011 騎士団の観察 (黒の翼)
暗い路地の中。誰の目にも、つかない場所。どんよりした雲が、一層、辺りを暗闇に誘う。黒は闇に溶け込み。完全に、消滅する。
目の前に、男が現れた。闇と一体化した衣装。目を凝らしても、気配は追えない。僕が認知できるのは。男の情け。哀れみ。絶対的強者である、雰囲気は、生物としての本能を、震え上がらせる。存在の、格が、違う。
全身を覆う黒コート。顔の半分には厳つい竜の面。見るもの全てに恐怖させる恐ろしいフォルムだ。烈火のごとく紅い短髪は、持ち主の性格の粗さを表している。
「待ってたよ。グングニル。」
黒の翼。位階八位。炎下の王。
真っ赤な眼は、まるで刃のように鋭い。腰の宝剣の切れ味を、連想する。僕は睨みつけられ、体が萎縮し竦んだ。百獣の王。獣の前に置かれた、草食動物の気持ちがよく分かる。
「何の用だ……。」
「万全の対策をしたいんだ。明日早朝、敵が攻め込んでくる。本隊は皇国。戦力が、あまりにも、足りない。」
グングニルは、神出鬼没だ。鍛錬していることが多く。呼び出しても、応じない。幸運だ。黒の翼の最高戦力の一人が、まさかこんな辺境に残っているだなんて。
「俺ァ、誰の命令も聞かねぇ。それが例え、魔王閣下の命令だったとしてもな。」
獰猛な獣が牙を向く。目の前の男から迸る活力に、思わず一歩下がった。戦闘狂。この男がその気になれば。僕なんて、一瞬で消し炭になることだろう。
「相変わらずだ。でも、後悔することになるよ。強い奴と戦うため、うちに入ったのだろう?」
「……け。俺がしてぇのは、花を摘みに行くことじゃねぇんだよ」
「敵に手練れがいるんだ。君なしでは、到底戦えない。」
グングニルの体が、ピクリと動く。強者に目がない性質は、昔から変わらない。より濃密な戦いを求めて行動する。付け入る隙があるとすれば、そこか。
位階八位。戦闘能力だけで言えば、恐らくもう少し、高い。真性の怪物。その言葉がピッタリ当てはまる男を、僕は他に知らない。
黒の翼は、幹部同士での戦闘は禁止だ。グングニルは、力を持て余している。ここ数年。敵がいないのが、唯一の悩み。この男は。あまりに、強くなりすぎた。
少しでも自分を滾らせる。戦闘という、極度の興奮状態を。精神が欲してやまない。平時の彼は、まるで、水を失った魚のようだ。機会が訪れるならば、彼は喜んで戦う。
「……俺ァ。どこに、向かえばいいんだ?」
興味は完全に、こちらに向いていた。獰猛な目。完全にイっている奴の瞳だ。闘志が場を支配する。少しでも動けば、斬られる。きっと、僕にはグングニルが、剣を抜くとこも見えないだろう。この男の前で、普通の人間は……、あまりに脆い。
僕は、彼の前に立つには、弱すぎる。恐怖が体を支配する。死を身近に実感する。恐ろしい。
「来て、くれるんだね。」
「気が変わった。俺ァ、強ぇ奴を斬る。求めるのは、それだけだ。」
冷静さを感じさせる低い声。だが、感情は熱く粗ぶっている。真紅の短髪は、グングニルの気持ちを、写す。敵を求め。強者を求め歩く。その姿は、まるで生きたまま彷徨う―――、亡霊。
戦闘狂い。戦いを愛し、戦いに愛された男。武神の加護。しかし、悲しいかな。天は人に二物を与えない。グングニルの弱点は、戦闘に恋い焦がれすぎたこと。そのせいで、こんなにも。単純な性格になってしまった。
「あぁ。悲しい。なんて……ッ、なんてッ、単純なんだッ!」
「……あ?」
グングニルが、僕のことを睨み付ける。
口が乾く。脳が、痺れる。自分の生存本能が、逃げろと告げている。恐ろしい。あまりに、恐ろしい。あぁ。恐ろしいッ! グングニルの殺意が体を刺す。死が、頭をよぎる。恐怖を感じる。腕が震え。足が震え。心臓が震え。脳が震え。体の細胞がッ―――、震える。
しかし、死を感じた僕に待っていたのは。虚しさだけが募る静寂だった。
「なんだ……、斬らないのか?」
「このッ、被虐嗜好者がッ! 反吐が出るッ!」
「……つまらないなぁ」
虚無感。退屈。心の中に盛る気持ちが治らない。グングニルが僕を斬ってくれないのなら、一体。どうやって鎮めればいいのだろう。
※
獣の道。ラズベリー伯爵領背後の森の中。地下には、黒の翼が宝具で作った拠点が存在している。
端を、魔獣が住処として使う。排泄物が撒き散り汚らしい。濁った。汚れた臭いに色がついてる。嗅覚は、随分昔に失った。分かるはずないが、もし、感覚が正常ならば。鼻を、強くつまんでいることだろう。
ラズベリー伯爵領に、俺が訪れたのは偶然だ。強いものを求め、渡り歩いていた。黒の翼が皇国へと追い詰められたと聞いたが。知らない。組織の話に、興味はない。
「汚いところだね。ここに拠点を作った人の、神経を疑うよ」
呟いたのは、茶髪の優男。穏やかな風貌である。身に秘める力は、あまりにも弱い。恐らく。一振りで、胴体は二つに分かれるだろう。これからの戦闘を感じさせないほど、能天気に笑っている。
身に纏っているTシャツは、王都で簡単に、手に入るものだ。ヘラヘラと笑う姿は、まるで、脆い平民。余りに自然体。しかし。だからこそ、恐ろしい。息をするように敵を殺し。息をするように消える。軽薄な笑みに、虫唾が走る。背筋が、凍る。
黒の翼。序列五位。クラウド。通称、首脳。戦闘能力は勿論、敵を欺く搦手で、大きな功績を上げてきた男。俺よりも、三つほど位階が高い化け物。
「いつまで、待たせる気だ?」
「それに関しては、なんとも……。僕たちのタイミングで、決められることじゃない。報告では、もうそろそろなんだけど。」
「………ッ!! 来たか!」
空間が歪む。世界が。空気が。渦巻く奔流に巻き込まれる。巨大な魔法陣。その向こう側から、溢れるのは、強者独特の雰囲気。
俺だけが分かる。高ランク特有の、消しても消しきれない、あの匂い。
心がッ。魂が。滾る。抑えきれない高揚感を感じながら。奔流に目を向ける。無数の兵士達が、渦の向こうから、現れた。数は、およそ百。第五騎士団の小部隊。甲冑に身を包み、隊列を組んでいる。
それを見て。クラウドが、不敵な笑みを浮かべる。大袈裟に、両手を天に仰ぐ。喉を震わせた。子供のように、はしゃぎながら、大声で叫んだ。
「!! さぁて! 何人死ぬかなッ! じゃッ! さよなら♪」
爆音が響く。
声と共に。爆弾が作動。熊も破裂させる、強力な爆発だ。爆風が吹き荒れ、辺り一面に突風が巻き起こった。
隊列は維持不可能。風圧は、敵を巻き込み、いとも簡単に吹き飛ばした。天井が崩れ落ちる。土の塊。落石。ここは、近下深く。残酷な土砂の追撃が、敵の頭上に、降り注ぐ。
砂煙が舞う。凄まじい音と共に、人が潰れる音がする。恐怖が渦巻く。火薬の香料で、肌がヒリヒリする。
「あれ。みんな、死んだかな?」
静寂が場を支配していた。クラウドが、惚けたように呟く。完全に、戦闘態勢を解いている。この男は、殺気とか、戦意とか。そういった類の勘を、持ち合わせていない。しかし。俺は、違う。
体が震える。肌が粟立つ。鳥肌。恐怖?
いや違う。この感情は、もっと別の―――、例えるなら。破壊の衝動。
「……クソッ! 情報が漏れてたか。ロイン、いや。ベロニカからかッ!? これだから、組織というやつは。まったく。世知辛いッ!」
気怠げな、呆れたような言葉が、吐き捨てられる。土砂の下から、瓦礫を吹き飛ばして、男が現れる。真っ白い髪の毛。真っ黒な目。身に秘めたる、圧倒的、存在感。
古の時代。神は零と壱を生み出した。その世界は、混沌。暗闇と光だけが残る、黒と白。神々の時代に、ローレライが生み出した、初めの人間―――、神の子は。伝承では、黒い髪に、真っ白な目だったらしい。俺が孤児だった頃。教会のシスターが読んでくれた詩。
「――――ッ!!」
危機的状況下にありながら、冷静さを失わない度胸。優れた立ち回り。傷一つ負っていないその肉体。久しぶりに。思わず、笑みが溢れる。
こいつは……、強い。
全力で、地面を蹴り飛ばす。靴の裏に確かな感触。踏み込んだ土は剔れ、土と泥が飛び散る。衝撃波を作りながら、一瞬で肉薄する。幸い、敵はまだ気付いていない。
攻撃の衝動が本能を、飲み込む。気がつけば、俺の意識は深い、集中の中にあった。時が止まる。刹那。男の目が俺を睨みつけた。だが、遅い。鞘に手を掛ける。敵の次の動きを予想しつつ、最高の速さで剣を抜く。
「……なんだ。こんなものか」
敵の両腕を左手で持ちながら、ため息をついた。
興奮していた体が。滾る肉体に籠もった、熱い感情は。俺の呟きと共に、冷ややかなものへと変わる。
手には。男の両腕を斬り落とした感触が残っている。敵を無力化した喜びよりも。無念。悲観。敵に対する失望感が、勝っていた。
「良い勝負ができると思ったが。ガッカリだ。だがそれも仕方がない。俺が、強すぎただけのこと。」
実力差があるのは、仕方がない。強敵とはもう久しく会っていない。
なんせ、俺はずっと前に―――、序列をカンストしている。
返事は、返ってこない。呆然としているのか。四肢を切り落とされたら。発狂する者が多数だ。だが、叫び声どころか。呻き声すらあげない。せめて。そうならない目の前の戦士に、敬意を送ろう。
「俺が……、最後に腕を斬られたのは。三年前。両腕となれば、もっと昔か。」
「……は?」
こんな、気の抜けた声を出したのはいつぶりか。男の言葉が、理解できなかった。何故、この状況で、ここまで冷静に分析できるのか。
「見事な、太刀筋。素直に称賛しよう。しかし。圧倒的に、経験が足りてない。」
「なに言って―――。」
低い、落ち着いた声。両腕を失った人間が出せる声ではない。おかしい。異質。不気味。俺を襲ったのは。初めての感情。得体の知れない、恐怖だった。
「グングニルッ!」
クラウドの声が、鼓膜を揺さぶる。急いで、振り返ろうとするが。間に合わない。
俺の頭は、鷲掴みにされ、地面へと叩きつけられた。




