如月(3)
美奈子さんと、薄暗い洞窟の中を進んでいく。美奈子さんが懐中電灯を持ってきていたから何とか周りが見えるんだけど、俺だけだったら多分そこまで気が回らなかったから、洞窟の前で詰んでいたかもしれない。
洞窟の中に入ってすぐは、少し暖かいなと思っていたけど、奥に進むにつれて、だんだん寒くなってきた。ひなみが近くにいるってことなんだろう。
美奈子さんが、一瞬こっちを見て懐中電灯を消す。真っ暗になることを覚悟したけど、洞窟の奥から淡く光が見えた。
「見て見てお姉ちゃん、綺麗でしょ? これはね、妖怪の間でよく使われるものなんだよ! 全然消えないの!」
奥からひなみの声がする。お姉ちゃんって、誰だ?
そのまま進むと、洞窟の最深部にたどり着いた。俺たちが通ってきたよりも広い空間で、至る所にロウソクが置かれている。
そして、そこには、座り込んでいるひなみがいた。
「わぁ、来てくれたんだ、兎夜。美奈子お姉さんも一緒だ。嬉しいなぁ」
後ろを向いて座り込んだまま、ひなみはそう言う。後ろ姿だけど、声も姿もひなみで間違いない。けど、いつものひなみとは少し違う気がする。
「ひなみ、どうしたの?」
ひなみは、手に持っていたであろうランタンの様なものを地面に置いた。
「わっちね、ずっと、ずーっと寂しかったんだ。ひとりぼっちで、ずっと待ってたんだ。でもね、みんな居なくなっちゃうの。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、みんないなくなっちゃう」
「……ひなみ?」
「でもね、気がついちゃった。みんなを凍らせて、わっちのものにしちゃえば……」
ひなみはゆっくり立ち上がる。美奈子さんは、竹刀をゆっくり取りだしていた。
「もう、誰もいなくならないよね!」
ひなみがこちらを見てそう言うと、洞窟内に吹雪が吹き荒れて、周りに立っているロウソクの火の色が、青に変わった。
「兎夜くん、来るよ!」
すぐに銃を構えたけど……ひなみを、撃つのか?
「兎夜も、美奈子お姉さんも、みんなみんな、わっちのものにしちゃえばいいんだ! 」
そう言うひなみに、美奈子さんは竹刀を振り下ろした。けど、それはひなみではなく、氷の塊に直撃した。
一瞬竹刀がぐにゃって曲がって見えて、氷の方からはパキパキって亀裂が入る音がする。氷が砕け散るタイミングで美奈子さんは次の一手を打ったけど、ひなみはそれを避けて、吹雪を起こす。美奈子さんが、少し押されている。
俺のこの銃弾は、確か妖怪にはめちゃくちゃ効くはず。もし、間違って頭とか心臓を撃ってしまったら、俺は、ひなみを殺してしまうかもしれない。けど、俺が何もしなかったら……。
「美奈子お姉さん、強いね。けど、大丈夫。美奈子お姉さんもすぐに」
「御託はいい、弟を返せ。話はそれからだ」
美奈子さんだけでは、今のひなみには勝てない。俺も何とかしないと。けど、闇雲に動く訳にはいかないのに、考える時間もほとんどない。考えろ、考えろ……。
美奈子さんはきっと、ひなみを殺す勢いで戦ってる。たしかに、それも一理あるんだ。雷斗を助けるだけなら。
でも、俺はそんなことしたくない。美奈子さんも、本当はそんなことをしたくはないはず。
なら、ひなみを一瞬気絶させることが出来れば、ひなみの妖術の効果が切れる可能性がある。これを試すしかないか。
美奈子さんは、ひなみの攻撃を避けたり、竹刀でたたき落としながら距離を詰めて、ひなみに打ちかかる。
ひなみはまるで、絹みたいに滑らかに動いて、美奈子さんの攻撃がなかなか当たらない。当たったとしても、着物の袖の部分が少し引っ張られているだけだった。
二人の動きを見ながら、程よい感覚がある時に、二人の間を目掛けて撃つ。
二人はそれを反射で避けて、ちょうど間合いが取れるくらいに離れた。
「美奈子さん、多分ひなみを気絶させれば大丈夫ですから、力半分くらいでひなみを打ってください。隙は俺が作ります」
俺がそう言うと、美奈子さんは目で返事をしてくれた。
「ひなみ! こっち!」
そう言うと、ひなみは俺の方に向かってきた。近づかれるだけで寒い。
「兎夜ぁ、なんで銃を向けるの?」
「俺だって、ひなみに銃なんか向けたくないよ」
定期的に間合いをとるために、当たらないギリギリくらいを狙って銃を撃つ。美奈子さんの剣を簡単に避けられるなら、俺の銃弾なんかもっと余裕で避けられるはず。その上、あえて構えてから撃つまでに時間を作って、ここを撃つって知らせている。ひなみに避けさせる為に。
「いじわる、しないでよ」
頭上からつららが降ってくる。順に落ちてくるつららを、走ってかわして、その先で待ち構えるひなみに銃口を向けて、距離を取らせる。だんだん手が冷たくなってきた。
「絶対なんか変だ、目を覚ませひなみ!」
「いや」
吹雪が吹き荒れる。本当に、冷蔵庫の中で戦っているみたいだった。吹雪のせいで姿が見えづらい。横から飛んできた鋭い氷が、頬を切っていく。余りの寒さに、血が垂れたところが凍り始めているような気がする。
青白いロウソクの光を頼りにひなみを探す。次の瞬間、目の前にひなみがバッと出てきた。近い、避けきれない。銃を構えて真上に一発。
「美奈子さん!」
しゃがみこんで、隙を作ると、その間を上手いこと打ってくれて、ひなみに美奈子さんの一撃が入る。剣道だと、胴ってやつかもしれない。
美奈子さんに、力半分くらいにしてくださいって頼んだけど、ひなみは、勢いよく洞窟の壁まで吹き飛んで、そのまま動かなくなってしまった。
「兎夜くん、ありがとう。私だけだったらもっと大変なことになってたと思うわ」
「いえ……でも、お互い無事でよかったです」
吹雪が止んで、洞窟内の気温も上がっていく。後は連れていかれているはずの雷斗を探すだけなんだけど、全く見当たらない。
「ひなみちゃん、雷斗をどこに隠してるのかしらね。起こして聞かなきゃ」
美奈子さんは、そう言うなり、ひなみに近づいて、ひなみを揺らした。
「ひなみちゃん、起きて」
俺も周りを見てみるけど、姿が見当たらない。隠し扉みたいなのがあるのかなって思って、辺りを探索していく。
すると、ロウソクの火が、一つだけ青いままのロウソクがあった。隠し扉かと思って手を触れようとしたら、やけにその周辺が冷たくて、違和感を感じた。氷があると言うよりは、その周辺だけ、まだ妖術が解けてないみたいな……。
「美奈子さん! ひなみから離れてください!!」
ハッとして俺は、美奈子さんに声をかける。
俺の声を聞いて美奈子さんは、急いで手を引いたけど、一歩遅かった。
「……痛かったぁ」
ひなみは、美奈子さんの右腕を掴むなり、掴んだところから、美奈子さんの腕を凍らせた。
それを見るなり、避けられることを前提に、俺はひなみのスレスレを撃った。ひなみは美奈子さんから手を離したけど、美奈子さんの右腕が半分以上凍ってしまっていた。
「力が足りなかったか……!」
美奈子さんはそう言っているけど、あれは間違いなく、一回気絶していた。それでもダメだったってことだと思う。
どうしよう、俺の判断ミスだ。美奈子さんは、自分の腕を見るなり、苦い顔をする。利き手が使えなくなると、竹刀を持つことすらままならないはずだ。
「美奈子さん、下がってください。俺がやります」
ロウソクの火がまた全部青くなる。気温も下がって、冷蔵庫に逆戻りだった。
「ねぇ、遊ぼう。兎夜」
どうしたらいい……どうしたら、ひなみを、みんなを助けられる。吹雪が吹き荒れる中、ひなみは不敵な笑みを浮かべていた。