記録01 終わった世界②
暗闇の中、風の音に耳を傾けていると、周囲がほんのりと明るくなってきた。
ルルが目を覚ます。
「おはよう、ハゲ」
ルル!
おはよう!
ぼくの腕の中からモソリと顔をあげながら、素敵な第一声をあげる。
ちなみに、ぼくらは声で会話をしているわけじゃない。
ルルの幻覚を応用した、テレパシーみたいな感覚でやりとりをする。
だから、心を込めて話しかれば、それだけ強く相手に伝わるんだ。
今日もかわいいね!!
かわいさパラメーターカンストしてるぅ!!!
「あーあー朝からウルサイ」
本日も彼女は上機嫌だ。
昨夜の出来事を簡単に伝える。
周囲に危険なし。
カ3、カ8の群あり。
やや風下に移動。
「カ3!狩ろう!」
パッと彼女は起き上がり、ぼくの左腕を引っ張る。
ルル、気持ちは分かるけどブリーフィングが先だ。
今日の行動をちゃんと決めてから。いいね?
「……はいはい、りょーかい。ハゲ先生」
ぼくらは少し高い岩場に移動して、周囲を見渡す。
見えるのは近場の岩の輪郭くらいだけど…風の流れと、音と、匂い。
ある程度は遠くの状況も、それでだいたい分かる。
やっぱりこの辺りは安全なエリアだ。
狩りを終えたら、またここに戻ってこよう。
同じ寝床が使えるのは地味にありがたい。
ルル、水の方はどう?
「皮、もうダメかも。昨日、ちょっと漏れてた」
やっぱりか。
ぼくらは水を運ぶために、獣の皮を袋状に加工して使っている。
でも手に入る素材はだいたい硬くて脆い。
ぼくの加工技術も素人技だから、長くはもたない。
新しいのを作る必要がある。
素材の候補は2種。
カ8か、カ10。
近場に群れがあるカ8は、狩りやすいけど硬くて加工が難しい。
カ10は群れずに単体で行動する中型種。見つけにくいけど、柔らかくて加工しやすい。味も悪くないとぼくは思ってる。
どうする?
「カ3優先。食べるやつないと死ぬ」
……正しい。
じゃあ今日は、カ3狩り→余裕があればカ8探し、でいこう。
「りょーかい」
移動を始める。
ルルがぼくに飛び乗る。
彼女は器用に背中の上でバランスをとりながら、幻術を応用してぼくの視界をサポートする。
行きたいと思った先の構造が、部分的によく視えるようになる。
ぼくは全身をフルに使い、パルクールみたいな要領で段差だらけの岩場を疾走する。
掴み、脚をかけ、体を捻り、跳び、着地しても速度を殺さない。
今日みたいに周辺の安全が確認できた時、もしくは脅威から全力で逃げる時だけ、これをやる。
今なら分かるけど、この身体は人間のそれとはまるで違う。
手足の形も、関節の位置や数も、全然違う。
この世界で生まれ直したぼくは、初めから自然とこの身体を使いこなしていた。
成長して体が大きくなって、ルルを背負って移動するようになると、初めは転倒しちゃうこともあった。
でも、そのうち自然と出来るようになっていた。
…愛の力だ。
「移動にしゅーちゅーしてくれないかなぁ?」
ー
前世の記憶が戻ったのは、それからずいぶん後のことだ。
当時、ぼくはすっかりこの世界の住人で、野生味あふれるこの暮らしを当たり前だと思っていた。
この世界に生を受けてから、どれくらい経っていたのかは分からない。
体感では、数年。
唐突だった。
何の前触れもなく、頭の中に“別の人生”が流れ込んできた。
日本。
人間。
言葉。
食事。
匂い。
温度。
……全部。
正直、かなり混乱した。
混乱というより、“ズレた”感じが近いかもしれない。
今の自分と、前の自分、どっちが本物なのか分からなくなる。
そんな“思考”すらが、とんでもない異物に感じたんだ。
そのとき、ルルはひどく慌てていた。
もちろんこの時のルルにはまだ言葉がない。
ただひたすらに、わたわたしながら何度もぼくの身体に触れたり、頭をベチンベチン引っ叩いてきた。
ぼくはそれを、なんとなく理解していた。
“戻ってきてほしい”んだろうなって。
食べ物は、しばらく受け付けなかった。
あれはきつかったな。
見た目も匂いも、前世の記憶と一致しない。
でも食べないと死ぬ。
だから無理やり食べた。
吐きながら。
…その時期にちょうど食べていたのが、カ3なんだよね。
だからぼくは実は、今でもそんなに好きじゃないんだ(泣)
それでも、数日で落ち着いた。
この世界は変わらないし、ぼくも以前のぼくに戻ることはない。
だったら、今の方を“正”にするしかない。
そうやって、折り合いをつけた。
そのあと、ぼくはルルに話しかけるようになった。
ずっと一方的に。
この体は喉の仕組みが違う、喋ろうとしても唸るような音が出るだけなんだ。
だから、彼女が狩りの時に合図をくれる要領で、言葉ではなく心の中で話し続けた。
返事はもちろんない。
でも、ちゃんと届いてはいた。
分かるんだ。
ぼくの言葉に反応して、動きが変わる。
タイミングが合う時がある。
だから、続けた。
あるとき、ルルがそれを“言葉”として理解した。
きっかけは覚えていない。
ただ、ある日突然、“通じた”感覚があった。
そこからは早かった。
ルルは言葉を覚えるのが異常に速い。
特に、生きるのに必要なものはどんどん覚えた。
「これ、カショクシュの4バン」
ルルが嬉しそうに言う。
目の前には、倒したばかりの小型種。
柔らかくて、匂いも比較的マシなやつ。
うん、カ4だね。
今日のご馳走だ。
「やった」
モンスターの名前はぼくらで決めた。
正式な名称なんてどうせないんだし。
だから、略称+番号。
カは食べれるやつ。可食種。
ムは無害。何もしてこない、食べても美味しくはない。
キはヤバいやつ。危険種。こっちが食べられちゃう。
あとは番号。
好きな順番、見つけた順番、危険度。
単純でいい。
短く、素早く、伝え合う必要がある。
キ1いたらどうする?
「にげる」
正解。
そんなやり取りをしながら、ぼくらは生き延びてきた。
ー
カ3の群れは、思ったより数が多かった。
岩陰に潜んで、ルルの合図を待つ。
「……今」
一瞬、空気が歪む。
獲物の動きがズレる。
ぼくは飛び出す。
右手に握った道具を叩きつける。
頭部らしき部位を狙って。
ひたすら叩く。
砕く。
動かなくなるまで繰り返す。
何体か仕留めたあと、
ぼくらはその場で解体に入る。
ほのかに甘い、独特な血の匂いが広がる。
風向きを確認する。
まだ大丈夫。
食べる分と、備蓄用に分ける。
皮も剥ぐ。
水筒に使えそうな部分を選別する。
ルルが細かく指示を出す。
「そこ、切りすぎ」
「それ、あとで使う」
ほい、了解。
しばらく作業していると、遠くで音がした。
人間だ。
ぼくらは動きを止める。
ルルがぼくの背中に戻る。
気配を薄くする。
相手は一人。
動きが荒い。
呼吸も乱れている。
……何かあったな。
近づいてきたその人間は、明らかに様子がおかしかった。
視線が定まっていない。
何かを探している。
いや、違う。
“失った”顔だ。
ルルが小さく言う。
「相方、いない」
……そうか。
この世界では、ぼくらのように“2人”で動く個体がいる。
片方が欠けると生存率は一気に下がる。
特に、視界を補助してくれる女性を失った場合、男性にとってこの世界は完全な闇となる。
今の彼は、嗅覚と聴覚を頼りに、ぼくらの元に近づきつつある。
どうする?
ぼくはルルに意見を求める。
こういう時は彼女の方が正しく判断できるから。
ほんの少し考えてから、彼女は答える。
「やろう」
了解。
ルルの幻覚が走る。
相手の視界を何かで誘導する。
ビクッとして足を止め、あらぬ方向を見ている。
ぼくは一気に距離を詰め、彼の頭部に道具を叩き込む。
一撃、二撃。
硬い、砕ききれない!
先に愛用の道具が砕けてしまった。
相手がフラリとよろめく隙に、足元の石を拾い上げて追撃する。
結局、彼はほとんど抵抗しなかった。
少しの間、その場に立ち尽くす。
風の音だけが戻ってくる。
ルルが言う。
「…こわかった?」
そうだね、恐ろしいよ。
こうはなりたくないな。
「うん」
ルルの顔を見る。
いつ見ても綺麗な横顔だ。
うっすらとしか見えないけど、ぼくには分かる。
生きよう。
「生きる」
その日は、それで終わりにした。
急いで解体したものをまとめて、昨日と同じ寝床の岩陰に移動する。
簡単に体の汚れを落として、もそもそと食事を済ませる。
備蓄の仕込みも、水筒作りも明日に持ち越しだ。
水場と、あと狩りの道具も新調しないと。
なかなか予定通りにいかない。
ー
ルルが眠る。
夜が来る。
彼女を抱き寄せる。
この世界は終わっている。
でも、ぼくとルルはまだ終わっていない。
ぼくには前世の記憶がある。
ほとんど役には立たない。
それでも、知恵はぼくらの生活を少し豊かにする。
危険を減らして、生存率を上げてくれる。
予定通りにいかなくて焦るのも、予定通りに出来た場合の効果をちゃんと理解しているからこそだ。
ぼくらは、ああはならない。
ぼくがルルを守る。
絶対に、命に替えても。
「全部聞こえてるんだけど」
……聞かせてるんだ!
あえてな!!
惚れていいんだよ!?
「はぁ〜あ、変な個体の相方になっちゃったなあ」
へへっ、寝てくださいって、ルルさん。
「キモ」
「おやすみハゲ」
そして、こうやってルルとの素敵な会話を与えてくれる。
この生活をいつまでも続けたい。
ぼくが望むのはそれだけなんだ。
…
…
ここで、
終わりっていう事にはできないかな。
この先も、同じような日々が続く。
……そうだ。
今なら、まだこのまま……
…
…
記憶の時間を進めます。




