第四話_毒の出所
朱色の袈裟を羽織り、凛は悠然と寺の奥へと歩を進める。
すれ違う僧兵たちが深々と頭を垂れるのを見ながら、彼女はこの「色の魔力」を存分に利用していた。
だが、寺の全容――特に薬の製造場所については、まだ手がかりを掴めていない。
廊下の角を曲がったところで、一人の恰幅の良い男がこちらに向かってくるのが見えた。
彼もまた、凛と同じ朱色の袈裟を纏っている。
凛は瞬時に表情を作り、軽く会釈をして通り過ぎようとした。
「おや…? 見かけぬ顔だが、貴殿はどちらの配下かな。」
案の定、男が足を止めて声をかけてきた。
その下卑た視線は、凛の顔立ちと、はだけた首筋に釘付けになっている。
「失礼いたしました。私、新しくこちらへ加わったばかりで。」
凛がわざとらしく頬を染めて俯くと、男は鼻の下を伸ばし、一気に距離を詰めてきた。
「ふむ、これほどの器量よしが幹部に加わるとは聞いておらんかったぞ。喜眼法師様も隅に置けんな。…して、こんな奥で何をしておるのだ?」
「お恥ずかしい話なのですが…。法師様から『例の場所』へ行くよう言われたものの、私、この広大な寺の中で少し迷ってしまったようなのです。あまり大っぴらには聞けず、困り果てておりましたの。」
凛は男の腕にそっと指先を滑らせ、縋るような瞳で見上げた。
男はすっかり上機嫌になり、自慢げに胸を張る。
「くくっ、無理もない。あそこは一般の信者はおろか、下級の僧侶にも伏せられた聖域だからな。いいか、あそこの巨大な本尊の背後に回れ。台座の右側に、三つの蓮華の彫刻がある。その真ん中を押し込めば、地下の工房への扉が開く。…案内してやってもよいのだぞ?」
「まぁ、そんな仕掛けが。…ふふ、あとの楽しみにとっておきますわ。あなた様もお忙しいのでしょう?」
「忙しいとも! 今夜は『大悦楽祭』だからな。京の要人共を接待する準備で、本堂の方はてんやわんやだ。お前も工房の様子を見てきたら、早めに着替えて本堂へ来い。お前のような美女がいれば、要人共もより一層、喜楽香の虜になるだろうよ。」
「…大悦楽祭。それは楽しみですね。色々と教えてくださって、ありがとうございました。」
凛は男の耳元で吐息を漏らすように囁くと、柳のように身をかわして歩き出した。
背後で男が鼻の下を伸ばし、名残惜しそうに見送っている気配を感じながら、彼女の瞳には氷のような殺意が宿っていた。
◇◇◇
教えられた通り、本尊の巨大な仏像の背後へと回る。凛は台座にある蓮華の彫刻を探し出し、その真ん中を力強く押し込んだ。
重々しい石の軋む音と共に、床の一部がスライドし、下へと続く仄暗い階段が姿を現した。
「…見つけた。ここが毒の出どころね。」
階段を下りるにつれ、湿り気を帯びた空気が、ねっとりとした甘い香りに塗り替えられていく。
そこは、地上の静謐な寺院とは真逆の、頽廃と狂気が渦巻く巨大な「地下工房」だった。
薄暗い石造りの空間には、いくつもの大釜が並び、不気味な紫色の煙を吐き出している。白装束を纏った職人たちが、感情を失った人形のような手つきで、調合を繰り返していた。
「…これが『喜楽香』の正体ね。胸が焼けるような嫌な匂い。」
凛は扇子で鼻先を覆いながら、悠然と工房の中央へと進む。
監督役の僧侶が、朱色の袈裟を目にするなり、慌てて駆け寄ってきた。
「これは幹部様。本日はどのようなご用向きで?」
凛は冷ややかな視線で男を射貫き、傲慢な女幹部を演じて見せる。
「不手際がないか確かめに来たのよ。それと、万が一『中和剤』が必要になった際のために、予備を補充しておきなさいという指示よ。」
「はっ! 左様でございますか。ただいまこちらに…。」
疑うことを知らない僧侶は、厳重に施錠された棚から、透き通った青い液体が満たされた小瓶を取り出した。
「これこそが喜楽香の毒性を即座に打ち消す『清浄水』にございます。これを一滴喉に通せば、いかなる悦楽の檻からも正気に戻れましょう。幹部様方も、不測の事態には重宝されるものです。」
凛はその小瓶をひったくるように受け取ると、懐に滑り込ませた。
これで、自身が毒気に当てられる心配はなくなる。
「それで? 今夜の段取りは。滞りはないでしょうね?」
凛が試すように問い詰めると、僧侶は卑屈な笑みを浮かべ、壁に掲げられた木札を指差した。
「もちろんでございます! 今夜の『大悦楽祭』に向け、定刻通りに最高純度の香を用意しております。喜眼法師様のもとへ集まる公家や豪商共を、文字通り我らの犬に変えてご覧にいれますよ。」
木札には、招待された権力者たちの名が連なり、狂気じみた祝祭の予定が刻まれていた。
「…喜眼法師に、欲にまみれた京の要人たち。一掃するにはこれ以上ない舞台ね。」
凛の唇が、残酷に弧を描く。
もはやこの汚らわしい工房に用はない。
「ご苦労さま。せいぜいお迎えが来るまでしっかり働きなさい。」
凛は平伏する僧侶を置き去りにし、翻る朱色の袈裟と共に、闇の階段を駆け上がった。
本堂で待ち構える「標的」たちを、地獄の悦楽へと導くために。




