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 第十六章 婚約

 翌日の七月十五日は月曜日だ。しかし海の日で休日だった。昨夜は風呂も食事もせず眠りに落ちた。おれも先生も結婚式場からの強奪劇で疲れたにちがいない。前日ほとんど寝ていなかったこともあった。先生はひと晩中泣いていたそうだ。おれは映画のラストシーンに涙していた。腹はへった。ペコペコだ。なのにおれと先生は目覚めてすぐ愛し合った。朝も早くからだ。ふたりで抱き合うととまらなかった。

 シャワーをあびて朝ご飯を食べ終わったのは午後一時だった。おふくろはふてくされていた。先生が朝食を作る手助けをしないと。しかし笑顔のまま頬をふくらませていた。先生にいやみを言うのが好きみたいだ。先生もニコニコとおふくろの相手をした。

 ちょうど食後のお茶を飲んでいるときだ。玄関の前にタクシーのとまる音がした。降りてきたのは紘州パパとアリスママだった。

 紘州パパの顔を見るなり先生がおれのうしろに身をかくした。

「帰りませんよわたし。わたしはもう伊沢くんの妻です。きのう結婚しました。帰ってくださいパパ」

 紘州パパがおれに顔を向けた。

「小僧。おまえはそれでいいのか? おまえには十二年間思いつづけた女がおるのではなかったか?」

 おれが答える前に親父がおれと紘州パパのあいだにはいった。

「私の息子を小僧などと呼ばないでくださいませんか」

 おれは親父を押しのけた。

「いいんだよ親父。パパさんとおれじゃ父と子じゃなくて祖父と孫ほどちがうもの。小僧でまちがいないさ」

 親父が肩をすくめた。親父は四十三歳だ。紘州パパと親父でようやく父と息子の年齢差だろう。

 おれは紘州パパと向きあった。

「パパさん! おれに美冴さんをください! おねがいします!」

 紘州パパがブスッとしぶい顔を作った。紘州パパはおれを無視して先生に声をかけた。

「美冴。不治井との結婚は破談にしておいた。わしも動画サイトで一部始終を見たわい。不治井があんな男とは思わなんだ。研究室のつき合いでは女をどうあつかうかなどわからんからな。しかしその小僧も似たものではないのか?」

 先生がおれの背中から顔だけだした。

「たしかに伊沢くんは変態です! けど変態は変態でもわたしにやさしい変態です! わたしのお尻はぶっても頬はぶちません!」

 おれは顔をしかめた。その反論では紘州パパがおれに先生をくれるはずがないぞと。ぶちこわしだ。

 あんのじょう紘州パパがおれにきつい目を向けた。

「小僧。十六歳で変態はいかんだろ?」

 おれはひらき直った。

「二十歳になったら変態解禁かい?」

 クスクスとアリスママが笑いはじめた。

「少年。とにかく一度美冴を返して。ちゃんときみにあげるからさ」

 おれは思案をした。背中にいる先生に顔を向けた。

「いったん帰りなよ先生」

 先生がおれにしがみついた。

「どうしてです? わたしがいると迷惑ですか? わたし寝相が悪いのでしょうか?」

「そうじゃないよ。荷物を持ってこなきゃだめだろ? 先生はいま下着一枚すらない。おれのパンツとシャツ姿もそそるけどさ。服も下着もないでは学校に行けないぞ?」

 先生は新婚旅行を終えて校長たちにおみやげをわたして退職願をだす。そういう予定で行動していた。だからまだ退職をしてない。このまま学校にもどっても問題はないはずだった。

 先生が納得してうなずいた。一方おれは高校を卒業できると思ってなかった。結婚式場であれだけの騒ぎを起こしたわけだ。とうぜん先生との関係はバレただろう。先生は教師をつづけられるかもしれない。だがおれは退学だ。別の高校を受験し直すか働くか。ふたつにひとつの道しかない。実のところ先生とおれの部屋で同棲すると決めたとき働こうと考えた。それが最も円満な解決法だと。

 おれと親父とおふくろで先生を見送りに家の前まで連れ立った。

 おれはふと思い出してタクシーに乗ろうとする紘州パパに声をかけた。

「あのさパパさん。あの問いの正解を教えてよ。先生の初めてはよかったかって訊いただろ? あれどんな答えだとおこらなかったわけ?」

 紘州パパがおれを怒鳴りつけた。

「バカ者! どんな答えを返しても怒る! それがわしの問いの正解じゃ!」

「ずっるーい! そりゃねーよパパさん!」

「ずるくはないぞ。可愛いひとり娘を傷物にされたんじゃ。怒ってとうぜんじゃろ? 生活力のない高校生のくせして女と関係を持つな。責任が取れる歳になって正式に結婚してから結ばれろ。ちがうか小僧?」

「そ。そりゃそうだけどさ」

「世の中には理不尽な問いもある。それを憶えておけ」

 タクシーの後部座席に乗りかけた紘州パパが足をとめた。おれをふり返った。

「小僧。そんなに心配ならおまえもくるがよい」

 紘州パパがタクシーの助手席に乗った。後部座席のアリスママと先生がおれをまねいた。親父とおふくろがおれの背中を押した。

 おれは先生のとなりに乗りこんだ。車が発進しておれは先生に耳打ちした。

「たしかに紘州パパって正論しか言わない人みたいだね」

「でしょう? わたしそういうところが苦手なんです」

 夕食を雲財寺家で食べた。アリスママがイギリス料理を披露してくれた。紘州パパは最初から最後まで渋面をくずさなかった。きのうの神父の前の先生とそっくりだった。やっぱり父娘なんだとおれは思った。

 食事のあいだに話がまとまった。先生と婚約しておれが十八歳になったら結婚すると。紘州パパがアリスママとおれと先生に指輪をくれた。アリスママには結婚指輪だ。おれと先生には婚約指輪だった。わざわざ用意したらしい。

「パパ! ありがとう!」

 先生が紘州パパに抱きついた。おれはチクッと胸がうずいた。たとえ父親でも先生が男に抱きつくのはおもしろくなかった。おれ以外の男にさわれない女でいて欲しかった。でもそのときおれは思い出した。先生はうちの親父の手も引いた。身内の男だと大丈夫らしい。そう言えば最初から先生はおふくろを避けなかった。初対面からおふくろを身内あつかいしていたようだ。

 夕食後おれと先生は当座の荷物をバッグにつめて雲財寺家をあとにした。紘州パパがそっぽを向いたままおれに告げた。また来るがよいと。上からの目線は変わらないがおれを家族と認めてくれたようだ。

 おれは指輪をながめつづける楽しそうな先生と電車にゆられた。


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