過去編 若草柚希
「白莉様、これはあなたを守るためです」
綺麗に着飾られた私は、深夜、山奥の小さな小屋に押し込まれる。明かりがひとつもない、狭い世界に、閉ざされていく。
「白莉様、あなたは奇跡の子です。齢三つにして能力を発動し、生み出したものに命を与えることができる……神同然の存在です」
「しかし、人にして神の力を得たあなたを、神はお許しにならなかった。日輪があなたの敵になったのです。だからどうか……あなたのためなのです。御理解ください」
分かっている。私の為だってことは分かっている。
それでも、それでも。
「怖いよ……」
私の声をかき消すように、重たい木の扉は固く閉じられる。人が、遠ざかっていく。
齢五つの頃、真っ暗闇に一人、取り残された。
遊ぶ物も、読む物も、ほとんどない。
生活に必要な食料は、数日分、まとめて大人が持ってくる。それ以外は特に、何も無い。
強いて言うなら、外から鳥の声や風の音は聞こえるかもしれない。本当に、それ以外は何も無かった。
毎日毎日……と言うものの、日付の感覚はない。永遠に、暗闇から逃れられなくて、冷たい床に、横たわるばかりだった。
最初の半年は、食べることくらいしか楽しみがなかった。
けど、ある日大人たちは蝋燭と紙と筆をくれた。
「白莉様、お暇でしょうから。以前のように、良ければ絵を描かれてください……もっと早くに気がつけばよかった。すみません」
「……ありがとう」
誰と話せる訳でもないから、声は掠れていく。この時に声を出したのも、数ヶ月ぶりだった。
それから、紙と筆と一緒に渡された蝋燭の火を、消さないように消さないように繋げて、ひたすら、墨が切れてしまうまで絵を描き続けた。しばらく横たわることしかしていなかった体は、思うように動かない。満足に食べられない体の腕では、真っ直ぐな線を引くこともできない。ぐちゃぐちゃの黒い塊は、私が動いて欲しいと願えば、紙から剥がれ落ちるように出てくる。ブヨブヨと動いては、プシューと音を立てて消えていった。
「何……あれ」
色々なものを描いては、動くように願う。最初はほんとうに、黒いブヨブヨしか出せなかったけど、だんだん上手くかけるようになってきて、かわいい動物や、かっこいい動物も動かせるようになってきた。
私が暗闇に閉ざされてから、数年経った。自分では分からないけど、大人が、誕生日と言ってご馳走を持ってくる日があるから、それを基準に年数を測っている。
私はどうやら、八つになっていたらしい。
そんなある日、扉の外から、聞いた事のない声が聞こえた。
「白莉、いる?」
扉越しに、女の子の声が聞こえる。優しい、昔聞いたことがある鈴の音みたいな。扉に近づいてみる。
「誰?」
「私、カヨ。白莉はあれでしょ、お日様が苦手だからここにいるんだよね。あ、扉……開けない方がいいよね? 来る途中でお花摘んできたから渡したいんだけど……」
お花……そういうのもあったなぁ。
「扉、開くかな?」
力を入れてみるけど、全く開く気配がない。
「カヨ、そっちからは開けられそう?」
「お、重いかも……」
グググッて少し動く音がしたけど、それ以上に動くことは無かった。
「今度奏弥とかイセとか連れてこようかな」
そう言った後に、また今度来るねと言ったカヨは、立ち去ってしまった。
「……久しぶりに、人と話したな」
私は、そのまま扉に縋るようにして、眠りについてしまった。
数日後、カヨは、奏弥とイセという友達を連れて遊びに来てくれた。二人とも、割と力のある男の子のお友達みたいで、頑張って扉を開けてくれた。
「陽の光がダメなら、扉、開けない方がいいんじゃない?」
「いやでも、本人も開けること望んでるから開けたんだろ。じゃあいいんじゃねぇか?」
二人が話し合ってる。そっか、陽の光に当たったら私は……。
紙と筆をとって、小さなネズミの絵を描く。それを、開いた扉の方に向かわせる。私は、布団で全身を覆った。
「なになに!? 動物? でも絵みたい」
「これ、能力だよね。俺たちが使うみたいな」
能力。こんなものがなければ、私はこの子達と普通に遊べていたのかな。
「そう。紙に描いたものが、生き物みたいに動くんだ。こんな感じで」
扉の隙間から、うさぎを作って外に出す。三人の歓声が聞こえる。
「白莉はすごいんだよ! 私たちのとは少し違うけど、白莉のが一番面白くて楽しい力なんだよ!」
カヨがすごいって褒めてくれた。少し、嬉しかった。
そうしてしばらく話すと、三人は帰っていってしまう。どうやら三人は、私よりひとつ歳下の子達らしい。私が、お姉さんみたいだ。
「じゃあね、白莉」
そう言ってみんな帰っていく。私はお姉さんだから、寂しいなんて言えない。
「じゃあ、またおいでよ」
そう言って彼らを送り出すと、まだ暗闇の静寂が、私を襲った。
みんなが来てくれるのはすごく嬉しかった。それなのに、何故か、昔よりも寂しくなってしまった。
「私も、みんなと一緒に居たかったな……」
涙が溢れて止まらない。それがネズミにあたると、滲んで形が歪んだ。蝋燭の火が揺れている。もうすぐ消える。
「蝋燭……つけないと。火が消えたら本当に真っ暗になっ」
言っている途中で、火は消えた。終わりを告げるように、暗闇に焦げた匂いが漂う。本当の暗闇に閉ざされた私に、今までにない寂しさと恐怖が込み上げて、その場で崩れ落ちた。
それからずっと、食事も喉を通らず嗚咽を漏らしていた。
「寂しい、寂しい……。けど、ここから出られない。私も外に出たい。出たかった。誰かと居たかった……」
私を心配するように取り囲んでいた動物たちの気配はない。全員、消えてしまったのかもしれない。
暗闇、空腹、孤独……全てが襲ってくる。
「う、うわぁぁぁ……」
あの子たちが、こんな私を見たら、きっと失望してしまうと思う。だから、こんな姿は見せられない。泣いたって喚いたって、これに耐えないといけないって分かっていた。でも。
そうしていると、突然、扉が勢いよく開いた。あの子達でもない、大人達でもない。一人、いや一匹? 何かがいる。陽の光は、部屋に入ってこない。代わりに、月の光が部屋の中を照らした。私にとっては十分明るかった。
「ギャアギャアうるせぇと思ったら。なんだ、人間のガキがこんな所にいるじゃねぇか」
頭には犬みたいな耳、後ろにはふわふわのしっぽが生えている。それなのに、姿は人間に近いなにか。なんだろう、この生き物は。
それは、こちらに近づいてきて、私の近くでしゃがみこむ。
「なんか、細くて不味そうなガキだな。いい食い物になるって思ったのに残念だぜ」
黄色の目が光っている。犬と言うよりはもしかしたら。
「狼……?」
そう言うと、それは、口をニィっとした。牙が見える。
「そう。オイラは悪いオオカミだ。お前なんか、食っちまうさ。怖いだろ?」
思わず、私はその狼に飛びついた。こんなに、近くに、触れられる人がいる。
「え!? ちょちょちょ待て! 待てって!! なんだ!? オイラはオオカミだぞ!? 怖くないのかよ!?」
「わ〜! なんでもいいよもうなんでも!! あぁ……」
「えっ!? はぁ!?」
オオカミはびっくりしていたけど、私に何かをしてくることはなかった。
「あぁ〜もう服がぐしょぐしょになる! なんだよ本当に! 怖がらせるにちょうどいいと思ったのによ! なんでオイラが泣きつかれなきゃいけねぇんだよ!」
狼の言葉を無視して、気が済むまで、泣き続けた。
「……ごめんなさい。急に飛びついたりして」
正座をして、狼に謝る。彼は多分妖怪なんだけど、それにしても、恥ずかしいところを見せてしまった気がする。
「え、いや、いいけどよ……お前、なんなんだよ。どっかの神様の生贄とか、そういうやつ?」
「生贄? ううん。うちの町にそんな文化ないよ。私が、日光を浴びれない体だから、ここにいるだけなんだ」
「あ? じゃあお前、自分からここに入り込んで泣いてんの? 馬鹿?」
「違うよ。小さい時からずっとここにいる。私がいたくてここにいるんじゃないけど、ここにいないと多分、死ぬ」
そう言うと、狼は吹き出して、お腹を抱えて笑った。
「そんな病気あるかよ! お前、騙されてるぜ!」
そう言うと、狼は私の腕を引いて、扉の外へ連れ出した。
「え!? ちょっとまって!」
「オイラが証明してやるよ! 外に出ても死なねぇってことをよぉ!」
地面に足が着く。夜の寒さで冷えきった土が、素足に触れる。
「うわっ」
慣れない土の感触が、少し気持ち悪くて声が出た。狼はこの感覚には慣れているみたいで、全然平気そうだった。
「土に足が触れたくらいで……って、げっ。お前、あの中じゃ暗くて見えなかったけど、かなり良い服着てんだな。動きづらそっ。でも着替えとかないんだろうな。しゃあねぇわ」
自分の服を見ると、確かに、本に出てきた雛人形みたいな服だった。暗闇の中だったこともあって、自分の服に、そこまで興味を持っていなかったから気がついていなかった。
「まぁいい。けどどうだ? 死なないだろ?」
月明かりが自分を照らす。夜なら、ここから出ても死なない……?
「死なない……! すごいすごい! 生きてる!」
「まぁ、分かりきってた事だけどな」
狼……いや、名前はキバと言うらしい。彼は、私を色々なところに連れていってくれた。木も花も、川も星も、眠っている動物たちも見た。
世界は、綺麗だった。
色んなものを見て、触れて、それに夢中になって……気がついた時には、日が昇っていた。
陽の光に当たったら死ぬんだと思っていたけど、死ななかった。大丈夫だったんだ。
けど、確かそろそろ大人たちが来てしまう。いきなり居なくなっていたら多分、騒ぎになるだろう。
「ありがとう、キバ。私じゃあそろそろ帰るよ」
「お? あんな所に戻るのか?」
キバはそう言ってくれたけど、やっぱり、大人たちやあの子達もいるから。
「戻るよ。大人達のことや、あの子達のこと、嫌いじゃないんだ」
そう言うとキバは、私を小屋まで連れていってくれた。
「あのさ、また来てくれたりする?」
「ん……まぁ、オイラ暇だからな」
「私も、暇」
「一応お願いしてるように言ってるけど、割と強制的じゃねぇか」
キバはそう言ったけど、嫌そうじゃなかった。じゃあまたという言葉を交わして、私の世界は、また、暗闇に閉ざされた。キバの足音が遠ざかっていく。でも、外の世界を見れたことで、強い寂しさには襲われなかった。
「大人たちが帰ったら、ちょっと一人で出てみようかな」
そんなことを言いながら、私は床に寝そべった。
「……莉様! 白莉様!!」
大人の呼ぶ声がして目を開けようとするけど、目が思うように開かない。寝起きでぼんやりしていた感覚が、急に鮮明になる。
「痛い痛い痛い! どうなってるの!?」
全身が焼けるように痛い。皮膚が膨れ上がって皮がペリペリと向けているのが、触れただけでわかる。
「何!? なんで!?」
「白莉様! まさかお外へ出られたのでは?」
「日輪に刺されたというのか! なんておぞましい姿に」
日輪……そうか、外に出たから。外に出たから、体がおかしくなったんだ。
自分の見た目がどうなっているのか正確にはわからない。でも、大人たちが慌てふためいている。それを考えると……。
「普通の手当てで間に合うのか!? 薬と包帯を!」
「塩月からカヨを借りてこい! あの子じゃなきゃもう!!」
全身の痛みがひかない。薬を塗られる度に、より痛みが増す。
もう、死ぬんだ。怖い、怖い。
「白莉!?」
カヨの声がする。だんだん喉が狭まって来ているような感覚がある。さっきまで喚くことは出来ていたのに、今では呼吸がやっとになった。
「カ……ヨ?」
「カヨ! あれを使え! あれを使って白莉様を!」
「……言われなくても」
カヨのぼそっと言う言葉が聞こえると、身体中に蔓延っていた感覚は、痛いから痒いへ、そして、何も異変を感じない状態になっていった。
「……痛くない?」
目を開けると、蝋燭や提灯の火が沢山並んでいて、大人も、見た事のない人数がいた。
「もう大丈夫? 痛くない?」
カヨが手を握ってくれた。暖かい。
「……大丈夫。ありがとう」
大人達はホッとしていた。そして、すぐに私たちを引き剥がすように、大人たちは、カヨを連れて帰って行った。残った最後の大人が、私に言葉を残していった。
「あなたの身体のそれは、日輪に蝕まれる呪いです。あなたのため、あなたはここにいる必要があるのです。気持ちはわかりますが、どうか、二度となさらぬよう」
それから数年、また暗闇に一人ぼっちの時間が続いた。動物たちを描き起こしては、小屋の中で私の相手をしてもらっていた。ネズミ達には、町の様子を少し探らせていた。あの子たちはそれぞれ、忙しくなってきているらしい。ここに来てくれる回数は、どんどん減っていった。
キバも、あれから来てくれない。来てくれるって約束をしていたのに……。
けど、たまに扉の前でガタガタっていう音がして、少しだけ扉が開くことがあった。月明かりが差し込んでいることを確認して、そこから少し覗いてみる。すると、そこには可愛い木の実や花、貝殻が置かれていることがあった。それで、少し心が満たされていた。
それにしても、暗闇と孤独には、だいぶ慣れてしまった。
最初は気がおかしくなりかけたけど、流石にもう、十年近く一人でいれば、流石に泣き言を言うようなことはしなくなる。動物たちに相手はしてもらうけど、それでも、昔みたいにはならなかった。
そして、私が十五になる頃、町の様子が激変した。
町が、飢饉に陥ったらしい。途端、大人たちが持ってくるものの量が減ったり、質が落ちたりした。この飢饉は、どうやら悪い妖怪の類が絡んでいる……らしい。
「白莉様、白莉様の能力で、妖怪を倒すようなことは出来ませんでしょうか」
「白莉様が生み出した、動物たちを貸してくださるだけでもいいのです。どうかどうか、白莉様」
大人たちは、私に動物たちを貸してほしいと言ってきた。断る必要はないし、それで、役に立てるなら……と、毎日毎日、動物を生み出しては町に送り出すようになった。
そのうち、だんだん体がやせ細っていくようになってきた。私の能力は、自分の命を分け与えて、違うものを動かすというものだったということを、今更思い出した。
そうだった、この能力は決して、面白おかしく動物を動かせるだけの楽しい力じゃないんだった。
……だから、なんだと言うんだろう。
ある日の深夜、私は寝すぎて眠れず、明日町に送らなければならない動物たちを描き溜めていた。ネズミ、金魚、虎、うさぎ、カラス……使えそうな動物たちをいっぱい。
すずりの墨が切れる。墨をすろうとすると、突然、扉が勢いよく開いた。季節は冬。冷たい夜の風が、小屋の中に入り込んでくる。その風で、部屋の蝋燭が消えた。
月明かりが彼を照らす。逆光になっていて姿はよく見えないものの、黄色の目が光っている。あれから随分年月が流れたはずなのに、その姿は変わっていない。
「随分と、久しぶりだね」
「よっ。見ないうちにでかくなったな、白莉」
初めて彼に会った時は、彼の方が大きかったのに、今ではすっかり私の方がお姉さんになってしまっていた。
キバは、扉を開け放ったままこちらに近づき、山積みになった紙の束を見る。私が描いた、絵の束を。
「同じ絵ばっかじゃん。なんでこんなもん描いてんだよ」
「そうだった。キバには見せたことないっけ?」
新しい紙を1枚とって、簡単に金魚を描く。それに、命を吹き込んだ。
金魚は、ふわふわと空を舞う。どこに行くということも、何をしろということも命令していないので、金魚は、自由気ままに動き回った。それを見ても、キバは、笑顔を見せることはなかった。
「お前、これが何を意味しているのか分かってるのか?」
「これって? 絵のこと?」
「そう。これは、お前が操ってるんじゃねぇ。お前の命を削って全部作り出してるものだ。オイラたち妖怪から見れば、そんなもん、一目瞭然だ。何の芸にもならねぇよ」
なんでだろう、少し、怒っている?
「なんで、そんなに怒ってるの?」
そう聞くと、キバは少し間を開けてから話し始めた。
「山の中で、それと同じ作り物の動物たちを見た。そいつらが、山の妖怪共を殺し回ってる」
「まさか、キバの仲間が」
「いや、そんなんどうだっていい。アイツらクズだし。けど、その動物からお前の匂いがした。お前は、なんでアイツらに自分の命を捧げてるんだ?」
そう聞かれて驚いた。
「考えたこと……なかったなぁ」
「はぁ〜!? お前、もし自分の命削ってる自覚がなかったにしても、聞かれたらなんか答えれるだろ! 死ぬのは嫌だとか、他人のために命を使いたくないとか! なんかあるだろ!?」
「いや……全然」
私がそう言うと、キバは呆れた顔をした。
「お前……自分が利用されてるとか、そういうふうに考えたりしねぇの?」
「しないよ。あぁでももし、利用されてたとしても……別にいいかな。私は別に、ここから出られないんだし」
そう言うと、キバの動きがピタッと止まった。何かいけないことを言ったかと思って、私はキバの顔を覗き込んだ。
「お前……やっぱここから出られないってのは本当だったんだな」
「うん、本当みたい。やっぱりここからは出られないらしい」
キバは目を瞑る。何かを考えているみたいだった。
「けどよ、日の光はダメでも、月の光なら大丈夫なんだよな?」
「……そう、かも? 月の光は浴びちゃダメって言われてない」
そう言うと、キバは、私に手を差し伸べた。
「お前よ、多分このままここに居たら、全部その絵の動物たちに命を持っていかれて死ぬ。だからよ、オイラと逃げようぜ。こんな所から」
「……でもさ、ずっと夜じゃないんだよ?」
「昼間は日の光に当たらないところにいればいい。どっか行きたきゃ夜に行きゃいいじゃんよ」
手をとりたかった。静かで真っ暗な世界には慣れている。けど、慣れたら全部平気なわけじゃない。出来ることなら、やっぱり外に行きたかった。
それでも私は、生まれ持った力で、あの子たちやみんなを助けないといけない。だから……。
「ありがとう。けど、私は皆のこと好きだから、行けない」
「……このままここにいたら、死ぬとしてもか」
「うん。そうだとしても」
そう言うと、キバは手を下ろした。目を合わせてくれない。
「でも……今夜だけならまた、外に出たいんだけど」
そう言うと、キバはため息をついた。
「全く……」
嫌と断られるかなと思ったその時、キバはグッと私の腕を掴んで引っ張りあげた。
「日が昇るまでの間だけ、連れ回せばいいんだろ?」
「……よろしく頼むよ」
「なんでお前が偉そうなんだか」
そうしてまた、あの日みたいに私は外の世界を楽しんだ。夜の世界は、とても静かだった。それでも、その中にある美しさが、私を満たしていった。
「これで、お前は満足なのか」
「そうだね。またしばらくは、みんなの前で辛いなって顔せずに済みそうだよ」
「このまま、オイラが連れ出してもいいんだぜ?」
「……ううん。私は、これでいいんだ。ありがとう、キバ」
キバは、少し不機嫌そうな顔をしたけど、お前がそう言うなら、それでいいんだなと言って、笑ってくれた。
「オイラ、お前にはもっと幸せに生きて欲しい。オイラになにができっかはわかんねぇけどよ、お前には、幸せに生きて欲しいんだ」
「そっかぁ。そんなこと、初めて言われたよ」
冬の白い月は、私たちを照らしていた。私の白すぎる肌は、奇妙なまでに白く見えてしまったけど、キバの、珍しく優しい表情が見えたから、それでいいなって思っていた。
日が出る前に、キバは私を小屋に戻してくれた。その結果、私は前みたいに、全身水膨れだらけにならずに済んだ。
大人たちが来ても、外に出たのでは……とか疑われることもなかった。
「そういえば、あの件どうなるんだろうな」
「白莉様が選ばれることはないだろう。だって白莉様は……」
「じゃあ……まぁ、なんとでもなる。白莉様さえ大丈夫なら、私たちには関係ない」
大人たちの声が遠くで聴こえる。何の事を話しているのかはよく分からない。けど、少し嫌な感じがする。
それから、また絵を描いては、具現化させたものを毎日大人たちが持って行った。
命が少しづつ蝕まれている感覚がある。齢十七になる頃には、少し動くと、咳が出るようになった。体が、この生まれ持ったものとは違う病気に侵食されてきているかもしれない。それでも、私は腕を動かし続けた。
キバは、年に数回、私を外に連れ出しに来てくれた。各季節ごとに一回くらい。その間、何をしているのかは教えてくれなかった。
もうすぐ齢が十八に上がる頃のある深夜、扉の前から聞き覚えのある声がした。
「……白莉」
奏弥の声だった。こんな深夜にあの三人の誰かが来るなんて思ってなかった。すごくびっくりした。けど、奏弥の声は、随分と元気がなさそうだった。
「夜に人が来るなんて初めてだ。あ、ごめん。驚いた? 病気のせいで、こんな見た目なんだ。どっちかって言うと妖怪みたいでしょ? 撃たないでね」
扉をスっと開けると、奏弥は少し驚いているような顔をしていた。私の顔を見るのは、多分初めてなんだよね。
雪みたいに真っ白な髪と肌。血が透けているような赤い目。こんな見た目だったら、ほとんど妖怪と変わらないと私自身は思ったから、撃たないでねなんて言ってみた。奏弥は、もちろん撃たないと言っていた。
奏弥に事情を聞くと、どうやら大人たちは、飢饉を起こした神様に、生贄としてカヨを捧げるらしいという事を話してくれた。大人たちが、遠くでボソボソ言っていたことが、ここに来てやっと繋がった。
「奏弥のことだ、助けに行くんでしょ?」
なんとなく、この子は助けに行くだろうって分かっていた。カヨも、奏弥も、イセも、声の中に優しさがあった。奏弥は、優しい上に、その優しさと同じくらいの強さも持っている。それなら、カヨを助けるために戦うのは、聞かなくても分かることだった。
「もちろん。白莉はこれないだろうから、俺たちだけで何とかする」
予想通り、奏弥は助けに行くと言った。私では、なんの助けにもなれない。でも私も、カヨに死んで欲しくない。カヨを助けたい。
でも、彼に託すしかない。
部屋の奥にある、絵集の中から、描いてきた中で一番傑作の虎を具現化する。その虎を連れていってもらえば、私でも、少し役に立てるかもしれない。
「ありがとう、白莉」
奏弥が少し笑顔になったのが、目に見えて分かった。少し嬉しくて、こちらも笑顔になったけど、気が緩んでしまって、我慢していた咳が出てしまった。我慢していた分だけ、少し酷くむせてしまった。
「白莉……?」
「いつものことなんだ。気にしないで。じゃあ、明日。任せるよ、奏弥」
ちょっとだけカッコつけて小屋の奥に戻る。これ以上は、体が持たないように感じた。奏弥が去っていく音が聞こえる。夜が明けたら、奏弥の元に、虎を向かわせる。その虎が、私のことを心配そうに見ている。
「そんな顔しないでよ。明日は頼むよ」
床に倒れ込んで、心配そうに私を取り囲む墨の動物たちに囲まれながら、意識を失うように眠った。
次の日、私自身が日の光に当たらないように、私は布団にくるまって、ネズミたちが扉を開ける。そこから、虎が出ていった。そしてまた扉を閉めると、ネズミたちが寄ってくる。
今日は、大人たちが絵を取りにこない。何故なのかは、おおよそ検討がついている。
私はまた、絵を描き溜めていた。でも、大人に使わせるための絵ではなく、私が、描きたい絵を描いていた。動物じゃないそれに、命を吹き込むことは出来ないだろうし、する気もない。それでも、私には十分価値のあるものだった。
そんな絵が描き終わる頃、扉をガタガタと強く引っ掻く音がした。まだ日が出ている時間だろうから、ネズミたちに扉の開け閉めをさせた。帰ってきた虎は、もう戦えないくらいにボロボロになっていた。
「何があったの? まだ、奏弥がカヨのところに行く時間じゃ無いはずだけど」
そう言うと、虎は、私が描いていたあの子達の似顔絵の中から、イセを選んで、爪で破いた。
「……イセが、危ないってこと?」
虎の体が所々溶けている。焦げたような跡もあった。この動物たちが、火に弱いことは、御三家なら全員知っていることだろう。
「イセは……身内にやられたってこと?」
虎は鋭い目でこちらを見ていた。
「……合ってるんだね」
ネズミたちを、奏弥の所に向かわせる。虎は、私に意図が伝わったことを確認すると、自ら体を溶かした。どうやら、具現化した動物が消滅した時点で、分け与えた命の余りは私に戻ってくることを理解していたらしい。それを見て、他にいた動物達も、自ら溶けだした。
「全く、優しいんだね」
蝋燭の小さな火が揺れる中、私が寂しくないようにと、一匹だけ残ったネズミと顔を見合せていた。
それから、奏弥やイセが顔を出してくれることはなかった。その代わりに、大人たちは相も変わらず私に動物を作ってくれと頼みに来た。
「そういえば、奏弥やカヨ、イセは元気にしてるのかな?」
「それはもちろん。皆さん立派になられてますよ」
この時、初めて大人というものを疑った。キバが私によく、騙されてるって言っていた理由がわかった気がする。でも、荒事を起こしても仕方なければ、そんなこと出来る力もなかった。
「そっか」
「そういえば、当主様たちが、白莉様もそろそろご結婚なさる年頃ではないかと仰っていました。近いうちに、その話も持ってきますね」
そう言って、大人は帰って行った。
小さい抵抗として、私は、作る動物たちの命を短くしていた。戦いや労働なんかには使えないくらい貧弱に。愛でるには可愛いんだけど、大人たちは、そういうものを望んでいるんじゃないだろうから。そんなことをしていると、私の十八回目の誕生日以来、動物の話ではなく、結婚をせがまれるようになった。……ちょっと、笑った。
外の風が強くなって、だんだん小屋の中も寒くなってきた頃、深夜にまた、聞いたことのある声がした。でもそれは、あの子たちの声ではなかった。
「白莉様」
滋俊くんの声だった。滋俊くんは、大人たちの中に混ざって、たまにここに来ていたことがある。そんな彼が、こんな夜中に一体なんの用なのかは分からなったけど、私としては、好都合だった。
「滋俊くんだ。みんなは? どうなったの?」
滋俊くんは、苦い顔をした。その時点で察したけど、あえて、彼の口から出る言葉を待った。
「カヨは死にました。奏弥は、お父様たちに連れられて町の外に出ました。イセは……わかりません。生きてるとは思いますけど、消息不明です」
「……そっか」
何となくわかっていたけど、情報が確定されると、こんなにもこころがぽっかりしてしまうものなんだなぁと感じていた。
これからこの町はどうなって行くのか。そして、滋俊くんはどうするのかを聞いた。その話をした後、彼は私にこう告げた。
「白莉様、僕に、能力を使ってくれませんか」
「……それは、どうして?」
私がそう聞くと、滋俊くんは、彼自身が生きたまま次の世代を待って、この悲劇を断ち切るためだと言った。今世ではどうにもならないと踏んで、来世にかける作戦に出るみたいだ。カヨは死んだ。奏弥も戦えない。イセはいない。私は……使い物にならない。たしかに、こんな状況じゃあどうにもできなければ、私自身も、大人たちに利用されて終わってしまう。でも、滋俊くんの言っているそれは、私自身にとっても酷だけど、滋俊くんにとってのほうが酷だった。
「滋俊くん。私の能力については、どれぐらい知っているんだっけ?」
滋俊くんに、長々と忠告をした。これをすればどうなるのかや、上手くいく保証は無いこと、上手く行ったとしても、滋俊くん自身は悲惨な運命を辿ること。その全てを話した。それでも、滋俊くんの意見は変わらなかった。
「……そっか」
思ってもみなかった。今すぐ目の前に、死が突きつけられる状況なんて。命乞いをする時間を与えられるわけでもなく、私は、未来に全てをかけることになった。
それでも、良いと思っていた。一生懸命誤魔化したり強がったりしたけど、外に出られない退屈な人生だったし。でも、少しだけ怖かった。本当に、これで全部終わりなんだって。
滋俊くんの体に手を当てて、自分の命を吹き込んでいく。全身を、何かに蝕まれるような感覚がある。ボロボロと崩れ落ちるような、体に穴が空いていくような、気持ちの悪い感覚。でも、これが未来のためになるなら、私にしかできないことなら……。私は、それを受け入れよう。
体から力が抜けていく。もうすぐ、私の中にある命の灯火が消える。懐かしい、蝋燭が消えるみたい。
あぁ、そういえば、もうすぐだったなぁ、キバが外に連れていってくれる時期。キバに、さよならすら言えなかった。待ってもらえば良かったかな。でも、滋俊くんの気持ちをそんな私情で遮る訳にもいかないし、これで良かったんだ。
……あぁ、来世は自由に外の世界を生きて、みんなと一緒にいれたらいいな。
***
「柚希、紹介するね。こっちの女の子が、塩月華代ちゃんで、こっちの男の子が神崎雷斗くん。二人とも、柚希よりも一歳年下の子だよ。柚希はお姉ちゃんだから、二人のこと、よろしくね」
「わ〜! 白と黒だけでこんなにかっこいい絵かけるんですね!! どうやってかいてるんですか? 先輩かっこよすぎますよ! あ、名前ですか? 翁長旭飛です! 先輩みたいなかっこいい絵、描きたいな〜!」
「柚希さん……。えっと、僕の絵、褒めてくれてありがとう。あの、すごく嬉しかったんだ。僕の絵、あたたかいって言ってくれて、ありがとう」
白莉の記憶を見たあとだと、出会った人々からもらった全ての言葉が、どれも輝かしく感じる。陽の光も、とても暖か鋳物に思える。前の人生で叶えられなかったことを、今の私が思う存分楽しんでいるんだ。
きっと、とても贅沢な生活をしている。
「今、私の人生は……最高に幸せだよ、キバ」