過去編 歌田兎夜(2)
俺が、宮代奏弥が十四になる年、彼岸町は飢饉に陥った。
なんの前触れもなく、急に。それでも、俺の身の回りはほとんど何も変わらなかった。食べ物は多少質素になったものの、ほかは大差なかった。
「俺たちだけ、普通にご飯食べてるの悪いですよ。他の人にもわけてあげればいいのではないですか」
巷では、老人や子どもから順番に、次々人が死んでいるらしい。今、俺の目の前にある食べ物があれば、その人たちは救えたのだろうか。
「お父様」
「奏弥」
急に呼ばれて手が止まる。その声から伝わる気迫が、今までのお父様とは別人みたいだった。
「飢饉の原因は、妖にある。我々が倒れたら、それこそこの町を救えない。いいか、全ては我ら宮代と御三家にかかっている。奏弥も、自分の身の重さを分かりなさい」
悔しかった。言い返せなかった。黙り込んで、目の前のご飯を食べる作業をすることしか出来なかった。
「毎晩、近辺の妖を狩りに行く。原因を早く突き止めて、町の者達を救うんだ」
「……それで、町の人たちを、本当に救えるんですよね」
「当然だ。そのために我々宮代はいるのだから」
……普通に考えたら、飢饉なんて自然の力によるものなんだ。俺ら人間に同行することが出来ない。けど、それを引き起こすのが、人知を超える様なもの達で、それをどうにか出来るのが、俺たちなら。俺たちだけなら。
「やるしかない……ですよね」
それ以降、毎晩毎晩、町の範囲の至る所に出向いては、飢饉の原因になっていると情報を得た妖を一人で撃ち回っていた。何匹何体撃てど殺せど、飢饉が収まることは無かった。雨は降らないし、農作物を喰う虫は無限に湧き続けた。
「ねぇ、奏弥くん」
飢饉になって数年経ったある日の昼間、カヨがうちの屋敷に来た。
「最近無理しとるやろ? 目の下にクマ、できてる」
カヨは笑顔で、寝床から起き上がったばっかりの俺を見る。そういうカヨも、少し疲れているように見える。
「無理は、してないよ。やる事をやってるだけ。カヨも大変でしょ。しばらく会えてなかったね」
「ううん。夜はちゃんと寝てるし、食べ物もちゃんと食べてる。元気、だよ」
カヨは、屋敷内に入り込んだ猫を膝に乗せて撫でている。胸元では、緑色の石が、日光に照らされて光っていた。
「奏弥くんは、優しいね」
「……何で?」
「自分も辛い気持ちがあるのに、まず人のことを考えるでしょ? 自分のことはちょっと置いてけぼり。そういうところ、好き」
……優しい。優しいかな。人間じゃないものではあるけど、たくさん傷つけて、まだ何も出来てないのに。でも。
「ありがとう。カヨも、優しいね」
そう言うと、カヨは、何故か少し悲しそうに笑っていた。
「奏弥くんは、ずっと、そのままの優しい奏弥くんでいてね。誰にでも優しくて、素敵な奏弥くん」
「なんでそんな」
「奏弥くん、明日、お誕生日でしょ? 明日は来れないから、プレゼント、置いておくね」
カヨは、俺の言葉を遮るようにそう言って、屋敷を後にした。カヨが座っていた所には、丁寧に作られた組紐が置かれていた。
「それ、カヨが作り方教えて欲しいって。奏弥にあげたかったみたいだよ」
いつから居たか分からないけど、矢の予備を持たされた滋俊は、組紐を手に取ってそう言った。
「君ももう、今年で十七だね。僕から出来ることなんて何も無いけど……お誕生日、おめでとう」
滋俊は、カヨが作ってくれた組紐を俺のそばに置いて、武器庫の方へ向かっていった。俺は、その組紐を握りしめて、深いため息をついた。
「……はやく、どうにかしなきゃ」
町にはもう、何とか生き残った人が若干数と、宮代と御三家しかいない状態だった。あとの人達は、他の町に出たか、死んだかだそうだ。自責が重なっていく。毎晩の妖退治を始めてから、だいぶ経っているはずなのに、状況が一向に良くならない。洞窟の奥にいる鬼や、高等な獣族も、殺したり、封印したり。なのに良くならない、状況は、良くならない。
「お父様……ほんとうに、俺たちがしていることに意味はあるんですか」
お父様にそう聞いても、そうとしか答えない。毎晩俺に、妖を倒してこいと言ったお父様は、いまでは家の人を率いて、違うことをしている。本当に、俺がやっていることは、誰かを救えることなのだろうか。腕に着けている、二本の組紐を見る。早くしないといずれ……。そう思っているのにも関わらず、状況は、いつまで経っても変わらなかった。
俺が十七の時の、ある秋の日。夕日が沈み出した頃、俺は何も食べずに、いつものように妖狩りに出かけようとしていた。屋敷の裏から、山に入ろうとすると、いきなり腕を引かれて、背の低い木の中に倒れ込んだ。
こんなに近くに妖が来ていたなんて、気が付かなかった。急いで銃口をそちらに向けると、その先にいたのは
「イセ」
「……物騒だな」
イセは、少し不機嫌そうな顔をしていた。
「いきなり攻撃されたかと。イセも俺と似たようなことしてんだし、そう思うのもわかるだろ」
「あー、はいはい。悪かったね」
イセは、頭に付いた葉っぱを払うと、形相を変えてこちらを見てきた。
「聞け、奏弥」
日が落ちきった森の中には、互いの提灯しか光がない状態だった。イセの目が、提灯の赤に照らされている。
「カヨが、死ぬ」
「……は?」
カヨが、死ぬ? なにかの聞き間違いじゃないだろうか。
「俺も、信じたくない。が、オヤジどもがそう言ってた。あと、飢饉の原因も分かった」
「原因って……」
「山の奥にいる、神様だ。土地神じゃない、そもそもこの土地に神様はいねぇからな」
神様……妖じゃないんだ。
「でも、何で神様が……しかも、カヨが死ぬって」
「オヤジたちだよ。オヤジたちの会議で決まったらしい。五年に一度、町から子どもを一人生贄に出せば、その間は普通の生活が出来るようにしてやるって」
「じゃあ……それの生贄に選ばれたのが」
「カヨだ。そりゃ、あとの子どもは、みんな死んだかやせ細って神様に捧げられたもんじゃないしな。白莉は病気だし、俺もお前も体ボロボロだし、捧げもんって見た目じゃねぇだろ。そしたら残るのは」
「カヨ……」
そうか、だからあの時、あんなに笑顔が悲しそうだったんだ。なんで、なんであの時に俺がちゃんと気がついていたら。
「……助けにいこう。カヨが生贄される日はいつ? それが分かれば、そいつをその日までに倒せば」
「明日だ」
明日……時間がない。けど今から行けば。
「っと馬鹿お前どこ行くんだよ!」
「そいつ倒しにいくんだよ!」
「場所もわかんねぇのに行く馬鹿があるか、落ち着け!」
腕をまた掴まれたから、反射で振り払ってしまった。イセが少し驚いた顔をしていた。
「……ごめん」
「……お前にも、そういう一面あんだな。ちゃんと人間で安心したぜ」
イセはそう言うと、その場に座り込んだ。
「お前ん所のオヤジも、多分もう妖怪殺ししてねぇだろ? 生贄を捧げるための場所を作ってたからやってねぇんだぜ」
「じゃあ……お父様たちはずっと前からもう、カヨを生贄にするつもりで……」
「そういうこったな。俺らガキはまんまと騙されてたってことだよ」
色々な感情が込み上げてくる。怒りなのか、悲しみなのか分からないけど、なんかもう、ぐちゃぐちゃ。
「いいか、今はオヤジたちも敵だ。俺たちだけでその悪い神様やっつけて、カヨを助けるしかねぇ」
「……そうだな、俺たちで何とかしないと」
イセは、空を見上げると、スっと立ち上がった。
「そろそろ帰らねぇと、俺が怪しまれる。場所は伝えておく。神崎の屋敷の裏にある山の奥だ。行けば蝋燭とかの明かりがあるはずだから、お前でも分かる。明日、そこで落ち合おう。そして、今日は普通に過ごせ。バレたら終わりだからな」
そう言って、イセは帰って行った。急に、暗闇の中に一人で放り出された気分になった。
「今まで俺がしてきたことは……」
その場に座り込んで、荒くなった息を何とか整えていた。
屋敷に戻ったら怪しまれる。どこでもいい、どこかに、どこかに行かないと。無意識で森の中を進んでいく。普通なら、こんな時間に一人でで歩けば、妖の類が襲ってくるんだけど、そんなことは無かった。それだけ俺が……。
気がついた時には、森の奥の、白莉がいる場所の前にいた。ここに来るのは、いつぶりだったっけ。
「……白莉」
起きているか分からなくて、名前を呼ぶ。すると、木の扉がスーッと開いて、白い腕が出てきた。
「夜に人が来るなんて初めてだ。あ、ごめん。驚いた?」
扉はさらに開いて、綺麗な着物を着た女性が出てきた。肌も髪も全部真っ白で、目だけが赤く光っていた。
「病気のせいで、こんな見た目なんだ。どっちかって言うと妖怪みたいでしょ? 撃たないでね」
「う、撃たないよ……」
ちょっとびっくりしたけど、あからさまな態度を取るのは、失礼なんじゃないかって思った。でも、大人がたまに、白莉のことを、神様みたいな呼び方をすることがあったのには納得した。見た目が確かに、人間より綺麗かもしれない。
「で? なんでこんな時間に奏弥はここに来たの? 」
なんで……目的があった訳じゃないけど、でも、白莉にも伝えないと。
「白莉、彼岸町で飢饉が起きてるのは知ってる?」
「うん、知ってるよ。ここに運ばれる食べ物が減ったからね。大人もそれっぽいこと言ってたよ」
「その飢饉が、実は妖の仕業じゃなくて、山の奥の神様のせいだったんだ。そして、大人達は、その神様に生贄を捧げて、飢饉を収めようとしてる」
「まぁ、よくあるやつだね」
「その生贄が……カヨなんだ」
「……あぁ。やっぱりか」
「やっぱりって……白莉は知ってたのか!?」
白莉は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「知っていた……というよりは、それらしい話を大人たちがしてたのを聞いただけだよ。確定情報は初だね。」
「そっか……」
白莉は、思っていた以上に冷静だった。
「奏弥のことだ、助けに行くんでしょ?」
「もちろん。白莉は来れないだろうから、俺たちだけで何とかする」
白莉はふぅと息をつくと、暗闇の中に入っていった。しばらくすると、闇の奥から墨で描かれた虎が飛び出てきた。
「虎。連れてって。今連れていくと目立つだろうから、出すのは明日にするけど、多分、役に立つ」
墨で描かれた虎は、すごい形相で俺を睨んでいるけど、とても頼りがいがあった。
「ありがとう、白莉」
白莉は少し微笑むと、それと同時にむせ返っていた。
「白莉……?」
「いつものことなんだ。気にしないで。じゃあ、明日。任せるよ、奏弥」
そう言うと、白莉は暗闇の中に吸い込まれていって、扉もスーッと閉まった。その後は、森の中を歩き回ったり、あえて休憩したりして、朝を待った。
生贄を寄越せって言った神様も、騙していた大人たちも許せない。けど、今は何としても
「カヨを、助けるんだ」