第6話 迫り来る悪意と、過保護な王子たち
ミハエルの執務室は、今日も甘い香りと穏やかな空気に包まれていた。
「殿下、本日の新作です。苺大福と申します」
ミアがそっと差し出した純白の皿の上には、ぽってりとした白い丸い餅が上品に並んでいる。
その頂点には、切り込みから覗くように真っ赤な果実が顔を出していた。
「美しいな。白い雪の中に咲く赤い花のようだ」
ミハエルはため息をつくように感嘆し、銀の黒文字でそれを半分に切った。
断面からは、真っ赤で瑞々しい苺の果肉と、それを優しく包み込む漆黒の粒あんが現れる。
ミハエルが一口頬張ると、その端正な顔が驚きにハッと見開かれた。
「……驚いた。ただ甘いだけではない。果実の弾けるような酸味と瑞々しい果汁が、あんこの深い甘みと完璧に調和している」
ミハエルの冷徹な碧の瞳が、ふわりと熱を帯びてとろける。
「甘さと酸味の素晴らしい対比だ。それにこの柔らかな餅……。ミア、お前は本当に私の期待を毎度超えてくるな」
「お口に合って嬉しいです。苺の酸味が、公務のお疲れを癒してくれると思いまして」
ミアが安堵の笑みを浮かべたその時、執務室の重厚な扉がノックもなしに乱暴に開かれた。
「兄上、ずいぶんと美味そうなものを独り占めしているじゃないか!」
「ミハエルお兄様!私にもその可愛らしいお菓子を一口……きゃあっ!?」
乱入してきたカイルとシャルロッテの背後から、ひどく場違いな、甲高く鼻持ちならない声が響いた。
「失礼いたします、ミハエル殿下!ゲオルグ男爵家より、正式な訴状を持った使者が参っております!」
現れたのは、脂ぎった顔をした中年役人だった。
彼は室内に入るなり、ミアを冷酷な目で一瞥し、これ見よがしに分厚い書類を広げた。
「殿下、その後ろに控えているメイド、ミアを直ちに引き渡していただきたい。彼女は男爵家を去る際、我が家の至宝たるブローチ『人魚の涙』を盗み出した疑いがあります。これは由々しき窃盗罪であり、即刻拘束の対象です!」
その言葉に、ミアの顔から一気に血の気が引いた。
「ち、違います!私は何も盗んでなんかいません!屋敷を出る時も、自分の荷物しか……」
「黙れ、泥棒猫!男爵家はお前の罪を許さないと仰っているのだ!さっさと大人しく縄につけ!」
役人がミアの腕を乱暴に掴もうと手を伸ばした、その瞬間だった。
ガシッ!!
「……おい。誰の許可を得て、俺たちのミアに汚い手で触ろうとしている?」
カイルが役人の手首を万力のような力で掴み上げ、ギリギリと骨が軋む音を立てた。
「ぎゃあああ!?離せ、私は正式な使者だぞ!」
「使者だかなんだか知らないけれど、不敬でしてよ。私たちの専属お菓子係を泥棒呼ばわりするなんて、正気かしら?」
シャルロッテが扇子をピシャリと閉じ、氷のような視線で役人を射抜く。
そして、執務机の奥に座るミハエルが、ゆっくりと立ち上がった。
彼の全身から放たれるのは、先ほどの甘く溶けた表情からは想像もつかない殺気だった。
「……窃盗、だと?笑わせるな」
ミハエルの声は静かだったが、執務室の空気が凍りつくほどの威圧感があった。
「彼女が市場でどれほど愛おしそうに安い小豆の袋を抱えていたか、貴様らのような腐った目を持つ者には分かるまい。ミアが宝石などという無価値な石ころを盗むはずがないだろう」
「で、ですが!これは男爵家からの正式な訴えで……!」
「ほう。ならば受けて立とうではないか。衛兵、この無礼者を牢へ叩き込め。ゲオルグ男爵には、訴状の不備と虚偽報告の罪、そして何より『王族の専属職人を侮辱した大罪』で、近日中に私が直々に沙汰を下すと伝えておけ」
「ひ、ひぃぃっ!お、お待ちを、殿下ぁぁっ!」
役人は腰を抜かし、無様に悲鳴を上げながら衛兵に引きずられていった。
嵐が去った執務室で、恐怖で震えが止まらないミアの肩を、ミハエルが優しく抱き寄せた。
「安心しろ、ミア。お前は私たちが必ず守り抜く。あの愚か者どもには、分不相応な絶望というものを教えてやろう」
「ミア、何も心配いらないわ。私たちがついているもの」
「あいつら、絶対に泣かしてやるからな。だからお前は、明日も美味い菓子を作ってくれればそれでいい」
三人の力強く温かい言葉に、ミアの目からポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
もう、一人で理不尽に耐えなくていいのだ。
最高権力者たちからの極甘で過保護な寵愛を一身に受け、ミアは静かに頷いた。




