弥生(8)
あの夜が明けて、日々はありえないほどに日常へと戻って行った。
町中で爆発した二箇所は、原因不明の事故ということで処理された。俺ら以外の怪我人はいなかったらしい。それ以上には、犠牲も被害もなにもなくて、俺たちの生活も、当たり前の中に帰っていった。
三月も中盤に差し掛かる頃、柚希先輩が、進学先の近くに引っ越すことを知った。最後だからって、華代に連れられて柚希先輩の家に行く。立派な松の木がある風流な御屋敷で、純粋に凄いなってなってしまった。けど、そんなことを思っている場合ではなくて。
「柚希先輩もすみません……怪我したって聞いてたから」
「怪我? あぁ、もう全然大丈夫だよ。大したこと無かったし。今ではお饅頭十個食べれるくらいには元気だから」
柚希先輩は、お茶菓子として振舞ってくれたお菓子を、吸い込むような勢いで食べていた。それを見たら、少し安心した。
「それで、柚希先輩の進学先って?」
「都会の芸大だよ。すごいところではないし、そんなに遠くないから、暇があったら遊びにおいで。私もたまに戻ってくるけどさぁ」
柚希先輩が、十一個目のお饅頭に手を伸ばした時、部屋の障子がザッと音を立てて開いた。
「柚希先輩! お邪魔しまーす!」
「ひなみ!?」
「んふ〜兎夜も華代ちゃんもいる! 雅之の言った通り〜」
ひなみがそう言うと、柚希先輩は座布団をもうひとつ持ってきて、ここに座りなよと座布団をポンポンと叩いた。そこにひなみが座った。
「んわは〜みんなの顔久しぶりに見た〜!」
あの日の後、ひなみや雷斗とは連絡が取れていなくて、正直心配していた。ひなみの足元には、まだ絆創膏が貼られている。
「あ、これ雷斗がね、持っていけってくれたの!あげる!」
ひなみは、テーブルの上にすずめちゃん饅頭を出した。少し、懐かしさを感じる。
「雷斗は大丈夫なん?」
「ん〜? うん、大丈夫! けどまだ本調子じゃないから来ないって言ってた! みんなに、俺は無事だから大丈夫だ、みんなお疲れ様って伝えといて〜だって!」
あいつらしいなと思いながら、出してもらったお茶を飲む。ほどいいくらいに暖かくて飲みやすい。
「あーあ、私はもう大学生だし、華代ちゃんたちはもう三年生か。三年生、あっという間だからね」
柚希先輩は、饅頭の袋をたたみながらそう言う。そっか、もう彼岸町にきて一年になるんだ。
「んわ〜また朝起きなきゃだ……次の担任の先生、遅刻しても怒らない先生がいいな〜……」
そんな談笑をしながら二、三時間過ごす。柚希先輩も、引越しの準備があるだろうから、少し早い時間にみんなで引きあげた。柚希先輩は、またねって手を振ってくれていた。ひとつしか変わらないはずの柚希先輩が、すごく大人びて見える。もうすぐ夕日に変わってしまうような深みのある陽の光が、柚希先輩を照らしていた。
「春休みの課題ってあったよね、数学と英語と」
「あ、あったね。半分くらいはやったと思うけど……」
そういう話をしていると、ひなみがぽかんとした顔をしていた。
「えっ……わっち、それ知らない」
「いやでもまだ三月やし大丈夫やろ」
「ぴえ、せっかくゲームの腕前上げてたのに」
ひなみはちらっと俺を見る。ひなみがあの時以上に腕前を上げたら、俺はもう完全に適わないと思うんだけど……。
「まっいっか! 頑張って終わらせちゃお! あ、そうだ! ねぇ華代ちゃんも今度お家に来て! ゲーム大会しよ!」
「ゲームか〜! 対戦系のはできるか分からんけど、ちょっと練習しとくね!」
華代がそう言うと、ひなみはわぁいと言って、道の先を行った。
「じゃあわっちは買い物して帰るね! また学校で会お!」
ひなみはそう言うと、大きく手を振って道の先へと消えていった。
「さ、て、と、とやまるさん。もう日が暮れちゃうわけですけど」
華代は、少し先にある一番大きな桜の木の下に立った。桜はもう満開で、風に揺られて少しずつ花びらが舞っている。
「な、なんですか……?」
「うーん、やっぱりやめた! よし、とやまる、海に行こう! 」
「え!? なにその気になる感じあっ!? ちょちょちょ」
華代は俺の手をとると、俺を引っ張るようにして海のある方向に向かって走り始めた。
「いいやろ!? 高校二年生のうちに遊んどこうや! ね?」
「なっ……あぁもういっか! 行こう!」
桜が舞っている道の先、日が橙色になろうとしている空の下、俺たちは進み始めた。
決して明るくはないし、暖かいわけでもない。そんな道を、二人で進み始めた。