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1.青い悪魔



ユーロジア王国の東——常冬の山脈の麓、雪深い森の中。


「対象、北東10km地点。数、およそ50個体。もう間もなく目標地点に入ります」

「対象はどんな様子なんだ」

「まさに猪突猛進って感じですよ。こっちしか見えていないんじゃないですか」


魔力装置のスコープを覗き込む部下の報告を聞きながらその時を待つ。


「それはそれは。高魔力体になって身体能力は向上しているとはいえ、知能はそれに付随するわけでもないのか」


ああ、と物悲しそうに凍えるような吹雪の中を見る。


「また簡単に終わってしまうな」

「残念そうにしないでください。あ、対象全個体入りました。」

「そうか、閃光を上げろ!」


空高く上がっていく光。その直後、少し離れたところから新たな大きな光が発生し、地鳴りがおさまる。その光のおかげで、吹雪で視界が悪い中でも今回の対象である魔猪の姿が確認できた。通常の猪の何倍もの大きさを持つそれらからは理性を感じられず、大きく育ちすぎた牙を振り回してはうなり声をあげている。


魔猪をはじめとした所謂魔物はもともと通常種であった。何らかの原因で体内に高魔力を宿したため身体が成長し通常種より力の強い魔物になると考えられている。しかし、今はその巨体も目の前に突如現れたものに足を止めている。


「副隊長の光の矢、対象の前方に配置完了です」

「うん、ユージンもうまくやったようだな。では、続いてわたしの番だが……、久しぶりだからな。デカいのいっとくか」

「え、部隊長。その魔力量は……」

『我が力、炎によって示す』

「ぜ、全員退避ー!」

『あははは!全部燃えろ!』


高笑いと共に周り一帯を巻き込んで大きな火柱が上がる。すべてを燃やし尽くすその熱量は最期の咆哮をも許さず容赦なく魔猪を飲み込んでいく。


一方で。


ぎゃあああ。

あちこちから隊員の悲鳴が聞こえる。満足そうな部隊長、リア・ブラックベルンの傍にはいつの間にか副隊長、ユージン・ウィスタリアが戻っていた。


「部隊長!こっちまで燃やされるかとおもったんですからね!」

「はあ?わたしがそんなミスするわけないだろ。燃やす対象はちゃんと選んでいる」


その言葉通りに部隊の誰もリアの炎に巻き込まれていない。それどころか、蜘蛛の子を散らすように逃げていた隊員の場所の炎をピンポイントで消していたようだ。

部下のロン一等兵は後ろを見る。その形だけを残して消し炭になった魔猪だったもの。周りに残熱があるのにもかかわらずロン一等兵は背筋が凍る感覚を覚えた。


そんな精密な魔法普通の人は使えないですよ。それに……。


燃えた魔猪の残骸の一部をハンカチで包んでリアに見せているユージン。


いつの間にウィスタリア副隊長は戻って来たんだ?しかも、検視まで済ませているし。


自らが作り出したその惨状をつまらなそうに眺める青い目。それが自分の方を向く。思わず後ずさりした自分を不思議そうに見つめると興味を失ったのか踵を返す。


「帰るか」



——これは青い悪魔と呼ばれた女の話。






「リア・ブラックベルン!」


リア率いる東司令部部隊は任務を終わらせ先ほど帰還した。一週間かけた東の山での鎮圧作戦は悪天候が続き、日頃訓練をして体を鍛えている部下たちも疲労の色が隠せない。その大部分は最後にリアが大型魔法を発動させたことが原因であるが、その原因の張本人は何食わぬ顔で部隊を解散させ、今はひとりで中央司令部に続く廊下を歩いていた。


そんな中、後ろから自分を呼ぶ声にリアは振り返る。そこにいたのは何かとこちらに突っかかる北の部隊長だった。いつものように顔を歪めていたが、一ついつもとは異なりその全身はピンク色の塗料まみれで大変愉快なことになっていた。


「おお、なかなか似合っているじゃないか」

「これはお前の仕業だな!」

「何を言っているんだ、ウルフスタン君。わたしは任務を終わらせたばかりで疲れているんだよ。じゃれあいたいなら後でボールで遊んであげるから」

「とぼけるな!あと俺は犬じゃねぇ!」

「ああ、はいはい。狼用の遊び道具注文しとくから」

まったく、贅沢言って。


やれやれと肩をすくめるリア。その様子に怒りを抑えながらサイラス・ウルフスタンは一旦口を閉じる。これ以上不毛な会話を続けても意味がない。


「お前がいなくなると聞いて喜んでいたところにこれだ。いちいちお前たちが出発してから発動するように仕組みやがって。おかげでうちの司令部はペンキまみれで書類も一から書き直しだ」

「それはお可哀そうに。だが、どうして私の仕業だと?君なら他にもたくさん恨みを買っているだろう?」

「お前と一緒にするなよ。魔術残渣を調べたら東の隊員の魔力と一致するものが出てきた」

「チッ、痕跡が残ったか。改良の余地があるな」

「おい」

「そこまでわかっているなら早く風呂にでも入ってきたらどうだ。あ、そうか、すまんすまん」


いきなり謝ってきたリアに北の部隊長、サイラス・ウルフスタンは困惑する。


日頃対立している北司令部と東司令部。その長同士リアとサイラスの仲も決していいとは言えない。いやむしろ顔を合わせるたびに嫌みの応酬が始まり、最終的には魔法の打ち合いに発展することも少なくない。その度に騒ぎを聞きつけた宰相が鬼の形相で2人に説教をするのだが、そこでもリアは素直に自分の非を認めずサイラスに罪を擦り付けようとする。……宰相はそんなリアの生態を理解しているのか、より一層説教が長くなるだけだが。

そんな人物が自らの非を認めるだと?

サイラスが訝しんでいるとリアが口を開く。


「わたしは他人の趣味嗜好には寛大な方だと自覚しているが、まさか北の部隊長である君が汚れた自分を周りに見せつけて自分の欲求を満たそうとするなんて」


リアの青い目が蔑みの色を浮かべてこちらを見る。


「どうしてそうなるんだ!?これはお前が魔術に細工をしたからだろう!?わざわざ綿密な術式組みやがって!何したって落ちないんだよ、これ!」

「あ、そういえばそんなことしてたっけ?」

「お前……」


たった今思い出したというポーズを見せたリアにサイラスは呆れる。自分の部下の中でも指折りの人物を集めて解術したが複雑な構造故に3日もかかってしまった。その間、北司令部はあふれ出すピンクの液体に汚染され仕事が進まないのはもちろん、全身ピンクの容貌にすれ違う王宮メイドから不審者を見る目つきで見られ、そのとげとげしい目線から部下たちの疲労も限界に達していた。それがリアの東司令部隊が出発してからなので、もう6日間にもわたって続いている。部隊長としてこの事態を収拾させるためサイラスはこの悪魔みたいな女から情報を手に入れる必要があった。


「どうやったらこれは落ちるんだ?」

「ああ、それは……。えーと、これだ」


ごそごそと自分の懐を探っていたリアは液体の入った瓶を取り出す。


「これを使えば落ちるようになる」

「なら、それを早くくれ」


サイラスが受け取ろうと手を伸ばすと、リアはその手と瓶を交互に見てにやりと顔を歪めた。


「そんなにこれがほしいのか?」

「おい、お前まさか」

「お望み通りくれてやる。取ってこいウルフスタン!」


大きく振りかぶってその瓶を空に投げる。瓶はサイラスの頭上を越えて飛んでいった。


「ちょ、おま、このっ馬鹿ー!」


サイラスは急いで魔法を発動させた。自分の周りに風を発生させ体を浮かせると瓶の先に回り込んで受け止める。あと少しでも遅かったら中庭に生えている木にぶつかって割れているところだったと無事に回収できたことに安堵のため息をつく。文句の一つでも言ってやろうと体を浮かせたまま後ろを振り向くと、そこにいたはずのリアはいなくなっていた。


「あれ?いない」


まあ、あいつから瓶を回収できたことだし、早くこの呪いにも近い現象を終わらせよう。

いろいろと腑に落ちないが自分の帰りを待っている部下たちのためにピンクまみれのサイラスは北司令部へと足を進めた。





その頃、サイラスと別れたリアは絢爛な中央司令部においてより一層煌びやかな扉の前に立っていた。

相変わらず悪趣味で軍部において不必要無意味なデザインのそれと、自分の趣味とは異なる建物で仕事を強いられている部屋の主に同情にも似た気持ちを抱いて扉を叩く。


「東司令部、部隊長リア・ブラックベルン入ります」

「リアか。ああ、構わない」


入室の許可が下りたので扉を引き、体を滑り込ませる。

部屋の中は外観とは異なり実に質素なものだった。机、椅子、あとは壁沿いに本棚がある程度。奥ではこの部屋の主が手元の書類から顔を上げてリアを迎えていた。


「東で発生した魔猪の件について先ほど帰還致しましたので報告に参りました」

「先の任務ご苦労だったな。現地では天候が優れなかったと聞いている。疲れているようなら報告は後日でもいいぞ」


目の前の上官の気づかいにリアはきょとんとした。


「いえ、あれくらいで音を上げるような鍛え方はしていません。お気遣いありがとうございます。サンダーソン統括」


目の前の部下の相変わらずな様子にダリル・サンダーソンはその大きな体を揺らして笑う。


「これは失礼した。クラークに鍛えられた君には不要なものだったか」

「いえ、確かに幼い頃、父から冬山に放り込まれたことがありましたが、その時はひとりだったので気楽なものでした。今回は隊を率いてのもの。集団における極限下での生存保持および任務の続行は大変なものがありましたが、実に有意義な時間だったかと」

「そ、そうか……だが、くれぐれも無理だけはしないでくれ。軍部に籍を置く君に失礼だとわかっているが、幼い頃からの君を知っている身としては心配なんだ」

「わかっております。いち早く父のような不撓不屈の軍人となり、統括の憂いを晴らして見せます」

「んーわかってないな、これは」


こちらの心配をよそに闘志を燃やしている部下にダリルは苦笑をもらす。彼女が敬愛する父に近づこうと努力しているのは知っているが、あのトンデモ人間とそっくりになってしまうのはもったいない気がしていた。その言動から問題になることも多々あるが、それはこの変人ぞろいの軍部においては些細な事。公爵家の令嬢として生まれ、容姿もさすがあの両親から生まれただけはある、と王に言わせただけのことはある。その後、陛下はクラークから笑顔で問い詰められていたが……。そんな彼女には危ない戦場より他の令嬢と同じように領地で穏やかに過ごす道もある。だが、こんなこと本人に言ったらセクハラになってしまうため言えない。最近の王宮倫理委員会は厳しいのである。

あ、でもそんなことになったら俺がクラークから串刺しにされるわ、あははは……。


一瞬遠い目になったダリルは気持ちを切り替えてリアに報告を促した。


「今回発生した魔猪は体内に高魔力結晶を保有していました。自然に形成したのか、故意に体内に埋め込まれたのかは検視の結果では判断できませんでした」


リアがハンカチに包んだものを見せる。それは黒く煤けていたが一部結晶体を残していた。


「そうか」

「詳しくはこれから魔研に分析を依頼しますが」

「ああ、これまでと同様に何も出てこないだろうな」

「はい。その可能性が高いかと」


二人してそれを見つめる目は厳しい。


近年、王国中で発生している魔物の異常発生。昔から魔物は度々発生していたが、ある時期を境にその頻度が高くなっている。特に最近はそれが顕著だ。リアたち東司令部が管轄する王国の東側にもついに発生し、討伐に向かったのが先の任務であった。


「やはり、あの件が関係しているのでしょうか?」

「『紫』か?その可能性は否定できない。あれから増加しているのは確かだからな」


リアの表情が苦々しいものになる。


「まあ、正確なことはまだ何も言えない。今の段階ではすべて憶測にすぎないさ」

「はい」

「あれからもう何年も時が経ったとはな」


ダリルは椅子の背に体を預けて昔を思い出す。あの凄惨な事件を。

その時目の前の彼女はまだ幼かったな、と感慨にふける。


「こちらでも調べているが、まだ手がかりすら掴めない状況だ」

「ありがとうございます、統括。ですが奴らも入念な準備の上で実行したのです。そう簡単に見つかるものではないでしょう。まあ、必ず見つけ出して見せますが」


挑戦的な眼。落ち込んでも直ぐに立ち直るのは彼女の良いところだとダリルは思っていた。


「頼りにしているよ、リア・ブラックベルン部隊長」

「はい、お任せを」


そして、その眼をした時の彼女は他者を圧倒し、より一層美しさを強くさせることも。




中央司令部からリアは自分の本拠地——東司令部の部隊長室に戻っていた。

一週間の不在で溜まっていた書類にひたすら印を押す作業を無心になってやる。ユージンが先に書類を整理してくれていたとはいえ、その量にさすがのリアも疲弊していた。


「気のせいか?押しても押しても書類が減っているようには見えないんだが」

「重要案件および提出期限が近いものだけを選別しましたが、およそ百近い枚数があります」

「ひゃ、百だと⁉こんなに何を書くことがあるんだ。資源の無駄だ」


やってられーん、と判子を置いて椅子にもたれかかる。


「大体、わたしは任務帰りだぞ。労りをもって出迎えるのが筋だろう?それをこんな紙切れをもってして終わらせるなど。他の奴らはサンダーソン統括を見習え」


リアが不満を呟いていると隣に来たユージンから隊長、と呼びかけられ顔を向ける。

むにゅ、と唇に何かが当たる感触。つい、いつもの癖で口を開けてそれを迎える。


甘い。


「隊長が皆のためにいつも尽力なされていることは俺が知っています」

「うん」


香ばしい。


「他の者は目が節穴なのでしょう。そんな者には隊長、いえ、リア様の素晴らしさを理解する脳すらないのです」

「ああ」


キャラメルにナッツか?


「リア様の傍には俺がいます。あなたの葛藤や奮闘はすべて俺が見ていますので」

「うん、そうだな。お前が知っていればいいか」

「はい」


ユージンは満足そうに微笑む。久しぶりの甘味にリアも顔が緩む。


「ところでこれは、初めて食べる味だな」

「はい、王都で最近話題のパティシエの作品です。なんでも異国で修行してきたそうで、この国にない技法で作られているそうです。お気に召されましたか?」

「ああ!気に入ったとも!久しぶりの甘さと香ばしさが身にしみるようだ」

「それはよかったです。今度からお茶菓子に加えておきましょう」


その後、お菓子につられて簡単に機嫌がよくなったリアは再び書類に向かった。


リアは忘れていた。北の部隊長に送った瓶のことを。

——同刻。北司令部、部隊長室。


サイラスは言葉を失っていた。リアが持っていた瓶の液体を体にかけたのだ。これで他人の目線を気にしなくて済む。そう安堵してしまった。そう、安堵して何も疑わずに使用してしまったのだ。あの悪魔が作ったものだというのに。


……色変わっただけじゃねえか。


「あんの女ー!」


その声は北司令部に響き渡った。




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