正義の名の元に
この先、暗い話になりそうです。
嫌な方は周り右をお願いいたします。
その早朝早くに、俺は薄暗い室内でステラに向き直って重々しく言った。
「ステラ、やっと見つけたよ……あそこに侯爵は居る、間違いない……。」
「それは……殺すしかないのでしょう?でも、侯爵様は制裁を受けた方です。何もわざわざ殺す必要も無いのではないでしょうか。」
彼女の顔には明確な迷いが見られた。無気力で何かに疲れた、憂いを帯びた表情で彼女はこちらを向いて聞いてくる。彼女に同情や親近感を覚えないわけではないが、世の中には優先するべき事柄がある。
「いいや、侯爵も宰相もこの世に蔓延る悪を倒さない限り、正義王による統治は成されない!
それに……」
__ここで足を止めては“悪”によって犠牲になった者達があまりにも浮かばれないじゃないか。
「そうですよ……ね?」
「でも、君がそうしたいのならば僕が代わりに実行する。この腕じゃ、成功確率はかなり低いけどね……。」
数日前、偵察に行った時にやられた右腕を見せつけながら悲しげに眼を伏せてから言う。
「そんな……」
「分かった、僕が実行するから君は帰っても_」
「やります!私が、私が……やります!」
獲物が罠に掛かった、思わず笑みがこぼれそうになるのを抑えて重々しくうなずいた。その目は殺意に溢れて、どんな独断専行を行いかねない眼をしていた、勝手に動くのなら別にそれでいい。正義さえ成されればそれでよい。
「ステラ、君の覚悟はとても嬉しく思う。」
そう天使のごとき微笑みを浮かべてから、感情を殺して平坦な口調で言いながら、傍らに置いていた短剣を手に取り、彼女に渡す。
「では、これで一突きしなさい。だけども刺す前に、これをその刃に塗ってから使いなさい。」
「これは……」
液体の入った、青っぽい透明な小さなガラスの小瓶を差し出す。ステラは薄々それが何か分かっていた、だが聞かずにはいられなかった。
「__毒だ。迷花草と呼ばれる花をすりつぶして液体にしたモノらしい。」
「迷花草……」
予想通りの答えだった、だが迷花草という名に聞き覚えがあるような気がして首をかしげた。そして、確かウチの領地でも盛んに栽培されていた草ではなかったかと考えた、あの美しい花から毒が作れるなんて、恐ろしい……ステラはそう思った。
「ではステラ、決行は5日後の9月21日だ。その時の夕方にまたここに来てくれ。」
ステラは毒と刀を受け取ってからそれらをしまって、建物から出た。
外はもうすっかり朝が来ており、人々は市場などに行き、活気にあふれている。その賑わいの中をステラは歩いていく、そしてふと思った。
(私は、これでいいの……?)
正義、正義と言っているが、所詮私が、いいや私達がしようとしていることはただの人殺しに過ぎないのではないか、そういう当たり前の疑問が頭の中に浮かぶのだ。
__今ならまだ間に合う、その懐に隠しているおぞましきモノを今すぐ捨てなさい!
__無理よ、彼は私の友人を殺した一味なのよ。それを許さない訳にはいかない!
胸の中に2つの相反する思いが交差して波紋のようにぶつかって広がっていく。彼女の胸の中では、良心と復讐心が互いに戦い合い拮抗しているのだ。
(宰相様ならば、王女様を殺す事だって出来るけど、彼は出来る、彼なら出来る……!)
ドクリ、何かが彼女に干渉してくるような嫌な感覚に囚われる。拮抗していた筈の復讐心は良心に勝って、ジワジワと黒く塗りつぶされていくような自分が自分でなくなるそんな感覚が彼女の中に__。
次の瞬間彼女の頭には、彼への殺意に満ちていた。もうどうでもいい、彼さえ殺せればどうでもいい。
彼女はそのまま町を歩いていった。
彼女の不幸は柔軟性が無かった事なのかもしれない、あまりに幼すぎる心を持っていた。それはスポンジのように物事を吸収する善き作用ももたらすが同時に、悪いことを吹き込まれれば悪いことしか吸収せずに物事を割りきる事が出来ずに、その都度臨機応変に最善の方法を取ることは出来ない。もちろん彼女のせいだけではないが、畳み掛けに弱い所が糸1本で繋がっていた最後のチャンスを逃してしまったのだろう。
(もう分からないよ……私には、分からない。)
彼女の眼からボタボタと涙が零れ落ちる。
___彼らは似ていた。一方は、悪の汚名を被ることで全てを手に入れようという慢心が芽生え、この事態を生むきっかけを作ってしまった。もう一方は、正義に酔いしれて正義と悪という見方しかせずに前者以上の慢心を持ちこの事態を進めてしまった。
前者は、選択肢が無限にあることに気づいていなかった、世間は白と黒で出来ていると勘違いした。そして、自分の欲求さえ満たされれば正義か悪かなんてどうでもよかった。後者は、全てを手に入れるために無限にあった選択肢を1つを除いて全て切り捨ててしまった、彼らは誰も知らない孤独を、闇を司っていた。そして、幸せを手に入れたいその一心で最善の方法を取ろうとした。
______
離宮で衛兵長をしているジョン=クックは、今日は有休が取れたので休みなのだが、休みと言っても特にすることはなくただボーッと町をブラブラと歩いていた。
(またか、飽きないな。)
ジョンはレミゼ新聞をたたんで脇にはさんでから、腕組みをしてため息をついた。こっちは人の悪口ばかり聞かされていい加減うんざりする。そして、彼らは知らず知らずのうちに宰相アベルという人間の尊厳を踏みにじっていることに気づいているのだろうか?彼はそんなに徹底的な人格批判を行われるほどの人物なのか?
(本当にアホらしい、これで幸福だって?笑わせてくれる。)
この国は狂っている、そう思っているのはここで自分だけのようだった。皆が当たり前のように宰相の悪口を言い、皆が当たり前のように宰相が全て悪いから景気が直らないんだと毒を吐く。まるで自分だけが異物のようにこの場には存在している。宰相だけではない、悪徳大臣のレッテルを貼られたあの人も宰相選挙で僅差で敗れてしまった財務大臣様も皆、宰相の味方ならば重箱の隅を突っつくように粗を探され批判される。そして、優秀な人材は堕ちていくのだ。
__600年続く名家に生まれた欲にまみれた“元次期宰相筆頭候補”の男。
__芸術一家に生まれた変わり者。歳だけ喰って年功序列制の元で偶然大臣になれただけの男。
侯爵には何故弁明もせずに荒唐無稽な悪事の数々を背負ったんだと言いたい、あの事態が一万歩ほど譲って仕方ないことだったとしても、せめて何か1つでも自己弁護を言ってから去ってほしかった。
(まぁ今はまだ良いよな……)
既に終わった事を悔やんでも仕方ない。
俺にとって恐い事は、この異常な熱が醒めた後の事だ。宰相という敵が居なくなった後に我々にどのような罰が下されるのか、ジョンにはそれが気がかりだった。
__そして、それは近いうち確実にやって来る。そんな予感がジョンにはあった。
1人、異端となった事に居心地の悪さを感じながらジョンはそさくさと足早に家の方に足を進めた。
その時、紅い蝶を体全身に纏わせた怒りに満ちた少女とすれ違った事に彼は気づかなかった。
______
「あら………白薔薇が散ってしまっているわ。」
「咲く時期を過ぎてしまいましたからね、来年も咲きますよ。」
白い花びらが色褪せて地面に落ちている。
いつも良い香りを漂わせてくれていたので少し寂しく思っていると、彼は相変わらず私の事を子供扱いしたかのように頭を撫でた。
「また私の事を子供扱いして………ねえ、いい加減何を埋めたのか教えてよ!」
「秘密ですって!ほらそっちこそいい加減諦めて、おとなしく春まで待っていてください。」
先日何かを埋めていた彼、聞いたのだが何なのか全然教えてくれない。
「イジワル……」
もう一粘りしようかと思っていると、ヘンリーとお母様の凹凸コンビがいた。
「おいショーちゃん、あんましベスをいじめるようだったら俺がベスの事かっさらってやるからな!」
「私は貴方が婿だなんて嫌よ!……正直言って侯爵でも、歳が開きすぎて違和感があるのに、もっと歳の差がある上に人の事を年下の私をババア扱いする貴方が娘婿は絶対に嫌!」
「冗談に決まってるだろ!俺だってな、誰が好き好んでこんなババアを姑にしなきゃならんのだ!そんな事するくらいなら死んだ方がマシだ。」
「そうなったらちゃんと葬式は出てあげるわ、安心しなさい。そうねぇ、死因は新年早々餅を喉に詰まらせた事が妥当かしら?」
「何が妥当だ……人を年寄り扱いするな!」
まぁ、こんにゃくゼリーと餅は年寄りが詰まらせるモノの代名詞と言われているもんね。
するとお母様とヘンリーの影にはもう1人人が隠れていた。
「あのう、私はどうしたら……ウップ、気持ち悪い……。」
気持ち悪そうにしているこの男性、衣装を見るに神官様。う~ん、どっかで見たような………
「馬車酔いしてるこの男、サマードッグ元公爵だ。それで、お前らの結婚式で牧師さんをしてくれると志願してくれた。」
「え、ちょっ!そんな事言った覚えは………あ、すいません。言いました、言いましたから睨まないでください。」
何か弱みでも握られているのだろうか?それともう1つ気になることは、お母様は護衛もつけずにこんなところに来ても良いのかという事。
そして聞いてみると、礼拝すると見せかけて抜け出してきたというタフなお答えが返ってきました。うん、ヘンリーと妙な浮き名でも立てられるのではと心配しましたが大丈夫そうです。
「いやいや、大丈夫そうではない。その可能性0ではないわ!こんなのと浮き名を流すなんて無理よ。」
「まぁまぁ今回だけはベスに免じてそこをなんとか。というかまだ立てられてないぞ?
というわけだ、それで式も近いしお2人さんはちょっと都合上移動してもらうことになるのだが、良いか?」
「ああ、別にヘンリーがそうする必要があると判断したならそれに従います。」
私達一行は王都内にある某屋敷(公爵家所有で50年ほど使われていない、一応掃除はしてある)に移動することとなった。
後ろから、馬車酔いしているサマードッグ元公爵が『まさか、御相手さんが死んだ筈の王女様だったなんて………。それにしても俺、帰ったら司教様に怒られないかなぁ?』という間抜けた声が聞こえてきた気がした。
____これが恐らく最後の平穏な時間となった。




