初恋は実らない
お手軽に地獄を味わいたい人向け。地獄レベル★★★☆☆ 誰も死んでないし。
「愛することはない」があるなら「愛せます」もあって良いじゃない?
婚約が解消された。
婚姻まで一年を切ったこの時期に。ほとんど破棄に近い形での解消である。
シュトランゼに伝えたのはフォルモント公爵。彼女の父である。
「殿下は何かおっしゃっていたか」
「何も。近頃は気欝な表情で黙り込むことが多くなっておりました。マリッジブルーかと思っていたのですが……」
「次の婚約者はベギールペ・ブライツ伯爵令嬢だそうだ」
「ブライツ家の? では、殿下は」
「王冠をかけた恋か。まったく麗しいことだな」
フォルモント公爵家の娘との結婚によって、イロニス王子の王太子が確定となるはずだった。
「わたくしは、どうなるのでしょう」
シュトランゼの声に震えはなかった。ただ、腹の前に置かれた手に力が籠った。
イロニスと婚約して以来、十年も王宮で教育されたシュトランゼの選択肢は少ない。毒杯か、修道院か。王家の秘、などという御大層なものは結婚後の予定だったが、それでも。
国家のための教育を、よそで活用されるわけにはいかないのだ。
「……陛下より、提案があった」
提案。シュトランゼは眼を鋭くした。
父は娘の顔を見ずに告げる。
「側妃だ」
「お受けします」
間髪を容れずに応じた娘に、父が続けた。焦ったのだろう、やや早口になった。
「側妃といっても白い結婚だ。陛下も王妃殿下も、お前を憐れんでくださっている。ほとぼりが冷めたら好いた男に下賜してくださるそうだ」
「好いた男」
シュトランゼが吐き捨てた。
「わたくし、その好いた男に捨てられたのですが」
◇◇◇
イロニス王子の初恋は、婚約者のシュトランゼだった。
妖精のように可憐で、天使のように愛らしい少女。成長すると女神のような気品を備えるようになった。
イロニスは幸福だった。シュトランゼは努力家で、妃になるのに何の問題もない。王家に生まれて恋愛結婚できる王子など滅多にいないだろう。
イロニスの幸福にヒビが入ったのは、シュトランゼの初恋が自分ではないと知った時だった。
「シュシュの初恋を踏みにじったのですから、絶対に幸せにしてくださいね」
感極まったのか目元を赤くして、イロニスを睨みつけたのは、ベギールペ・ブライツ伯爵令嬢だった。
イロニスは誰のことを言われたのかわからなかった。シュトランゼの愛称は「シェリー」である。それに彼女の口からベギールペの名前を聞いたことがなかった。
王子に対する不敬だとかよりも、何を言っているのかという思いが強かった。
意味が分からずにいるイロニスに苛立ったのか、ベギールペが「シュトランゼのことです!」と声を荒げた。
「ああ、シェリーのことだったのか。ブライツ伯爵令嬢は、シェリーと親しかったか?」
言外に「お前に言われる筋合いはない」と滲ませれば、ベギールペは怯んだ。左右を窺い、次にうつむく。
「……表向きは、付き合いは有りません。シュシュの家は公爵家で、家格が違いすぎますから……」
ぎゅっ、とドレスを握り締める。
「ですが、わたくしたちは親友でした。他に誰もいない、二人だけの花園で、わたくしたちは語り合ったのです」
うっとりと目を細めて微笑むベギールペは、その目元が赤いのも相まって、むしろ痛々しささえ感じられた。
「本当は……。本当は、ルール違反だと、わかっているんです。初恋を、婚約者に告げ口する、なんて……。ですがわたくし、殿下が何も知らずに笑っているのが、悔しくて……。シュシュが、どんな思いでっ、初恋を、あ、諦めたか……っ」
本人に秘密でイロニスに言うのは、友情を信頼を裏切る行為だ。それがわかっていてなお言わずにはいられなかった。シュトランゼに代わって一矢報いてやりたかったのだ。
「……その、初恋の相手は?」
「言えません、それだけは。殿下に出過ぎたことを申し上げました。お咎めは受けます。シュシュのことだけは、幸せにしてください」
イロニスは、ショックだった。
シュトランゼに、自分にも言わない親友がいたことも。自分が彼女の初恋ではなかったことも。
たしかに、シュトランゼに初恋だと告げた時、顔を赤くして「嬉しいです」と言ってくれた。しかし「わたくしもです」とは言わなかったのだ。
気になってはいたがイロニスは聞かなかった。シュトランゼを愛していたし、信じていたからである。
いつの間にか、ベギールペはいなくなっていた。
この時ベギールペを追いかけて問い質さなかったことを、そしてシュトランゼに直接話さなかったことを、イロニスは生涯後悔することになる。
思いつめたイロニスは父国王にシュトランゼとの婚約を解消したいと願い出た。
当然激怒され、理由を問われた。イロニスは他に愛する女性ができたと答えた。シュトランゼに非はない。自分の心変わりとすることで、シュトランゼを守ったつもりだった。
相手の名前にベギールペを出したのは、彼女なら協力してくれると思ったからだ。
フォルモント公爵とブライツ伯爵、国王と王妃、そして国の重鎮たちが招集され、婚約についての再協議がはじめられた。
怒られ、諭され、宥められ、王妃に泣かれても頑として婚約解消を譲らないイロニスに、国王たちが折れたのが半月後。これほどの早さになったのは、シュトランゼとの婚姻準備が着々と進んでいたからだ。王位継承権第一位の王子と公爵令嬢の結婚式である、莫大な費用が掛かっている。早く止めないと損害が甚大になってしまう。もっとも、止めるのにも金がかかるのだが。被害を最小限に抑えるためであった。
花嫁をベギールペに変更してそのまま、というわけにはいかなかった。教会にも来賓にも、シュトランゼ・フォルモントで出しているのだ。なによりベギールペのブライツ伯爵家では、フォルモント公爵家側の費用を賄えなかった。
「殿下」
怒りを押し殺し、フォルモント公爵が言った。
「娘には、ご自分で理由を説明してください」
公爵は納得できなかった。厳しい教育の合間、イロニスとの時間がどれほどシュトランゼの心を癒していたか。イロニスがこんなことを言った、イロニスとこんなことをした。男女の愛を知らなかった幼い娘が、恋をして少女になり、イロニスを愛し始めたのを公爵は眩しく見ていたのだ。他ならぬイロニスは知らなければならなかった。
二人の面談は、通達の翌日に設けられた。
今まではイロニスの私室で会っていた二人。今日は王宮の談話室だ。二人きりではなく、シュトランゼは侍女を、イロニスは従僕を連れている。部屋には騎士と女官が控えていた。
しばらく二人は黙ったまま、湯気を立てるティーカップを眺めていた。
イロニスは目をそっと挙げてシュトランゼを見た。
最悪な心境でも彼女はうつくしい。陽光をそのまま集めたような金の髪、深い湖のような澄んだ青い瞳。つい先日までイロニスを見つめて喜びに輝いていた色が、今日は、ない。それでも彼女はうつくしかった。
誰よりも幸せにしたかった。自分が、自分こそがシュトランゼを笑顔にさせてやりたかった。
手放した今になって、イロニスは強い後悔が胸を刺すのを感じ、振り払うように口を開いた。
「すまない、シェリー」
「ベギールペ・ブライツ伯爵令嬢と婚約されたと伺いました」
「そうだ。……彼女を愛してしまったんだ」
悪役になれ。イロニスは自分に言い聞かせる。シュトランゼの恋を踏みにじった自分にできる償いはそれくらいしかない。
「なぜ、彼女だったのですか?」
イロニスはそれを、秘密の親友だったのになぜ、と受け取った。
「君の話をしているうちに、惹かれていったんだ。君はたしかに初恋だったけれど……、ブラ、ベギールペといると、君にはないものが沸き上がるのを感じた」
嘘だよ。ブライツ伯爵令嬢といても嬉しくも楽しくもない。彼女といて感じるのは絶望だけだ。
「せめてもの償いとして、君には好きな相手と結婚できるように、陛下に頼んである」
シュトランゼが自分以外の男と結婚する。他の男のものになる。まともに顔を見ていられず、イロニスは目を伏せ、うなだれた。
「何もわかっておりませんのね」
シュトランゼの声が頭上から聞こえる。
「わたくし、国王陛下の側妃になりますのよ」
「!?」
はじかれたようにイロニスが顔を上げた。
「王家のための教育を十年も続けた娘を、婚約の解消程度で失うわけにはまいりません。毒杯か、修道院。お二人がわたくしを憐れに思い、情けをかけてくださいました」
「そんな、馬鹿な」
そのことをイロニスが知らなかったはずがない。だからこそ、シュトランゼに非はないと、自分が泥を被ったのだ。
「それに、好きな相手? その好きな相手に捨てられましたのよ。どなたに嫁げと?」
「……初恋の人がいるんだろう」
「セロ先生にはお子さんも、お孫さんもいらっしゃいますわ。奥様もご健在です」
「セロ先生?」
「算学の教師ですわ。たしかに初恋ですけれど、五つの頃の思い出を、今さらどうにかするつもりも、どうにかなる話でもございません」
「……」
イロニスは、愕然とした。ベギールペに騙された――いや、自分が先走りしすぎたことに、気が付いたのだ。
「セロ先生のこと、お忘れでしたのね」
シュトランゼがしかたがなさそうな吐息と共に言った。
「私に言ったことがあったか?」
「はい。一度だけ。殿下がすぐに不機嫌になられたため、禁句になりました」
イロニスは覚えていなかった。初恋同士だと思っていたのに否定され、怒ったのだろう。そして忘れてしまった。忘れたくて忘れたのだ。
幼女が身近な大人に憧れるなんてよくあることだ。セロは当時すでに結婚し、子も生まれていた。子どもの扱いに慣れた、虐待の危険がない家庭教師だとフォルモント公爵家に選ばれたのである。大人たちは何の心配もしていなかった。事実、イロニスと婚約し、シュトランゼに恋を伝えるイロニスに、すっかり心を移したのだから。幼少期の初恋なんてそんなものだ。だから、初恋は実らないなんて言葉がある。
「ベギールペ・ブライツ伯爵令嬢ですか」
「君の、親友だと言っていた」
「個人的に会ったことは、一度もございません。派閥が違うということもありますが、……彼女、わたくしを避けておりますもの」
シュトランゼは立ち上がった。答え合わせは終わりだ。
「さようなら、イロニス殿下。わたくしに弱いところ、不敬ながら可愛く思っておりました。お直しくださいね」
王族に対する深い礼。シュトランゼは微笑んでいるが、唇は震えていた。青い瞳は涙を湛え、今にも溢れそうになっている。
間違えたのはイロニスだ。すべて、間違っていた。
シュトランゼの去った部屋で、彼女の残り香を嗅ぎながら、イロニスは顔を覆って泣き崩れた。
◇◇◇
一年後、シュトランゼ・フォルモント公爵令嬢は国王の側妃となった。
結婚式はイロニスとのものを一部変更して執り行われた。通常側妃の輿入れはここまで豪華にされないが、事情が事情だ。王妃でさえ反対できなかった。
世論と諸外国は、シュトランゼに同情している。王子の我儘の結果、舅になるはずだった男に嫁ぐしかない悲劇の令嬢。結婚式で悲愴な表情を見せないのがいっそう憐れを誘った。
「愛せると思いますわ」
初夜の床で、シュトランゼは微笑みさえ浮かべて言った。
白い結婚のつもりだった国王と王妃は面食らう。
「フォルモント嬢、早まるな」
「シェリーとお呼びになって」
初夜とはいえシュトランゼは夜の支度をしていない。国王は誠意として清らかなままにしてやろうと思っていた。
「義父、義母とお呼びできないのが残念ですが、こうなった以上、わたくし恩を返す所存です」
「恩?」
「命の恩です。お二人はわたくしの命を守ってくださいました」
「恩だなんて、そんな……」
「だからこそ、白い結婚の側妃など、耐えられません」
ハッ、と息を呑んだのは、王妃だった。
愛を信じていた誇り高い少女。自分たちが止めなければ迷わず死を選んだはずだ。そうするように育てられた。
「これからわたくしは、イロニス殿下とブライツ伯爵令嬢が結ばれるのを、見続けねばなりません」
醜聞は切り替わる。イロニス王子の結婚を祝福するために、悲劇の令嬢は寵愛されない側妃にされるだろう。王子に捨てられ、夫に見向きもされない側妃に。
「せめて、子を産ませてください。愛せます、愛します。きっとよく似ていますわ。大丈夫です」
健気に訴えるシュトランゼに、何が言えるだろう。王妃は涙を堪え、部屋を出ていった。
このたった一夜で側妃シュトランゼは懐妊した。公爵家一門が厳重な警備を布く中、順調に月満ちて、生まれたのは男児だった。
◇◇◇
第一王子イロニスの現在は、地獄である。
幸せを祈って手放した最愛が父の妻になり、子を生んだ。
義母。
それだけでも辛いのに、彼女は父との間に子を儲けたのだ。
弟だ。次期王妃になるはずだった女が生んだ弟。王位継承権を持つ、正統な王子。
心変わりをしたと言ってシュトランゼとの婚約を解消したイロニスより、よほど期待できる。まず側妃の生家フォルモント公爵家一門がイロニスの派閥から抜けた。
あんなに仲睦まじかったのに、恋に目が眩んでシュトランゼの命を軽んじたと、貴族令嬢たちがイロニスに白い目を向けている。
そこまでして選んだベギールペは、何の役にも立たなかった。一通りのマナーと勉強はできても、王宮の悪意を泳ぎ切れるほどの器量を彼女は持ち合わせていなかった。
イロニスの鬱憤はベギールペに向かう。情けはなく、容赦もなく。そして自分が選んだ令嬢に八つ当たりする姿に、側近や国の重鎮たちまで距離を置き始めた。
これだけではない。
実母である王妃のヒステリーがイロニスに直撃しているのも地獄を加速させていた。
原因は側妃――そして国王だ。
同情、憐憫、罪悪感からはじまった二人の関係が、王子誕生とイロニスの支持率低下により、深まっていったのだ。
まあヒスを起こす女より、優越感に浸れる女のほうが良いのは、イロニスにもわかる。わかるのだが、父が側妃の部屋に行くたびに、母のヒステリーがこっちに来るのだ。
いいかげんにしてくれ。言いたいが、言えない。この現状のすべては自分が起こしたことなのだ。
「あら、イロニス殿下」
そして、シュトランゼは。
王宮の廊下で、シュトランゼと鉢合わせる時が、イロニスはもっとも辛かった。
乳母に子を抱かせ、側近の婦人や令嬢を引き連れて、産後のゆったりしたドレスに身を包んだシュトランゼは、満ち足りた笑みを浮かべている。
「側妃様……。ご機嫌麗しく」
国王の側妃となったシュトランゼは、イロニスより立場が上だ。
「ええ。ありがとう」
シュトランゼは乳母から王子を受け取ると、イロニスに見せつけてきた。
「アウトリテ、お兄様ですよ」
「だいぶお顔がしっかりしてきましたね」
「そうなの。ふふ、お父様似ね」
イロニスはお兄様。お父様は別の人。しっかり釘を刺してくる。
赤子を挟んで向かい合っていると、自分とシュトランゼとの子どものような気がしてくるのに。そんな幻想さえ許してくれない。
「この子のためにも、殿下もお早く結婚なさってくださらないと。陛下の治世が乱れること、わたくし望んでおりませんわ」
笑って忠告して、彼女は去っていった。これからアウトリテは日光浴だ。
執務室に戻り、窓から外を見ると、華やかな一団に国王が合流していた。
側妃を迎えてから陛下は若々しくなられた。そんな噂の通り、シュトランゼと並んでも遜色ない。父娘というより夫婦でしっくりきた。若い妻を可愛がる青年の夫だ。先王が病で急逝したため二十代で王位を継いだ国王はまだ三十七歳。壮年で働き盛りの若い王である。
王妃がヒスを起こすのは、若い女に夫の寵愛を奪われたからだけではない。十四で嫁いだ王妃はなかなか妊娠せず、二十歳でやっとイロニスを生んだ。側妃を、という話が盛んに出たらしい。
同じく十四で側妃になったシュトランゼが初夜の一回で子を生んだ。しかも王妃はそれ以降妊娠せず、子はイロニスのみ。シュトランゼはまだ若く、期待できた。
コンプレックスを刺激する存在。義娘になるはずが、ライバルになった若い娘。しかもそうしたのは自分の息子だ。
窓の下から歓声が響いた。
何を言っているかは聞こえない――が、シュトランゼが腹に手を置き、弟を抱っこした父が彼女を片手で抱きしめたのが見えた。乳母が慌てて弟を父から受け取った。幸福そのものの光景。
――どうしてあそこにいるのが自分ではないのだろう。
――どうして彼女の生んだ子が、自分の子ではないのだろう。
もう何度目かわからない後悔。イロニスは地獄の中を生きている。息をするのさえ痛かった。
「……くっ」
シュトランゼの幸福を祈って身を引いた。彼女が幸せならそれで良いと。
今、イロニスはシュトランゼの不幸を願っている。幸せになどなるな。私を失って、側妃となって、誰よりもみじめであるべきではないか。
復讐でも良い。許さなくても良いから。
――私にもっとも強い感情を抱いていてくれ。
「く、う、うぅっ、うぁあぁっ……っ」
身勝手な幸福を押し付けられることが、こんなにも辛いと思っていなかったのだ。シュトランゼに謝っても、もういいのです、と言われるだろう。今が幸せだから、と。そしてイロニスに結婚を勧めてくる。ベギールペと幸せにと笑って言うのだ。
「シェリー……、シェリー……っ!」
泣き崩れるイロニスにため息を吐き、側近たちが執務室を出ていった。
◇◇◇
どうしてこうなったのだろう。
ベギールペ・ブライツ伯爵令嬢は地獄の中にいる。
ほんのちょっと、苦手な女の幸福な結婚に水をひっかけただけのつもりだった。
イロニス王子が婚約者のシュトランゼ・フォルモント公爵令嬢を溺愛しているのは有名な話だった。初恋であることも。
対してシュトランゼの初恋がイロニスではなかったことは、令嬢たちの間では公然の秘密だった。問われても答えず、曖昧に濁す――イロニスへの忖度だ。
ほんのちょっと。まるでシュトランゼの初恋が、つい最近で、両想いだったと匂わせただけ。まるっきりの嘘ではなく、真実を知っていれば笑い飛ばせる程度の嘘だった。
まさかベギールペの発言がきっかけで二人が破局になるとも、シュトランゼの後釜にベギールペが選ばれるとも思っていなかった。
「あ……」
王宮で教育を受けているベギールペは、時折シュトランゼとすれ違う。
いや、すれ違っているといえるのか――側妃と出会えばベギールペは足を止めてシュトランゼに礼を取らねばならず、シュトランゼの視界にベギールペが入り込まないように彼女の側近たちが遮ってくる。声かけされなければベギールペは頭を上げることも、挨拶することもできないのだ。
王宮で、権勢のある側妃の目に留まらない。貴族令嬢として致命的だ。それでもイロニスの妃になるのなら、イロニスを王太子にしたいなら、それくらいは難なく解決しなければならなかった。
無理だった。ベギールペにそんな才覚はなく、ブライツ伯爵家は平凡な貴族にすぎない。とても側妃と、側妃の実家を向こうに回して勝てる見込みはない。
イロニスを頼ろうにも、彼は自分を騙したベギールペを憎んでいる。助けてくれるとは思えなかった。
本来ならあるはずの休憩時間を自習とし、教育を夜まで引き延ばしているのは、イロニスと会いたくないからだった。シュトランゼの時は、イロニスとの憩いのひと時だったらしいが、ベギールペはその時間が恐ろしい。
昼の十五時。イロニスはベギールペを迎えに来る。
「ベギールペ、お茶の時間にしよう」
にこやかな笑顔が、ベギールペには恐ろしくてたまらなかった。
「いえ……わたくし、自習を……」
「あまり根を詰めてはいけません。自習をしてもあまり身に付かないようですし、気分転換も必要ですぞ」
歴史学の教師はベギールペを売った。
「そうだよ、ベギールペ」
シュトランゼの時と同じガゼボに誘導される。すぐにお茶とお菓子が運ばれてきた。
花咲く庭で自分に微笑む王子様。絵物語の一幕のようだ。イロニスはまるでベギールペを愛しているようにも見える。
だが、地獄だ。
「さあ。ベギールペ」
二人の茶会で、イロニスは『自分の知らないシュトランゼ』の話を強要する。初恋の相手、初恋の出会い、初恋のきっかけ。シュトランゼが何を言ったか、シュトランゼはどんな表情だったのか。
ありもしない話。つまりは嘘だ。
どんなにシュトランゼが愛していたのはイロニスだと、ベギールペが謝っても、イロニスは否定する。
イロニスはベギールペを責めないし、当たり散らすこともない。ただ否定する。ベギールペに嘘を強要する。
「そんなはずはない! シェリーは一途で誠実な女性だ! 愛する人が目の前にいて、私のことなど考えるはずがない。……そうだろう?」
きっと、イロニスは静かに錯乱している。
「……そうですわね。申し訳ありません」
「うん。君はシェリーの親友だものな、わかってくれると思ったよ」
ベギールペはイロニスと結婚する。ブライツ伯爵家の主家は、フォルモント公爵家を恐れてベギールペを見放した。たった一回吐いた嘘で、ベギールペは幸福な結婚を失ったのだ。
――どうしてあんなことをしてしまったのだろう。
ベギールペとシュトランゼに接点などなかった。ただ遠くから、幸福そうなシュトランゼを眺めていただけだ。
明確な憎悪も、悪意すらなかった。羨ましいと思い、妬んだことはあったかもしれない。何もかも恵まれた令嬢に対する嫉妬は、あったかもしれない。
魔が差した。
言葉にすれば、これだろう。たまたまそこにいたイロニスに、毒を一滴、垂らしただけ。そこまでの猛毒とも知らずに二人の愛を殺した。
「イロニス様にそれほど愛されているシュ……シュシュは、本当に幸せね」
そうしてベギールペは地獄の中、嘘を吐きながら微笑むのだ。笑うしか、なかった。
イロニスとシュトランゼは十四歳。ベギールペは十六歳。国王夫妻は三十七歳。
イロニスはベギールペとの初夜で「愛してるよ、シェリー」と言う。執務は真面目にやるけど最大派閥の公爵家が抜けたので支持率低下の一途。王太子にはなれても王になれないパターン。
シュトランゼは婚約解消でやけくそ→どうにでもなーれ、な気分で復讐。でも夫に愛されて子ども生まれて、幸せなので本当にどうでもよくなった。アウトリテが王になってもならなくても、幸せになってくれればそれで良し!王妃がヒスってるのは知ってるけど、こっちに攻撃しないだけすごい人だと尊敬している。
王妃は孫だと思えばアウトリテ可愛い。でも我が子のライバル…この子のせいで夫の愛が、と思うと複雑でしょうがない。イロニスに当たってるだけまだまし。
国王は義娘になるはずが嫁になっちゃってどーしよ…→不幸にするよりはと寵愛。子ども生まれてからは王妃<側妃。




