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神無月の守護者 〜2nd season〜  作者: なまこ
弥生
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番外編 サナ・ヴァインベルガーの行く末

目を開けると、ギイィといって棺桶の蓋が開く。上半身を起こすと、そこには、礼拝堂のような景色が広がっている。月明かりだけで照らされたそこには、自分以外の誰もいない。

「……退屈」

棺桶から出て、赤いカーペットが敷かれた中央の道を歩いて行く。大きな扉を開けても、不気味に揺れる松明の火と、不気味な甲冑が並んでいるだけ。


「ヴァインベルガー家は、この王城を乗っ取った! これより、ここは我らが国となる!!」

お父さんと思われる人の声が、耳に張り付いている。お父さんは、どこに行ってしまったのかわからない。

「サナ」

お母さんに名前を呼ばれた気がして後ろを振り返る。そこには何もない。

「……二人とも、どこに行っちゃったんだろうな」

お城の中から出ずに、日々を過ごす。夜になると自然に目が覚めるから、一人でご飯を食べて、一人で遊ぶ。そして、空が明るくなってくると、また一人で棺桶に戻る。それを繰り返す。


それをもう何百、何千とそれを繰り返して、私は暇を持て余してしまった。お城の中の絵本も嫌という程に読んでしまって、本当にすることがない。

「お外……出てみてもいいよね?」

そう思った次の日の晩、私は目が覚めてすぐに、お城の外に出た。崖の上に出来たお城から、羽で空を飛んで、家が並んでいるところに降りる。絵本で見た町と建物はそっくりなのに、雰囲気は全然違う。汚れた窓を手で擦って、家の中を覗く。荒れ果てていて、特に何も無い。

道の至る所に、木で出来た十字架が立っている。この町は、死んでいるみたいだった。

「なんだ、誰もいないんだ」

手をはたいて町から出る。何も無いところに居たって、どうしようもないから。


住んでいたお城や町を捨てて、不気味な樹海の中を進む。鬱蒼とした大きな木々やカラスの声が少し怖く感じる。でも、お城の中の退屈よりは良く思えた。

薄暗い道を進み続けていると、急に、ガサガサという音がした。

「だ、誰か助けてくれ!」

知らない人の声にびっくりして茂みに隠れる。茂みから声のする方を覗くと、そこには人間の男がいた。背中に商売道具が入った籠を背負っている。その人間の後ろから、大きな怪物が出てきた。頭が三つあって、宙に浮いている。怪物は、音も立てずに人間に近寄っていく。

「嫌だ……私はまだ死にたくない!」

襲われそうな人間を、茂みの中からただ見ていた。助けないとって思ったけど、私にそんな力はない。何もせず、引きこもっていた吸血鬼に、そんなすごい力なんてない。何もせずにいる間に、人間が追い詰められていった。

怪物が人間に襲いかかろうとした時、怪物に向かって、矢の雨が降り注いだ。その矢には火がついていて、怪物は声を上げて苦しんでいる。


「もう大丈夫だから、君は早く逃げなさい!」

違う人の声がする方を見ると、黒い鎧を着た騎士がいた。弓矢を使って、怪物を追い払ったみたい。

「あぁ……黒騎士様、ありがとうございます!」

男の人はそう言うと、走り去って行った。

「黒騎士様、あの怪物はどうしましょう。街の方角とは違う所へ向かったようではありますが」

「あの怪物、浮遊していた為、我ら黒騎士傭兵団レベルの騎士でなければ対処できないものだとは思われます」

剣を持った騎士と、弓を持った騎士がそう言うと、黒騎士は迷うこともせずに指示を出した。

「剣の騎士と弓の騎士よ、追撃するぞ。民になにかあってからでは遅いからな」

二人の騎士は返事をすると、怪物が向かった方向に向かった。黒騎士は、その場に少し立ち止まって少し考えたと、木に印を入れていた。そして、二人の騎士を追って走り始めた。


誰の気配もしなくなったのを確認して、茂みから顔を出す。

騎士様は、強くて勇敢でかっこよかった。

私は、勇気も強さもなくて、襲われそうになっていた人間をただ見ているだけだった。けど騎士様は、迷うこともなく、その人間を助けた。強くて優しい騎士様、絵本では見た事があるけど、本当にいるなんて。

絵本の中の騎士様を見つけたような気がして、その騎士様のあとを、こっそり追った。


追いついた頃には、あの怪物は倒されていた。剣の騎士と弓の騎士は少し疲れているように見えたけど、黒騎士様は余裕のある顔をしていた。

「二人とも、ご苦労だった。疲れただろう、先に街に戻ってゆっくり休みなさい。私は、この怪物の処理をしてから酒場にでも向かう」

黒騎士様がそう言うと、二人は頭を下げて、街があると思われる方角に向かって歩き出した。


黒騎士様は、道の邪魔にならないところに怪物を動かすと、使えそうな部分を剥ぎ取ってから、二人が行ったのと同じ方角に向かって歩き始めた。私はそれをまた、茂みの中から見ていた。

騎士様たちが行った方向に向かえば、街がある。私が本来探していたものにたどり着ける。その上、街以上にもっと気になるものを見つけてしまった。

お城の中では味わえなかったこの感情が、少し、面白い。


茂みから顔を出す前に、あの黒騎士様と対等に話せそうな見た目の、人間の女性に化けた。羽が生えた上に、まだ幼い見た目だと分かれば、きっと話なんて出来ないし、下手をすれば、街にすらいられないかもしれない。

魔法で空中に鏡を作り出して、姿を確認する。しっかりと大人の女性に化けることが出来ているかを確認してから、街へ向かった。


たどり着いた先は、私が捨ててきた街と同じくらいの大きさの街だった。でも、たくさんの人間がいて、たくさんのもので溢れている。至る所から人々の楽しそうな声が聞こえる。

街が、こんなに素敵なものだなんて思っていなかった。

「こんにちは、お嬢さん。旅の途中かい?」

街で出店をしている中年の男性から声をかけられた。旅の途中でこの街に寄ったことにして、街のことを少し聞く。その人間は、快く様々なことを教えてくれた。

「宿も商店も整っているから、ゆっくりして行ってくれよな」

ありがとうございます、とお礼をしてから街中を歩き回る。道行く人や、街中で遊んでいる子どもから優しい声を掛けられることもあった。街の人たちが、あたたかく迎え入れてくれたことに安心した。


街の酒場は、お昼間にも関わらず賑わっていた。今の私は大人の女性、ここに堂々と入っていける。

中に入ると、さっきの黒騎士様がいた。隣の席が空いている……けど、隣に座るのは少しドキドキしたから、黒騎士様が見えやすい適当な位置に座った。

「いらっしゃいませ、お客様。ご注文は」

「あ……えと……ワインで」


お酒なんて飲んだことはないけど、生きた年数で言えばここにいる誰よりも長い。その上、ぶどうジュースなら、お城にいる時にいっぱい飲んだから、多分飲めるはず。

目の前に出されたワインを無視して、黒騎士様をずっと見る。黒騎士様は違う鎧を着た騎士様達と話をしていた。それをずっと見ていると、違うところから目線を感じた。お酒を飲まずに騎士様ばかり見ていたから、不審者だと思われたかもしれない。急いでグラスに口をつけたけど、匂いだけでフラッとしてしまった。今変身の魔法が解けたら終わり……視界がグルグルするけど、魔法の効果を切らすわけにはいかない。グッと耐えて、ワインを飲み干そうとすると、方をトントンと叩かれた。


「お嬢さん、お酒、初めてなのではないか? 最初からワインは難しいだろう、こちらにしなさい」

目の前に、色が薄くて甘い匂いのする飲み物が出された。

「これは極東の島国の果実酒。水で薄めてあるから、優しい味がするはずだ」

そう言われて飲んでみると、ふんわりと優しい味がして美味しかった。

「おいしい……」

「それは良かった」


お礼を言おうとして、声の主の方を見る。そこに居たのは、あの黒騎士様だった。

「……!」

「……? どうかしたかね?」

「いえ。こんな場で騎士様に助けられるなんて……ありがとうございます」

「礼には及ばないさ」

黒騎士様はそう言うと、仲間の騎士様の元へ帰っていった。

心臓が止まるかと思った。


できるだけ早くそのお酒を飲み干して、手持ちの宝石をひとつ置いた。お代は多分足りるはず。

「お嬢さん、お代はあの方から貰ってるから要りませんよ」

「え!?」

マスターが手で示す方向には、黒騎士様がいて、気にしないでと言わんがばかりに小さく手を挙げた。

私は、深く頭を下げてから、宝石を手に酒場から出た。

違和感がないように歩いて、街の外に出る。そして、魔法を解いた。

「き、緊張した……!」

まさか、あの黒騎士様がそんなにも近くにきてくれるなんて。その上、見ず知らずの私を見返りも求めず助けてくれるなんて。

「優しい騎士様……」


それからというもの、私は黒騎士様のことを追いかけては見てを繰り返していた。黒騎士様は、民を守るために怪物や敵国の兵と戦ったり、騎士になりたいと申し出る人に試練を課して、騎士になれるように導いていた。

そういえば、元から位の高い身分の人じゃないと、騎士にはなれないって聞いたことがあった。なりたいと言い、相応しい実力があれば騎士になれるようにしているなんて、珍しいことなのかもしれない。


彼を追い続けたとある日、黒騎士様はまた酒場に入っていった。私も、大人の女性に化けて酒場に入る。あの時はドキドキして遠くに座っちゃったけど、今度は、近くに……!

「ん? 君は……」

隣に座ると黒騎士様はすぐに話しかけてきた。私の心の準備が出来ていないけど、ここでオドオドしたらダメだって思った。

「私はサナ。旅をしているの。あの時はお世話になったわね。ありがとう」

私がそう言うと、黒騎士様は少し考えてから、思い出したようにこう言った。

「あぁ、あの時の。あの時は少し緊張していたように見えたが、随分としっかりしたな」

「そう? 褒めて貰えて嬉しいわ」

普通に会話できている時点で、私からしたら奇跡のように感じる。すごい、すごい。


「そういえば黒騎士様。黒騎士様は他の騎士様よりも、民にとても優しいって聞いたわ。どうしてそんなに優しいの?」

そう聞くと、黒騎士様は首を傾げていた。

「さぁ。私は私の信念に従っているだけだがな」

「信念って?」

「民を守るという信念だ。私は、民を守る騎士になりたいのだ。現に、そうなれているという自覚はないがな」

街の人達は、黒騎士様のことを信頼していた。そして、私自身も黒騎士様が民の為に頑張っているところをいっぱい見てきた。だから自信を持って、黒騎士様にこの言葉をかけられる。


「あなた、充分立派な騎士様よ? 街の人たちも感謝してるって言っていたわ」

「そ、そうなのか?」

「そうよ。自信を持って? 素敵な黒騎士様」

私はそう言うと、テーブルに宝石を二つ置いて席を立った。

「この間のお礼よ。お話出来て楽しかったわ、黒騎士様。また会いましょう?」

そう言って酒場を後にした。

……大人の女性の演技が、どれくらい上手くできているか分からない。けど、とにかく黒騎士様と話せたことが嬉しかった。


それからというもの、黒騎士様を追いかけてじっと見ているだけでなく、機会があれば、たまに話すようになっていった。だんだん緊張せず話せるようになってきて、少しだけど、黒騎士様に近づけた気がする。黒騎士様にどう思われているのかは分からないけど、私は、黒騎士様を見て、話せるだけで胸があたたかくなっていた。


ある日、私は黒騎士様が樹海の中に行くのに、こっそりついて行った。黒騎士様は一人で、武器を持っていた。きっと、民を脅かす怪物を倒しに行くんだと思って、いつものように、茂みや岩の影に隠れながら、コソコソとついて行って、チラチラと黒騎士様を見ていた。

樹海に入ってしばらく経つ。帰りの方向も分からないくらい奥に着た。大きな木々のせいで、昼間のはずなのに薄暗い。おかげで日傘が要らないけど、少し気味が悪かった。

「こんなところまで、なんの用かな」

黒騎士様が、突然話し始めた。誰かいるんだと思って息を殺す。

「おおよそ、半年前くらいから私の事をつけているだろう? サナ」

ハッとして思わず茂みから飛び出す。もちろん、大人の姿に化けて。


「あら、気がついていたの?」

「気がつくとも。それくらいの気配も察知できないようでは、民を守れないからな」

「そう。それでいてすぐに私を攻撃しないなんて、あなたって本当に優しいのね」

うわぁどうしよう完全に悪女みたいだ。けど、今冷静になって考えてみれば、後をつけてずっと眺めているなんて、たしかに悪女……私、悪いことをしてしまっていたんだ。どうしよう。黒騎士様、流石に怒るよね。


「……私の事を付け回して、何が目的なんだ?」

上手い言い訳が思いつかなかった。変なことを言うくらいなら、正直に話してしまおうと思った。

「ごめんなさい。貴方のことを見ていると、胸が、ポカポカするから……でも、悪いことをしてしまったわ」

私がそう言うと、黒騎士様は、呆れたように笑った後、こう言った。

「その言葉に嘘はなさそうだな。顔を見ればわかる。しかし、話したいだけならいつものように酒場で話せばいいものを」

「そうなんだけど、それじゃ、物足りなくて……」


「そうか。では今度は、酒場ではないところにでも行って、少し話してみようか」

「え?」

黒騎士様、怒っていない? 私はすごく悪いことをしたはずなのに、怒っていない?

「黒騎士様、私は悪いことをしたのよ? 怒らないの?」

黒騎士様は、頭を抱えた。

「いや、普通なら少々疑いの目を向けるべきなんだが……サナの目があまりにも純粋無垢で、嘘をついている目に見えなかった。故に、怒る気になれんのだ。その上、私と話したかっただけなどと言われるとな……」

自分が言ったことを思い出して、急に恥ずかしくなった。私はなんて恥ずかしいことを口走ってしまったんだろう。

「あ……わ、わ! 気にしないで……頂戴!」

「さすがに難しいだろう」

黒騎士様は、柔らかく笑っていた。


「さて、明日は休暇だ。たまには街外れにある綺麗な森にでも行ってみようかな」

黒騎士様はわざとらしくそう言って、街の方に向かって行ってしまった。

「今のって、もしかして、明日来いってこと……でいいんだよね?」

黒騎士様が見えなくなると、そのまま地面に座り込んだ。力が抜けて、姿も元の子どもの姿に戻ってしまう。しばらくそのまま座り込んだまま、自分の小さな手を見ていた。

「……ほんとうに、あれは来いって言われてるってことで、いいんだよね?」


次の日、ドキドキしながら街外れの綺麗な森に行くと、そこには、黒騎士様がいた。湖に陽の光が差していて、蝶々が舞っている神秘的な場所。雰囲気のせいで、黒騎士様がよりかっこよく見えた。

「く、黒騎士様……」

「私の意図を組んでくれたようだな」

穏やかな笑顔が素敵で、直視できない。

「ど、どうして私の事をここに呼んだの?」

「何故って、君が話したいと言っていたからだろう。私の後をつけてくる程だからな、よほど話したかったんだろうと思って」


「じゃあ、ほんとうに私と話すためだけにこんな素敵なところに来たと言うの?」

「そうだが? 何かおかしいだろうか」

すごいなって思う。私に嫌なことされているのに、逆に話す機会をくれるだなんて。

「話すって、何を話してもいいの?」

「あぁ、話したいことを話すがいい」

きっと、黒騎士様は、私が重大な話をすると思っていたと思う。でも、私がしたのは全然重要じゃない、読んでいた絵本の話や街の人達との出来事等、他愛のない日常会話だった。

それでも黒騎士様は、その会話を楽しんでくれた。


「夢中になって話していたら、日が暮れてしまうわ。よくない。黒騎士様、ほんとうにありがとう。あなたと話せて幸せだったわ」

黒騎士様が許してくれたとはいえ、少し罪悪感はあった。だから黒騎士様から距離を置こうと考えた。

「こちらこそ、面白い話や嬉しい話を沢山聞かせてもらった。よければまた、話そうではないか。サナの話は、聞いていると気持ちが穏やかになる」

頭の中にいっぱいのはてなマークが浮かぶ。頬をつねりたいけど、つねったら魔法が解けそうだからしない。

「夢……?」

「いや、私の本心だが」

ぽかんとしてしている間に、別れの挨拶が済んでしまっていた。黒騎士様は街へと戻っていく。

夢みたいな状況に、ただ酔いしれていた。


それ以降、黒騎士様をつけ回すのはやめたけど、酒場に行ったり、森の中に行ったりして彼と話した。沢山のことを話して、だんだん距離感が友人のようになってきた。

本当に、夢みたい。でも、胸はまだドクンドクンと言っていた。あの気持ち、伝えた方がいいの?

でもそんなある日、酒場で話している時に、黒騎士様から衝撃の事実を聞いた。

「私には昔、妻がいたんだ。数年前に流行り病で逝ってしまったんだが」

自分の中の熱が下がっていくような感覚がした。

そっか、そうか。黒騎士様にはもうほかに、愛するべき人がいるんだ。じゃあもう私がどんな思いをもっても、それが実ることはないと確信した。

「そう。愛する人がいるなんて、素敵ね」

なんて言ってカッコつけて、私が自ら身を引いてしまった。


例え、亡くなっていたとしても、黒騎士様には愛している絶対的な一人がいる。そんな人に寄るなんて無理だ。愛を引き裂いてまで、自分の想いを叶えるなんてことは出来ない。

……というか、なんなんだろう、自分の想いって。

最初は、絵本に出てくる騎士様が本当にいたんだ、かっこいいなって思っていただけなのに。黒騎士様の、民に対する思いや、人としての優しさに触れていって、感情はだんだん、違うものに変わって……。

「私、馬鹿だなぁ」

なぜだか、泣いてしまった。両親が居なくなったときも、一人で退屈な時も泣かなかったのに。


数日後、私は黒騎士様とよく話していた森に来ていた。黒騎士様はいない。神秘的な空間に、一人で座り込んでいた。

水面に映る月は綺麗だった。ゆらゆらと揺れる月を眺めていた。少し、心が穏やかになるから。

「やはりここにいたか」

黒騎士様の声がして振り返る、そこには黒騎士様がいた。

その時は偶然、大人の姿に化けていたから元の姿を見られずに済んだ。

「サナ。君は、私に妻がいたことを気にしているんじゃないか?」

図星すぎて、言葉が出ない。黙って水面を眺めることしか出来なかった。

「……君に、伝えておかなければいけないことがあるんだ」

黒騎士様はそう言うと、一息置いてから話を続けた。


「正直、君と会って二回目の時に、君と妻を重ね合わせてしまっていたんだ。君の優しさは、妻の優しさに似ていた。妻は、優しくて、綺麗な心の持ち主だった。どれだけ探しても、他にはいないほどだ。それに、君が似ていたんだ。だから、私も君と話すのが好きだったんだ」

「……」

「しかし、だんだん変わっていった。妻と君は違う。違うが、違っていても、愛おしいものだと気がついてしまった。だからどうか、その事を気にしないでほしい。私は、妻と関係なく、君のことを──」

目からボロボロと涙が溢れ出てくる。いつの間に、私の涙腺は脆くなってしまったんだろう。

「……うれ、しい」

こんな幸せがあっていいの? まるで、絵本のお姫様みたい。絵本みたいに幸せなことがあっていいんだなんて考えては、ボロボロと涙を零していた。


それから数年の時を経て、私たちは一緒に暮らすようになった。

幸せな日々を過ごしていたけど、ある日気がついてしまった。彼は、純粋無垢で、綺麗な心を持つ私が好きだと言っていたのに、私は彼を騙したままだということに。

彼はまだ、私の本当の姿を知らない。きっとまだ、大人の女性だと思っている。

「もし、本当は妖怪で、その上見た目が子どもなんてバレたら、この幸せが壊れてしまうかも……」

彼の気持ちを踏みにじるようなことをしている気がして辛くなった。

「けど、嘘をつき続けるのは……彼の愛してくれる私じゃない」


その日の晩、普段のように夕食を済ませたあと、月明かりが差し込む窓辺に立った。

「どうしたんだい、急に改まった顔をして窓ぎわに立って」

彼のその言葉に返事もせずに、私は変身の魔法を解いた。背が縮み、背中から羽が生える。大人の女性が、子どもの吸血鬼になってしまった。黒騎士様は固まっていた。

「……黒騎士様、ごめんなさい。私、人間の女性じゃないんだ」

あぁ、流石の黒騎士様も、これは許してくれない。終わる。私の幸せな夢が終わるんだ。


「……なんだ、その姿の方が綺麗じゃないか」

「え? 今なんて……?」

「その姿が本当の姿なんだろう? やはりサナは、正直な方が似合っている。先程までの姿も美しかった。君が成長したら、ああいう綺麗な女性になるのだろう。だが、今の君はいまの君だ。その姿で、充分美しい」

「で、でも私妖怪なんだよ!? 吸血鬼だよ!? 普通だったら黒騎士様の敵かもしれない妖怪なのに」

「そうだな。仮に、君が民たちに危害を及ぼすなら敵かもしれない。けれど、君は民とのことを嬉しそうに語ったし、民たちからも好かれている。それに関係なく、私はもう、君という人のことを」

「わ、わかった! もう……!」

大事な話だったんだけど、思った反応と真逆過ぎて、急に顔が赤くなってしまった。真っ赤になった顔を押さえて、その場でしゃがみこんだ。こんなにもすんなり受け入れてもらえるだなんて思っていなかった。


黒騎士様は立ち上がると、引き出しの中から、小さな箱を取り出した。

「いつか渡そうと思っていたんだが、今の君をみると、機会を伺う間が惜しく思えてきた。受け取って欲しい」

黒騎士様に渡された箱をあけると、中には紫色の薔薇を模した髪飾りが入っていた。

「君に似合いそうだと思って。君の趣味に合うかは分からないがね」

黒騎士はそう言うと、食器を片付け始めた。

その間に、私は、髪飾りで髪を結ぶ。もちろん、作り上げた大人の姿ではなく、ありのままの私の姿で。小さくて綺麗なんかじゃないわたしでも、それでもいいって言ってくれたから。

「……黒騎士様、どうかな?」

キッチンから振り返った黒騎士様は、私を見て、優しく微笑んだ。

「とても似合っているよ」


それから私たちは、本当に幸せな日々を送った。

一緒に過ごしている時もあれば、仕事のためにバラバラになっている時もある。私も、街の人たちとも仲良く暮らして、気がつけば、私も街の一員になっていた。

「黒騎士様、パンケーキ焼けたよ」

「ありがとう。ココアは私が入れておいたからね」

人間と妖怪という異端。それでも、私たちの日常は普通の幸せを絵に描いたようなものだった。

でも、それはあまり長く続かなかった。


「……不治の病?」

街のお医者様に、黒騎士様を診てもらったらそう告げられた。今はただの風邪のように見えるけど、病気が段々と体を蝕んで、最後には息絶えてしまうと。昔は流行病だったけど、今更かかるのは逆に珍しいらしい。

「何とかならないんですか?」

「不治の病……ですからね。できるだけ辛くないように、長く生きられるように、最善は尽くしますが」

黒騎士様は気にしないでと言っていたけれど、気にしないわけがない。

回復の魔法を試してみても、その場で咳が少し軽くなる程度で、大して変わらない。黒騎士様の体は、日に日に弱っていって、遂にはベッドから起き上がれないようになってしまった。


「……起き上がらなくなったと思ったら、ついに話せなくなっちゃったの?」

そう声をかけても、返事はない。

「このまま、死んじゃうの?」

黒騎士様は、静かに呼吸をしている。この呼吸も、気がついた頃には止まっているかもしれない。

「幸せだなって思ったばっかりなのに、そんなの嫌だよ……」

黒騎士様が寝ているベッドに突っ伏した。私に出来ることは尽くしたし、お医者様ができることも尽くした。これ以上の、策なんてない。


「やっほ、なんで泣いてんの」

「……」

知らない声が聞こえた。けど、そんな声に反応するような気分じゃない。なのに、この声は、黒騎士様のことを、何度もオッサンと呼んでいる。最初は我慢していたけど、あまりにも連呼するものだから、思わず反応してしまった。

「……何回もオッサンって言わないでよ」

顔を上げると、単眼の生き物がこちらを覗いている。間違いない、妖怪の類だ。


この妖怪に今の状況をボソボソと伝えると、妖怪はほぉんと言って頷いた。

「はい、じゃあちょっとしつれーい」

妖怪は家に入ってくるなり、私を押しのけて黒騎士様に触る。

「ちょっと何するの!?」

「ん? あっ、できたわ。病気、治してやったついでにこれ以上歳をとらないようにしてやりました。これで夫とまた仲良く生活できんじゃねぇの?」

最初はこの妖怪が嘘をついていると思った。けど、違う。この人はそもそも妖怪じゃない。神様の類だ。なんの神様かは分からないけど、不治の病を治す妖怪は、世の中にそんなにいない。その上、その妖怪たちはこんなタコみたいな見た目はしていない。


「あり……がとう」

まさか、こんなお調子者の神様が助けてくれるなんて思っていなかった。けど、愛する黒騎士様の命の恩人だから、しっかりお礼がしたいと思った。でも今すぐは難しいから、神様が普段いる場所を聞いた。神様は、極東の島国のとある山に住んでいるらしい。今度、手土産を持って伺おうと思った。神様側からも、遊びに来いって言われたし。神様っていう神々しさにはかけるけど、いい神様だった。

「……サナ?」

黒騎士様が目を覚ました。私は何も言わずに、黒騎士様を抱きしめた。


黒騎士様は、歳を取らなくなった。死なない訳ではないけど、加年によって死ぬことはない。もちろん、体の機能も健康だった頃に回復した状態で止まっているから、事故や危険な目に遭わない限りは、不老不死と同じような状態になったみたい。

これで、黒騎士様との幸せな時間が無限に続くんだと思うと、あの神様には感謝してもしきれない。

「黒騎士様、私、あの神様に会いに極東の島国まで行ってくるね」

「極東!? あそこまで行くのには一年かかると思うが……大丈夫なのか?」

「大丈夫! 私の魔法と羽があれば数日で着くから」

そう言って私は、極力保存出来るお菓子を持って極東の島国に向かった。


「おっ、あん時の」

極東の島国に着いてから、神様が言っていた山を探して数日、山奥の小さな町の近くの山に神様はいた。

「あの時は本当に、ありがとうございました」

「ん〜? 俺の気まぐれだから気にすんなよ。後、そんなに畏まらないでこの間みたいな感じで話せよな」

神様は、タコみたいになっている腕をくねくねとさせた。敬語とか使わないで話せって意味らしい。

「そういえば、名前なんてぇの?」

「サナ・ヴァインベルガー」

「ほぉん、かっこい。けど俺的には可愛い方が好きだからよぉ、サンサンって呼ばせてもらうぜ」

「かわっ!? う、どうぞ。好きに呼んで……」

なぜか分からないけど、私はこの神様に気に入られたみたい。


「おほ〜今日もかわいいねサンサン!」

「あの……私一応既婚者なんだけど……」

「知ってますよ? けど別にそういうんじゃないから良いでしょ?」

そんなやり取りをしていると、神様の友人である妖怪が彼のことを小突く。

「サナさん困ってるでしょうが」

「げぇ〜このマジメガネ妖怪め……」

「人を眼鏡の妖怪みたいに言わないでくださいよ」

彼等のそんなやり取りを見るのも、割と嫌いじゃなかった。


「そういえばさ、あのあと旦那さんとはどうなの?」

「どうなのって……別に普通だけど」

「ほ〜ん、普通って? 気になるよなぁ雅之!」

そう言われると、見た目が齢十五くらいの少年、雅之は、ビクッとして目を逸らしていた。

「ほら」

「……なるほど、二人とも詳しく聞きたいわけね」

二人に黒騎士様との日々のことを話す。私たち自身は異端でも、過ごす日常は平凡だった。私自身、元々は夜型だったはずにも関わらず、今は眠気に襲われることなく、日傘があれば昼間も起きていられる。血を吸わなくても、花の蜜を吸っていれば吸血鬼としての力を維持できる。あり方としては、もはや妖怪と言うよりも人間に近いのかもしれない。

一定期間極東の島国で過ごすと、また私は黒騎士様の元へ帰る。帰ると、黒騎士様は私を抱きしめてくれる。その時ほど、幸せを感じることはない。


行ったり来たりの生活を続ける中で、ある時、神様の方に変化が起きた。神様が、人間の子どもを拾ってきた。

「あぁ〜我が娘! かわいいねぇ!」

どういう風の吹き回しかと思って理由を聞くと、そこには酷い背景があった。私の身の回りの人間は、基本的に優しい人しかいなかった。だから、そんな酷いことをする人間がいるものなんだと驚いてしまった。

「お〜よしよし、お〜よしよし……ダメだ! 泣き止まない!」

山の中にいる神様に、子どものあやし方なんて分かるはずもない。それでも彼は必死に拾ってきた人間の赤ちゃんをあやそうとしていた。


「借して」

神様から赤ちゃんをそっと抱かせてもらう。あやし方は、街の人の見よう見まね。人間の赤ちゃんはそれでも満足してくれたみたいで、穏やかな顔で眠った。

神様が感心していたから、やり方は教えた。なかなか苦戦していたけど、赤ちゃんとの関わり方がだんだん上手くなっていったし、彼自身も穏やかな顔になっていった。

人間と妖怪は別のもの。ものによっては、嫌いあって傷つけあう者もいる。けど、私たちは、仲良く生きていくことで得られることもあるのではないか。彼らを見ているとそう思えた。私自身も、人間と関わることで幸せになっているし。


神様の娘、朱花ちゃんが大きくなってくると、朱花ちゃんは、自分が人間なのか、妖怪なのかということに苦しんでいた。けど、その苦しさも、あの神様と何かあって解決したらしい。その結果、朱花ちゃんも、人間と妖怪が共に生きるということを考えるようになったみたいだった。

「サナちゃん、サナちゃんはどうして人間と結婚したの?」

「えっと……元々、絵本の中の騎士様に憧れていたんだけど、外に出て初めて騎士様を見た時にかっこいいなって」

「だから結婚したの?」

「いや、それだけじゃないよ。その騎士様はね、すごく優しかったんだ。民にも、私にも。身分や種族なんて気にしない広い心を持っている。これは凄いことなんだよ」

「人間は、身分? とか種族? とかを気にする人が多いの?」

「うーん、黒騎士様曰く、そうみたいだけど……でも、私が住んでいる街の人達は、多分そういうの気にしてないと思うんだけどなぁ。わからないね」

「そっかぁ。仲良くなれたらいいのにね」

その会話を最後に、朱花ちゃんと私が会うことはなかった。また、こちらの国に来たらいつもみたいに、みんなでゆるっとした時間を過ごすんだと信じて疑わなかった。


「あれから、どれくらい時間が経ったんだろうか」

黒騎士様の元に戻ると、黒騎士様は椅子に座って本を読んでいた。

「あれからって?」

「私が、歳を取らなくなってからだ」

「百年は経ってるよ。それから先は、忘れちゃった」

そう言うと、黒騎士様は本を閉じてから微笑んだ。

「そうか、私は随分と長生きな人間になってしまったなぁ」

少し、その顔が悲しげに見えた気がした。

「心配そうな顔をしないでくれサナ、私は君といられて充分幸せだ」

頬を撫でる手は、昔の彼と変わらない。昔と変わらない、大きくて暖かい手。

「そういえば、君も少し大きくなったように見えるな。町娘たちと変わらないくらいか」

「……そうだね。少し大人の見た目になったよ」

「そうか、このまま生きていれば、君が本当に美しいレディになるところも見れそうだな」

冗談でも言ったかのように黒騎士様は笑うと、鎧を着て出かけて行った。

そんな彼のことを、私は夕食を準備しながら待っていた。


また数ヶ月して、私は極東の島国に向かう。いつも通りに行ってきますって言ったはずなのに、黒騎士様の笑顔が、やけに頭の中に張り付いた。妙な感覚を覚えながらも、夜の空を進んでいく。冷たい空気が頬をピリピリとさせていた。


いつもの山の中にたどり着くと、少し雰囲気が変わっていた。山の麓にある町が死にかけている。山の中にも、今までに感じたことのない嫌な感じが漂っていた。

「よぉ、サンサン。久しぶりじゃん」

「……え?」

呼ばれて振り返ると、そこには変わり果てた姿の神様がいた。お調子者だけど優しい父親だった彼の面影がない。この見た目じゃあ、悪い神様みたい……。

「どうしたの、その姿……何かあったんじゃ」

「人間って、酷いやつだと思わない? 自分勝手で、愚かで」


神様は、人間に優しい神様だった。本人は優しくしているつもりじゃないみたいだったけど、それは結果的に、人間を助けていた。

「……自分勝手な人もいるって聞いたことはある。でも、なんで?」

神様は、見下すように私をずっと見ている。その目をじっと見ていると、違和感に気がついた。

「そういえば、朱花ちゃんはどうしたの? 今日は姿が見えないんだけど」

返事がない。妙に緊張が走る空気の中、辺りを見渡すと、土が盛られている場所があった。そこには、少し花が添えられてる。朱花ちゃんが大好きだった、赤色の花が。


「娘を殺した人間が許せなくてな、苦しめてやってんだ。人間ってのは惨い生き物だぜ。自分さえ良ければ他のやつは死んでもいいんだからな」

「そういう人もいるけど、でも」

「でも? あぁ、そういえばサンサンは人間が好きだったな。優しい騎士様だっけ、絵本みたいでめでたいな。めでたい人間なんか、許せねぇなぁ」

背筋がゾワッとする。違う、今までの神様とは違う。

「サンサンさぁ、なんでわざわざ西洋からこんな極東の島国まで来てくれんの?」

「それは……貴方が黒騎士様を助けてくれて、私たちの幸せが続くようにしてくれたから、ありがたくて」

「ふぅん。そうか、ありがたいのか。だから来てくれてたんだな」

私の返答に怒っているような雰囲気ではない。けど、私の半島を聞くと、何かを思いついたようにニヤッとした。

「俺に感謝してんならさぁ、言うこと聞いてくれるってことだよな」

「……ある程度は」

「ある程度?」

「……」


神様は私が俯いているのをじっと覗き込んだ。

「人間がさぁ、幸せそうなの腹立つんだわ。サンサンが住んでる街の人間ごと、全部滅ぼして来いよ」

「……! そんな酷いこと出来るわけ!!」

「いいや、出来る。サンサンは、自分の力を知らない。本名、たしかサナ・ヴァインベルガーだったよな? 思い出したんだわ。ヴァインベルガーっつったら西洋では有名な吸血鬼の一族じゃん。そんなやつが、あんな小さな街一つ滅ぼすこともできないわけがない」

「でも、そんな、そんな……」

「娘を殺した町の人間にはさぁ、生きて苦しんで欲しいわけよ。その苦しめるのさぁ、俺一人でやるよりさ、人数いた方が苦しめられるじゃん? サンサンが国に帰ってたら面倒だしさぁ、見るのもウゼェ幸せそうな人間を殺してくれるしさぁ。俺からしたら最高の願い事なんだけど」

「嫌だ……神様の願い事だとしても、それは」

「サンサンは賢いと思ってたんだけどなぁ」

人の手にしては不格好な手がゆっくり上がる。それと同時に、足元から、火が燃えているような感覚がする。焼かれているみたい。まるで、魔女狩りみたいな。


あまりの苦しさに、その場で体を抱えてしゃがみこむ。熱い、痛い、熱い……。

「どう? 俺の彼岸花の毒だけどさ、火みたいだろ? 次は本物の火ぃ着けようか?」

「……っ」

「もう分かるだろ?」

熱さが引いていく。でも、恐怖感が抜けきらない。ガクガクと震える全身を抱えて、息を整える。従わないと、次が……。

深く呼吸をして立ち上がる。そして、そのまま飛び立った。


夜を延々と飛び続けた。こんなに早く飛べるなんて知らなかった。こんな形で知りたくなかった。

怖さに怯えて、自分の本来の力を知るなんて、そんなかっこ悪い知り方をしたくなかった。

頭の中で嫌だってずっと喚いている。けど、私の足は街へと向かう。夜を迎えた街は、静かで安らかな時間が流れている。

「……赦して」

赤色の宝石に口付けをして、街で一番大きな建物の屋根に落とす。瞬く間に、火が燃え広がって行った。


「火事だ! みんな火を消せ!!」

家から家へ、火が燃え移って、安らかな時間が壊れていく。慌てふためく人、泣き喚く人、勇気を持って動く人。それを見ながら、街の中に私も降りる。

「おお、あなたも動けそうなら手を貸してくれ! 一人でも多くの手を……!?」

そう言った男の人の胸元を、ナイフで刺した。周りから悲鳴があがる。

何も考えてはいけない、聞いてはいけない。じゃないと、私は、私は……。

気がついた頃には、老若男女を問わず、多くの死体が転がっていた。街の中に、血溜まりが出来ている。

逃げようともがいた者、子どもを抱いたままの者、抗おうとして急所を突けずにボロボロになった者。それらが、虚ろな私の目に映る。あぁ、私が愛していた平和は、私自身が壊したんだ。


城のある方角から、ドタドタと足音が聞こえる。きっと王国の騎士団だ。それを無視して、私は森の奥へと向かっていく。黒騎士様がいる、私たちの家に。

黒騎士様は、ベッドで眠っている。手にあるナイフが、嫌なくらい鋭く光っている。私は、これで、黒騎士様を……。


一歩一歩、黒騎士様に近づく。頭の中で、自分が何かを言っている。けど、足が止まらない。あの恐怖が焼き付いている。もう、民を滅ぼしたのだから、せめて黒騎士様だけでもと言う自分の声が頭に聞こえた瞬間に、足先から燃え上がるような感覚が蘇ってくる。それを、頭の中にいるもう一人の自分が押える。目が回る。

もう、手を伸ばせば触れられる距離に黒騎士様がいる。嫌だ、黒騎士様を殺したくない。それでも、手が伸びていく。

その時、黒騎士様はバッと起き上がって私に掴みかかろうとした。それを反射で避けて、逆に黒騎士様を床に叩きつけてしまった。


「……黒騎士様、なんで今、手を抜いたの?」

黒騎士様が、私に負けるなんてあるはずがない。だって、黒騎士様は、強くて、かっこよくて、優しいから。そんな彼が、私なんかに押し倒されるわけがない。

黒騎士様は、私の顔を見て笑った。

「逆に聞こう、なぜ、泣いている?」

返事が出来ない。なんで泣いているのかなんて、そんなこと、単純で、簡単な事なのに。

「君が、こんなことをするなんて、余程の理由があるんだろう。というか、予想はついているんだ」

「……え」

黒騎士様は、横を向いた。

「……私は、長く生きすぎた。私が同じ時代を共に生きた人間は、もう居ないのだ。剣の騎士も盾の騎士も、君が手にかけることはなかっただろう? なぜなら、とっくの昔に死んでいるからだ」

たしかに、街中で殺してきた人達の中に、彼らの顔はなかった。そうだ、だって、歳をとらないのは、黒騎士様だけなのだから。


「私が守るべき者は、民は、仲間は、もうとっくの昔にみんな死んでしまっているのだ」

恐怖とは違う感情がまた湧き上がってくる。そっか、じゃあ、私は……。

「私は、本来はあの日に死んでしまっていたはずなのだ。だか、神様とやらは不思議だな。私に素敵な夢を見る時間をくれたようだ。美しく可憐な妻と、幸せな日々を過ごす……そんな素晴らしい夢を」

「黒、騎士様」

黒騎士様は、私の目を見る。その目は、私が初めて見たあの時の黒騎士様の目と変わらない。強くて優しい目だった。

「全く、いい夢を見させてくれてありがとう」

嫌だ、なんで、なんで私が黒騎士様を殺さないといけないの……? やめて、お願い止まって。私の身が焼けてもいい。殺してしまった街の人達に、何度だって謝るし罪も償う。

お願い、どうか、どうか止まって……。


耐えられず、目を背けてしまった。

私の意思を、体は受け入れてくれなかった。

私の手に握られたナイフは、黒騎士様の喉を貫いていた。


「あ……あぁ……!!」

こんな、こんなことあっていいわけがない! こんな、こんな……。お願い、夢なら覚めて。こんな悪夢、二度と見たくない。私は、私は……。

混乱していると、頭の中に、神様の声が聞こえた。

「おはようサンサン、これが現実だぜ」


それから、私は無意識のうちに、極東の島国にたどり着いていた。煤と血にまみれてボロボロになった私を見て、神様は褒めてくれた。サンサンならできると思っていた。流石だって。

「……嬉しくない」

「そんなこと言わないで! きっと、俺の痛みを理解してくれるのも、サンサンだけだろうしさぁ」

「……ほんとうに、悪い神様だね。邪神様」

そう言うと、邪神様は、ニタッと笑っていた。


あの日、私は幸せな夢から覚めてしまった。

自らの手で、平和も、幸せも、全てを壊し尽くしてしまった。言い訳なんてできない、全て、私がやった事。

邪神様は、生贄を貰う日以外は、私を自由にしてくれていた。だから私は、この国の町の中を歩き回ることもあった。

そうしている中で、邪神様が言っていた身勝手な人間の姿を見ることもあった。みんな、自分のために、誰かを犠牲にするんだ。

邪神様も、朱花ちゃんも、元々は人間のことが好きだったんだ。仲良くなろうとしていたんだ。でも、人間が愚かだったから、こうなってしまったんだ。

「人間なんて、大嫌い。あなた達がもっと優しかったら、私はきっと……」


人間に対する憎悪は、私も持っていた。人間が、邪神様から朱花ちゃんを奪わなければ、こんなことにはならなかった。あの街の民も、黒騎士様も、あんな目にあわなくてよかった。

「俺は、カヨを守れなかった。俺が弱いせいで、全てを失った。たくさんの人を傷つけた。俺は、俺は……」

「あなた、朝食が出来たわよ」

「……うん、今行くね」

とある城下町でそんな声を聞いた。この声からは、悲しさを感じた。邪神様や、私が持っている痛みに近い悲しみ。邪神様は、この痛みをわかって欲しかったのかな。


邪神様は、山の中にいる時、欠かさず朱花ちゃんのお墓の前に花を添えては、話しかけていた。

「娘よ。俺は、人間とは仲良くなれねぇわ。大事なお前を殺すような人間、滅んじまえばいいって思ってしまう。お前は、こうしていたら、笑ってくれるんだろうかなぁ」

強い雨が降っている。邪神様も、それを隠れてみている私も、びしょびしょだ。

「人間なんて大嫌い。簡単に他人を狂わせてしまうから」


今でもたまに、黒騎士様との幸せな日々を思い出してしまう。幸せで、長い夢だった。それでも、私にとってはかけがえのない日々だった。

でも、気がついていた。あの幸せは、私の自分勝手な幸せだった。それでも、黒騎士様は私といることを幸せだって言ってくれた。私はその温もりに、未だに縋ってしまう。あの温かさが、愛おしいんだ。

「……人間なんて、大嫌い。こんなにあたたかい気持ちを、私に教えてくれたから」



***



私は見た。復讐に溺れて身を滅ぼした親子を。

二人とも、私の手の中で死んでいった。

復讐を成すことが叶わなかった二人は、死ぬ時になぜか、辛そうな顔はしていなかった。

朱花ちゃんなんか特に、穏やかだったかもしれない。


朽ちた神社の前、私は一人でその場を見ている。邪神様や朱花ちゃんたちと過ごした神社。傷だらけで、今にも壊れそう。

「私は、邪神様や朱花ちゃんに、強い復讐の念を抱かせた人間を許せない。けど、人間ってね、酷く憎いだけのものじゃないんだよ」

人間、妖怪、その他諸々、色んな人たちの幸せも、苦しみも、この目で見て、受け止めてきた。

それぞれに思いがあって、それが対立した時、私たちは武器を取らざるを得なくなる。

こんな、悲しみと悲しみのぶつけ合いなんて、もう二度と起こらなければいいと思った。


長い時間、私は色んな感情に触れてきた。それなのに、姿はずっと、幼い少女のまま。あの日、黒騎士様が認めてくれた、あの幸せな気持ちに、溺れていたいから。彼が見たいと言っていた、私の大人の姿を、私はあまり見たくないから。

私も、邪神様や朱花ちゃんが嫌がっていた人間と同じように、自分勝手だった。


黒騎士様が歳をとらなくなったあの日、私は喜んでしまった。でも、黒騎士様はきっと、心のどこかで、苦しさも感じていた。だから私がナイフを突き立てたあの日に、抵抗してこなかったんだ。

「人間に限らずとも、生き物なんてみんな、自分勝手なのかも。でも、その自分勝手の末に生まれた苦しみを、背負えるくらいの責任を持たないといけないかもしれないね」


一人で、朽ちた神社に向かって話しかけている。返事なんてもちろんない。誰に向けて言っているのか分からない言葉をつらつらと並べている。単なる私の自己満足。


「でも、もし邪神様と朱花ちゃんが生まれ変われるなら、きっと今度は、二人とも、幸せな親子になれると思うんだ。そしたら、また会いに来て欲しいな。あなたたちと過ごす時間も、私にとっては、幸せの一つ……だったから」

そんな言葉を残して、朽ちた神社を後にしようとする。

きっと、ここに訪れる者は誰もいなくなる。いずれ、この神社は本当に朽ちて、何も無かったことになる。私たちのことも、あの神無月の出来事も、全て、忘れられる時が来る。

それでいい、それでいいんだ。

それがきっと、幸せな事だから。


石畳の上を歩く。その行く先、階段を降りようとした時に、ものすごく強い風が吹いた。その風の中に、聞き覚えのある笑い声が聞こえた気がした。神様と人間の、不思議な親子の様な、笑い声が。

ゆっくりと振り返る。そこには、見覚えのある、幸せそうな親子の姿があった。神社の小さな階段に座って、二人で幸せそうに笑っている。

目をこすってもう一度見てみると、その姿はなくなっていた。気配すらも感じない。

「……そっか。会えたんだね」


辛さも、悲しさも、温かさも。全てが私の胸に詰まっている。それを、強く感じるように、胸を少し抑えて、息を吸った。

「じゃあね。朱花ちゃん、邪神様」

そう言って私は、石でできた階段を、一段一段、丁寧に降りていった。

三年前、ひょんなことから書き始めた神無月の守護者。

随分と時間がたってしまいましたが、無事に二期まで完結を迎えることが出来ました。ありがとうございます。


一期は、なんかもう深く考えず思いつくままにこういうのが書きたい! っていうのを思いっきり書かせて貰ったんですが、二期は一期の頃から書きたかったことの伏線回収や深いテーマの話まで書かせてもらいました。本当に楽しかった……。

二期の重さ、尋常じゃなかったと思うんですけど、私は割と満足です(笑)。ここまで着いてきてくださった読み手の方々と、こんな話の為にモデルになってくれた皆様には感謝しかないです。


綺麗なストーリーというよりは、それぞれの正義の話なので、正直終わり方に納得がいかない人もいたんじゃないかなと思っています。けど、それもひとつの味、私が表現したいものの一つだったと軽く受け止めて貰えたら幸いです。


別途、どこかで私個人の見解とか語れたらいいなって思っています。


最後にはなりますが、長い間見てくださった皆様、ほんとうにありがとうございました!

私は、幸せです。

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