過去編 歌田兎夜(1)
「……やくん、奏弥くん!」
鈴の音みたいな女の子の声で目を覚ます。目の前には、少し綺麗な着物を着た女の子がいた。しばらく、目をパチパチさせていると、女の子は笑って
「まだ寝とったん? お日様とっくに昇ってるよ」
と言った。
「……おはよう、カヨ。なんでうちにいるの?」
「奏弥くん、遅いから。イセも待っとるから、はよ支度してきてね」
綺麗な栗色の髪を整えながらそう言うと、カヨは縁側から出ていった。
「……奏弥、着替え。置いておくから」
青髪の少年、滋俊はそう言って、服を丁寧にまとめると、屋敷の奥に戻って行った。丁寧に置かれた服に着替えて、俺は外に出た。
「奏弥様、お出かけですか」
家の遣いが声をかけてくる。
「うん。ちょっとカヨたちと遊んでくる」
「子どもは元気が一番ですからね。どうぞ楽しまれてきてください」
遣いはそう言うと、庭の掃除を始めた。
屋敷を出て、しばらく坂を下って、三つ目の田んぼを左に曲がる。すると少し森に入る道が見えてくる。けもの道を進むと、木の上から枝が飛んできた。スっと避けて、枝が飛んできた方向を見ると、緑髪の少年が悔しそうな顔をしていた。
「チッ、外したか」
木の上から飛び降りてきた彼は、俺をまじまじと見ていた。
「……何?」
「寝癖立ってんぜ。お前よぉ、もう九つ過ぎてんだから、そんくらい自分で気づけよなぁ」
彼が少しバカにしたようにそう言うと、
「イセ! いなくなったと思ってたらやっぱり……。奏弥をいじめたらダメって!」
「い、いじめてんじゃねぇって。遊んでるだけだよ……なんだその顔は!」
ジトっとした目でカヨがイセを見る。なんかイセがタジタジしてるのが面白くて、ちょっと笑ったら、イセが
「笑ってんじゃねぇ!」
って顔を赤くしていた。
森を進む中、動物を見つけてはカヨがかわいいかわいいと言って足を止める。カヨが噛まれないよう見てるけど、イセはまぁ、自分でなんとかするでしょう。そうして放っておいたら、イセは何もしてないのに、野良猫に威嚇されていた。
「花よし、木の実よし。 行こう、白莉が待ってる」
カヨはそう言うと、少し先に走り出した。
「はよはよ!」
それを追いかけて、俺とイセも走った。
森の奥、古びた小屋の中、闇に閉ざされた部屋の奥から、同じ歳くらいの女の子の声が聞こえる。
「よく来てくれたね」
扉がススッとあいて、隙間から、墨で描かれたネズミが二匹出てきた。カヨがネズミに花と木の実を渡すと、ネズミたちはそれを部屋の中に持って帰った。
「カヨが花と木の実をお前にってさ。姿見えねぇけど、元気なのか?」
イセがそう言っている間に、俺は戸の隙間を少し覗いてみた。すると、赤い二つ目だけがゆらゆら揺れている状態だった。どういう人かと、もう一度見てみようとしたら、カヨに怒られた。女の子の部屋の覗き見は禁止!って。
「ありがとう、三人とも。私は元気だよ。ごめんね、こんな山奥まで」
「ううん。本当は一緒に遊べたらいいけど、陽の光がダメだったらしょうがないよね。夜は私たちも寝ちゃうし……」
「うん。でも、来てくれるから嬉しいよ。ありがとう」
白莉の表情は見えない。けど、少し悲しさはあっても、嬉しいって笑っているのが声で伝わる。詳しくは分からないけど、その日光に当たれない病気が治ればいいのに。
「さぁ、君たちは遊んでおいでよ。こう見えても、私は一個お姉さんだからね。少し構って貰えたから大丈夫だよ」
闇の中から、木の実をかじる音がした。
「行こうぜ。長く居座ってたら白莉も気まずいだろ」
イセはそう言って、来た道を戻り始めた。カヨは開いた扉を丁寧に閉めてから
「行こ、奏弥」
とこちらを見た。首を縦に振って、カヨと並んで歩いた。振り返ったイセが、一瞬俺を見て、目を逸らしていた。
来る日も来る日も、昼間はこうやってカヨやイセ、たまに白莉の所に行って遊んでいた。そこそこの割合で、カヨが俺を迎えにくる。俺がなかなか朝起きられないからって言うのもあるんだけど、カヨはそれを面倒くさがったことは一度もない。どちらかと言うと、イセから睨まれる時はある。でも、遊び始めたらイセも楽しく遊んでくれる。俺は、この時間がすごく好きだった。
「おかえり、奏弥。毎日遊んで帰ってきて、夜はアレだろ? 疲れないの?」
「ただいま。疲れるっていうか……まぁこれが当たり前だからな。嫌だと思ったことは一度もないよ」
滋俊は、そうかという顔をしていた。
「滋俊のほうこそ、俺たちがずっと遊んでる間、家の事してくれてるんじゃん。ありがとう」
「いや、これが僕にできる宮代家への恩返しだから。本当はまだ足りないまである」
「いやいや、十分だから。お父様に今度、滋俊とも遊びたいって言っとくよ。そしたら遊べるでしょ?」
「……そういうところ、なんだよね」
よく分からないけど、なんかちょっと嬉しいって思ってる気はした。
「あ、組紐、解れてたから直しておいたよ」
滋俊はそう言うと、広間に向かっていった。食事の準備とかさせられてるんだろうな。
いつもの如く、食事の支度ができた事を滋俊が伝えに来て、食事をとる。そうしてしばらくすると、家の人達が慌ただしく動き始めて、俺もお父様から呼ばれる。
「奏弥、時間だな。お前なら問題ないとは思うが、休む暇はないからな」
お父様と一緒に裏庭に行くと、そこには大量の的が立ててある。
「全部撃ち終わったら、今日は仕事がある。お前の手も借りたい。俺たち手仕込みの武器なんかじゃ追いつかんからな」
「わかりました、お父様」
組紐を抑えて、強く念じる。すると、組紐だったそれは小型の火縄銃になる。それを手触りで確認するや否や、一つ目の的を撃ち抜く。火薬の匂いはしない。体感でリロードと同時に二つ目の的を撃ち抜く。おおよそこれを十五くらい繰り返した。
「全弾的の中心だな。良し」
そう言うと、お父様は弓矢を持って、家の遣いを招集した。月明かりだけが照らしていた裏庭に、提灯の光が集まってくる。
「皆に次ぐ、今宵の妖は暫し凶暴且つ複数だ。毒蛇の妖故に、噛まれると治療の手が回らなくなる。噛まれたら死を覚悟せよ」
それを聞くなり、全員が応え、列になって山奥へと向かった。
山奥へと入り、しばらくすると複数匹の蛇の化け物が出てきた。
「全員攻撃態勢! 」
使いの人たちとお父様は特別な弓を構える。対妖用弓矢。普通に、人間にあたっても死ぬから、危ないと思ったら自分で避けないといけない。
前に五、後ろに三、左右にそれぞれ六。みんな分かっているのだろうか。全員が弓を構えている隙に、一番に動いた妖を撃つ。撃たれた妖は、呻きながら消えていった。全員が矢を放つと、それに打たれて呻く妖と、避けてこちらに来る妖に別れた。こちらに来た妖を開いた口の中を狙って撃って、お父様は残りの妖に向けて矢を放っていた。そうするうちに、妖の気配は消えた。全員の無事が確認されるや否や、俺たちはすぐ帰路に着いた。
「お父様、なんであいつ殺す必要があったんですか?」
「あれは、元々は悪いやつじゃないんだがね、道中人を襲うようになったから、我々が退治しないといけなかったんだ。町の人達や町に来る人、通る人を助けたんだ。普通の蛇なら一般兵でいいんだけどね。こういうのは我ら、祓い屋の仕事の一環なのさ。いずれ奏弥も指揮をとるようになるから」
「和解とか出来ない?」
「低級は言葉が通じない。相手が命を取りに来るなら、こちらも取りに行かなければならない。そういうものだ」
「じゃあおっきいのと話つければいいんじゃない?」
「まぁ、どちらにせよ、種族が違うんじゃ話なんて通用しない。我が身や、我らの大切なものを守るためには、仕方の無いことだ。武士と変わらんよ」
日はまだ登らない。提灯の光が少しずつ弱くなってきた。
蝋燭が照らす自分の寝室に行くと、滋俊が起きていた。
「お疲れ様」
「起きてたの?」
「いや、寝起きだよ。今から仕込みだ。君は今から寝るんだろ? 日が昇る前に寝た方がいい。日が昇ると眠りづらいだろ?」
変なところ心配してくれているらしい。
「早く寝るよ。滋俊、頑張ってね」
そう言うなり、寝床に着く。滋俊の足音が遠くなっていく。
昼前に起きて、遊んで、日が沈んでから家業をする。倒す相手が、人間じゃなくて良かったとは思う。最初のうちは心が痛かったんだ。けど、これを数年、実際に様々な妖を手にかけると、その痛みは少しずつ消えていった。
「奏弥、もうすぐお前も十二になる。そろそろ遊んでばかりじゃ良くない。昼間も修練の時間とする。ただ、二日にいっぺんは自由な時間をやる。そこは有効に使ってくれ」
カヨやイセ、たまに白莉と遊んでいた。その時間は次第に減っていった。カヨは料理や洗濯などの家事を覚えるよう言われたり、カヨの能力で、傷ついた人を癒したりしているらしい。イセは、俺以上に厳しい修練や実戦をしているようで、首から下は常に包帯まみれだった。それこそ、カヨの世話になることもあるらしい。白莉は、よくわからない。けど、最近よく町中で、墨で書かれた馬を見る。そういうことなのかもしれない。
「奏弥くん、今日はおやすみ?」
「ごめん、カヨ。今日は……」
「そっか。じゃあ明日は?」
「明日は休みだよ。遊ぼうか」
年に何回遊べていたのだろうか。数えたことは無かったけれど、歳を追うごとに遊ぶ時間が減って行ったのは確かだった。でも、しょうがないと思っていた、それが、俺たち宮代家と、それぞれ御三家の役目だから。
少し過去の思い出を噛み締めることもあるものの、それはそれで良い人生だったんだと思う。
あの日が来るまでは。