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第六話_毒を喰らう白蛇

凛と別れた清十郎は、独り京の夕闇に溶け込んでいた。

雅やかな表通りの喧騒から一歩路地へ踏み外せば、そこには死臭にも似た澱んだ空気が流れている。

清十郎は愛刀の感触を確かめながら、どこか退屈そうに街を歩いていた。


「…さて、凛さんなら今頃、あの派手な寺で存分に踊っている頃でしょうか。」


独りごちた彼の足を止めたのは、路地裏から響く下卑た怒鳴り声と、押し殺したような啜り泣きだった。

視線の先には、数人の屈強な僧兵。

そして、毒々しい法衣を纏った僧侶が一人。

彼らに囲まれているのは、身なりの貧しい初老の男と、その傍らで震える十二歳ばかりの少女であった。

少女は幼さを残しながらも、その瞳には大人びた絶望を宿している。


「――お主らのような下民の命、慈眼の御仏に捧げられるだけでも名誉と思え。」


僧侶の放言に、男は地面に額を擦り付けて懇願していた。


「…お、お許しを。金は必ず返します。ですから、娘だけは…さちだけは連れて行かないでくだされ…!」


街ゆく人々は関わりを恐れ、目を逸らしてこの惨状を避けて通り過ぎていく。


「僧侶…。これは情報の価値がありそうですね。」


清十郎の口角が僅かに上がった。

彼は気配を瞬時に消し、どこにでもいる「お人好しの若旦那」の顔を作る。


「おや? 奇遇ですね、こんなところでお会いできるなんて。」


清十郎は、槍に手をかけた僧兵の前にひょいと現れた。

満面の笑み。

一点の曇りもないその表情に、僧兵は毒気を抜かれたように動きを止める。


「…なんだおぬしは?」


「ああ、申し訳ありません。あまりに懐かしい顔を見かけたもので。」


清十郎は僧兵を軽くかわすと、地面に伏す男――六助の元へ駆け寄る。


「父さん! 探しましたよ! まさかこんな京の片隅で借金に苦しんでいるなんて…。幸も、見ないうちにこんなに大きくなって。」


「…え? 父、さん?」


六助が呆然と顔を上げる。

幸もまた、涙に濡れた瞳で見知らぬ青年を見上げた。

清十郎は素早く六助の肩を抱き寄せ、言葉を遮るように囁いた。


「いいんですよ、何も言わなくても。さあ、このお坊様たちと何のお話をされていたんですか? 家族として、僕も力になりたいんです。」


そんな姿に、僧侶は鼻を鳴らして吐き捨てた。


「ふん、ちょうどいい。ならば貴様が払え。この六助、薬代だ何だと抜かして我が寺から多額の金を借りながら、一文も返さぬ不届き者だ。そのケジメとして、娘を女街へ売り払うことに決まっておる。」


「…なるほど。病の薬代、ですか。」


清十郎は静かに頷くと、懐から重みのある財布を取り出し、無造作に僧侶へ差し出した。


「これは僕の蓄えです。どうかこれで収めてはいただけませんか? 家族が離れ離れになるのは、忍びないですから。」


僧侶は財布を奪い取ると中身をあらため、嘲笑を浮かべる。


「…ふん、端金だな。せいぜい今月の利子分にしかならんわ。来月までに残りの元金を耳を揃えて用意しておけ。さもなくば、わかっておろうな?」


僧侶たちは六助を一度蹴り飛ばすと、勝ち誇ったように去っていった。


◇◇◇


六助に連れられた家は、湿った土の匂いが染み付いた、小さな料理屋の奥座敷だった。

そこには、骨と皮ばかりに痩せ細り、荒い息を繰り返す六助の妻が横たわっていた。


「…お母ちゃん、今、お薬を。」


幸が震える手で枕元の椀を手に取る。

そこには赤黒く濁った液体が残されていた。

清十郎はその椀を手に取り、微かに鼻を近づける。

一瞬、その瞳が氷のように冷たく細まった。


「…これを、買ったのですか?」


「ええ…。非常に高価な薬ですが、これを飲めば必ず治ると、医師の方が。」


清十郎は無言で椀を置く。


「これは薬ではなく『毒』です。病を治すどころか、苦しみを持続させ、金を絞り出すためだけに作られた粗悪な紛い物ですよ。」


「な…っ!?なんで薬師でもないあんたに分かるんだ?」


「商売柄、こういった物に触れる機会も少なくないですから。現に、これを飲んでお母さんは少しでも良くなりましたか?」


二人が絶句する中、清十郎は女性の傍らに膝をついた。

彼女は先ほどの言葉を聞いていたのか、何かを必死に訴えるような眼差しを清十郎に向ける。

喉からはヒューヒューと苦悶の音が漏れている。

清十郎は、その唇にそっと耳を近づけた。


「こ…して…さい。」


掠れた、風の音のような懇願。

清十郎は、迷いなく腰の脇差を抜いた。


「清十郎さん…何を?」


六助の言葉が終わるより早く、清十郎は女性をそっと抱き起こした。

そして、その頸椎の隙間に脇差の切っ先を正確に差し込む。

抵抗も、声もなかった。

鋭い刃が中枢を断った瞬間、苦しげな喘ぎは止まり、女性の身体から力が抜けた。


「あ、あああああ…っ!何を、何をした!!」


「お母ちゃん! お母ちゃん!!」


六助は叫び、幸は母親の亡骸に縋り付いて慟哭する。

清十郎は脇差の血を静かに拭い、鞘に納めた。


「…痛みはなかったと思いますよ。」


静かに告げる清十郎に、掴み掛かろうとした六助だったが、それを幸が制止する。


「父ちゃん…見てよ、母ちゃんの顔。」


母親の穏やかな死に顔。

震える手でその冷たい頬をなぞる幸。

六助の慟哭が、静かな嗚咽へと変わった。


「あんなに苦しそうだったのに、今は…笑っているみたい…。」


◇◇◇


一刻ほど置き、落ち着きを取り戻した二人に清十郎が話しかけた。


「命を絶ってほしいなんて、お二人には頼めなかったんでしょうね。」


淡々とした、それでいて逃げ場のないほど説得力のある言葉。

二人がゆっくりと振り返ると、そこには立ち上がる清十郎の姿があった。


「あんたは、一体…?」


「通りすがりの、あなたの息子、ですよ。」


初めて会った時と変わらない、何の曇りもない笑顔で清十郎は答えた。

問いを重ねようとする六助を遮り、彼は続ける。


「さて…六助さん。母さんの命を弄び、幸さんの未来まで奪おうとした連中が、まだ平然と笑っています。これでは目覚めが悪いですよね。」


少し芝居がかった台詞と共に、着物の裾を整える。


「あの僧侶たちの居場所は分かりますか?」


首を横に振る二人を確認し、清十郎は改めて問いかける。


「では、薬師の居場所は?」


「私、知ってます!案内させてください!」


幸が弾かれたように声を上げた。


「父ちゃんは母ちゃんをお願い。清十郎さんが薬師を懲らしめてくれるんなら、私、どうしても案内したい…!」


「幸…おめぇ…。」


「では幸さん、案内をお願いできますか?」


清十郎の微笑みは、夜の闇に浮かぶ刃のように、静かで鋭かった。

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