし続けていた。

それでも、だれも出てくる気配がなく、そこに座り込んだ。

「ヒロ!」

健二の声がした。

「こんなところにいたのか・・・。」

「健二・・・」

「会場でお前見かけたってやつがいて・・・。」

健二は俺を探し回っていてくれたようだった。

「・・・。健二・・・。なんで・・・綾子は・・・大丈夫だったんじゃないのか・・・。」

「・・・。」

「俺、皆に騙されてたのか。病院にいったとき、もう、綾子は・・・」

「・・・。」

健二は何も喋らなかった。

それは、俺が言っていることが全て真実であることを物語っていた。


「なんで・・・。教えてくれなかったんだ・・・!」

「言えると思うのか・・・」

僕は、健二に恨みと感謝、どちらもがごちゃごちゃになったような感情を抱いた。

でも、その健二の行動が、俺に対する善意だったことは解っていた。

それでも、このどうしようもない悔しみは、健二に向けるしかなかった。

「病院に行ったとき、みんなが泣いてた・・・。あの時少しおかしいとは思ってた。」

「・・・。内緒にしたのはな。高木のおばさんが決めたことだったんだ。」

「おばさんが?なんで・・・。」

そこで健二から全ての話を聞いた。

おばさんは僕と綾子が何故別れたのかも知っていた。

そして、綾子が僕の話も良くしていたらしい。

僕達が、どれくらいの関係だったのか。それも解ってくれていた。

それで、僕が3年ぶりに綾子に会うのに、もうこの世にいない姿では、僕が可哀想だと言ってくれたらしい。

僕は、その場で泣き崩れてしまった。

綾子の優しさは、おばさんの優しさを受け継いでいたんだと感じた。

そして健二も、俺の事を思って、おばさんの言うとおりにしてくれたんだということも。

おばさんの優しさ、健二の優しさ、そして綾子の事を考えると、僕はどうしようもなく、涙が溢れ出ていた。


 しばらくたって、僕と健二はその場を後にした。

健二は一緒に葬儀に出ることを薦めてくれたが、僕はとても行けそうになかった。

臆病で、勇気のない僕は、大好きな人の死を、受け入れることが出来なかった。

結局、綾子と喧嘩をしたまま、仲直りすることもできず、綾子との永遠の別れになった。


 僕は綾子の家から、自分の家に帰ろうとしていた。

途中で、バイクが急に止まった。

「なんでだよ・・・。こんな時に・・・。」

ガソリンメーターが振り切れていた。

その止まった場所は、いつもの空き地の目の前だった。

僕は吸い寄せられるように、空き地に向かった。

高校になって、一度も来たことがなかった。

そこは3年前とまったく変わらない風景だった。

僕はいつものカフェオレを1つだけ買い、ベンチに座った。

僕の隣には、空気しかなかった。

僕がここに座るときには、かならず暖かい人間の温もりがあった。

そして、大好きな笑顔があった。大好きな声で俺を呼んでくれた。

「ユキ。」

この声が、いまも耳の奥から離れない。

そして目を閉じると、いつもの、僕の大好きな笑顔が広がる。

「私4月24日なんだけどさ。24はトゥエンティフォーでしょ。4月ってなんていうの?」

最初の、綾子のことが気になり始めたこの声も、つい最近のことのように、思い出す。

それでも、全てのことを思い出せるわけではなかった。

3年、たった3年という月日だけで、僕は大好きだった子のことを忘れかけていた。

それが自分にとっていいことなのか、悲しいことなのか、僕には解らなかった。

ただ、カフェオレの温かさが、綾子の暖かさとダブって、僕は目を開けていられなかった。


□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


 あれから2年。僕は大学2年になった。

ある日、自宅のポストに成人式の参加用紙が届いた。

とくに何も考える事無く、参加に丸を書いた。

そして1月10日。成人式の日を迎えた。


 バイクで会場に到着すると、そこには懐かしい顔がいた。

中学を卒業して以来、会ったことが無く、名前を忘れている同級生もいた。

男達は皆似合わないスーツで、女性達は綺麗な着物を着ていた。

みんな着物に負けないように濃い化粧で、昔からの知り合いでもないかぎり、ぱっと見ではだれか解らない状態だった。

かなりの人数が会場に来ていた。

その、誰が誰かわからない人ごみの中、これだけの人数がいるのなら綾子にふと会うのではないかとすら思った。

もちろん頭の中ではそれが叶う事が無いのは解っていた。

それでも、無駄な期待と共に、会場を見渡す僕がいた。

そして、学校別の集合写真になっても、その後の打ち上げになっても、彼女は現れなかった。


 僕はこの成人式で、健二に初めて彼女が眠っている場所を聞いた。

僕はまだ、彼女が居なくなってから、一度も墓にも、焼香さえ上げれた事が無かった。

この成人式に来る前、たぶん聞ける最後のチャンスになりそうな気がしていた。

ここで聞いておかなければ、僕はずっとそれから逃げるのではないかと。

ようやく振り返れたのは、僕が今日ここでそれを聞く為だったのかもしれない。


 成人式が終わると、打ち上げまでの間の時間を使って彼女の墓へ向かった。

そこには、誰も人がいなかった。

ただ、墓石だけが、立ち並んでいた。

僕はゆっくり、彼女の墓を探した。

奥の方で、彼女を見つけた。

その石壁は、僕を現実に引き戻す名前も書いてあった。

僕は、彼女と会わなくなって5年。ようやく会えた、そこに居た彼女は、寂しそうに、一人で待っていたようだった。

さっきまで、ほんの少しの期待を持ちながら、会場で彼女を探していた僕を思い出すと、とても馬鹿らしく、悲しくなった。

頭では彼女がもう居ないことはわかっていた。

それでもまだ1度もそれを確認していない事で、どこかで信じていなかったのかもしれない。

しかし、そこには、現実しかなかった。


 この事を全て振り返るのに、彼女が居なくなったあの日から2年かかった。

2年、その月日が長かったのか短かったのかは解らない。


 ふと、考えることがある。

僕があの時、綾子を追いかけていたのなら、違う未来はあったんだろうか。

綾子は死ななくてすんだのだろうか。

僕は何故綾子が死んだのか、その理由は永遠に聞かないことにした。

僕が知らない綾子の高校3年間で、なにがあったのかを僕は知らない。

そんな僕が、綾子の人生の最後に、深入りするわけにはいかなかった。

僕は、綾子と別れた日から、なにごとも完結させるのが苦手になった。

終わらせるということは、そこから先が無くなってしまうということだから。

それは情けないことだということは自分でも解っている。

でも、人生の完結ほど、振り返るのが辛いことはないと思った。

そして、綾子の最後に涙を流して以来、僕は泣けなくなった。

涙は、愛する人の為だけに、流すものだと、心に誓った。


 そして僕は2年ぶりに、アルバムを開いていた。

そこには、変わらず僕の大好きだった綾子の笑顔が写っていた。

綾子がこの世界からいなくなって2年。

最初はちょっと思い出すだけでも、他人の綾子という名前を見るだけでも、涙が出そうになっていた。

それが2年もたつと、アルバムの中の綾子を見ても、驚くほど冷静でいられた。

人は、少しずつ、少しずつ、記憶を入れ替えて行くのだと思う。

そして、少しずつ、少しずつ、忘れていくんだと思う。

それでも、


「ユキ。」


この声だけは、忘れることは出来ないと思う。

綾子は、僕に人を愛するということを教えてくれた。

そして、愛される喜びも教えてくれた。


僕は、ずっと、これからも一生、大好きだった人の思い出と共に、生きていく。



初登校です。ご感想頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ