睦月(3)
イワシっちから全てを教えられた後でも、親友が居なくなった後でも、世界は当たり前のように明日を迎えた。
当然だよ、何があったって他の人には影響がない。イワシっちは、赤沼が自分のことを忘れてくれるって言っていた。多分、何かしらの力を使って記憶を消したんだろうな。
「だったら、いっそのこと俺の記憶も」
……ダメだそれじゃ。イワシっちのこと、忘れていいわけない。イワシっちだって、俺のために、四百年間も。
「……学校、行かなきゃだ」
ほとんど寝れもしないまま、重い足取りで学校に向かった。
「おはよう、とやまる」
「うん、おはよう」
笑っている華代が、記憶の中のカヨと混ざる。全く、同一人物みたいだった。あの時、俺が殺してしまったカヨと……。
「大晦日のテレビとか見た? 多分華代の好きなアーティスト、紅白出てたよ」
「え! 嘘! その時間普通にお母さんと蕎麦の準備してたかも……テレビはずっとお父さんが違うチャンネルつけとったし……最悪や〜」
華代が頭を抱えていると、後ろからひなみが飛んできた。
「わっ! おはよう! 華代ちゃんが言ってるアーティストなら、期間限定で公式から映像出てるよ!」
「ほんとや! うわよかった〜!」
「兎夜は? 好きなアーティストとか出てたの?」
ひなみから急に質問をふられてちょっとドキッとした。いや、テレビを見た事に変わりはないから、そんなに焦る必要もないんだけど。
「俺は普通に、歌好きだから……好きなアーティストとかって言うよりは、全体的に見てたかな」
「そっか〜! じゃあ歌とか上手いんだろうな〜」
「三年生になる前に、みんなでカラオケ行けたらいいよね! って言っても、ここ田舎やから、カラオケ行くのに電車使わないかんけど」
俺の気持ちや記憶とは裏腹に、平和な時間が流れていく。これはこれで、幸せなんだ。俺がしばらく、勝手に抱え込んだ辛さに耐えきればいいだけで。
華代やひなみ、他のクラスメイトや先生。誰と関わってもきっと、普段通りの俺を演じることが出来たと思う。もっと大切なことなら、誰かに説明してもいいんだろう。でも、言ってしまえば個人的な事だから、そんなことで、誰かの気持ちを重くしたくはない。
笑顔を繕って、縫い合わせた言葉で話して、体が覚えている動きだけで生活を送る。それで、普段と変わらないなら、それでいいんだ。
「とやまる〜帰ろ〜」
気がついた頃には、放課後になっていた。今日一日、何があったかそんなに思い出せないけど、周りの人の表情が曇ることはなかったはず。上手くいったってことだな。
「帰ろうか。あれ、ひなみは?」
「ひなみちゃんは、海響に雷斗を迎えに行くって。だから先に帰るね〜って言ってたよ」
「そうなんだ、じゃあいいね」
雑に荷物を持ち上げて、教室を後にした。
「なんか一緒に学校帰るの久しぶりやね、冬休み前は色々あって一緒に帰れんかったから」
「そうだったね、委員会とかだったっけ? お疲れ様」
「ありがとうね〜」
時間は多分十七時前くらい。まだ明るいけど、もう太陽の姿はない。
「ねぇ、とやまる」
「なに?」
「大丈夫?」
いきなり華代から、大丈夫かと聞かれた。なんでだろう、普段通りにしてたはずだけどな。
「大丈夫だよ」
「……嘘」
華代がジトっとした目で見てくる。どうしよう、バレないようにしないと。
「嘘じゃないよ、全然大丈夫じゃん」
「……だって、いつもより声色が少し高くて、笑顔も引きつってる。大丈夫な人の顔じゃない」
バレないように……できるかな。
「いや、でも」
「ていうか、今日だけじゃないよ。最近のとやまる、いつも一人で何か抱え込んでる。ぼーっとして、心配して声掛けたら、大丈夫としか言わない。どうせ、普段通りにしてれば大丈夫だとしか思ってないんやろ」
……こんなに図星抜かれることあるんだなって言うくらい、全部貫いてくる。そうだったな、そもそも、イワシっちのこと以前から、頭の中の整理つかなくて、元気なかったのかもしれない。
「私ね、とやまるに救われた。貴方がいなかったらとっくに死んでた。いなかった。そして、生きてていいって、生きていたいって思わせてくれたもの、とやまる、貴方だよ。言ってくれたやん。一緒に居ようって、一人で抱え込まなくていいって。言ってたとやまるが抱え込んでどうするの?」
……そうだったな。夏頃、一人で抱え込んで、自分が犠牲になればいいって思っていた華代に、そういうこと言っていたんだな。キザかもなとか思ったんだっけ。俺にそんなこと言う資格なかったってことだな。
「ごめん、華代。心配かけて。そんなこと言っておきながら、これじゃダメだよね。俺もっと頑張るから」
……頬に衝撃が走った。華代が、俺の事を叩いたみたいだった。華代が、すごく怒ってる。
「人のこと救っといて、自分は救わせてくれないってこと?」
怒ってるのに、泣いてる。
「私に出来ることなんて、本当に小さなことよ。話聞いてあげることくらいしか出来ない! でも、一緒に居ようって言ってくれたんなら、一人で抱え込まなくていいって言ってくれたなら、今度は私に、それを言わせてよ……」
あぁ……そっか。独りよがりって、自分が思ってる以上に、周りを悲しませるものなんだ。そうだ、自分は今、我慢する側だから分からなくなっていたんだ。俺だって、夏の頃は、華代を助けたいって気持ちで一生懸命だったっけ。
ダメだな、気持ちが分かるはずなのに、同じことで人を泣かせちゃうんじゃ。人として、ダメだ。
「悲しい思いさせてごめん。でも、そう言ってくれてありがとうね」
華代が、ボロボロ泣いている。俺は一体、何回華代を泣かせればいいんだろうな。傷つけたくない、悲しませたくない。だからこそ、隠さないことも必要になるってことか……。
「……じゃあ、少しだけ、話聞いてくれる?」
近くの公園のベンチに座って、話を聞いてもらった。
神無月の出来事は、まだ終わってないってこと。俺たちは、四百年前に一度、この出来事を体験していたこと。その時には、華代を守れなかったこと。イワシっちのこと……。少しって言う割には、話しすぎたかもしれないってちょっとハッとした。けどその時には、口から言葉が出てしまった後だった。
「そっか、色々大変だったんだね」
華代は、ベンチから立ち上がって
「過去は過去。今は今。昔のことは、もういいんやない? 私は今、生きてるし」
そう言って笑うと、華代は、手を差し伸べた。
「今からのことは、一緒にどうにかしていこう。大丈夫、だって、とやまるやもん」
迷惑をかけたくなかった。他の人に、どうしようもなく事情を話すことはあっても、頼る気はなかった。できる限り、全部一人でどうにかしようと思っていた。それが役目だって。
けど、違うんだな。一人だけで解決することが、守護者としてやるべき事ってわけじゃないんだ。
「ほんと、ごめん」
華代の手を取って立ち上がると、華代は、ニヤッとしていた。
「ごめん。じゃなくて、ありがとう、でしょ?」
負けたなと思った。
「そうだね、ありがとう」
すっかり辺りが暗くなって、街灯がつき始めた頃、俺たちは公園から立ち去った。冬の寒さはまだ厳しいままだけど、今は少しあたたかく感じた。