弥生(2)
「兎夜、行っちゃったね」
時は少し遡り、兎夜が教室を出た頃。華代とひなみは窓の外を見ていた。
「今は行かないけど、少し経ったら追いかける。私には、傷ついたとやまるを癒すことしか出来ないからね。今行ったら邪魔になるでしょ」
窓の外を向いたままの華代の顔を、ひなみは少し覗き込む。
「うーん? 邪魔ではないと思うけど……華代ちゃんがそれでいいって思うなら、いいんじゃないかな?」
「ありがとう、ひなみちゃん」
「んふ〜」
二人が話している間に、空の色はだんだん赤黒くなっていく。天気があまり優れない日の夕暮れにも見えるそれが、異質な不気味さを放っていた。
「じゃあ、ひなみちゃん。私、ちょっと寄り道して行くから、もう行くね」
華代は、荷物を持って、その場を離れようとする。ひなみは、それを見ていた。
「華代ちゃん、なんだろう……少し、強くなった?」
「……そうね。命をかけて守られちゃったら、出来ること全てを尽くして、私も何かを返したい。そう思ってたら、こうなっちゃった。かな?」
「そっかぁ」
ひなみがにへっと笑うと、華代はそれを見て少し微笑んだ。
「ひなみちゃんも、気をつけてね」
「……うん! 華代ちゃんも、だよ!」
そう言い合うと、華代は教室から出ていった。誰もいなくなった教室には、ひなみだけが取り残された。
「みんな、戦うんだね」
ひなみはそのまま、窓の外を一人でずっと眺めていた。
「兎夜も、華代ちゃんも、四百年間続いたこのお話を、本当に終わらせに行くんだ」
ひなみは、袖口から出ている指を軽く組んで、胸の前で合わせた。
「長かったよね、四百年。わっちにとっても、長かったもん」
ひなみがそう言う頃、町の中に、大きな彼岸花が咲いた。半透明のそれは、一般人では気がつくことはないものであるかわりに、凄まじい妖気を帯びていた。
「兎夜、華代ちゃん……頑張れ」
そう言うと、ひなみは、荷物を持って窓から飛び降りた。飛び降りた先には誰もおらず、ただ、吹雪が舞っている。
「わっちも、頑張るよ。二人が、みんながしなきゃいけないこと、わっちじゃ、大した力になれないかもしれないけど。ちょこっとだけ、応援するね」
ひなみはそう言うと、その場から姿を消した。誰もいなくなった教室では、開けっ放しの窓から入り込む風で、カーテンがゆらゆらと揺れていた。
***
町に彼岸花が咲いてしばらく経つ頃。
町の中に現れた彼岸花の一つ、その中央にキバはいた。中央から一つ目の花弁が飛び出しているところまでの範囲に、キンセンカが咲き誇っている。
「キンセンカ。花言葉は、別れの悲しみ……なんだってよ。なぁ、白莉」
キバがそう言って見た先には、柚希がいた。
「私は、白莉じゃない。似てるかもしれないけど、私は、柚希だよ」
柚希がそう返すと、キバはケタケタと笑った。
「そうだった、そうだったな。そりゃあ悪かった」
睨むように柚希を見るキバを、柚希はまっすぐ見続けた。
「駅前の広場を使うなんて、どういうつもり? 周りの人にどれだけ危害を加えれば気が済むの?」
「知らねぇよ。花咲かせてんのは娘様だぜ? オイラはそれを守ってるだけだ」
「この花、どういう効果があるの?」
「花びらが完全に閉じきって、もう一回開いたら町は火の海……ってことしか知らねぇよ。オイラの役目は、この花を守ることだからよ」
「守らないといけないってことは、それほど脆いってことでもあるんだね」
柚希が紙と筆を取り出す。キバはそれを見て、鋭い爪を出した。
「脆いんだか何だか知らねぇけどよぉ、オイラ達はお前ら人間に復讐するためにやってんだ。邪魔すんじゃねぇよ」
「どうして君がそこまで人を恨むのか、私にはわからないけど、理由がわからない以上、同意もできないな」
柚希がそう言い終わると同時に、二人が動いた。
キバが爪で切りかかるところに、白虎が飛び込む。その隙に、柚希は手を素早く動かした。
キバと白虎は同じタイミングで後ろに下がり、キバは、下がると同時に影のような狼を数匹作り出して、柚希に向かわせた。その狼を、柚希が新たに作り出したネズミたちと白虎が抑える。
「絵を戦わせるばっかで、お前そのものは強くねぇんだな!」
キバが、柚希に爪を向ける。柚希はそれを、手持ちの傘で防ぐ。傘はバキバキと音を立てたが、大破することは無かった。
「戦うことが前提の能力じゃないんだよ、これは」
柚希が傘から手を離して、落ちる合間に、クルっと半回転するように立ち位置を変える。それに追撃しようとするキバを、白虎が食い止めた。
二人が動く度に、足元のキンセンカの花びらが舞う。
「これだけ動き回ってて、周りの人は一切気がついてないなんて……ここだけ世界が切り離されてるみたいだね」
柚希がそう言うと、キバは鼻で笑った。
「そう思うだろ? そうとも限らねぇんだぜこれが」
キバはそう言うと、キンセンカが咲いている領域の中にある、ポストに影の狼を向かわせる。影の狼が寄って集って爪を立てる。金属を裂く嫌な音がする。柚希は耳を塞いだ。
しかしその音はすぐに止み、ポストだったそれは、鉄くずとバラバラの紙になっていた。
「ポストを壊して、何になるって言うの」
「周り、見てみたら?」
ハッとして柚希は周りを見る。広場の周りの人が、壊れたポストを見ながらザワついていた。
「壊れたものは見えるってこと……?」
「いや、オイラ達の攻撃は、現実に存在するものにも反映されるってことだな。ちなみに、オイラたちや地面の花は見えてねぇみたいだぜ?」
「わりと、都合がいいんだね」
柚希がそう言うと、キバはふぅんといいたげな顔をした。
「本当に都合がよけりゃ、物が壊れたりはしねぇだろうな。だからさ、要するに」
キバは、領域内に入り込んで、壊れたポストに近づこうとする小学生を見た。それに飛びかかろうとしたのを、柚希が白虎に止めさせる。
「どうした? 顔が怖いぜ?」
「分かっててやってるならやめなよ。今は私が相手でしょ?」
「そうだけど、オイラ的には、そこいらの人間の方に向ける殺意のが高いね。お前がどうしてもそこら辺の人間を守りたいってんなら……せいぜい頑張れよ」
そう言うキバを、柚希はキッと睨んでいた。