第11話 氷の王子の献身と、騎士団長の重労働
御前試合が決まった翌朝、王宮の厨房には凄まじい緊迫感が漂っていた。
昨日の暴走が嘘のように、ミアはまた隅っこで「ああ、どうしよう、私なんかが陛下と王妃様の期待に応えられるはずがないわ」とガタガタ震えている。
そこへ、軍靴の音を響かせてカイルがやってきた。
「おい、ミア。お前が昨夜まき散らした要望リストのせいで、騎士団の非番が数名潰れたぞ」
「ひぃっ、カイル殿下!ご、ごめんなさい、私ったらつい……!」
「謝る暇があったらこれを見ろ。兄上がさっき戻ってきた」
カイルが指さした先には、旅装のまま、砂埃にまみれたミハエルが立っていた。
その腕には、魔法の冷気で凍らせた厳重な銀の容器が抱えられている。
「……ミハエル殿下?その格好は一体」
「北部の高地にある、王室直轄の牧場まで行ってきた。あそこの牛は寒冷な気候で育つため、乳の脂肪分が極めて濃厚で、それでいて後味が雪のように清らかだ。お前の理想に最も近いはずだ」
第一王子が、たかだか生クリーム一瓶のために、一晩中馬を飛ばして国境近くまで往復してきたという事実に、厨房の料理人たちがひっくり返る。
ミハエルは疲れを見せず、氷のように冷たい無表情のまま、その容器をミアに手渡した。
「ミア、最高の素材は揃えた。あとはお前が好きにしろ。……私は少し、執務室で仮眠を取る。出来上がったら、一番に私の口に運ぶように」
「は、はいっ!ありがとうございます、殿下!」
極上の生クリームを前にした瞬間、ミアの震えが止まった。
瞳に宿るのは、臆病なメイドの光ではない。獲物を定める鷹のような、鋭い職人の眼光だ。
「カイル殿下。そこに突っ立っているなら手伝ってください」
「はあ?俺は騎士団長だぞ。訓練があるんだよ」
「この生クリームを、手作業で一定の速度を保ちつつ、八分立てまで泡立てる必要があります。魔道具のミキサーでは回転が速すぎて、脂肪球が壊れて質感がザラついてしまうんです。殿下のあの、岩をも砕く剛腕が必要です」
「……何だと?」
「早く!温度が上がったら台無しです!」
ミアの気迫に押され、カイルは毒づきながらも上着を脱ぎ捨て、袖をまくり上げた。
王国の至宝と呼ばれる騎士団長の腕が、巨大なボウルの中で猛烈な勢いで泡立て器を回転させる。
「おい、これでいいのか!?」
「甘いです!もっと手首のスナップを利かせて!空気を含ませつつ、キメを整えてください!ピエールさんの技術を越えるには、この繊細な気泡のコントロールが不可欠なんです!」
「くそっ、戦場よりきついじゃねえか……!」
最強の騎士が必死の形相で生クリームと格闘している横で、今度はシャルロッテが大量の侍女を引き連れて乱入してきた。
「ミア!わたくしも協力いたしますわ!宝物庫から、伝説の職人が作った『月光の白磁皿』を勝手に持ち出してきましたの!お菓子の盛り付けには、これ以上の器はありませんわ!」
「シャルロッテ様、ありがとうございます!でも今は、そのお皿を冷やしておいてください!温度管理がすべてなんです!」
「冷やす!?わかりましたわ、氷魔法を使える魔導師を今すぐ呼んでまいります!」
三兄妹が、それぞれの権力と体力を一人のメイドのために全投入していく。
そんな異常な光景の中、ミアは黄金色に輝くバターを練り、あんこの糖度を0.1パーセント単位で調整していた。
彼女にとって、目の前にいるのは王子でも王女でもない。
至高の「生どらやき」を完成させるための、最高に都合の良い助手たちであった。




