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 第八章 教頭の蘭野の野望

 翌日だった。大名行列が教室の外を通りすぎた。沼泥はどんよりした顔で歩いていた。足取りは重かった。一方で苗塚はツヤツヤの肌だった。いつもカサカサの頬だったのにだ。苗塚は女としての輝きを放っていた。あきらかに沼泥を食った翌日の貌だった。沼泥は苗塚に食われて結婚を迫られているとおれは見た。

 恋愛は自由だ。性行為をしたからと言って結婚しなければならない義務はない。しかしだった。苗塚が沼泥の精液などの証拠をにぎっていれば話は別だ。苗塚は沼泥を強姦者として警察に告発することができる。沼泥は教頭のイスを狙っている。苗塚が強姦を言い立てたとて裁判で勝つかは不明だ。だが教育委員会は強姦容疑で逮捕された教師を教頭にはしない。いくらわが県の教育委員会がおかしいと言ってもだ。そんな真似をすればこの時代だ。日本中から集中砲火をあびるにきまっている。だから沼泥は暗い顔をしているのだろう。沼泥が教頭になろうとすれば苗塚と結婚する以外にない。苗塚をそでにすれば教頭のイスをあきらめる羽目になるはずだ。

 苗塚はおれと目があうと不自然と言っていいほど極端に顔をそむけた。お互いに知らん顔をしましょうということらしい。おれも苗塚から顔をそらせた。

 その三日後だ。

 おれは苗塚に呼びとめられた。苗塚は怖いくらいにまじめな顔だった。おれはどんなしかられることをしたんだろうと不安になった。

 苗塚がおれを階段のすみに連れこんだ。

「幸運の神さまには前髪しかない。つまり通りすぎてからあのときああすればよかったと悔いてもつかまえるうしろ髪がない。そうよね? 通りすぎた幸運をあとからつかみもどそうとしても不可能だ。そういう意味でしょ? あたしこのチャンスをのがさないわ。伊沢くんあの薬をどこで手にいれたの? もっとあったらゆずって。あたしどうしても妊娠して沼泥くんの子どもを産むの。そうすれば結婚するしかなくなるわ。これが最初で最後のチャンスなの」

 おれはうなずいた。アメリカ大統領のお墨つきというのはたしかだったらしい。

「あとでスズネを行かせる。あれはスズネが手にいれたんだ。スズネに聞いてくれ」

「わかったわ。あなたもがんばってね伊沢くん。あたしたち以上に障害は大きいわよ」

 苗塚がおれの手をにぎると去った。

 おれは苦い顔になった。たしかに苗塚の指摘どおりだろう。苗塚と沼泥は教師同士だ。沼泥が教頭昇格の野心を持つかぎり苗塚を捨てることはない。教頭になりたいがために言い寄る女子高生を食わない男だ。女より野心が上のはずだった。『男が萎える女』でも野心のためなら妻にするにちがいない。沼泥が先生を襲った動機も先生が欲しいからではなかった。先生の数学の才能を自分の出世に利用しようとたくらんだせいだ。苗塚はきっと沼泥の妻におさまるだろう。沼泥が野心を捨てればドロドロの訴訟沙汰になるかもしれない。だがその可能性はきわめてすくない。

 一方おれと先生の場合は発覚すればどちらも学校を追われる。おれが卒業するまでの二年近くをかくし通さなければならない。卒業までにバレればおれも先生も進路が大きく変わるだろう。でも二年もいまの関係がつづくとは思えない。おれは先生に不審を抱いている。どうして先生の部屋にいれてもらえないかがわからない。先生は最近おれの部屋から足が遠のいてもいる。おれに飽きがきたのだろうか?

 おれはよくわからないまま先生のストーカーをつづけた。沼泥が先生を襲ったせいでもっと先生を見張るようになった。補習が終わるとおれは帰ったふりをする。だがかくれて先生を見ていた。補習後の先生は数学準備室で授業の用意をするか職員会議にでるかだった。先生はクラブの顧問をしていない。ほかの教師との交流もなかった。そのため先生を見張るのは簡単だった。教師仲間の飲み会などにも先生は参加しない。

 先生は品行方正と言うか遊びを知らない女だった。そもそもが女らしくない。化粧をしない女なんていまの日本にはいないだろう。家での楽しみはたぶん数学と酒だけだ。オールドミスになる資格は充分にあった。帰り道に寄るのはスーパーマーケットとコンビニだ。買うのは野菜や肉などの食料品と蒸留酒のみだった。ビールやワインや日本酒は買わなかった。お菓子も買わない。もちろんカラオケにもゲームセンターにもパチンコにも行かなかった。映画館には行くみたいだがおれの尾行していた期間は行かなかった。

 おれの部屋にくる先生もおれは尾行した。とうぜん先生はおれよりさきにおれの部屋にいた。おれが部屋にはいると先生が口をとがらせた。

「おそいですよ。わたし待ちくたびれました」

 そう言っておれに抱きついてくる。ほんの三分も待ってなかったとおれは知っていた。だがそんな先生が可愛くておれは先生に熱烈なキスをした。

 その日もおれはいつものように補習を終えて数学準備室をでた。帰ったふりをして数学準備室にいる先生をこっそりうかがった。

 そこに教頭の蘭野がやってきた。蘭野が数学準備室にはいった。おれは業務連絡だろうと思った。

 だがちがった。蘭野が先生を口説きはじめた。

「雲財寺くん。あんた私の妻にならんかね? あんたは高名な数学者だ。いつまでもこんな田舎高校でくすぶる人材じゃない。私の妻になれば教育委員会とつなぎもできる。私も校長への早道だ。結婚してくれ雲財寺くん!」

 先生は即答だった。

「だめです教頭先生。わたし教頭先生と結婚はできません」

 蘭野が口調を変えた。

「仕方がない。話し合いでだめなら力ずくだ」

 先生の悲鳴が聞こえた。

「きゃーっ! いやあっ! 来ないでっ! 助けてっ伊沢くーん!」

「ふっふっふっ。もう校内には誰もおらんよ。伊沢はとっくに帰ったさ。大声をあげたところでいるのは私とおまえだけだ。さあ美冴。おとなしく私のものになれ!」

 おれは数学準備室に飛びこみたかった。飛びこんで蘭野をぶんなぐりたい。しかしだ。そんなことをすればどうなる? おれと先生の関係がバレないか? すくなくともおれは停学か退学だ。蘭野が先生に言い寄った証拠はない。陸丸校長はおれや先生より蘭野を信用するはずだ。処分されるのはおれか先生だろう。

 先生は数学準備室内を逃げまわっている気配だ。蘭野は校内に誰もいないと見て余裕で先生をからかっている。すこしの猶予はありそうだ。

 おれはいかりを押し殺した。そしてどうすれば先生を助けられるか智恵をしぼった。取りあえず思いついたのはこんなところだった。

 おれは数学準備室の窓を外からガタガタとゆらした。蘭野のおどろいた声が響いた。

「誰だ!」

 蘭野が窓のスクリュー式カギをガチャガチャとあけはじめた。おれは廊下のかどまで逃げて身をかくした。蘭野が窓から首をだした。きょろきょろと左右を見回した。

「おかしい。誰もおらん」

 蘭野の首が引っこんだ。おれはまた数学準備室の窓の下にしのび寄った。

「ひひひひひ。美冴。そろそろ本気でお楽しみと行こうか」

「いやーっ! 助けてっ! 誰か助けてぇ! 伊沢くーんっ!」

 おれは戸をガタガタと鳴らしてまた逃げた。蘭野が戸から顔だけだしてあたりを見回した。

「やはり誰もおらんぞ? 風か?」

 蘭野が室内に顔をもどした。おれは数学準備室の壁に力のかぎりの蹴りを放った。

 ドーン!

 そんな感じで校舎ごと揺れた。

 蘭野が数学準備室から飛びだしてきた。

「うわあっ! 地震だあ! 助けてくれぇ!」

 おれは蘭野が走り去ったのを見て数学準備室の戸から手をいれた。指で先生を招いた。でてこいと。

「まあ! 伊沢くん!」

「先生。早く」

 おれは先生の手を引いて蘭野と反対方向に走った。

 階段の裏におれと先生は身をひそめた。蘭野の足音はない。

 先生がおれの顔を見た。   

「あの音は伊沢くんだったんですか。助かりました。ありがとうございます」

 おれは笑った。

「ポルターガイスト伊沢と呼んでくれる?」

「『騒がしい幽霊』ですか? わたしにとってはエロエロゴーストですねえ」

「おれ先生にさわれるよ? 幽霊じゃなくて生きてるからさ」

 おれは先生のスカートの下に手をいれた。

「あんっ! こらぁ! 学校じゃだめですぅ!」

「おれでさえ学校で先生とひとつになってねえんだぞ! 教頭なんかにやらせてたまるか! おれが先に先生とするんだ!」

 先生がおれのおでこを指でつついた。

「ばかね伊沢くんは。だめですよ。学校ではだめ。それだけは本当にだめです」

 おれは先生を見た。

「なんでだよ?」

「わたしくせになります。困るでしょう?」

 おれは考えた。毎日学校で求められたらどうなるか?

「たしかに」

「わかったらその手を抜いてください」

「う。うん。じゃ今日おれの部屋にきてくれる?」

「いいえ。きょうは伊沢くんの部屋に行く日じゃありません」

「あのさ先生。それってなにか法則があるの? きちんとあいだをあけて来てるみたいだけど?」

「あ。いえ。ノーコメントです。説明させないでください」

「先生にはすぐノーコメントで逃げられるなあ。おれにかくさなきゃいけないことがあるわけ?」

「わたしなにもかくしてなんかいません。恥ずかしいだけです。信じてください」

 おれは信じられなかった。先生がなにを考えているのかわからない。それでも学校でするのはまずい。そこはたしかだった。蘭野に見つかってもことだ。

 おれと先生は手に手を取って学校を離れた。

 蘭野にはくれぐれも気をつけろとおれは先生に釘を刺した。だが根本的な解決にはなってなかった。蘭野の行動を録画するか録音しておけば証拠になったはずだ。でもそのどちらもない。証拠がなければ蘭野は処分されないだろう。蘭野をどうすべきかおれにはわからなかった。おれにできるのは先生にずっとついていることだけだ。先生と蘭野をふたりっきりにしない。それがおれに課された使命だった。


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