6.親友
サイラスは多くの仕事を抱えていた。これもまたその一つである。
月に二回、北司令部、部隊長室は相談室へと変わる。
サイラスの元を訪れるのは王宮に勤める男性陣が多かった。ちなみに、サイラスとは別日に月二回、リアが東司令部の部隊長室を開放して、女性陣のお悩み相談を行っている。パワハラ、セクハラ、その他諸々のハラスメントや悩みごとを解決する手助けを行うべくして王家主導で設置された。
そして今日もまた悩める相談者がサイラスの元を訪れていた。
「最近、パーティーのお誘いが多くてね。ボクは人気者だから仕方のないことだけど、おかげで寝不足気味だ」
困った困った。
にやけ顔でそうのたまったのは、この相談室によく来る伯爵家の三男坊。王都で人気の美容室で切ってもらったらしいそのキノコヘアーを懐から取り出した櫛でとかす。
「もしかして、相談ってそれだけか?」
「まさか!ボクはキミとは違って忙しいんだよ。そんな世間話をするためにわざわざ来てやっているわけではないんだ」
お前の相談事はほぼほぼその世間話だけどな!
口から出ようとした言葉は心の中に留めておいた。
「じゃあ、今回はどんな相談を?」
「ボクの奥さんになる人について、ね」
「お前、結婚する予定でもあるのか?」
「まだ両家を通してないけど、このボクが見初めたんだ。誰だって大手をあげて歓迎するさ」
一体、どこからその自信は来るんだ?
サイラスは自身が持つ価値観を世間一般と同じだと思っている。そのため、目の前にいるこの三男坊が一般の女性が好む容姿をしていないのでは?と感じていた。
「へー、そうかよ。で、その見初めた相手ってのは誰なんだ?」
「リアだよ」
……ん?なんかありえない名前が聞こえた気が……、気のせいか?
「すまん、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「はあー、仕方ないなぁ。リアだよ。リア・ブラックベルン!」
「……はあ!?」
気のせいじゃなかった!
てか、マジかコイツ。よりによってあのブラックベルンかよ!
「ふふ、そんなに驚くことかい?まあ、それも仕方のないことかな。人気者で引く手数多なこのボクが一人相手を決めたんだから、当然のことか」
「お前の趣味が悪いのはわかった。でも、なんでブラックベルンなんだ?他にも令嬢はいるだろう?」
「はあ。わかってないな、キミは」
やれやれと肩をすくめる三男坊。
「リアはね、ボクの天使なんだよ」
天使だぁ?何言ってんだコイツ。あいつが悪魔って呼ばれてるの知らないのか?
サイラスが半目で見返すと何を勘違いしたのか、意気揚々とリアとの出会いについて語りだした。
あれはよく晴れた日のことだった。
ボクは王宮にいて、大臣である叔父さんを訪ねた帰りだったんだ。廊下を歩きながら三日後に控えた夜会について考えていたんだけど、つい夢中になってしまってね。つまずいてしまったんだ。もちろん、華麗に受け身を取ったさ。
「今度は何を着ていこうかな?やはり、ボクの魅力を引き出すことのできるあのブランドの新作にしようか、それとも、雑誌に載っていた流行りのアレでもいいな、ってうわっ!」
「あのクソ大臣!自分から呼びつけておいて散々待たせた挙げ句、今日は甥と会う約束があったからそれを優先するだとぉ?ふざけるな!こっちはお前みたいに暇じゃないんだぞ!ああ、折角ソフィアが王宮に用があったついでにわたしのところに顔を出してくれたのに!しかも、一緒に昼食をとろうと誘ってくれたのに!本当は今頃楽しく雑談でもしてたのに!あの顔と態度がでかい大臣のせいでそれもなしになった!」
この恨みは忘れないぞ!
大臣から約束をすっぽかされたリアが足音荒く歩いていると廊下の角から人が飛んできた。
その男はバンッと大きな音を立てて大の字で倒れ込む。
目の前で起こったことに無視するわけにもいかず、仕方なく声をかけた。
「おい、大丈夫か?思いっきし顔からダイブしていたぞ」
「んっ、何言っているんだい?ちょっとつまずいただけだ。こ、転んでなんかいないさ。そんな格好悪いこと伯爵家の一員であるこのボクがするわけないだろ」
「いや、どう見たってつまずくっていう言葉の範囲を越えてるぞ」
「う、うるさいな!どこの下級貴族かは知らないけど、伯爵家のボクの言うことが間違っていると言いたいのかっ……あ……」
「おーい、いきなり固まってどうした?」
「天使だ……」
「ん?何か言ったか?」
「部隊長!ブラックベルン部隊長!ここにいたんですね!」
「おお、ロン一等兵。そんなに急いでどうした?」
「予定が早く終わったらしくソフィア様が部隊長に会いに来ているんです!」
「なにっ!」
「部隊長室でお待ちいただいているんで早く戻りましょう!今は副隊長が対応されていますが、部隊長しかソフィア様の出すお菓子を食べれないんだから、犠牲者が出る前に早く!」
「わかった!待ってろ、ソフィア!今行く!」
嬉しさのあまり飛び跳ねるようにして去っていくリア。
「あっ……、行ってしまった。……ブラックベルンか」
ドクン。
その時、ボクはあまりの衝撃に身動き一つとれなかったんだ。ボクを心配して声をかけてくれた彼女の優しさ。その艶やかな黒髪にどんな宝石も霞んでしまうほどの輝く青い瞳。
そうさ、その青い瞳に囚われてしまったんだよ。ボクのハートが、ね?
三男坊のウインクに鳥肌が立ってしまったサイラスは思わず腕をさする。
とりあえず、全てのパーツが中央に寄っている彼の大きな顔面にできたおでこの傷はそれが原因ということかわかった。受け身をしたと言っているが、成功していればこんな傷はつかない。
また、ホラ吹いてんのか。
恍惚とした表情でリアについて語っている三男坊。
内容を聞くだけでわかる。彼は本当のリアを知らない。
日々ボクのことを思って食事も手につかないに決まっている、だと?
あの女がそんなことするタマかよ。昨日も食堂でガッツリ定食と別メニューのデザート食ってたぞ。
あまりの長さに、もはや、話し半分にしか聞いていないサイラスは別の仕事について頭を働かせていた。だが、それも考えがまとまらない。理由は明確だ。
彼との距離は机を挟んでいるのでそれなりにあるが、それでもサイラスのところまで香水のにおいが漂ってきていた。これも王都の有名ブランドが出している人気の香水らしい。イケてる男は必ずつけているらしく、彼曰く自分もそのイケている男だから毎日つけるのは当たり前だとか。
しかし、香水というものはほのかに香る程度がよく、少しつけるだけで十分だが、彼はそれを知らないみたいだ。
クセー。
彼が出ていった後にサイラスはいつも部屋の窓を全開にして換気をしていた。そうしないといつまでたっても彼の香水のにおいが残ってしまって仕事に集中できないのだ。
どうせ、アプローチに協力しろとかそんな相談だ。個人の恋愛事まで面倒を見ろなんて上から言われてない。今回も適当にあしらうか。
サイラスが口を開こうとすると、話が終わったのか三男坊はサイラスを見てにやりと笑った。
「まあ、キミみたいなモテない人には一生わからない気持ちだろうね」
「おい、喧嘩売ってんのか?」
サイラスが青筋を立てて言い返そうとしたその時、扉を叩く音が室内に響いた。
「すいません。宰相より至急、北の部隊長殿にご確認いただきたい案件があって参りました」
入ってもよろしいでしょうか?
若い男の声だ。ちらりと目線を三男坊にやると仕方なさそうに首を振る。
「ボクは構わないさ」
「ああ、入ってきていいぞ」
「失礼します」
部屋に入ってきた者を見て気づく。
こいつ、確かブラックベルンの弟だったな。
「こちらの資料についてですが……」
「ああ、これは……」
「お忙しいところありがとうございました」
「いや、こちらこそわざわざすまなかった。次はもう少し根拠となるデータを追加しておくから見易くなると思う」
「ご配慮感謝します」
それでは失礼しました。
それまで大人しくしていた三男坊が立ち去ろうとしたセシルの腕を掴む。
「何か?」
「おい!何してんだ!」
「未来の義弟に言葉をかけてなにが悪いんだい?やあ、こうして話すのははじめてだね。ボクはリアと将来を誓い合った仲なんだ。キミには特別にお兄様と呼ぶ権利を与えよう。この人気者のボクと家族になれるんだ。嬉しさのあまり泣いてしまっても皆には内緒にしといてあげるよ」
「……」
「お前、何言って……」
「身の程を弁えろよ、クズが」
「え……」
「お前のような者が姉さんに相手にされるわけないだろ」
「ヒェッ」
「その薄汚い目で姉さんを見ることすら罪深いのに、あまつさえ、そのような妄想を撒き散らすなど、とんでもない公害だ。より悪化する前に排除した方がいいな」
そう言って懐から一本のナイフを取り出すと、じりじりと近づいていくセシル。
流石にサイラスが止めようと手を伸ばした瞬間、扉が開く音と同時に聞き慣れてしまった声が響く。
「ウルフスタン!これはお前のところが処理すべき件だろう?なぜ、うちに回した!おかげでうちの仕事が進まないではないか!……って、あれ?セシル?」
「姉さん!」
持っていたナイフをすぐに隠して、姉に満面の笑みを向ける。
「おお!こんなところで会うとは奇遇だな。北に用でもあったのか?」
「はい、宰相から言われてちょっと。でも、姉さんに会えるなんて、今日はなんて良い日なんだ」
「ははは、セシルは相変わらずだなぁ。わたしも会えて嬉しいよ」
「えへへ」
キャラ全然違くない?
先程までの殺気を微塵も感じさせない変わりように口許がひきつる。
「お、もしかして相談中だったか?」
「ま、まあな」
「ああ、邪魔してしまったか。こっちの件は後からでもいい。君もすまなかったな」
リアの後ろからセシルがナイフをちらつかせる。その顔には先程までリアに向けていた笑顔などなく、ほの暗い色を携えた瞳が真っ直ぐ三男坊を見ていた。
「い、いえ。大丈夫、です」
「姉さん行きましょう?」
「そうだな。ウルフスタン、また後で来る」
姉弟の楽しげな声が遠ざかっていくと、サイラスは思わず脱力してしまった。
姉が姉なら弟も弟だな。
サイラスのもとを訪れた数日後、伯爵家の三男坊は、王宮の廊下の影に隠れていた。その大きなキノコ頭が自生しているかのように動かない様はすれ違う者からしてみたら実に不気味であった。関わり合いたくないという思いが強いのか、人の流れが不自然に彼の周りを避けている。
彼には客観的に自分を見るという考えが欠落していた。いや、見てはいるがそれが自分の理想を多段に含んだものであると気づいていなかった。
つまり、本当の意味で自分がどう見られているのか知らなかった。
「まだ来ないのか?」
彼は今、ある人を待っていた。待ち続けてかれこれ一時間は過ぎた。
「ここにいれば確実に会えるはずなんだ」
独りでぶつぶつと何かを呟き、誰かを待ち構える様は立派なストーカーであった。
「ふふ、義弟とは反りが合わなかったけど、結婚は当人同士が愛し合っていることが重要だ。それ以外は何も問題になんてならないさ」
ああ、早くキミに逢いたいよ、リア……。
三男坊が妄想の世界に浸っていると、奥から女性の声が聞こえてきた。楽しげなそれは彼の目的の人物であるリアともう一人別の女性の声だった。どうやら二人はこれから王妃に呼ばれて顔を出しに行くらしい。
「流石はボクのリア。王家との関係性も良好のようだね。これならボクの両親も喜んでキミを迎え入れるだろ、う。あ、あれは……!」
リアたちの姿が見えた瞬間、彼の体に今まで感じたことのないような衝撃が走る。
「め、女神だ……!」
出会ってしまった。ボクの運命に。
恒例の相談室開設の日、今日もサイラスのもとに悩める相談者が来た。とは言っても訪れたのは、もはや、常連になりつつある伯爵家の三男坊であった。
またお前かよ。と言う顔を隠しもせずにサイラスをが用件を聞くと、勿体ぶったかのように含み笑いをする。
「ふふふ、結婚式の場所を選んでいたら悩んでしまってね。キミに聞いてもろくな答えは返ってこないと思うけど、一応参考程度にはなるかなって」
チッ、いちいち癇に触るヤツだな。弟にあんなに言われても考えを改めないのか?
「おい、まだ諦めてなかったのかよ」
「ああ、違うさ。リアにボクはもったいないと思ってね。リアみたいなハツラツとした女性よりも、ボクみたいな優秀な男は陰で支えてくれる、おしとやかな女性の方が合っていると思い付いたのさ」
今の発言、あの弟に聞かれてたら今度こそコイツ殺られるだろうな……。
「そう、ソフィアみたいな、ね」
「ソフィアって、レイモンド侯爵令嬢か!?」
コイツ、身の程知らずにも限度ってもんがあるだろ!
滅多に社交界に顔を出さないサイラスでもその名を知っている。物腰の柔らかさと優しげな雰囲気がいいと独身男性陣の中で評判のご令嬢。それが、ソフィア・レイモンド侯爵令嬢である。彼女の元には多くの縁談が舞い込んでいるらしいが、全てを袖にしており、いつもリア・ブラックベルンといる。……そう、あのリアと仲が良いのだ。
サイラスはリアがしまりのない顔でソフィアと歩く姿を何度か目撃している。そして、親友である彼女をリアがとても大切にしていることも知っている。
これは弟じゃなくて姉の方に殺されるな。
「ソフィアを知っているのかい?」
「あ、ああ」
「ふーん。まあ、ボクのソフィアは優しいからね。キミのような貴族に成りすましている野良犬に情けをかけてあげることすらいとわないのさ」
「あ?」
「知っているよ。キミ、元々王都の路地裏でさまよっているところを拾われたんだろ?本当にウルフスタン男爵は何を考えているんだろうね。拾った野良犬が王宮をうろついているのに躾もせずに放置するなんて。ああ、そうか!男爵家なんて貴族とはいえない家柄だもんね!卑しく爵位を買って、ボクたち貴族の真似事をしてるだけで、とてもマナーなんて覚えられないか。あははは!」
「テメェ……」
「おおっと、なんだい?伯爵家のボクに逆らうのかい?あはは、やってごらんよ!キミの犯した罪はすべて男爵に責任を取ってもらうけどね」
「……クソッ!」
これだから貴族は嫌いだ。
身分を盾にとって好き放題する腐った貴族がこの王国にも一定数いる。いつかそいつらの考えを改めさせてやるのがサイラスの目標の一つでもあった。
ええい!今は仕事だ。コイツのことは後で考えよう。
三男坊の顔面に一発拳を打ち込む想像をして、なんとか心を落ち着かせたサイラスは話を戻す。
「お前、レイモンド侯爵令嬢と話したことあるのか?」
「え?ないよ」
ないんかい!
きょとんとした顔を向けられたサイラスは頭を抱えた。
「でも、ブラックベルンと会話するなら親友であるレイモンド侯爵令嬢の話題ぐらい出てきただろう?」
「何言っているんだい?リアとも直接話したことは、あの出会いしかないよ。それでもボクたちは気持ちが通じあっていたんだ。まあ、彼女には申し訳ないけど、ボクにはソフィアという新しい恋人ができてしまったから、リアにはちょっと罪悪感を抱いているよ」
ははは、コイツやべぇ。
ブラックベルンともまともに会話したことないのに気持ちが通じあっていたとか、レイモンド侯爵令嬢と口を利いたことないのに、もう恋人気分なのとか、……もう、俺の手に負えない。えーっと、医務室は今開いているんだったっけ?
「そうか、そうか。もう妄想はその辺にして現実を見に医者のところに行こうか。大丈夫だ、俺がついていってやるよ」
「またキミは何を言っているんだい?妄想なんかじゃないさ。今度こそソフィアとボクは結ばれるんだ。そのために結婚式まで誰にも邪魔されないようにソフィアを連れ出したのに」
気になることを言った三男坊。
連れ出した?レイモンド侯爵令嬢を?それって……。
バンッ!
「見つけたぞ!」
部隊長室の扉が大きな音を立てて開いた。
「ブラックベルン!?」
サイラスの驚く声を無視して一直線に三男坊に向かうと襟元を掴んで引き上げた。
「お前!ソフィアをどこにやった!?」
「ぐっ、ぐるしい」
「なんだ!はっきり言え!」
「おい、ブラックベルン!首締まってるぞ!落ち着けって」
「チッ」
サイラスに指摘されて舌打ちをしたリアは手を離す。急に呼吸がしやすくなった三男坊は彼女の足元で咳き込んでいる。それを見下ろすリアの目はいつになく冷めきっていた。
こりゃ相当怒ってんな……。
「一体どうしたんだ?」
「それは、私から説明するよ」
「フィリップ殿下!」
リアが先程開けた扉からこの国の王子であるフィリップが近衛兵を連れて入ってきた。王子の側にはユージンもいる。
「やあ、仕事中にお邪魔して悪いね、ウルフスタン」
「いえ、そのようなことは……。しかし、これはどういうことなんでしょうか?」
「ソフィア・レイモンド侯爵令嬢が何者かに拐われた」
はっと息を飲む。まさか……。
サイラスの目線の先が王子もわかったのか一つ頷いた。
「王宮から侯爵家に帰ったはずのソフィアが予定の時間を過ぎても帰ってこないと私のところに連絡がきてね」
「わたしはソフィアが王宮を馬車で出るところを見送ったし、万が一があると思ってスタントンに頼んで王宮内をくまなく見てもらったが、ソフィアはもうここにはいなかった」
「なら、リアが見送った後、侯爵家までの道のりの中で何かトラブルでもあったのかと思って調べさせたら、見つかったんだよ。道端に乗り捨てられたかのように放置された馬車がね。中が荒らされていて肝心の彼女はいなかったけど、幸い、近くの林に御者が拘束された状態で放置されていたから、状況はわかった」
「なんともお粗末な者共を雇ったみたいだな!ソフィアを連れ去るときにペラペラと話していたそうだ!お前が!ソフィアを!誘拐した!主犯だと!」
「リア、興奮しすぎだ。少し落ち着いて」
「フィリップ、わたしは今最高に落ち着いている。落ち着きすぎてこいつのこのスカスカの脳みそを燃やしてやることすら容易く出来そうだ」
爛々と輝く青い目が上から獲物を狩るように三男坊を捕らえる。
「あーあ、スイッチ入っちゃってるよ。そこのお前。ここでリアに脳内を燃やされるか、それともソフィアの居場所を明かして牢屋に入るか選べ」
「へっ……?」
「ああ、判断に迷うかな?では、長年リアと過ごした私からのアドバイスを一つあげよう。こういう時の彼女は出来ないことは言わない。君がソフィアの居場所を教えないと言った瞬間、君の頭が溶けてなくなっちゃうかもね?」
試してみるかい?
リアとそっくりの青い目が三男坊を覗き込む。
「あ、あ、に、西の森にある叔父さんの別荘を借りて、て……そ、そこにソフィアを連れていっている、はず……」
「西の森か。なら使うとしたらあの道だな。……嘘じゃないだろうな?」
「う、嘘なんてついてないよ!ボクがソフィアに心奪われたからそんなに怒っているのかい?もちろん、キミには申し訳なく思っているよ!でも、嫉妬でここまで怒るキミをボクはもう見たくは……」
「はあ?何をほざいている?わたしはお前など知らん!」
「そ、そんな……」
ガックリと肩を落とす三男坊に容赦なく事実を突きつけたリアはそのまま部屋を出ていこうとする。
「ユージン、お前はそいつを尋問しろ。わたしはソフィアを追う」
「はい」
「待って、リア。一人で行くつもり?場所はわかるの?近衛兵を連れていった方が……」
「嫌いな奴の情報は頭に入っている!それにお前たちの準備を待っていたら間に合わない。ソフィアはわたしが助ける!」
「ああ、もう、行っちゃった……。お前たちもリアを追え。私はレイモンド侯爵にこのことを知らせてくる。後の事は頼んだよ、ユージン」
「承知しました」
慌ただしい足音が去っていく。室内に残されたのはユージン、サイラス、そして三男坊の三人のみ。先程とはうってかわって静かな空間になったそれを最初に壊したのはサイラスであった。
「なあ、そいつの尋問、俺も参加していいか?」
一瞬の間をおいて無表情のユージンが頷く。その後ろで三男坊の小さな悲鳴が聞こえた。
「……どうぞ、ご自由に」
「ヒイッ」
「さっきはご親切にどうも。今度はこっちが野良犬の流儀、教えてやるよ」
太陽が赤みを隠して暗闇が世界を支配する頃、リアは愛馬にまたがり道なき道を駆けていた。
人を連れ去るには馬車が一番効率がいい。侯爵家の馬車が乗り捨てられていたということは目立たないように別の馬車を用意していると考えるのが自然だ。
西の森に向かう道の中で馬車が通れる道は限られており、先回りするためには正規の道ではどのルートを通っても間に合わないことはわかっていた。
今、リアは王宮から最短距離で西の森に向かうため獣が多く出る森の中を走っていた。襲いかかってくる獣は彼女の炎で退けられていたが、それと同時に感知魔法を展開し、親友の魔力を探していた。
リアが今使っている感知魔法は彼女が得意とする魔法の一つである。リアの膨大な魔力を存分に注ぎ込んで範囲を広げていく。
……!ビンゴだ!
ソフィアの魔力を感知した。ここから少し離れた道を走っているみたいだ。彼女の魔力以外に二つほど知らない魔力がある。
誘拐犯は二人か。
「あともう少しだ。頼んだぞ」
愛馬にそう囁くと返事をするかのように首を揺らす。
リアはなるべく音を立てないように暗闇に紛れて馬車に近づいていった。
その頃、車内では手足を拘束されたソフィアが静かに座り込んでいた。
荷馬車の荷台に入れられてからどれくらいの時間が経っただろうか。窓もない閉めきった環境では日も入らず時間の経過を確かめることができなかった。
彼は大丈夫かしら?
ソフィアは襲われた際、抵抗しようとしたが御者を人質にとられてしまった。使用人といえども、侯爵家の一員である彼を見捨てて一人逃げることなど彼女にはできなかった。
手首にはめられた拘束具が重い。
反対側の壁には誘拐犯である男が一人、武器の手入れを行っている。
「随分大人しいじゃないか?」
「こんなものを着けられていては何もできないわ」
「へへっ、そうだろうな。それ、高かったんだぜ」
ソフィアの手にはめられた拘束具は正式には懲罰錠と呼ばれる代物である。見た目は普通の手錠に近いが、この懲罰錠の厄介なところは着けたものの魔力を体内に封じる働きがあるということだ。つまり、これを着けている間は魔法が使えなくなる。
普段は研究以外に魔法を使用しないと言えども、ソフィアとて王国随一の学院を卒業しており、暴漢を撃退するなど簡単にできる。が、それも魔法を使えたらの話である。
そんな危険な道具である懲罰錠は本来、国が所有・管理している。主に名の通り、罪人を拘束する時に使われるが、国の手を逃れたのか、はたまた誰かが作ったのか、裏社会の闇市で高値で取引されていると専らの噂だった。
「この馬車は国境を越えるつもりなのかしら?」
「んぁ?ははは!安心しな、王国は出ねぇよ」
「あら、そうなのね。なら、何も心配はないわ」
「ったく、肝の据わったお嬢様だな。怖くはねぇのか?」
「ええ、まったく。どこに恐れる必要があるというのかしら?見たところ、あなたたちの魔力量は王国の一般兵士より少ないわ。もちろん、魔力量が少なくても強いお方は大勢いらっしゃるけど、あなたたちはそういう人ではないもの。それに、もし、あなたたちが王国一の魔力を持っていたとしても、あの子には敵わないわ」
「おい!好き勝手言わせておけば……!」
ギギッー!
「おわっあ!」
「キャッ!」
突然、車輪が止まる音がしたと思ったら車体が激しく揺れ、荷台に乗っていたソフィアたちは体勢を崩す。
「チッ、なんだよ。おい!こっちのことも考えて運転しろ!」
御者台に向かって男が吠えるが、もう一人の仲間から返事が来ない。
「おい!聞いてんのか!?お前が下手くそな……」
男がなおも言い放つとバリッバリッと音を立てて木目を裂くように壁が割れ、そこからリアが飛び出してきた。
男はとっさの事態に動くことができない。
「グヘェ!」
マヌケにもポカンと口を開けてこちらを見る男の顔面に食い込ませるようにして、手に持っていた懲罰錠を打ち付け、そのままの勢いで床にめり込ませて拘束する。
「それでも食ってろ」
衝撃で気を失った男を見下ろし踵を返す。
「リアちゃん!」
「ソフィア!すまない、少しじっとしていて」
「ええ」
ソフィアのもとに近づき懲罰錠に手をかざす。
通常、懲罰錠の解錠にはそれぞれに合った鍵が必要だが、その鍵がなくても開けられる方法が一つだけある。それは、魔力による懲罰錠の無力化だ。懲罰錠自体を特殊な魔術術式と考えると、それを発動させるために魔力が必要になってくる。ほとんどの場合、懲罰錠をはめられた本人の魔力を使用しているが、これを外部から別の魔力を侵入させることによって術式を書き換え、懲罰錠を操作することが可能になる。
とはいっても、もとは国が作成したもの。作りはそう簡単なものではない。何百、何千、下手したら何万通りの術式が絡み合っている中から一つ一つに魔力を通してそれを支配下に置く作業は素人が安易に手を出してできるものではない。……ただし、普通の人ならば。
魔力が使えないことは戦う上で死活問題になる。リアももちろんそれは重々承知であった。だから、幼い頃からブラックベルン家で父監修のもと、解錠の特訓を行っていた。今では簡単なものであれば数秒、複雑なものであっても数分もあれば解錠することができるようになった。
今回の懲罰錠は簡単な方であった。すぐにソフィアからそれを外す。
とんだ粗悪品だな。だが、これでもかけられれば魔力を封じてしまうのか……。
「リアちゃん、ありがとう」
「礼なんていい。それよりも怪我はないか?どこか痛むところは?」
「ふふ、見ての通り大丈夫よ」
「そうは言っても心配だ。王宮に戻って診察してもらった方がいい。行こう」
「あ、待って。あの人はどうするの?」
ソフィアの視線の先には床で伸びている男。
「ああ、あいつらは外にいる近衛兵にでも任せておけばいい」
「あら、どうして近衛兵がこんなところにまで?」
「王子が侯爵から連絡を受けてな。それで自分の兵を使って探させていたんだ」
「そう、殿下が……」
「さあ、足元に気をつけて。もう外は夜だ」
荷台の布地を避けて外に出ると星空の下、松明を持った近衛兵が馬車を囲うように立っており、もう一人の誘拐犯の男も満身創痍な状態で拘束されていた。
隣には信頼する親友が自分を守るかのように寄り添ってくれている。ソフィアは長いようで短かった一日が終わりに近づいていると感じて安堵の息をついた。
ソフィア誘拐事件から数日後の東司令部、部隊長室。
結局、主犯であった三男坊の処分は叔父である大臣とソフィアの父であるレイモンド侯爵の話し合いにより、今後一切の王宮への出入り禁止、ソフィアへの接近禁止の二つになった。……表向きは。
リアも詳しいことは聞いていないが、娘を溺愛している侯爵のことだ。そんな軽い処分で済ませるはずがない。上記の二つ以外に秘密裏に両家の間で何か動きがあったと考えるのが妥当だ。とはいっても、レイモンド侯爵は娘のソフィアに恥じない清廉潔白な人だ。それも、常識の範囲内のやり取りだろう。
サイラスが持ってきた調書に目を通しながら事の顛末を思う。
だが、事件が明るみになった日のあの大臣の慌てようは傑作だったな!あははは!
リアが思い出し笑いを噛み締めていると、目の前で黙って立っていたサイラスが思い詰めた表情で口を開く。
「なあ、ブラックベルン。お前、なんで俺のこと犬とか狼って言うんだ?やっぱりお前も俺の生まれを馬鹿にして……」
「はあ?お前の生まれなど知らんし、興味もない。だかな、こんなにもお前にお似合いの名字はそうそうないぞ。お前は嫌というほど鼻が利くからな。あの時もわたしが捕らえようと準備していた獲物を横取りされたし……チッ、思い出したら腹が立ってきた。あと、お前に似た犬を知っているから、それで呼んでいるだけだ」
話していたら久しぶりに会いたくなってきた。あいつ、元気にしてるかな。
「そうか……似合ってるのか……」
「なに嬉しそうにしてるんだ。気持ち悪い」
生まれを馬鹿にするどころか、家名が似合っていると言われたことがサイラスにとってはむず痒く感じた。
言い方にトゲがあるが、こいつとの関係性だとこんなもんか。百歩譲ってお互い様なとこもあるし。それにこんな風に言い合える奴、こいつ以外にいないしな。
あれ?俺、友達少ない……?
奇しくもサイラスは気づいてしまった。自分の交遊関係の狭さに。
「友達作ろう……」
こうして一つの決心をしたサイラスだったが、果たして彼に友達は出来るのか?まずは連日連夜の残業をなくすことから始めてみようと思ったサイラスであったが、そんなことは土台無理な話であることをこの時の彼は知らない。