書籍化記念番外編 雷鳴が響いたら
2025/3/18 Niμ NOVELS様より書籍版が発売します!
書籍版では一度目世界のヴァルター編を書き下ろししました!!
アデリナは雷が苦手だ。
おそらく、身体が揺さぶられるような音が、時戻しの直前の嫌な記憶を呼び起こすからだろう。
城が包囲されて、魔法で飛んできた石が外壁にぶつかる音……。
遠距離からの攻撃が始まると、時々窓の外が眩く光る。もちろんこちら側も魔法による防御をしているのだが、いつ壊されるか不安で、まともに眠れない日々が数日続いた。
そんな記憶が蘇る。
すべてはアデリナにとっては過去で、記憶を持たないそれ以外の者たちにとっては、存在しない未来の出来事だ。
時戻しと、その後の努力で一度目の世界よりもまともな道を進み、ヴァルターが闇落ちする原因であるセラフィーナの死は回避された。
ヴァルターにとっての敵も排除し、これからは明るい未来を歩んでいけるはずだった。
もちろん、ヴァルターが闇の力をその身に秘めている事実は変わらない。それでもアデリナがいれば真に闇に染まることはないと、彼は約束してくれた。
今後新たな問題が発生する可能性はあるけれど、皆が前向きな気持ちで、これから始まるヴァルターの治世を支えていく。
だからなにも恐れる必要などないのに、雷の音がアデリナに苦しみを与える。
「あぁ……眠れない! これも全部、全部、ヴァルター様のせい!」
今でも、アデリナだけは彼を批判していいと本気で思っている。
時戻しの前の破滅は、ヴァルターが敵に対する容赦を一切せず、それが周辺国の警戒心を煽ったことが原因だ。
悲しい出来事がすべて存在しなかったことになっても、アデリナだけは覚えているのだ。
しっかりとカーテンを引いて、耳栓をしても、無音ではなくて……。
それに静かすぎると寂しくて、余計に嫌な出来事ばかりを思い出してしまう。
(来てほしくないときは勝手に侵入してくるくせに、どうして今日は来てくださらないの?)
いつも怒って拒絶しているアデリナに、文句を言う権利などないとわかっているけれど、それでも都合のいい展開を期待してしまう。
三十分ほど悩み、アデリナは耐えきれずにガウンをまとい部屋を出る。
(セラフィーナお姉様か、ユーディット様か、ヴァルター様か……)
頼れるのはその三人だ。
主人であるセラフィーナを煩わせるのはさすがにいけない気がする。
そうなるとまずはユーディットを頼るべきだった。
アデリナは申し訳ないと思いながらも、すぐ近くにあるユーディットの部屋のドアを軽く叩いた。
「ユーディット様……夜遅くにごめんなさい……」
呼びかけるが、寝ているようで返事はない。
耳を澄ますと寝息……というより、かなり大きないびきが聞こえた。
どうやらいびきがうるさすぎて小さな声での呼びかけなど聞こえないようだ。
雷鳴が響く夜ならばなおさらだった。
(これ……もし、一緒に寝てくれたとしても、余計にうるさいし……眠れないんじゃ?)
勝手に入って叩き起こしてお願いしても、二つ返事で受け入れてくれそうな人ではあるのだが、アデリナが眠れないのなら意味がない。
残る選択肢はセラフィーナかヴァルターだ。
けれどやはり、直接仕えている主人となっているセラフィーナよりも、ベッドに潜り込まれた回数が十回を超えているヴァルターのほうがまだいいような気がする。
(もう何回も一緒に眠っているし、婚約者だし……それに私の不幸を取り払う義務がヴァルター様にはあるんだから!)
結局、二人は共依存の関係にあるのだろう。
精神年齢がもうすぐ三十歳になるとしても、アデリナはそれほど強い人間ではない。
開き直って手持ちのランプ一つを持ったまま、彼の部屋へと向かった。
部屋にたどり着き、なんと声をかけようか迷っているとあちらから呼びかけがあった。
「どうしたんだ? 入っていいぞ」
ヴァルターは人の気配に敏感みたいだ。これまで何度も暗殺者に狙われてきたせいだろうか。
しかも外にいるのが誰であるのかもわかっているような印象だ。
「失礼します。あの……起こしてしまいましたよね?」
「気にしなくていい。必要もないのに君が来るとは思えない。用があるんだろう?」
アデリナが訪ねてきたから身を起こしてはいたものの、おそらくすでに眠っていたはずだ。
人の気配に敏感なヴァルターに、悪いことをしてしまった。
罪悪感と、雷が怖いだなんて言いたくないという理由から、アデリナは用件を伝えられずにたたずんでいた。
するとなぜか、ヴァルターの表情が緩んでいく。
「もしかして、夜這いか? 夜這いに来てくれたのか?」
「嬉しそうにしないでください! そんなわけないでしょう? ヴァルター様とは違いますから……」
「私とは違う……って? 私はいつも添い寝しか求めたことがないんだが……?」
「ううっ!」
確かにそうだった。
しかもアデリナがこれからお願いしようと思っていることも添い寝だった。
返す言葉がなくなってしまったアデリナは、諦めて用件を告げる。
「雷が、苦手なんです! だから一緒にいたくて……その……」
勢いよく言い放つと、ヴァルターが笑いだした。
「ちょっと……なんで笑うんですか?」
「婚約者の可愛いところを知ってしまったら、浮かれて当然では? 戦闘力はともかく、心は誰よりも強いと思っていたから意外だったんだ」
「私にだってどうしても苦手なものくらいあるんです」
彼は時戻しの前にあった悲劇について、記憶がないながらも責任を感じているから本当の理由は言わないほうがいいだろう。
それに今は一緒に悩んだり落ち込んだりするよりも、にやけてくれるくらいがちょうどいい。
「おいで、アデリナ……」
「じゃ、じゃあ……失礼します……」
羞恥心を隠すためにムッとしながらも、アデリナはヴァルターに近づき、ベッドにもぐり込んだ。
「君に頼られるのは、もしかして初めてかもしれないな」
「さすがにそんなはず……」
「頼られていたとしても、これまでは大体私が原因の問題を解決するためだろう? 数に含めることはできない」
出会ってからずっと、アデリナはヴァルターを闇落ちさせないことを目標に行動していたから、確かにそうかもしれない。
「君には、私に甘える権利がある……これからも行使してくれてかまわないぞ」
「そう、かもしれません」
「三日に一度はなにか願いを言ってくれ」
アデリナに頼られたことがよほど嬉しかったのだろうか。
睡眠を妨げたのにお咎めはなく、かつてないほど上機嫌だった。
(甘えても……いいのかしら……?)
時戻しのせいで、アデリナは心だけが成長し、人に甘えることをすっかり忘れてしまった。けれどヴァルターが望むのなら、心が何歳かなんて考えずに、子供っぽい行動をしてもいいのかもしれない。
最も迷惑を被りそうな人物が、むしろ喜んでいるのだから……。




