表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

 第二章 憲兵隊長と大名行列

 その日もおれは先生に出席簿でたたかれた。うしろを向いてハルアキと話をしたせいだ。

 同級生はみんな笑った。おれの初恋の紀尾井スズネもだ。

 おれは先生に腹をすえかねた。

 そのときだ。ちょうど廊下を校長の陸丸大地子りくまるだいちこがとおりかかった。提灯持ちは教頭の蘭野安盛らんのやすもりだ。校長たちのうしろには音楽教師の苗塚由佳里なえづかゆかりと英語教師の沼泥友也ぬまどともやがしたがっていた。

 校長の陸丸大地子は五十二歳のオールドミスだ。教頭の蘭野安盛は底意地の悪いおべっか使いで四十五歳の独身男だった。音楽教師の苗塚由佳里もオールドミスになる予定の三十五歳だ。苗塚は吊り目メガネをかけてソプラノでかんだかく歌うキツネ顔の女だった。おれたちは『男が萎えるソプラノ苗塚』と呼んでいた。

 英語教師の沼泥友也は二十八歳でイケメンのテニス男だ。沼泥も独身だった。沼泥は校長と教頭にすり寄っていた。次期教頭を狙っているようだ。沼泥は女生徒に人気があった。しかし女生徒に手をだすと教頭のイスにすわれない。だから沼泥はがまんしている。そんなうわさがもっぱらだった。

 校長の陸丸大地子の肉体はその名のとおりどっしりと太っていた。しかし性格は名前の大地と正反対にせせこましかった。小心者でいつも生徒や教師が問題を起こさないかと校内を見回った。

 そのおともが教頭の蘭野安盛だ。蘭野は校長のイスが目的らしい。あからさまに陸丸をおだてていた。『そうですよね校長?』と陸丸の意見をうかがうのが蘭野の口ぐせだった。

 おれたち生徒はこの校内巡視を『大名行列』と呼んでいた。陸丸校長には『憲兵隊長』というあだ名がつけられていた。陸丸校長は生徒や教師が問題を起こさないかとだけ目を配っている猟犬だった。しかもだ。陸丸校長は女尊男卑じょそんだんぴ主義者だった。男女交際は一方的に男が悪いと決めつけた。男が女に力ずくで関係を強要したとだ。

 ついさきごろ公園でキスをした二年生カップルがいた。ご親切な人がそれを写真に撮って学校に送ってくれた。すると男だけが二週間の停学をくらった。いやがる女生徒に無理やりキスをしたとだ。女は口頭注意のみだった。男はキスだけで停学なのにだ。

 校長がギロッとぎょろ目で女生徒をにらみつけた。女生徒はちぢみあがったそうだ。

「そうです。女はいつも男の被害者なのです。あなたもつき合う男はえらばなければなりませんよ。結婚までは貞節を守ることです。わが校では肉体関係が発覚すれば退学ですからね」

 ふたりは高校二年生だ。校長の若いころがどうかは知らない。しかし最近の高校生がつき合うと言えば肉体関係を持つのが常識だ。とうぜんふたりもそういう関係だった。女生徒はしどろもどろな言いわけを残して校長室を去ったという。

 わが校の校則にはこうあった。『淫らな異性交遊は理由の如何にかかわらず退学に処す』と。要するに肉体関係は退学。キスはそれに準じるから停学。そういう線引きだ。

 陸丸校長は時代にあった線引きを考えない女だった。キスは停学で性行為は退学だ。校則違反をした者を校長はようしゃなく切り捨てた。そのゆうずうのきかなさがおれには苦痛だった。陸丸が校長として赴任するまでその校則で退学になった生徒はいなかった。むかしむかしの校則だからだ。肉体関係が発覚しても歴代の校長は口頭注意ですませたそうだ。

 ただしだ。このときおれはピンとひらめいた。校長はゆうずうがきかない。それを利用できないかと。

 おれは廊下の大名行列に向けて声を張りあげた。

「校長先生ぇ! 雲財寺先生がおれの頭をなぐりましたぁ! 体罰でーす!」

 おれは他人を密告するのがきらいだ。しかしこの際おれの好ききらいは言ってられなかった。おれは先生を許せなかった。恋こがれるスズネの前で恥をかかされたからだ。

 校長が顔色を変えておれたちの教室に飛びこんできた。校長がまずおれに声をかけた。

「なんですって! いまのは本当なの伊沢くん! 雲財寺先生! あなた! なんてことをしてくれたんですか!」

 校長が先生につめ寄った。先生はいつもどおり校長から一歩逃げた。校長はそれを見て確信したようだ。体罰は事実だ。そう先生が認めたと。

「あ。いえ。校長先生。出席簿でパンとやっただけですよ。ケガもさせてません。痛くもなかったはずです。わたし自分の頭で実験しましたから」

 校長が顔をまっ赤に染めた。

「そ! それが問題じゃないのよ! 痛いか痛くないかなんて関係ないの! 体罰が問題なのよ体罰が! 体罰は禁止だってあれほど言ったでしょう! どうしてあなたはわからないの! それでも教師! マスコミにかぎつけられたらどうするの! あたしの責任問題になるのよ! 教育委員会からも責められるわ! 顔がいいからってうぬぼれないでちょうだい!」

 校長が一方的に先生を攻撃した。先生は身をちぢめるだけだった。おれは自分で仕掛けながらこう思った。なんて勝手な言いぐさだと。校長の頭の中にはおれも先生もないらしい。自分の地位を守ることのみがあるようだ。

 ところがだ。英語教師の沼泥が校長の肩にそっと手を置いた。

「校長。雲財寺先生ばかりを責めるのもどうかと思いますね。伊沢正人は善良そうな顔をしてなかなかの問題児です。女性をいじめるサディストかもしれませんよ」

「まあ!」

 校長がおれに顔を向けた。まずい! おれはそう首をすくめた。風向きが変わったらしい。沼泥の野郎よけいなことを吹きこみやがって。

 校長がおれの机の前に来た。

「伊沢くん! 校長室までいらっしゃい! 女をいじめる男をあたしは許しません! ええ! 許しませんとも!」

 教頭の蘭野が校長にゴマをすった。

「まったくです! 女をしいたげる男に生きる価値などありません! そうですよね校長?」

 校長の陸丸がうんうんとうなずいた。満足げな顔だった。

 おれはがっくりと肩を落とした。こうなったら体罰は意味をなさない。男対女の構図に持ちこまれたら女が絶対に上だ。校長は女尊男卑主義者だった。

 おれは自分が掘った落とし穴にはまった。人を呪わば穴ふたつだ。

 おれは先生と英語教師の沼泥をにらみながら校長と教頭に引きずられた。音楽教師の苗塚もうれしそうについてきた。このキツネ顔の女は生徒がしかられる場面にはかならず参加したがる。苗塚こそサディストではないかとおれはつねづね思っていた。

 今回はおれの負けらしい。男らしく負けを認めよう。でもかならずリベンジを果たしてやる。憶えてやがれ冷凍マグロみさえめ。おれはそう心に誓った。

 しぼられて校長室を出たおれをハルアキとスズネが待ちかまえていた。ふたりとも『おれたちがついてるぜ』と言いたげな笑いを頬にきざんでいた。十年以上つづく共犯者の笑みだ。誰かのしでかした悪さは三人の罪だ。そう主張する笑みだった。

 ハルアキがおれの肩に手をのせた。

「災難だったなわが親友」

 ツインテールのスズネがおれの胸をトンと突いた。

「気を落とすんじゃないわよマサト」

 おれはふたりの変わらない友情に泣きそうになった。このふたりがああいう行為を日夜している。そう考えるとおれはつらくなった。おれの胸の内のどす黒さがおれを沈ませた。嫉妬に曇らない目でおれはハルアキとスズネを見たかった。しかしおれにはどうしてもできない。ハルアキとスズネを見るとふたりの関係をいつも想像してしまう。そのたびに淫情と自己嫌悪でおれの胸は塗りつぶされた。おれはスズネを抱きたい。でももうスズネはおれのものではなかった。

 おれのそんな屈折したうっぷんはすべて先生に向けられた。おれは自分の闇を晴らす対象を探していた。そんなときおれの前に現われたのが先生だ。おれは先生にことあるごとに反発した。聞こえよがしにいやみを言った。わざと物を落として先生の授業をさまたげた。子どもっぽい行為と笑わば笑え。おれは十六歳だ。まだ子どもだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ