衛兵ジョンから見た男達の別れ
606年3月31日を以て宰相アベルは任期満了で宰相の地位から退くこととなる、それは宰相の優越という本来設置された目的から外れた治外法権を失うことも意味していた。
「それでは、皆さんさようなら。今まで私の事を応援してくれてありがとう。」
宰相アベル……いや、前宰相アベルは痛々しい笑顔を顔につくって太陽を背に浴びて俺達の方を向いた。
王宮から去る彼の見送りに来ているのは、同じく今日で宰相代理を退く変人&驚異の×7男カール=ペンヨーク伯爵、猫命のパレス=コノユライン子爵と頭はどう見てもズラというヨハン=ガブリエール伯爵、ほんわかとした癒し系の容姿のジューン=マブーク伯爵、彼の盟友で外務大臣ヘンリー=ベアドブーク公爵とそして私、離宮で衛兵長を勤めておりますジョン=クックの6人のみです。
「……宰相、本当に大丈夫なのですか!?」
「いやぁ、大丈夫に見えます?荷物を数ヵ月も放置してましたから、すっかり埃を被ってましたよ。せめてハタキではたくぐらいはしてほしかったんですけど。」
「いや、マブーク伯爵が言ったのはそういう事ではないかと、荷物より御自身の心配をしてください。宰相自身のお加減はどうですか?」
彼らは気づいていない振りをしていただけだろうけれども、彼はきっとわざとそう言ったのだとジョンは感じた。
彼らの足取りは重い、宰相とは王宮の門の側にある馬車の前までしか見送れない。そこから先はついていけない、そして彼とはおそらくもう2度と会うことは出来ないだろう。
「私ですか?私はこの通り元気です。フェルナンドも元気です……西の大帝国で精一杯頑張って暮らします、そのうちお土産でも送りましょう。……遠すぎるので、ちゃんと届いてくれるかは怪しい所ですけど。」
「じゃ、じゃあ猫の置き物をお願いしまぁす!」
「おいおい、パレスよ。猫も良いが、かの国は香水が有名だ。食べ物は腐るだろうから、俺には香水でも送ってくれ。」
「2人とも、どうしてそんなに……。」
ヨハン=ガブリエール伯爵が呆然と涙が出ないように押さえながら言うがふいに言葉を止める、2人も空元気であるが誰もそれを指摘する者はこの場に居なかった。それを指摘する元気すら彼らには残されていない。
後になって思えば彼らはこれから相反する道を辿る事をこの時予期していたのだろう。ある者は敵に寝返ったと思われて残り少ない余生を過ごし、ある者は左遷されて出世できないまま出仕最後の日に『バカヤロー!』と叫びながらずる休みをして、仏のような顔をした担当者に『無断欠席』と書かれてそのまま定年が来て、ある者は革命後に革命に貢献したとして伯爵→公爵になり、女房役の宰相にされるという大出世をすることとなる。
「う~ん、実は私の貯金額が今カツカツで財布の中がホコリしかない状況なんですよ。多分届けるのはものすごく先になりそうですけどそれでも良いですか?」
「じゃあ俺は止めとくわ。」
「私も……そうしますぅ。財布の中がちゃんとお金だらけでジャンプしたらジャラジャラ鳴るくらいになってから私達の話をふと思い出してくれればそれで私は十分ですぅ。」
いや、そういう問題でもない。
皆は痛々しい姿は見たくなかったのかすすり泣きがどんどん大きくなっていく、最初は耳にも入らないくらいの大きさだったのに今ではいたたまれなくてその場から居なくなりたいくらいに。
「衛兵のジョン君、君だけだね。私の事を見送りに来てくれた貴族でもない人は、私で答えられる事だったらアドバイス出来るけど何かある?」
「この国の事を恨んではいないのですか……?」
俺の口から出たのは考えていた平凡な質問ではなくってこんな事だった、口から出た後に何故こんな分かりきった質問をしたのかと後悔した。彼は間違いなく恨んでいるだろう、当たり前だ。彼の盟友は何故汚名を被った?その盟友は誰のせいで愛を抱いたまま雲の上に逝った?彼がどうして国を追われようとしている?それは誰のせいだ、間違いなくこの国の人間のせいだ。
「まったく恨みが無いと言えば嘘になりますが、私達がこうなったのは私自身にも責任はありますから。
今言っても無駄ですけど、ヘンリーが宰相になっていれば、もっと早期に内務大臣様と和平していればと私はこの半年近く考えていました。意地を張りすぎて私達はその機会を失って破滅している訳です。今日まで私を応援してくれた人の為に私はもうこの国と他人になります。私は恨みもしない、何かしようとも考えない、この国に恨みを持たないようにする、これが私の答えです。
貴方からそんな質問が来るだなんて思わなかった、正直驚いていますよ。」
「ありがとうございます……」
褒められても嬉しくない、俺が聞きたかったのはそんな言葉ではない。恨んでいる、正直にそう言ってくれたら良かったのに。
「じゃあ、ヘンリー……貴方に話があります。他の皆さんには出来ないないしょ話があるのでここまでで結構です。皆さん、どうかお元気で……」
消え入るように小さい震える声で宰相アベルはそう言った。そして、重い足取りで王宮の方に戻っていく彼らはまるで戦場に向かう兵士のようにも見えた。
「アベル、何だよ?俺に話って、香水買ってくれるのか?」
「そうではなくて、貴方は革命を起こす気ですか?あの内務大臣様の代替案の中で1番貴方が取りそうなのは、あれでしたから。違うのならそうと言ってください。最後に聞いても良いでしょう?私、パレス君と違って口は固い方ですから。」
アベルが苦笑しながらヘンリーに聞くが、彼は肩をすくめてこう言った。
「俺がそんな大胆な事出来る訳ねぇだろ?アベルよ、能ある鷹は爪を隠すって言うだろ。まぁ俺は鷹じゃなくて鳶だと思っている、エドワードの方が臨機応変に動けるし頭の出来が良い、俺には取れない方法を取るから俺はそろそろ隠居でもしようと思いたいが、後5年は出来ない。」
「5年……?ああ、カインの任期満了までは引退しないんですか。犬に宰相やらせた方がマシとまでいつだかに言ってましたからね、そんなに心配なんですか?」
「んな訳ねぇだろ、5年で最低限の人材を育成してみせる。そして後はエドワードに投げる、俺はその後は知らん!」
無責任というか彼らしいバッサリとした性格と言えば良いのか、彼は引退したいという気持ちを隠さずに曇りなき眼で真っ直ぐとアベルを見つめた。
「アベル、元気でな。俺はこの国で俺なりに生きていくよ。」
そして、最後の別れにこう言ってからヘンリーはスタスタと去っていった。
「ヘンリー、貴方らしいですね……。
さてジョン君、盗み聞きは良くないですよ。はぁ……ヘンリーはとぼけてましたけど彼は革命を起こす気ですよ。しかも恐ろしいのは他の誰かにやらせて自分は手を汚さない、これ誰かの得意技と似てません?あの内務大臣様が得意としている方法ですよ、ヘンリーは昔自分がやられた方法で今度は彼を堕ちさせる気としか私は思えません……
ああ、そうだ。貴方の御友人のマイク=ワンス君、今は第1地下牢に囚われているそうですよ。私には関係ない事ですが、一応言っておこうと思いまして。」
宰相曰く、5年間の人材育成は本当に最低限のモノでだいたい10年から15年は一人前になるまでにかかると言う。最低限の促成栽培後は知らんからお前ら勝手にやれよという投げやりかなと思うとのことだった。
「マイクには会おうと思います。宰相、この後はどの経路でマルチウスまで行くんですか?」
「何の因縁なのでしょう、北の旧オンリバーン侯爵領からナクガア王国経由で行くことに……。あまりあの辺りは通りたくないのですが、それがコストとか色んな面で1番マシなので。精神的には1番ハードですけど。」
「そうですか………」
嫌な因縁だと思う、よりによってオンリバーン侯爵領とは。
「話を聞いてくれてありがとうございます。
では、この辺で私は行きます。」
そう言ってアベルは馬車に乗り込んでそのまま王宮から、この国から去っていった。
ジョンはマイクに会ったが、やはり彼は彼だった。相変わらず正義という酔いから目が覚めていないらしい。何故自分が捕まったのか分かっていない、彼の罪状は麻薬の売買だ。あのステラ=スカーレット男爵令嬢に渡した毒を購入した罪らしい。調書にマイクから毒を受け取った彼女が侯爵を殺してからその毒で自殺した事までは書かれていなかったが、これはおそらくその分も罪として入っているのだろうと何となくだがジョンは思った、きっと宰相から外務大臣が恐ろしい計画を企んでいるかもしれないというビックスケールの話を聞いたからだろうと自分を納得させた。
ちなみに、アベルからヘンリーの元に香水が届くのはこの数年後の話である、その頃ヘンリーは隠居して優雅に王都郊外の別邸で使用人という事にしているエリザベス改めエリーゼと共に暮らしていたと言う。
「アベルったら約束覚えてたのかよ!……アベルに言っとけばよかった、俺ら互いにピンチを乗り越える度に強くではなく弱く、なってたよなぁって。」
寂しそうにこんな一言を言ったとか言わなかったとか。
__真相は埋もれて誰も知らない。




