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序章 できれば静かに終わらせてほしかった



 陥落寸前のオストヴァルト城。

 今も魔法によって飛ばされてくる砲弾が城壁にぶつかる音が響いている。


「アデリナ……すまない、私のせいだ」


 アデリナ自身にもこれが致命傷だとわかっていた。

 闇属性に囚われたために、異端者となった国王ヴァルターを庇い受けた傷は、確実に内臓に達している。


(侵入した敵は……? ……もう倒したのね……)


 状況は絶望的だが、ひとまずヴァルターがこの場で弑逆される危険性はないとわかり、アデリナは胸をなで下ろす。


 途端に、全身から力が抜ける。視線を動かすことすら億劫になっていった。


「アデリナ! すぐに治癒師が来る……大丈夫だ……大丈夫だから……」


 子供騙しの励ましはいったい誰のためのものだろうか。

 かろうじて意識はあるけれど、これほどの血が流れていては、治癒魔法の使い手が到着したとしても、もう手の施しようがない。

 アデリナはすでに死の訪れを受け入れているというのに……。


(あぁ……ヴァルター様……)


 ヴァルターはアデリナの夫だ。けれど彼は妻のことなんて愛していない。

 なぜなら、とうの昔に誰かを思いやる心を捨ててしまった人だから。


 不遇の第二王子として生まれた彼にとって、唯一心を許せる存在は、双子の妹のセラフィーナ王女だけだった。


 最愛の妹を失った彼は、心が闇に囚われてしまった。

 セラフィーナを殺したのは、ヴァルターの異母兄カールが放った暗殺者だ。

 妹の死をきっかけに、ヴァルターはそれまで必死に抑え込んでいた闇属性の魔力を解放したのだ。

 やがて異母兄カールと彼のくわだてを放置した国王を手にかけ、血塗られた玉座に座った。


 冷徹な王となったヴァルターは、善良な国民に対しては暴君ではなかったはずだ。

 一方で少しでも自分に刃向かう者、不正をした者、裏切り者には一切の容赦がなかった。

 恐怖で国を支配しているのだから、残虐な独裁者というそしりを受けても仕方がない人ではある。


 そして彼はついに、邪悪な闇属性の魔力を使用した罪により、聖トリュエステ国から断罪される立場に追いやられた。

 異端の烙印を押され〝魔王〟という名までつけられてしまったヴァルターを討つという大義名分を掲げ、周辺国のいくつかが同盟を組み攻め入ってきたのはたった半年前のことだった。


 彼らは正義感で結びついたわけではない。

 単純にこの国が滅びたあと、肥沃な大地を分割して自分たちのものにしてしまおうという思惑があるのだ。


 すでに、都以外の土地は彼らに奪われている。


 彼らは「魔王に与していた者たち」からはなにを奪っても罪にはならないと考えているのだ。


「やり直そう……私がほしいのは、君との穏やかな暮らしだけだ。……アデリナ……愛している」


 心が壊れてしまったはずのヴァルターが、人目も憚らずに涙を流し、アデリナの腹部から流れる血をどうにか止めようとしている。


 愛をささやいたのは、死にゆくアデリナを励ますためだろうか。


(嘘つき……。でも、名前を呼んでくださったのは……それどころか、()を見てくださったのは……いつぶりかしら? ……残念、もう遅いの……)


 ここ最近、ヴァルターはアデリナのことを「王妃」と呼んでいた。

 それに釣られて、アデリナも彼を「陛下」と呼ぶことが増えていた気がする。

 夫婦ではなく、二人ともただ己の役割に合った行動をしていただけだ。


 実際、二人は白い結婚だった。

 ヴァルターはアデリナの身を案じて同じ寝室で眠っていたが、手すら握ってこない。

 口づけすら結婚の儀式のときだけだった。


(いっそ側室でも迎えてほしいと願ったら憤るし……)


 結局報われない夫婦生活だったが、最後にヴァルターの優しさを感じられたことだけはご褒美みたいに思えた。


 アデリナは、この冷たい夫のことが好きだった。


 一方的な想いしかしらないためこの感情が愛かどうかは定かではない。

 十代の頃彼に惹かれ、そこからずっと一方的に想うだけの虚しい恋を続けていた。


 放っておけない、離れがたい……幸せになってほしかった……。そういう想いになんと名前をつければいいのだろう。


 どうして、彼を見捨てられずにいるのかアデリナ自身にもよくわからない。

 彼が闇に呑まれる前ですら、深い関係ではなかった気がする。

 それでも、光をまとうかつての彼にあこがれを抱き、闇をまとう今の彼を救ってあげたいと願い続けた。


「……ヴァ……ル……」


 名前を呼ぼうとしたけれど、声がかすれて彼には届かない。

 すべてが手遅れだ。


 アデリナはこれまで散々ヴァルターを諫めてきた。


『圧倒的な力と恐怖で他者を支配しようとしても、いずれ破綻します』


『どうか、寛容さをお持ちになってください。……人は誰でも間違いを犯すものです』


『今が、聖トリュエステ国との和議の道を探る最後の機会ではありませんか? ほんの少しでいいのです。陛下の矜持を少しだけ……捨てていただくことはできないのでしょうか?』


 すべてでなくてもよかった。

 彼が、アデリナや忠臣たちの言葉に少しでも耳を傾けてくれていたのならば、こうはならなかったかもしれない。


 この先、ヴァルターが生きる道はあるのだろうか。

 アデリナはだんだんと鈍くなる思考で、必死に彼の未来について考えていた。


「時を戻す魔法がある」


 ふいにヴァルターがつぶやく。

 彼がそういう魔法を研究していたことは、アデリナも知っていた。

 おそらく、セラフィーナを蘇らせるために危険な魔法の研究に手を出したのだ。


 理論上は可能だとも言っていた。

 ただし、どこまでも理論でしかない。


 それは試しに使ってみることすらできない、禁忌の魔法だ。


(馬鹿なことを……しないで……)


 震える手をどうにか伸ばそうとするが、今のアデリナには不可能だった。


「私は本気だよ、アデリナ。失敗したとして、この世界になにが残るというんだ? ずっと思っていた。もう、消滅してしまえばいいんだ」


 アデリナの周囲が輝きだす。

 ヴァルターが時属性のアデリナから流れ出た血を使って、魔法を組み上げようとしているのだ。


(待って……私はもう疲れたの。……静かに終わらせてほしい。ヴァルター様……)


 ――コホッ。

 大量の血を吐いた。


 夜空と同じ色のヴァルターの瞳が一瞬見開かれる。


「すまない、痛いよな……。急がなければ……」


(報われない恋は……もう嫌……。こんなことを、やめて……)


 アデリナは、やり直しなど望んでいなかった。

 もし輪廻転生があるのなら、今度は政争に巻き込まれるのはご免だし、心穏やかで誠実で、自分だけを見てくれる――ヴァルターとは正反対の青年と結ばれたいと本気で思っている。


 人は幸せを感じるために、恋をするべきだ。


 アデリナの願いは虚しく、二人を取り囲む光がいっそう輝きを増す。


 やり直したところで、彼と一緒の穏やかな暮らしなどあり得ない。


 もう十分に頑張った。

 終わりにしてほしい。

 けれど声が出せないせいで、彼に本音が伝わらない。

 この世界は最後まで理不尽だった。


「真珠のネックレス」


 真っ赤に染まった手をヴァルターが伸ばす。

 それからアデリナの頬をたどり首のあたりに触れた。

 それは、彼が発動しようとしている魔法となにか関係があるのだろうか。

 脈絡のない発言の意図はわからないままだ。


「君の瞳は……海みたいな深い青だと聞いていたから……きっと真珠が似合うと思ったんだ。それなのに、あの頃の私は――」


(私に真珠が似合う? ネックレス……? なにをおっしゃっているのかしら。最後までひどい人……)


 彼がアデリナに真珠のネックレスを贈ったという事実はない。

 真珠のネックレスは彼にとっての最愛であった妹のセラフィーナの首元でいつも輝きを放っていたものだ。


(こんなときに妹と間違えるなんて……)


 もうなにも見えない。



 どうか彼の魔法が失敗しますように――アデリナはそう願いながら意識を手放した。


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