霧月(4)
「娘様、アレらに挨拶をしてきましたよ」
彼岸町の山奥、廃墟の神社。シグマが拝殿の奥に向かって声をかける。すると暗闇の奥から、足を引きずるようにして朱花が出てきた。
「殺した?」
虚ろな目をした朱花がシグマに問う。
「いいえ、ちゃんと生かしていますとも。すぐに死ぬなんて、貴女も儂も、許せんでしょう?」
「……うん。許せない。死んだら何も感じなくなっちゃうじゃん。もっと苦しめないとダメ」
「儂もそう思います」
シグマは笑みを浮かべていた。
「しかしまぁ、多少はこの段階でも苦しんで貰わないと気が済まないので、武器だけは壊しておきました。しばらくは身動きが取れないでしょう。この期間をどう使うかは、娘様次第ですぞ」
シグマはそういうと、拝殿から出て、月を見ながら歩いてどこかに行ってしまった。
シグマがどこかに行ってしまったのを見届けると、朱花はその場に座り込んだ。
「……」
大きく呼吸をしても空気が抜けるような音がするだけで、苦しそうな様子は変わらない。
「朱花ちゃん」
壁際にいたサナが朱花に近づく。背中をさすろうとしたその手を朱花は掴んで、しばらく握りしめていた。
「サナちゃん」
サナの手を離してから、朱花はサナの名前を呼んだ。変わらず、肺から空気が抜けるような音がしている。
「……朱花ね、少し怖い。朱花が知ってる人、少しずついなくなっちゃうから」
サナは黙って聞いていた。
「パッパは死んじゃった。雅之くんはあっちに行っちゃった。キバもシグマもサナちゃんも、どこかに行っちゃうかも」
月明かりだけで照らされた朱花の頬には、真っ黒な液体が伝っていた。
「サナちゃんは、いなくならない?」
サナは少し悲しげな顔をして、朱花の頭を撫でた。そこに言葉はなかった。
撫でられた朱花はそのまま地面に倒れ込んだ。しばらくすると、空気の抜けるような音は止み、虫の鳴き声だけが響くようになった。
床に倒れたようにして寝てしまった朱花に布を被せようとすると
「あ? 何? 娘様また床に寝てんの?」
キバが拝殿に入ってきた。サナがうるさいなと言う表情をすると、キバは小さくため息をついた。
「寝ちゃった。布団とかあるなら運んであげてよ」
「あるわけねぇだろこんなボロ神社に」
キバがぶっきらぼうにそういうと、サナはそれもそうかという表情をして
「じゃあせめて、奥に運んであげて。布は被せておいてね。あっ、顔には被せないでよ」
そう言いながら羽を広げた。
「おい、どこ行く気だよ」
「どこでもいいでしょ? どうせ私、非力で朱花ちゃん抱えられないから」
そう言い残して、サナは神社を後にした。
「おい、オイラに全部任せていくなって。あぁもうここのヤツら自由奔放すぎんでしょほんとさぁ!」
文句を言いながらキバは朱花を抱えて奥に連れていき、少し雑に布を被せた。
サナは空を飛び、ある場所へ向かう。一度ボロボロになってしまった羽は、今では元通りだった。時刻にして深夜一時程度、町はすっかり静まり返っており、道を歩く者は極小数。サナに気がつく者はいなかった。
少し住宅街から離れた一軒家の庭にサナは降り立つ。ししおどしは動きを止めていた。
「……こんな夜中に障子を開けっ放しにしてるなんて、意外と不用心なんだね」
部屋着の華代は少し驚いた表情をして、サナを見ていた。しかし、お互いに敵意を向けている訳ではなかった。
「警戒とかしてないの?」
「……正直、いいイメージがあるかって聞かれたら、いいやって感じ。でもなんでか、そんなに怖くないんよね」
「ふぅん。そうなんだ」
サナは縁側に腰をかけ、溜まった水に映る月を見ていた。
「こんな夜中に、何をしに来たん?」
距離を詰めずに華代が声をかける。
「……聞きたいことは一つだけ」
そういうと、サナは一息ついてから華代に問いかけた。
「貴女、今、楽しい?」
華代は一瞬息が詰まったが、意見を述べた。
「楽しいよ。なかったはずの未来、あるはずなかった昨日、私は全部、全力で楽しんでる。そっちが今何をしようとしてるのか私にはわからん。でも、私は今生きてる。一緒に居たかった人達と一緒に明日を過ごせる。だから私は今、最高に生きててよかった、楽しいなって思う」
それを聞いてサナは、そっかと小声でつぶやき、振り返ることなく立ち上がった。
「ねぇ待って」
華代が声をかけると、サナは羽を広げたままそこで止まった。
「サナ……さん? ちゃん? はさ、何がしたいの? あの日は間違いなく敵やった。でも、今はそんな感じじゃないやん。私はサナちゃんが一番分からんっちゃん。サナちゃんは、どうしたいの?」
サナはそれを聞いて、少し羽を閉じた。
「さぁ。でも、私が貴女の味方じゃないってことだけは確かでしょ。それでいいんじゃない?」
そういうとサナは再び飛び立ってしまった。
「……なんでなんやろうか」
庭は何事も無かったのように静まり返っていた。時計の針は音を立てて回り続けている。それを見た華代は、ため息をついてから障子を閉め、布団に入った。