4.兄弟2
屋敷に戻ったリアたちは玄関先で待っていた母のアクアに抱き締められた。
「ああ!リア、セシル。どこにも怪我はない?痛いところは?クラークに抱えられて帰って来たユージンを見て心臓が止まるかと思ったのよ。あなたたちこんなに夜遅くまで何をして遊んでいたの?」
「母上、力を入れすぎです。リアたちが潰れてますよ」
「あら、ごめんなさい」
「ごほっごほっ……すいません、母上。少し狼どもとじゃれあっていました。ですが、わたしとセシルは特に怪我などはありません。ご心配お掛けして申し訳ありません」
ほら、セシルも。
リアに促されてセシルもおずおずと謝った。
「……ごめんなさい、母さん」
「そう、反省しているならいいのよ。わたくしは怒ってなどいないから、その可愛い顔をよく見せてちょうだいな、セシル」
「母さん……」
「よく事情はわからないけれど、頑張ったのね。怖かったでしょうに、偉いわ」
リアもよ。
二人まとめてアクアに優しく抱き締められる。母の温もりの中で安心したのか、セシルは声をあげて泣き出した。今までの感情を放出するように。それはセシルが泣き疲れて眠るまで続いた。
夜の屋敷は昼間と比べてなんだか静かな気がした。足音が響く。ある扉の前でリアは足を止めた。この先にはユージンがいる。母曰く、頭を打ったことで意識を失っているが、安静にしていれば明日にも目を覚ますだろうと侍医に言われたらしい。兄には見舞いは明日にして、今日は早く寝るようにと言われたが、自室に行くふりをしてここに来た。扉を開けると暗闇のなかにベッドに横になるユージンの姿が見えた。
「ユージン……」
頭には包帯が巻かれており、寝息が荒く、息苦しそうだ。その口からは小さくリアを呼ぶ声が聞こえた。
わたしを呼んでいるのか……?
「ユージン、わたしはここにいるぞ」
傍に寄って顔にかかる髪を払いのける。
「セシルを守ってくれて、ありがとう」
ベッドの傍らにある椅子に座ってユージンの手を握る。小さく握り返されたような気がした。
「回復したら母上がお前の好きなものを作ってくれるそうだ」
まあ、本当に作るのはシェフだが……。
「だから、早く元気になれ」
段々落ち着いていく寝息を聞きながら、ユージンの体温を感じとる。
今日は疲れたな……。
ユージンに釣られるようにしてリアも目蓋をおとしていった。
「ユージン……」
早朝に目が覚めたセシルはベッドを抜け出し、ユージンの部屋まで来ていた。扉の前で二の足を踏んだが、いざ扉を開ける。昨日の感謝とこれまでの態度を謝罪しに来たのだ。ここに来るまで頭の中で何度も予行練習をした。
まずは最初に庇ってくれたことへの感謝を伝えて、その後から今までのことを謝ろう。朝早くに来たけど起きてるかな……?
だが、その考えは目の前の光景により飛散した。
「な、なんで、ね、姉さんが!?」
セシルは母が読み聞かせてくれた本を思い出していた。正確にいうとそこに出てくる男女の関係性についてだ。その本には一組の男女が登場する。男は女がピンチになると駆けつけ、身を呈して守った。女が体調を崩したときも甲斐甲斐しく看病をし、夜を徹して見守った。いろいろと逆のような気もするが、昨日からのことを思うと、目の前の光景はまさにそれだった。
素敵ー!これこそ真実の愛だわ!
母のはしゃぐ声を思い出す。
『愛』
愛、だと?
結局、紆余曲折あり、その二人は結ばれるのだが、その法則でいくと……。
「姉さんとユージンが……?」
セシルにとって耐え難い結論にたどり着く。
感謝?謝罪?そんなものとうに消えた。セシルの頭が高速で回転する。自分から姉を盗る者には容赦しない。例え、それが自分を助けてくれた者であってもだ。
姉さんはブラックベルンでずっと一緒に暮らすんだ。そのためには……。
セシルの幼いながらも優秀な頭がある言葉を思い出す。それはまたもや母が読み聞かせてくれた本に載っていた言葉だった。
そんなセシルの後ろからモーリスが顔を出した。彼も早くに目が覚め、ユージンの様子を見にここまでやってきたのである。先に来ていた弟に驚きを表したが、昨日の様子から謝りにでも来たのかと、ユージンに対して何かと意地を張る弟の成長を感じ、微笑ましくなった。しかし、部屋に視線を移すと、ユージンのベッドに上半身うつ伏せで寝ているリアを発見し、眉をひそめた。
「部屋に戻ったと思ったら、こんなところにいたのか。ユージンはまだ目が覚めないようだね。ほら、リア、起きて。部屋に戻るよ。ここで寝たら風邪を引くじゃないか」
まったく、と言いながらリアを持ち上げる。
その拍子にリアの目が薄く開く。
「セシルもユージンがまだ寝ているんだ。伝えたいことがあるなら起きてからにしなさい」
「はい」
「あにうえ……?」
「リア、起きたのかい?君にはいろいろと言いたいことがあるからね。まず最初に……」
ユージンの部屋を出てリアの自室に向かう最中もモーリスの説教は止まらなかった。延々と伝えられる苦言に微睡みの中にあったリアも目が覚める。自室に着く頃には完全に覚醒していた。
「兄上、申し訳ございませんでした。わたしもあそこで寝るつもりはなかったのです。でも、気がついたら、ああなっていました」
「当たり前だよ。気持ちではまだ元気だったかもしれないけど、体は休息を必要としていたんだ。それほど昨日は魔力の消費が激しかったということ。私達は魔力切れを起こしたら、指一本すら動かすことができなくなるんだよ。父上も常々おっしゃっているだろう?戦いのなかで隙を見せてはいけないと。魔力の管理もリアが目指す、父上のような軍人になるためには必要なことさ」
わかったね?
「はい、兄上。肝に銘じます」
素直に頷いた妹にこっそりと息をつく。
昔からお転婆を通り越して嵐のように駆け回る子だったが、父のような軍人になると明言したその日からそれが加速した。才能か、はたまた父との鍛練の賜物なのか、未だに大きな怪我などなく過ごしているが、妹が危ないことに首を突っ込む姿を見て何度心臓が止まるかと思ったことか……。どうせ言っても聞かないのなら、いっそ本当に父のような武人になれば怪我を負うこともないのだろうが……。
モーリスの頭に成長したリアが浮かぶ。屈強な男たちを次々と倒してその屍の上に立ち高笑いを上げるリア。
……あり得る。このままいけば充分にその可能性が。
目線を落とす。そこには青い目をくりくりとさせてこちらを見る、まだ幼いリアの姿。
こんな可愛い子が将来あのようになると?いやいや、そんなまさか。いくら可能性が高くとも流石に体格で劣るリアが筋肉ムキムキの大男を投げ飛ばすなんて。
……いた、父上が。
この間、モーリスも参加したブラックベルン家の私兵の訓練で体格で勝る、熊のように大きい隊長を軽々と吹き飛ばした父の姿が脳裏をよぎる。父は普通の成人男性くらいの背格好だ。そんな父の血を引いているリアができないなんてモーリスには断言できなかった。
モーリスは別に妹が武器を振り回して、どんどん敵を倒していくことを反対しているわけではない。怪我さえしなければリアの好きにするといいと思っていた。しかし、懸念していることがひとつだけあった。それは、リアが誰かに恋をしたときだ。今は色恋など、なにそれおいしいの?状態だが、誰かを好きになったときに、その相手からリアの強さ(お転婆さもだが)を理由に拒否されでもしたら目も当てられない事態になること必至だ。他の家族もそうだが、まず父が黙っていないだろう。父は唯一の娘だからか、リアに甘いような気がする。どこかに嫁に行くというだけで槍を振り回さんとする勢いだ。それがあまつさえ、フラれてリアが傷つく事態になってしまったら……。モーリスの頭には辺り一面血の海になった光景が浮かぶ。ああ、やりかねないな、あの父なら。
だが、やはりリアがどこかに嫁いでいくのは寂しいものがある。いっそこのままブラックベルンに居続けられるように手を回した方がいいのでは?いや、駄目だ駄目だ!リアの気持ちを無視してそんなことできない!
リアの幸せを願いたい気持ちと、やっぱり自分もリアを誰かに嫁にあげたくない気持ちがぶつかり合って、ジレンマに苛まれる。
お兄ちゃんはどうすれば……!
そんなことを考えていると、今まで黙ってついてきていたセシルがいきなり口を開き、とんでもないことを言い出した。
「姉さんは行き遅れになるんだ!」
「え」
「な、なんてこと言うんだい、セシル!?リア、大丈夫だよ。リアは可愛いからそんなことにはならないさ。お兄ちゃんが保証する」
「セシルから……行き遅れ……」
「ああ、ショックが大きすぎて聞こえてないな」
「行き遅れになるんだ!」
「もう、セシル!どこでそんな言葉を……はっ!母上!母上ー!セシルにはまだ母上の趣味は早いとあれほど申し上げたのに!」
セシルが記憶の中から導き出した言葉は、リアに少なからずの衝撃を与えたようだ。ふらふらとベッドへ歩いていったリアは、そのまま横になって目を閉じる。内容はともかく、可愛がっている弟から暴言を吐かれたことが信じられず、現実逃避をするため夢の中に旅立つ。
モーリスはというと元凶の元へ苦情を言いに駆け出していた。
周りの騒がしさなど気にもとめず、セシルは使命感に燃えていた。母が読んでくれた本の中に、出会いに恵まれず何歳になっても家族と過ごしている女性の話が出てきた。周りはその女性のことを『行き遅れ』と呼んで蔑むような言動をしていたが、セシルにはどうしてそのような態度をとるのか理解できなかった。
いつまでも家族と共にいれるなんて幸せなことじゃないか。姉さんもどこにも行かずに『行き遅れ』になれば家族みんなでずっと一緒に暮らせるのに。
誰かが言っていた。言い続ければ嘘も誠になると。なら、ぼくがこれから姉さんに言い続けるよ。姉さんがどこにも行かないように……。
セシルは新たな決意を胸に刻んだ。だが、それは戻ってきた兄によって二度と行き遅れと呼んではいけないと注意されることにより消滅した。
——セシルは勘違いをしていた。母が用意する本はほとんど最終的には誰かと結ばれるハッピーエンドが多かった。行き遅れと呼ばれた女性も彼女を受け入れてくれる運命の相手に出会って、最後は結ばれた。セシルがその事実を知るのは、もう少し後の話。そのことを知ったセシルは、改めて二度と『行き遅れ』なんて言うまいと誓った。
もふもふ。
昨夜は久しぶりに家族の親睦を深めることができた。やはり、わが家は良いものだな。
もふもふ。メェー。
「こらこら、わたしの髪は食べ物じゃないぞ。……痛っ!おい、ガチ食いしてるじゃないか!離せ!」
「ああ、もう、お前たち、人の髪は食べてはいけないと教えているのに、まったく」
ほら、リア。じっとしてて。
モーリスが羊に絡まれているリアに手を伸ばす。すると羊は、口に入れていた髪を大人しく離し、別の場所に移動した。
相変わらず飼い主の言うことは聞くんだな。
羊毛で大きくなったお尻を振り立ち去っていく後ろ姿を見送る。
昼食を終えたリアとモーリスは、ある部屋で羊に囲まれていた。この部屋はモーリスが当主代理を行うようになってから、初めに手を加えたところである。部屋の壁をぶち抜いて作られたそこは外と内を隔てる大きな扉があり、その向こうは牧草地へと繋がっている。この屋敷が所謂、貴族などが住む高級住宅地にあることからもモーリスの熱の入れようがうかがえる。彼は好いていたのだ。もふもふを。
「ああ、このもふもふが堪らない!日頃の嫌なこと全部忘れられるよ!」
「そうですね、兄上。こうやって浮かんでいると癒されます」
「ああ、まだやらなきゃいけないこと残ってるけど寝そう」
「寝たらブレンダが箒もって叩き起こしに来ますよ」
「それ死ぬやつじゃん」
「そうですね、彼女が本気を出せば地面くらい簡単にえぐれますから、兄上の頭部が無くならなければいいのですが……」
「もう、目覚めたからいいよ。その話は」
再びのんびりとした時間が流れる。
「セシルも一緒にこうしていたかったけど、仕事なら仕方ないね」
「宰相から呼び出されてしまっては見習いの身分では行かないわけにはいかないでしょう。まあ、どうせ王子の仕事が進まないとかそんな理由ですよ。あんまりセシルの負担になるようなら、わたしからあの王子に一言言ってやります」
「あまり言うと殿下萎縮しちゃうからほどほどにねー」
「はーい」
二人して羊毛を堪能していたが、ふと、リアが昨日回想した内容を話すとモーリスも感慨深そうに頷いた。
「ああ、懐かしいね。あの時、リアの書き置きを見たブレンダとそれを聞いた母上が血相を変えて駆け込んできたから、私と父上もそれは驚いたよ。すぐに探しに行こうとしたら既に父上の姿はなかったし」
「ええ、少しでも父上の到着が遅れていたら、わたしも無事では済んでいなかったでしょう。セシルたちを守ることを優先して自分を疎かにしていました。戦場において、それは悪手。今のわたしでは、もう狼などに後れをとるなどありませんが、あの頃の自分は幼かったということでしょう」
「そうかもね。でも、今でもどんな敵が相手になろうとも油断してはいけないよ。リアが傷付くところなんか見たくないからね」
「それならばご安心を。今のわたしにはこの手で鍛え上げた部下もいます。それに、ユージンもわたしを支えてくれていますので、何が来ようとも袋叩きにしてやります!」
ぎゅっと拳を握るリアを見て、自分が想像した通りに成長してしまったなあ、と遠い目になる。
本人から話を聞くには毎日楽しく過ごしているようだから、まあ、いっか。
「ふふ、そういえばユージンの看病をするリアにセシルがくっついていたね」
「ああ、そういえばそうでしたね」
「昔からセシルはお姉ちゃん子で、リアが好きでたまらないって感じだったから、ユージンにとられたようで寂しかったのかな?」
うちの家系はみんな独占欲強めだからなぁ。
「何を言ってるんですか。セシルが好きなのは家族みんなですよ」
「ふふ、そうだね。でも、それも昔よりは随分とましになっていると思うよ。家族以外とふれ合うことで協調性が育っていってるみたいだし」
セシルも成長したのかな?
むかつく。
だいたい、なんで姉さんの副官があいつなんだ!四六時中、姉さんの隣に居やがって!同じ王宮にいるのに姉さんには会えず、こっちときたら、口を開けば泣き言ばかり言って一向に仕事が進まない王子のお世話係だ。不公平すぎる!昔からそうだ。あいつはしれっと姉さんの傍にいて、僕が姉さんに褒められても「へー、それはすごいですねー」なんて無表情で思ってもいないことをいけしゃあしゃあと……!僕があの後に謝っても、看病していた姉さんの方に気をとられて「すいません、聞いてませんでした。何か言いましたか?」だと!?どんだけ僕のことをおちょくれば気が済むんだ!
あー、思い出したらやっぱりむかつく!
力が入りすぎて、思わず手にしている紙を握り潰してしまった。
グシャ。
成長したセシルであったが、姉に対する執着は未だに健在だった。
「あー!ちょっと、セシル!それ私が書き上げた書類……くしゃくしゃじゃないか!」
「なんです?早く書き直したらどうですか?誰のせいで折角の休みを返上してここに来てると思ってるんですか?」
「うっ。ご、ごめん。でも、そういうとこ本当にリアに似てるよ」
「そ、そうですか?」
「いや、褒めてないから。嬉しそうにしないで」
帰ってきたときと同じように荷物を手に、兄に別れを告げる。とはいっても、時間が取れればいつでもここに帰ることは容易である。兄からも軍の寮ばかりに泊まるのではなく、たまには帰ってこいと言われてしまった。今度はユージンも連れてくるかとリアが考えていると、聞き捨てならない言葉を兄が発した。
「ああ、そうそう。今度、母上がここに来るそうだから、リアもその時は戻ってきてね」
「は?」
「何時って言っていたかな?」
ちょっと待ってて。
玄関先に固まる妹をおいて屋敷に戻ったモーリスはひとつの手紙を手に現れた。
「えっと、これが届いたのが一昨日のことで、内容から逆算すると……あ、あと三日後にここに着くみたいだね。母上が来るってことは当然父上もついてくるだろうから、久しぶりに家族全員が揃うね」
楽しみだなぁー。
のんきにそう言った兄を尻目に、リアは滝のように汗をかいていた。
や、やばい。これは早急に戻ってユージンと対策を考えねば……!
「あ、兄上!わたし軍に用事を思い出しましたので、今日はこれで!」
「ああ、そう?大変だね、リアも」
仕事頑張って、なんて言って見送るモーリスを後ろに、急いで馬車に乗り込む。
「た、大変なことになってしまった……」
震えたような呟きがひとりきりの車内に落ちていった。