第9話 全土小豆畑の刑と、至高の専属メイド
一ヶ月後。
かつてのゲオルグ男爵領は、王室直轄の試験農場へとその姿を変えていた。
見渡す限りの広大な土地を埋め尽くしているのは、色とりどりの花でも、金色の麦でもない。
「……腰が、腰が折れそうですわ……!
どうして私が、こんな家畜の餌を植えるために泥にまみれなければならないの!?」
かつての贅沢なドレスを脱ぎ捨て、粗末な作業着に身を包んだカミラ夫人が、泥濘の中で絶叫した。
その隣では、かつての男爵が青白い顔で必死に鍬を振るっている。
「黙っていろ。休めば監視の騎士に叱責されるのだ……。
ああ、誰か助けてくれ……」
彼らに与えられた刑罰は、死刑よりも残酷で、そして何より皮肉なものだった。
『王家の大切な資源である小豆を蔑んだ罪を、その身をもって償え』
ミハエルが下した裁きにより、男爵家の領地はすべて小豆の栽培地となり、没落した元夫婦は一生この地で小豆を育て続けなければならない。
「男爵領は、全土小豆畑にさせていただきました」
かつて自分が放り出された門の前で、ミアは静かにその光景を見つめていた。
復讐心ではなく、ただ、自分が愛する小豆を彼らも大切に育ててくれればいい、という願いを込めて。
同じ頃、王宮のバルコニーでは、夕闇が紫色の帳を下ろし始めていた。
「……できたのか。これが、お前の新しい魔法か」
ミハエルの問いに、ミアは微笑んで頷き、クリスタルでできた小皿を差し出した。
そこに乗っていたのは、宝石以上に輝く不思議なお菓子だった。
「はい。月界晶・星ノ粒と名付けました」
満月の夜にしか採取できない魔力の水、ルナ・ネクターを、高山の氷晶草の粉で固めた透明な立方体。
その中心には、ミアが魂を込めて練り上げた漆黒の粒あんが、まるで宇宙の星雲のように美しく閉じ込められている。
仕上げに振りかけられたプリズム・フラワーの花粉が、七色の光を放っていた。
ミハエルがそれを口に運ぶ。
口に入れた瞬間、冷たい魔力の結晶がパチパチと弾け、その後に小豆の濃厚で、芯から温まるような優しい甘みが広がった。
「……素晴らしい。お前はついに、この世界の魔力さえも菓子に取り込んだのだな。
これを食べると、胸の奥に灯火が灯るようだ」
ミハエルは食べ終えた後、ミアの手をそっと取り、夕陽に照らされた彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ミア。お前を王妃として迎えたいという思いに、嘘はない。
だが……お前が厨房で見せるあの誇らしげな顔を、私は何よりも尊重したいと思っている」
ミハエルはミアの、少し荒れてはいるが、誰よりも美しく働く手を見つめた。
「身分という鎖でお前を縛ることはしない。
その代わり、ミア。
一生、私の専属メイドとして、私の傍にいてくれないか。
お前の菓子を、お前の笑顔を、世界で一番近くで独占させてほしい」
「殿下……。
はい、喜んで。
私、殿下の専属メイドとして、世界一のお菓子を一生作り続けたいです」
ミアの瞳から、幸せな涙が零れ落ちる。
妃という地位よりも、自分の腕一本で誰かを幸せにする「職人」としての生き方を選んだ彼女。
そんなミアを、ミハエルは心底愛おしそうに抱き寄せた。
「あーっ!兄上、また抜け駆けしていい雰囲気になってる!」
「ミハエルお兄様!私、聞こえましたわよ!
ミアは『私たちの』専属メイドですわよね!?」
扉を勢いよく開けて乱入してきたのは、カイルとシャルロッテだった。
「おい、お前たち!今は大事な話をしているところだ!」
「大事な話は、この美味そうなのを食ってからだ!
ほらミア、俺の分もあるんだろ?」
「私もですわ!ミア、早くあーんしてくださいまし!」
照れ臭そうに立ち上がるミハエルと、騒がしくもお菓子をねだる王子王女たち。
ミアは涙を拭い、満面の笑みで新しいお皿を並べ始めた。
かつて雨の中に捨てられた地味なメイドは、今、この国で最も高貴な家族にとって、誰にも代えがたい「至高のメイド」として、その胃袋と心を完璧に掌握していた。
それは、世界で一番甘くて幸せな、逆転劇の終幕だった。




