霜月(2)
薄暗い廃墟になった倉庫の中、旭飛と俺の前に現れたのは
「黒川……?」
黒川は、こちらを見ずに突っ立っていた。その奥、薄暗くて見えづらいけど、小春ちゃんと思われる人が横たわっていた。
「小春!」
旭飛が小春ちゃんの方に向かって走り出す。俺はそれを横目に、黒川に銃口を向けた。けど、黒川は何もしてこない。それにすごく違和感を覚えた。
「……あんた、なにしてんだ」
そう言っても返事はない。
「小春、小春!? ねぇ小春!」
旭飛の声が響く。小春ちゃんが心配だけど、黒川から目を離すと何をしてくるか分からない。相手の考えが読めなくて変に緊張する。唾を飲む音が大きく感じた。
「……旭飛?」
「小春! よかったほんとに心配したん」
「……黒川さんは!?」
小春ちゃん、目を覚ましたみたい。けど、なんで黒川……?
すると、黒川がついに口を開いた。
「……逃げろ」
それを聞き終わらないくらいの時に、背後になにかの気配を感じた。振り返って銃を撃つと、弾丸が大きな刃物に弾かれた。
「……誰だ?」
長い白髪。すごく綺麗で女性みたいに見えるけど、身長が黒川と同じくらいある。三度笠を被っていて、顔がよく見えない。和服と笠の組み合わせ的に、人間では無いような雰囲気だった。
「全く、想定外の邪魔が大量に入ってしまいましたね」
黒川が倒れ込む。……もしかして、この人がやったのか? 白髪の人が笠を軽く上げると、赤い目がこちらを見た。そして、俺を見るなりにっこり笑って
「待っていました」
と言った。俺を待っていた? 何者なんだこの人は。
「そんなに身構えないでください。殺す気はありませんから」
そう言ってその人は消えた。それと同時に、俺の近くにあった鉄骨が倒れてきて、大きな音を立てた。あの人がやったのか?
「様子を伺うような行動ばかりで、隙が多いですね」
全身に衝撃が走って吹き飛ばされる。大鉈で殴られたらしい。
「あえて刃のない方で殴ってみました。どうです?」
なんだこいつは……大きな武器を持ってるのに動きが速すぎて見えないし、すごく余裕そうな感じ。どうです? って聞かれても、返す余裕が無い。どこだ、今度はどこにいる? 全神経を集中して周囲の気配を探る。ただ、じっと探してたらまた隙が出来てしまうから……。左斜め前から一瞬風を感じて、咄嗟に引き金を引く。そこにいたことは間違いなかったみたいだけど
「ここにいると分かったことだけは関心しますよ」
弾丸は弾かれた。大鉈が振りかぶられる間に体勢を変えてダメージを最小にしようとする。でも、左肩に鋭い痛みが走った。そいつが振った武器をよく見ると、大鉈から刀になっている。避けきれない速度だった。
「何者なんだ? なんで小春ちゃんに手を出した? なんで俺を待っていた?」
血が滲んだ左肩を抑えながらそう聞くと、
「儂はシグマ。どうせ分かっているでしょうけど人間ではありません。その童を狙ったのは単純に、エサですよ。貴方に興味があって……。一人の時に襲えばいいのでしょうが……こちらの方が面白いかと。まぁ、流石に邪魔が多いですが」
と言う。邪魔が……って言いながら黒川や旭飛の方を見ていた。でも、それを聞いて一つだけあいつに言いたいことがあった。
「なんで俺に興味があるのかもよくわかんないけど……面白いなんて理由で人を傷つけるな」
そういうと、シグマは笑いだして
「どの口で言っているんですか?」
って言った。なんでこいつはさも俺のことを知っているかの様な話し方をするんだろう。何か言い返そうと口を開こうとした時、俺の真横を何かが通り過ぎて行った。頬から血が垂れる。シグマをよく見ると、刀だったはずの武器が弓矢に変わっていた。一体どれだけの武器を持っているんだろう。
「でも本当……貴方って、弱いですね。話にならない」
弓矢なら避けきれるかもしれないし、向こうもそんなに動かない。これならいけると思って銃を構える。けど、なかなか標準は定まらない。なのに向こうから放たれる矢は、俺が動く場所のギリギリに飛んでくる。もう何ヶ所掠ったかわからない。弾を一発撃ってからリロードの時間が必要なことに酷く不便さを覚えた。
「兎夜先輩後ろ!」
旭飛の声が聞こえて振り返ると、一瞬赤く光るあいつの目が見えた。そして、右手を強く叩かれて銃を落としてしまった。カンカンと音を立てて地面を滑っていく。それを軽く見ている間に俺もまた殴られて鉄くずの山に吹き飛ばされる。視界が揺らいだ。俺はどうやら、弓で殴られたらしい。
「甘いです、全てにおいて。これでよく邪神様を倒せたものだ。彼も相当運がなかったのでしょうね」
霞む視界でシグマを捉える。俺の方に来る……と思っていたのに、あいつが向かった先は、銃の所だった。和は銃を手に取り、軽くどんなものかを見ている。動きたいけど体が動かない。鉄くずが体にのしかかっていて身動きが取れなかった。
「これが……フフッ、手に取るとなんてない武器ですね」
そう言うと、シグマはその銃を無理な方向に曲げて壊した。銃がバラバラと音を立てて地面に落ちていく。落ちるその銃の破片が、所々ピンクに輝いていたように見えた。
……銃を失った。
銃を失ったら俺だって普通の人と変わらない。動かない体と対称に、脳を必死で動かす。……ダメだ、打開策が浮かばない。
「私の友達と先輩に……何してくれてんだー!」
旭飛がバットであいつに殴りかかろうとしている。
「ダメだ……旭飛」
声も思うように出なかった。もちろん旭飛には声が届かなくて、旭飛は止まらずに突っ込んでシグマに殴りかかった。でも、あいつは軽々とそれを避けた。そして、片手で旭飛の首を掴んで持ち上げた。
「普通の人間には興味ありません。片手で簡単に殺せてしまいますから」
あいつはそう言って、旭飛を壁に向かって投げ飛ばした。クソ、俺が不甲斐ないせいで……!
「守護者はもうそこで動けないのですか。本当に、弱い」
シグマはそう言って武器を大鉈に変えた。あれで斬りかかってくるつもりなんだろうか、避けられる気がしない。抵抗のすべもない。奴の赤い目が俺を冷たく見下している。睨み返すことすら出来ない。シグマは軽く笑ってから、俺に背を向けて歩き出した。
「守護者さん、ご存知ですか? 自分の目の前で仲間が息絶える時の絶望感。この苦痛」
よく見るとシグマは旭飛の方に向かっていた。旭飛はさっきの衝撃で気を失っているようで、全く動く気配がない。持てる力を全て使っても体を抑えている鉄くずはギイギイと音を立てる程度で動かない。声も出ない。
「哀れ極まりない」
鉈が振り下ろされた。鉄がなにかを叩きつけるような音がしたあと、シグマは重たそうな大鉈を軽々と持ち上げる。
「これも、あなたのせいですからね」
どうしよう、頭が真っ白になる。
「さて次は」
「次は? あぁ、どっちも対したことないんじゃないんッスかね?」
ハッとして声のする方を見る。
「黒川……?」
「守護者くんよぉ、お嬢ちゃん二人は無事だぜ」
旭飛はまだ気絶しているけど、ちゃんと生きている。小春が旭飛を抱きしめているのが見えた。そして、体にのしかかっている重さも突然消えた。ガラガラと鉄くずが別の場所に移動している。少しよろけながらだけど、何とか立つことが出来た。
「あれ、中途半端な魔術師さん……まだ生きてたんですね。人間にも妖怪にもなりきれぬこの世で一番愚かな生き物」
黒川……邪神様を倒しても、まだ魔法が使えるんだ。
「……俺は愚かッスよ。人間から見ようがあんたら妖怪から見ようが」
黒川がそう言うと、クスクスとシグマは笑っていた。
「一度儂に殺されかけておきながら、よくまぁどうして話返せるのか。全く不思議ですね」
そうだ、元々黒川だって倒れてたはずなんだ。日が暮れてきてよく見えないけど、黒川の腹部に大量の血が滲んでいる。結構ボロボロだった。
「……あぁ、また邪魔が増えそうですね。姫様に来られると面倒です。今日はこの辺で暇しましょう」
シグマはそう言うと、突然大鉈を背負った。
「次会った時には、生きて帰れないとお思いくださいね、守護者さん」
そう言ってシグマはいなくなった。やられっぱなしだし誰も守れなかったけど……一応難は去ったみたいだった。
「とーやー!! 旭飛ちゃーん!! いるー?」
ひなみの声がする。
「とやまる! 旭飛ちゃん! おったら返事して!」
華代の声もする。和はひなみと華代が来ることを察して引いたのか。
「華代、ひな……」
とりあえず、小春ちゃんはいるということを伝えようとしたけど、急に体の力が抜けて立てなくなった。思っているよりダメージ食らってたみたい。華代たちの声が聞こえる。
「まだ、俺はちゃんとみんなを守れない」
視界が真っ暗になって音も途切れた後、頭の中にこの言葉が浮かんできた。