過去編 歌田兎夜(3)
いつもの時間頃に屋敷に戻って、いつもの時間くらいに寝床につく。ただ、いつもと違うところがあるとすれば、夜の間に、何者も傷つけていないところだけだった。発砲音でバレてたらいけないから、数発は空撃ちしている。それでバレるなら……いや、お父様たちも、そこまで有能じゃないはず。
「……やくん、奏弥くん」
カヨの声がして飛び起きた。縁側を見ると、そこにはカヨが居た。日は昇っているようだから、俺は多分、色々考えながら寝床で寝落ちしたんだと思う。
「おはよう、カヨ」
「少し早い時間に来ちゃってごめんね。おはよう」
そう言われてみれば、いつもより日が昇りきっていないかもしれない。
「今日は休み?」
「うん。夕方の前までは、自由に好きなところで遊んでおいでって」
カヨの両親が、最後に好きなことして来いって言ったんだろうな……なんか、悔しい。悔しいけど、バレないようにしないと。
「奏弥くんは、今日も忙しい?」
忙しいかと聞かれれば、忙しいかもしれない。でも、俺がカヨといるだけで、疑われるようなことは、多分ない。
「ううん。俺も夕方までは大丈夫。どっか行く?」
そう言うと、カヨはすごく嬉しそうな笑顔で頷いた。
「じゃあ奏弥くん、早く支度してきてね。髪の毛、ねぐせついとる。ちゃんと直してきてね。待っとるから」
そう言うと、カヨは屋敷の門の方に向かった。多分気づかれてない。それはそうとして、カヨにとって最後の時間は、俺といることに使ってくれるんだなって気がついてしまって、少し心があたたかくなった。
「おまたせ」
「ん、じゃあ行こ!」
カヨはそう言うと、俺の手を引いて、坂になっている道を駆けて行った。
「どこ行くの?」
「いいけん来て!」
たどり着いた場所は、田んぼでも、森でもなかった。
「海……?」
「そう! 海! うちら、小さい時からずっと遊びに行くなら森ばっかりだったやろ? やけん今日は、海に来てみました!」
海……海を見るなんていつぶりなんだろう。本当に小さい時に来た以来かもしれない。
「カヨは海好きなんだっけ?」
「そうやね。貝殻綺麗、空も海もすごく綺麗。夜に近寄れんところは難点やけど、いつでも爽やかで、すごく好き」
ザァザァと波の音が心地よく聞こえる。もう秋だから、少し寒いとも感じるけど、それはそれでいいのかなって感じた。
砂浜を歩きながら、二人でずっと昔からの思い出話をしていた。小さい頃から一緒に遊んでいたこと。二人で森のなかへ動物とふれあいにいって、迷子になったこと。イセと俺が喧嘩して、カヨがそれを全力で止めたこと。白莉も混ぜて、みんなで出来るような遊びをしたこと……。話せば話すほど沢山出てきて、あの時は良かったなんて、感傷に浸ってしまった。話しているうちに、カヨは、首にかけているペンダントを外していた。
「ねぇ、奏弥くん。これ受け取って欲しいんだ」
緑色の石が付いた綺麗なペンダント。カヨがいつでも大切にしていたものだった。
「でも、これはカヨの大切なものでしょ? しかも、たしかイセに貰ったんじゃ……」
「そうよ。イセから貰った、大切なペンダント。でも、これ、奏弥くんに持ってて欲しいんだ。だって、これは、何かあった時に、奏弥くんを守ってくれるお守りになるかもしれんから」
カヨが太陽の光に緑色の石を透かして見ると、きらきらと反射して、とても綺麗だった。正直、カヨに持っていて欲しいんだけど、カヨの気持ちを裏切りたくなかった。
「じゃあ、受け取っておくね。でも、いつか返すかも」
「なんで?」
「カヨが、いつか必要になるかもしれないでしょ? その時まで、俺が大切にしておく」
カヨは、そっかと言って笑っていた。本当に、今日死ぬかもしれないと思っている人の笑顔には見えなくて、少し、俺の方が辛いと感じた。
「帰ろう。家に戻るまで時間がかかるけん、そろそろ戻らないと、お父様たち怒ってしまうかもしれんから」
カヨは少し名残惜しそうに海を見ると、海岸を後にした。先を歩いて行った、カヨの背中に寂しさが少し見えた気がした。いや、もしかしかしたら寂しいのは俺なのかもしれない。俺が助けるから大丈夫だって分かっているのに、カヨはそれを知らないから、その気持ちを考えると、辛くて。
「え?」
カヨの手を取って、繋いだ。
「行きがけ、俺の手を引いてくれたから。……ちょっと、カッコつけ」
そう言うと、カヨは、涙が出るほど笑っていた。似合わないって言って、笑っていた。そのまま二人でまた、思い出話なんかしながら、互いの家に向かった。
最後の分かれ道での、じゃあね、ばいばいが重たかった。
日が落ち始める前、ここからが本番。でも、気合いが入っているようには見せずに、普段と変わらずに。
「奏弥、私は夜に別用がある。今日は海に妖が出て町の人が困ったと言っているのを聞いた。そこに向かってあげなさい」
罠だ。多分、山に近づけないようにしてる。でも、そんなことを口に出したらバレてしまうから、分かりましたと返事をした。その後は、家の人たちの目を盗んで、屋敷から抜け出した。目立たないように、約束の場所に向かおうとする。すると、目の前に、墨で描かれたネズミが出てきた。
「あれ……たしか虎だったはず」
ネズミは、着いてこいと言わんがばかりに、道を進んで行った。なんか妙だと思って、そのネズミを追いかける。すると、行き着いた先は神崎家の屋敷だった。
ネズミは、スルスルっと入っていく。中に人は……居ないらしい。ネズミのあとを追いかけると、何だか異様な場所にたどり着いた。屋敷の近くから、少し下の土地に行ける道があった。そこをネズミが進んでいく。薄暗くて、ちょっと見えづらい。するとそこには、牢屋みたいなものがあった。
「……イセ?」
その奥に、イセがいた。腕は縛られていて、頭から血を流しているように見えた。気のせいだったらいいんだけど。
「奏弥か。……あぁ、白莉の。すまん、あいつらにはバレてねぇと思うけど、こんな所にぶち込まれちまった」
「バレてないのに……てかなんで屋敷の中に牢屋なんか」
「お前の家との文化の違いだ」
虚ろな目をしたイセがそう答えた。よくみると、頭以外にも怪我をしていて、カヨの前にイセが死ぬんじゃないかって不安になった。
「どっか入れる所とかは!? てかイセなんでそんな傷だらけになったんだよ!」
そう聞いても、イセは答えてくれなかった。しばらく俺が入れる場所を探していると、
「いい。俺のことは、いい。もういいから……」
イセがそう言ったけど、そんなこともできなくて。
「もういいって……そんな傷だらけで、いいわけないじゃん! ちょっと待ってて」
「いいっつってんだろ!!」
手が止まった。なんでだ、なんか、いつもと雰囲気が違う。イセなら絶対、もういいなんて言わないはずなのに……。大声でいいって言ったあとから、急にイセの気迫が消えた。
なんだろう、なんでか、イセが消えそうだった。
「奏弥……カヨを、カヨを頼む。カヨを、助けてくれ」
声が掠れて、泣いているようだった。あのイセが……。
「……ネズミ、イセの腕の縄、切る事って出来る?」
すると、ネズミはどこかの隙間から牢屋の中に入り込んで、イセの縄を解き始めた。
「カヨを助けて、必ず戻ってくる。だから、待ってて」
そう言った直後、後ろにあの虎が来ていた。迎えに来たと言わんがばかりだった。俺の言葉に対するイセの返事は無かった。そして、走り出した虎の後を追って、俺は走り出した。
カヨを、助けないと。
体力の温存のため、何回か休憩を挟みながら山を登っていく。大人たちが使ったであろう道を使いたいけど、それを使ったら俺のことがバレてしまう。あくまで、隠密に。
日はもう完全に落ちきって、月明かりだけに頼って進むことしか出来なくなった。蝋燭一本くらい持ってくればよかったって後悔したけど、そんなこと言ってられない。感覚で、前に進んでいく。しばらくすると、ポツポツと、明かりが見えてきた。
蝋燭の光を辿って進んでいく。カヨはまだ無事だろうか。というか、無事じゃないと困る。頼むから、無事で……!
バッと走り抜けた先には、急に開けた土地があった。そこには、見たこともない祠みたいなものが建っていた。多分これが、イセが言っていたやつ。木でできた雑な鍵を取り払って、勢いよく戸を開けた。
「カヨ! いるか!」
すると、返事の代わりに何かがすごい速度で真横に叩きつけられた。妖の体の一部? 腕か足か。まるでタコみたいな。
それが戻っていく前に、一発撃ち込んだ。けど、穴が空いたのは、祠の階段部分だけだった。
「なにすんだよ、あぶねぇじゃねぇか」
耳元で声がした。ゾワッとして、すぐ真横に向けて撃った。手応えがない。次の瞬間には、俺の方が吹き飛んでいた。茂みの木の枝が少し痛い。
「お前か、彼岸町を飢饉に陥れて、カヨを生贄に出せって言ったのは」
「なんだよ。その女についてはそっちが選んだんだろ。俺は知らんね」
カヨを選んだのはお父様たち。たしかにそうだけど、他のところを否定しないってことは……やっぱりこいつが。
「なんとしてでも殺してやる」
「おぉ、いい殺気」
姿は、今は見えない。身を隠してるんだろう。
「虎!」
隠れさせていた虎を使って、小さな砂嵐を起こす。後方右寄りの
「上か!」
上から叩きつけられたそれに向かって弾を撃ち込む。少しそれは跳ね返って、こちらに叩きつけられた。かわして次、真横からの攻撃を避ける。攻撃をしてくるタコ足を虎に噛ませて、その間に本体を撃つ。心臓を撃ってるはずなのに手応えがない。
「痛え」
虎がなぎ払われて、木に直撃した。それ以降、気配を感じない。やられたか。
足元に咲いた彼岸花から距離を取る。罠の類、案の定爆発した。爆発で起こる砂嵐で前が見えない。風を切る音で判断するほかないか。
左前、左斜め下、中心右、上……タコ足が向かってくる方向を、風の動きや音だけで判断して避け続けて、茂みに飛び込む。手に取った石を投げて注意を逸らして、その隙に奴に近づく。至近距離で二発、心臓に撃ち込んだ。手応えがある。
二発同時撃ちの反動で少し体が後ずさる。砂嵐が消えていく。
「……あ」
二発、それは確実に心臓を貫いたはずだった。あいつの心臓を貫いたはず……なのに。
「あ……なんで…………」
倒れているのは、カヨで。
おかしい、なんで。いやでも、俺の弾丸では、人間は死なないはず。痛いけど、当たるとすごく痛いけど、死にはしないはず。なのに。
カヨの胸元に、穴が二つ。人間のこんな所に穴が空いて、助かるわけがない。なんでだ、なんでだ……?
「お前、そいつのこと大切だったんだろ? どうだ? 大切な人の、死体」
「お前……!」
即座に銃を手に取って撃ったけど、その弾丸は、空中でバラバラになって消えた。次の瞬間、すごく嫌な感覚がした。喉の奥から何かが上がってくる。むせ返って、地面に吐き出したそれは、ドス黒かった。
「は……?」
視界が地面と平行になる。見えづらい。どうなった? カヨは? 俺は? どうなった?
「なんで怒んだよ、人間。お前らの望み通りじゃねぇか」
ダメだ。声は聞こえるのに意味が理解できない。
「こいつの死体は貰うぜ。指一本も返してやんね」
待て、待て待てふざけるな待て……! 途切れる、視界、音、体の感覚が、ひとつずつ途絶えていく。
引きずられていくカヨと、化け物の姿が目に入って、そこからはもう、記憶がない。
「……」
目が、覚めた。けど、全身が痛い。起き上がったら全身針に刺されたような痛みが襲ってくる。
空が、明るい。俺だけ、明日を迎えてしまったみたいだ。
痛みなんてどうでもよかった。呆然と空を見る。何を考えているのか、そんなことを言語化することも出来なかった。
「……おい」
あ、イセだ。イセがこっちに来る。
「おい、カヨは、カヨはどうなった! お前が生きて帰って来れたんだから、カヨも生きてんだろ!? なぁ!?」
俺の胸ぐらを掴んでガスガスと揺らす。返事が、出来なかった。
「お前、なに黙りこくってんだよ。冗談きついぜおい……おい、なんか返事しろやクソ!!」
頭に思い浮かぶのは……あの光景だ。あぁ、なんて、なんて……なんで。
「……何も言えねぇってことは、そういうことなんだろ」
イセが冷たい目で俺を見ている。本当のこと、言わないとだ。
「カヨは……カヨは」
声を出すと、それだけで肺が痛い。でも。
「カヨは……俺が…………殺した」
イセが、俺から手を離した。力ない手が、ブラブラと揺れていた。
「フッ……ハハ……アハハ……そうかい、そうかい。天下の宮代奏弥様も、神様に出し抜かれたか!! ハハハハ!!」
イセはもう一回、俺の胸ぐらを掴んで、イセ自身に近付けた。
「いいぜ、お前がカヨを殺したんなら、俺がお前を殺してやる……! 地獄で一生苦しんでろ!!」
イセの右手には、刃物が握られていた。
あぁ、もう、殺してくれ。目を瞑ると、刃物が刺さる感覚はなくて、逆に、壁に人が打ち付けられる音がした。目を開けると、滋俊がそこにいた。イセを壁に突き飛ばしたらしい。吹き飛んだ衝動で、イセの刃物は、イセ自身の手に突き刺さっていた。
「御用だ!! 敵襲!!」
滋俊がそう叫ぶと、イセは舌打ちをして、手に突き刺さった刃物を抜いて走り去って行った。その血痕を、家の人達が血眼になって追いかけて行くのが見えた。
「奏弥、大丈夫か?」
滋俊が、無表情でそう聞いてくる。返事をするのも辛い。
「奏弥だけでも、生きて帰って来れて良かったよ」
「……」
「奏弥、全身傷だらけ。頭から腹から血ぃドッバドバ。手当て大変だったんだぜ? 生きてんのが奇跡だよ」
生きてるのが……奇跡。
ふと、枕元に置かれていたペンダントを見た。陽の光に照らされて、キラキラと輝いている。
「なんで、俺なんだよ……」
それ以降、涙が止まらなくなった。
それから一ヶ月。体が完全に回復しきれていないくらいの頃、部屋の襖が開いた。
「奏弥、我々は、この彼岸町を出る」
お父様……は、突然そんなことを言い出した。
「じゃあ、この町は、彼岸町はどうするんだよ」
「御三家に任せる。我々は、この土地を離れて安全に暮らす」
「なんで! 無責任に他人傷つけて、罪も償わずに、そんな都合のいい事あってたまるか!」
「……やりなさい」
アイツがそういうと、何かが走ってくる音と同時に、俺の意識は飛んだ。気がついた時には、もう、知らない町に居た。
「今までのことは、忘れなさい。これからは、普通の人として、生きていくんだよ」
そこから、俺は、周りの言う通り、なんの意思もなく、味のしない幸せを食って、何も無い時間を過ごして行った。
後から聞いた話では、俺と話したあと、イセは消息不明になったらしく、白莉も、病気の進行で命を落としたそうだ。知らない町に来てから、滋俊の顔も見ていない。
俺は、その一生が、平凡に幕を下ろすまで、なんの幸せも感じず、一生の罪悪感を抱えて、永遠のような一瞬の時間を過ごした。
消えない罪も、感情も全部、どうすることも出来ないまま。