西村エリの独白
気分が悪くなるような表現があります。
見たくない方はまわれ右でお願いします。
私の前世の名前は西村エリ。
今の名前と似ているものだからなんとなく運命を感じる。
公務員の父に専業主婦の母、子どもの私と言う普通の1人っ子家庭に生まれた。
そんな私に最初の変化が起きたのは幼稚園の年長から小学生低学年頃の話、私にはじめて幼稚園の子以外の“お友達”が出来たのだ。ここでは“Aちゃん”としておこう。
Aちゃんは社交的で、周りとも仲良くできる子だった。しかし彼女は1度その人を見下したら周りを使って陰湿ないじめをしてくる人間だった、私はそんな彼女に格下認定されてしまった1人だった。
だけれども私は彼女をおだてまくって、いじめられっ子から引き立て役に格を上げた。
その時の私は後の私に比べればまだまだ強かった。
そんな私だったが、転勤族だった父の仕事の都合で転校することとなった。
そこは以前のところに比べて都会だった、生徒の数も多かった。
そこでも私は変なヤツに目をつけられた。転校したクラスのリーダーをしていた“お金持ちの坊っちゃんB”とその取り巻き達だった。
彼らはAちゃんよりも陰湿な奴らだった。先生だって見て見ぬふり、クラスメイトも見て見ぬふり。皆、何を言っても何をされても助けてくれない。
誰も助けてくれる人なんていなかった。
親がいるじゃないかと思うかもしれないけれど、彼らに助けを求めるなんてそんな恐ろしいことは出来なかった。
彼らは私に出来ないことや分からないがあると『どうしてそんなに簡単なことも出来ないの』、『どうしてそんなことも知らないの!?あんたは馬鹿?』と私を責める。それがたとえ初めて知る事、やる事だったとしても………。
重箱の隅をつつくように些細な事で私を責めた、このいじめの事だって『お前が悪い、なめられるお前が悪いんだ。それかお前がなにかやったからそんなことになってるんだ、彼らに謝れ!』きっと馬鹿正直に言っていたらそう言われていただろう。
そう言われ続ける事が当たり前の事だったのでたいしておかしいことだとは思わなかったけれども心は私自身が気づかないうちに徐々に傷付いていった__
人を信じられなくなった私の前に、隣のクラスの彼女、“Cちゃん”は現れた。
Cちゃんだけは私の事を守ってくれた、私達は親友となった。
Cちゃんは私にとって初めての“友人”だった。楽しかった、その頃が1番私の中で充実していた。
だが、悲しき事にまた転勤が決まりCちゃんとは別れる事となった。
その後もCちゃんは私に電話をくれたり、会いに来てくれたりと親交は続いた。
その次の転校先には1年もしないうちにまた次の転校が決まったので仲のよい人はいなかった。
4校目の小学校は、ドがつくほどではなかったが田舎だった。
だからこそ厄介だった、娯楽に欠ける田舎は無駄に噂が広まるのが速かった。
“クラスの嫌われ者D”が何故か私に付きまとったのだ、それを見たクラスメイト達は私とDが付き合っていると勘違いをして私はまたいじめを受けた。
この頃にはもうそういう体質なのだと諦めた。
そうして私は転校を繰り返して小学校を卒業した。
中学校からはいじめを受けることは無くなった。
私は自分を守る術を身に付けた、そして重箱の隅をつつかれないように隙を見せないように家でも学校でも気を張って弱いところを見せないように頑張った。
それが問題を起こした、両親の仲は急速に悪くなっていった。
あの2人はきっと結婚してからすぐにすっかり冷めきっていた、世間体を異常なほどにまで気にする彼らには離婚という選択は浮かばなかったのだろうと推測される。だからこそ結婚生活を続けるために“私”という彼らにとって共通の敵、あるいはサンドバッグが必要だった。だけれども私は変わったから敵がいなくなった。
私に敵になり続ける義理はない、だから私は耳を塞いで逃げた。せいぜい共食いでもしてろと思いながら逃げて、逃げて目をそらし続けた。
その結果待っていたのは酷い結末だった。
詳しくは言いたくない、思い出したくもない記憶。
両親は離婚した、私は母に付いていった……中学3年生の時の事だった。受験の時期だったから、本当に参った。
私は地元では進学校の高校に合格した。
高校1年生の2学期、クラスで席替えがあった。前の席の“Eくん”と私は仲良くなった、恋愛感情とかそういうものは無かったと思う……今はもうよく分からない。
彼は私と同じような趣味を持っていた、今まで同年代で同じ趣味を持った人に出会ったことは無かったので私はとても嬉しかった
思えば、Eくんとションちゃんはどことなく似たところがあるような気がする。
Eくんには、ションちゃんのようなカリスマ性は無かった。だけれども物事を客観的に見る力や雰囲気が似ているような気がする。
私には、Eくんは信頼できる“2人目の親友”と言っても良かっただろう。
この時、私には死ぬ気なんて無かった。
それなのにどうして自殺に至ったのか、それは……
それは高校2年生の冬の出来事だ。
私は古本屋で、ある本を買った。
白い表紙にどっしりとした黒い字、迷いなど一切ない真っ直ぐとした言葉…。文章には書き手の性格が出るというが、その本を書いた人は誠実で希望に満ちていたであろうことが感じられた。
私はその本に感銘を受けた。
難しいことが私のような理解力が足りない者にでも分かりやすいように書いてあった。
なるほどなと思うこともあれば、これは賛成できないと思うようなこと、そしてピンとこないこと………。
その本を読んでこのように考えている時、唐突に私の心にある気持ちが沸き起こった。
___何故こんなにもちっぽけな私なんかが生きているんだ、死にたい、これ以上生きていても意味がない……、
始めての感情だった。
これまでいろいろな人からの負の感情を受けてきたし、感じてきた私だったがここまで恐ろしい感情は初めてだった。
あの本には死ねと書かれていたわけではない、死という文字は1文字も無かった。それなのにも関わらず、
本当にギュウッと心臓を鷲掴みにされたような、今まで感じたことのない程の衝動に駆られた。
私が今思うに、これは私がもっと人を信じられなかったせいでもあると思う。1つ言うと、ずっといじめを受けてきた。人が何を言ってきても、どうせ次のところも、お前も私の趣味を馬鹿にしているのだろう!そうとしかとらえることが出来なかった。
広い視野で物事を見ることが出来なかった、いつも悲観していた。そうして選択肢をどんどん切り離していったので身動きもとれず、がんじからめになった。
私が自殺を決めたのは、なにもあの本だけが理由ではない。
衝動はどんどん抑えきれなくなっていく、このままでは私は溢れるほどの怒りを他人にぶつけるかもしれないという不安もあった。
そして、絶望したからです。この世には何十億人という人が存在している、その中で私と関わったのは何百人か、そうしてその中で仲が良かったのは数十人……
仲が良かった数十人のうち本当に信頼できたのは、たった2人、たった2人しかいないのだ。
それだけの事、こんなふうに思われるでしょうね。だけれども心に空白ができてしまった私にとってはとても大きな傷だったのだ。
ある日の夕方、私は縁も何もないマンションの屋上から飛び降りて死んだ。




