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カールの腕に絡みついている女性は、貴族の令嬢が絶対にしない装いをしている。おそらく婚約者ではなく愛人とか、一夜限りの恋人とか、そういう相手だ。
よく見ると、近くには護衛や側近らしき男性が二人いて、主人を諫められずに立ち尽くしていた。
「申し訳ございません。当店は予約制でございますし……お連れ様のお好みに合うドレスを仕立てられる自信がございません」
午前中から扇情的な装いをする非常識な女性のためのドレスはこの店にはない、という嫌味だった。
「あたし、どうしてもこの店のドレスを聖雨祭で披露したいのにぃ! 買ってくださるって約束したじゃない」
二人とも頬が赤く、ややろれつが回っていない。
お忍びで飲み歩き一緒に夜を明かした愛人から、人気の仕立屋でドレスを作りたいとせがまれたのだろう。
「ハァ……。カール王太子殿下。ご機嫌麗しゅう」
ヴァルターがため息をついてから、見物人に届く大きな声で異母兄の名前を呼んだ。
すぐに気づいたカールがこちらに視線を向けてくる。彼の目が見開かれ、一瞬で怒りの矛先が変わった。
「ヴァルター! なぜここに」
「先日より、不慮の事故により我が婚約者のドレスがいくつか汚れてしまったもので。詫びをするのは私の務めです、王太子殿下」
本当は、セラフィーナのせいで汚れたドレスについては、損害額を給金に上乗せして対応したので、今回の仕立屋訪問とは無関係だし、一着だけだ。
小さな嘘をついたのは、アデリナのためだろう。
「ほほう、愚妹とは違って、そなたはその令嬢が随分大事なようだ」
「当たり前ですよ、王太子殿下。……あなたの愚弟、ヴァルター・ルートヴィヒ・オストヴァルトは、クラルヴァイン伯爵家に婿入り予定なのですから。婚約者は大切にせねばなりません」
言わなくてもいいのに、先ほどからやたらと「王太子」を連呼するのはもちろん故意だ。
身分を笠に着て威張り散らす悪役が、王太子であることを世間に広める意図があるのだろう。
(ヴァルター様……やっぱり性格が悪いわ……)
カールと争わずに、大人しく婿入りする予定であるという主張をし、アデリナ個人をどう思っているのかという話題をうまく避けた。
そして、無礼にならない範囲でカールに嫌がらせをしている。
世間では能力としては特出すべき部分がないという評価だが、それすらヴァルターが意図して作っているものであり、政治的な駆け引きの部分では非常に優秀なのだ。
「ヴァルター……貴様、まさかこの店に?」
「ええ、きちんと予約をしております。……ああ、そうだ。王太子殿下がお望みならば、譲ってさしあげましょうか?」
アデリナが聞いても「譲ってさしあげましょう」という部分に棘があった。予約もしていない愚か者に施しを与える意味に聞こえた。
仕立屋の店員は、カールの背後で大きく首を横に振って、譲らないでほしいという主張をしていた。
もちろん、ヴァルターにもその気はないのだろう。
「いらん! 不愉快だ」
当然カールは怒り心頭だ。
憎き異母弟に、なにかを譲ってもらうなんて彼からすればあり得ないのだ。
「それは残念です」
ヴァルターは冷め切った表情で、まったく残念そうではなかった。
一瞬、にらみ合いの状態となったが、すぐにカールのほうが動いた。
「……帰るぞ」
注目を集めていることに気がついて、自分の不利を悟ったのだろう。
舌打ちをしてから大股で立ち去っていく。
「あ……待ってくださいませ、あたしとの約束は?」
愛人と思われる女と、近衛兵が慌ててカールを追いかける。
(あんな方が次期国王だなんて……本当に、害悪だわ)
ヴァルターは、再びの回帰を阻止し伯爵家を守る道はほかにあったと言っていたし、アデリナも一切迷わず今の道を進んでいるわけではない。
けれど、回帰前は敵の総大将ではあるものの、個人としてはよく知らなかったカールの人となりを理解するにつれて、やはり彼に与しなくてよかったと確信するのだった。
◇ ◇ ◇
愚かな異母兄に代わってヴァルターが店員に謝罪をしてから、二人で店へと入る。
見本のドレスがたくさん並べられている広い空間だが、客はアデリナたちだけだった。
この店でドレスを注文するのが初めてであるため、まずは採寸から始まった。カーテンで仕切られた場所に、女性の針子と一緒に入り、ありとあらゆる場所を計測された。
それが終わると紅茶を飲みながらの打ち合わせだ。
「ドレスはやはり青だ。暗くなりすぎないように、白のレースを合わせて……ネックレスは真珠だから相性もよさそうだ」
意外にもヴァルターが積極的だった。
(ヴァルター様、女性のドレス選びなんて……できたの……?)
もちろん流行のデザインを提示してくれたのは仕立屋側だが、ヴァルターの意見はアデリナにも納得ができるものだった。
「私の好みばかりではだめだな。聖雨祭は一夜限りではないんだから、アデリナの好きな色でも一着作ろうか」
そんな提案もしてくれる。
なぜか本気を出しはじめたヴァルターが、とてつもなく優しい善良な婚約者になってしまい、アデリナはどんどんと拒絶できなくなっていった。
ドレスを注文したあとは、昼食を食べて、噴水広場の周辺を散策しながらお菓子や雑貨を買う。
会話の途中で「セラフィーナが好きな」とか「ユーディットのおすすめで……」なんていう言葉が無意識に挟まる。
(そっか……あのお二人に聞いたんだ……)
やはりヴァルターは乙女心などわからない不器用な青年のままなのだ。
それでもアデリナのために、セラフィーナたちに助言を求めてくれたことが素直に嬉しい。
ユーディットはともかく、セラフィーナは兄のことをからかったに違いない。
どんな顔をして頼み込んだのだろうかと妄想するとついおかしくなってしまった。
長い付き合いの中で、こんなにも普通のデートをしたのは初めてだった。
アデリナは日が暮れる直前まで、ヴァルターと二人で過ごす時間を楽しんだ。
帰りの馬車の中ではヴァルターの口数が減っていた。
そろそろ会話の種も尽きて、本来の彼に戻ったのだろう。
胸ポケットから取り出した手帳を確認しているのは、そこに困ったときの対応方法が書かれているからかもしれない。
文字を読んで、顔をしかめ、そのまま何度か目を閉じてはハッとなるという行動を繰り返す。ヴァルターはきっと眠いのだ。
(無理をしていたんでしょうね……)
アデリナはあえて声をかけずに見守っていた。
すると本格的に船を漕ぎはじめる。
(あっ、手帳……)
完全に寝入ったところで、彼の手から手帳がこぼれ、床に落ちた。
アデリナは反射的に手を伸ばし、それを拾い上げた。
人の手帳を盗み見るのはいけないことだ。
けれど拾おうとしただけでも、開いてあるページはどうしても視界に入ってしまう。
そこには、「夫婦になったあかつきには、情熱的な夜を過ごすべき」と書かれていた。
「……破り捨てたい」
アデリナは本気で身の危険を感じはじめたのだった。




