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夢読姫綺譚(本編・外伝・関連)

逢魔時 〜螺旋のリビドー序歌〜

作者: 愛野ニナ
掲載日:2026/10/24




 それは逢魔時のこと。

 昼と夜の狭間、光と闇の交錯。

 辻を行き交う人々の、重なり合わない心のような世界。

 私は白拍子の姿をしていた。

 長い髪を結い上げ、白い袖をひるがえし、都のざわめきの中に佇んでいた。

 誰に頼まれたわけでもない。気紛れだった。

 ただ、人の夢の匂いが、そこには濃く漂っていたから。



 若者は名を義一丸といった。

 農村から出てきたばかりの、まだ世馴れぬ青年だった。

 厳しい暮らしと知れるほど荒れた手をしていたが、目だけは妙に力強く、まるで焔を宿しているかのようであった。

 その目が私を捉え、視線が絡まる。

 宵闇に沈みゆく路地を行き、灯りが途切れた先の茶屋の奥座敷へ。そこではもう都の喧騒も届かない。

 私は微笑を浮かべ酒を勧めながら、

 彼に異国の話をした。

 誰も見たことがない塔の話。

 螺旋を描いて天へ伸びる白い高楼。

 光が明滅し、時が前後する国。

 それは何のために存在しているのか。

 答えは謎のままに秘められた──。

 彼は身じろぎもせずにきいていた。

 その表情から彼の心は読めなかった。

 夏の日の陽炎のごとく。

 だから、触れてみたいと思った。



 その夜の空は澄んでいて、月が冷たかった。

 私は彼の前で扇を開き囁いた。

 ねえ、貴方の夢をきかせて。

 共に褥に入るとき、彼の体は熱く、私の手は冷たかった。

 本来なら、それだけの夜だった。

 気紛れの戯れ。いつもと同じ。

 朝になれば姿を消し、叶わなかった夢の結晶だけを持ち去ればよかった。

 古の女神の呪いは、私にそれしか許していない。

 なのに。

 彼が眠ったあと、私は彼の夢に入った。

 触れていれば、同じ夢を見られる。

 それが私の業であり、呪い。



 夢の中で、若者はまだ何も知らなかった。

 貧しいままで、何かを渇望しているだけだった。

 私は彼の深層に触れ、世界の理の一端を、二重螺旋の形を、そっと置いた。

 リビドーの奥に。

 生命の核に。

 本来なら、してはならないことだった。

 なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。

 この若者の、まだ形にならない渇望が、私の中の何かを揺らしたのかもしれない。

 あるいは、ただ会いたかっただけなのかもしれない。

 誰に、とは言えない。

 ただ、会いたかった。

 朝、私は彼の腕から静かに離れた。

 白拍子の姿のまま、朝霧の中へと消えた。

 彼は目を覚まし、私の姿を探しただろう。

 だが、もうそこには誰もいない。



 それから、私は幾度も姿を変え、幾度も人の夢を渡り歩いた。

 叶わなかった夢の結晶を集め続けた。

 時に異シ神(あだしがみ)と、他者の夢の中ですれ違いながら。

 これが人の世の流れから解離した者──マレビトの宿命だとしたら。

 それもまた世界の理のうちの一端なのかどうか、私にはわからないというのに。

 異シ神(あだしがみ)はいつも、私に問う。

「何故(なにゆえ)に、人は夢を見るのか」

 私はいつも、答えなかった。

 答えられるわけがない。

 私は夢を見たことがないから。



 やがてまた時が流れた。

 私はミヨミという名で、あの若者──今は頼仁と呼ばれる男の夢に、再び入っている。

 螺旋の塔を、共に登っている。

 薄紫から茜色へと偏光にゆらめく薄闇は、どこかあの日の逢魔時のようだった。

 彼の手は、昔よりずっと大きく、あたたかい。

 重ね合わせた指先にも淡い光の玉が流れていく。

 青い流星のように。幻の蝶のように。

「この夢は、私が守る」

 私はそう静かに告げる。

 異シ神(あだしがみ)の視線を感じながら。

 自らは夢を見られないこの身で、なお人の夢を守り、集め、時に壊してしまう。

 情とは、なんという業なのだろう。

 気紛れのつもりが、いつまでも消えない。

 白拍子の一夜は、まだ終わっていない。

 それはたぶん永遠にも似ている。

 あの夜、リビドーに残した言霊は、螺旋の夢。

 物語は巡る。


 

 ゆめみたま

 ときのうつろに

 ながれゆき

 あめのきしより

 ほしはふりつつ




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