晩秋の安寧の影
9月の上旬、町の人々は新たに次期宰相が決まった事で大盛り上がりのようです。どうやら、来年からの新たな宰相は農産大臣のカイン=タイガーボディー侯爵のようで……ヘンリーはカール様を推薦して奮戦したようですが、僅差で敗れてしまいました。
外は暗く月も射し出でて来ないので、私達はランタンを置いて、私達は庭で話す。彼は何故か穴を掘って何かを埋めようとしているようだ。
「私、あの方の印象って言えばアベルの足引っ張ろうとしてるイメージしな無いんだけど?これについて、“元次期宰相筆頭候補”の貴方はどう思う?」
「まぁ、決まってしまったものは仕方無いと言うしか……まぁ私個人としてはカール様を推したかったのですが。私、投票権まで奪われて本当に名ばかりの侯爵(事実上無職)になってしまいましたからね。
ヘンリーが今頃ぶちギレている所が想像できます……歳も歳なのですから、血圧急上昇でそのまま永眠なんて事になってほしくはないのですが。」
「縁起でもない事言わないで……」
内心はかなり憤っている……その事が手に取るようによく分かった。
平民の方々からの評判は(ショーンの手柄を奪いまくって)大好評なのだが、貴族からの評判は今一つ……ハッキリと言えばアベル憎しの方々もあれにやらせるくらいならアベルの方がまだマシな気がするとの定評を得ているカイン=タイガーボディー様に宰相をさせるのは、正直政治が分からない私ですら不安しかありません。ヘンリーに至っては『あれにやらすぐらいなら、犬を宰相に据えた方がマシだ』とまで愚痴っておりました。
「それと、貴方はさっきから何をしているの?
何か埋めているようだけど、何を埋めているの?」
「秘密です!春になれば分かりますから……その時までは秘密です!」
慌てて埋めていた何かを隠すように土をかけてから、ニッコリといたずら笑顔を浮かべて彼は手の土を払った。
「まぁいいわ、秘密はとっておいた方が良いもの。でも、春になったらちゃんと教えてよ?絶対に約束よ!!」
「はいはい、分かっていますよ。
では、外も暗くて寒くなってきました。だからもう休みましょう、風邪でもひかれては困ります。もう、婚礼も近いのですから。」
彼は自然な所作で寒くて心細い私に外套を羽織らせた、私は彼に微笑んでから2人で母屋の方に入っていった。
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「ふう、良いねぇ恋をするっていうのも。私もあんな風に想い人の側で顔を赤くしたいものね。」
「ルナ先生……何を言っているんですか、貴女の美貌ならそんな相手掃き捨てるくらいいそうですけど。」
ルナ=アレンとイシスは2人の様子を覗き見て、そう軽口を叩いた。屋敷は高い塀に囲まれているとはいえ、侵入者でもあって中にいる侯爵達に何かあっては遅いのでこうしてイシスは(昼は屋敷周りを地上で、夜はこうして塀の上で)1人見張っている、そこにルナ先生は差し入れをしに来たというわけである。
「あんなの石ころみたいなもんよ。それで、牛乳にあんパン、おにぎりもあるわよ……何が良い?」
「僕あまり甘いの好きじゃないんでおにぎりにしようと思うんですけど、お茶は無いんですか!あんパンはともかく、おにぎりに牛乳って絶対に絶妙なほどに合わない組合わせだと思うんですけど。」
「ワガママね、無いって言ったらどうする?
………冗談だわ、ちゃんとあるから。そんな顔しないで、まるで私がいじめているみたいじゃないの。」
「最初から出してくださいよ……!」
モソモソとおにぎりを頬張る。
すると、ルナ先生はあの話題を出してきた。
「そう言えば、鷹と鳩の戦いに引き続き、獅子と虎の戦いも負けちゃったわね。」
「宰相はこれからどうなるんでしょうね……。」
鷹と鳩の戦いとは、内務大臣と宰相の争いと見せかけて内情は内務大臣(バードミル公爵家の紋章は鳩)と外務大臣(ベアドブーク公爵家の紋章は鷹)という公爵家の争いの延長線上の代理戦争の事、これは前司法大臣が泥を被ったお陰で無条件降伏したという事になったが、もう1つの宰相選挙の方は違う。ヘンリー(の影に隠れて宰相アベル)が推していた財務大臣カール=ペンヨーク伯爵が落選して、彼のライバル(?)で無能と名高いカイン=タイガーボディー侯爵が運良く当選してしまったのだ。
「今のところ落ちぶれていくのは間違いないと思うわ、フェルナンド様の代には田舎の一地方貴族になっていると思う。外務大臣はまだしっかりと中央でも生き残れると思うけど……」
「そういうもんですかね、表の方々は世知辛い事で。裏はその点平等で良いです、人脈があって腕があるほど儲けられるのですから。」
「光が濃ければ濃いほど影も濃くなるものよ、裏には裏の怖さがある。まぁ、上の上のそのまた雲の上の争いなんて興味ないわ、私はしがいない学園の教師だから。」
イシスはどこがだよと思った、自分のような暗殺者と平然と怖じけずに話していられる辺り、彼女も何処かずれていると思う。
「この分じゃ、今日も異常なしでしょうね。
ルナ先生は先代侯爵に会った事があるんですよね、どんな人でしたか?」
「会ったと言っても顔を見た程度よ、あれは会ったに含まれないと思う……。
そうね、不思議な人だったわ……多分この人が居なきゃ皆が空中分解してやっていけない調整役タイプの人っていうのかしら、人を引き付ける何かがあったわ。だからこそ気苦労も多くて精神的にもやられていたんだと思う。」
「ふぅん、そっか……。」
イシスが知る情報とそう大差は無かったので、少しガッカリした気持ちで眼を外の方に向けるとそこに人影があるのが見えた。
「__っ!楽できると思ったのに、余計な仕事増やしやがって!」
「まさか、襲撃!?どこよ、暗くて見えないわ……あれ、あれはマイク=ワンスじゃない!」
「ぇ……なんで宇宙人男がここに出没したんだ!恐ろしいな、火星人の勘って………。まぁ、殺るしかないんだけど。」
懐から暗器を取り出して、ソッと構える。
「火星人って言い過ぎよ……」
サルディンの一部の地域では、火の神は災いをもたらすと言う言い伝えがあった。イシスはそこから火星人などともじっているのだろうとルナ=アレンは考えた。
ともあれ、彼をどうする気なのだろうか。
「どうするかって?場合によっては殺すしかないでしょう、守るのが依頼なんだから。
じゃ、ルナ先生は何処か安全地帯に避難してて。」
「安全地帯!?そんなのどこにあるのよ!」
安全地帯は何処に……。
塀から身軽に降り立ったイシスは男マイク=ワンスに声をかける。
「はーい、こちらは外務大臣ヘンリー=ベアドブーク公爵所有の屋敷前でーす!貴方、先程からうろちょろしていますが、公爵は現在王都内の屋敷の方です。」
「ああ、分かっているよ……外務大臣がここに居ない事くらい分かっている、俺が捜しているのはショーン=オンリバーン侯爵だ!
彼がここにいるのは、分かっている……あの男を出せ!《神がここにいると俺に教えてくれている、間違いない……!》」
2人の殺気がぶつかり合う、ルナは恐ろしく思い身震いをした。あの男の思考も声も明らかに正気を失っていた。神だの意味の分からない事を言って気の病を患っているとしか思えないそれを目の前にして、震えてその場から動けなくなった。
「侵入者は許さない……」
化け物2人による惨劇が今ここに始まった。
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一方その頃、静かな屋敷内に何処かから金属音のようなものが響いてきた気がした。
「…………!」
ショーンはガバリと身を起こして、横で眠っている少女の頬を撫でて布団をかけ直してから護身用の剣を手に外に出る。
あの塀の上で腰を抜かしているのは、ルナ=アレン先生ではないかと思って目線を送ると、
「ああああ……」
何かに怯えるように塀の外を見たあとに目線を返してきた。
「何があったんです……?」
「イシスがマイク=ワンスと……」
マイク=ワンス……聞いた名前だと思って頭の中を巡らせてオリジン=スカーレット男爵令嬢の婚約者で私を失脚させた不特定多数の1人だった事を思い出した。思い出すのが遅くなったことを感じて、衰えを漠然と感じた。
だが、私は彼を責められない部分もある。内務大臣が仕組んで彼らが踊らされた、あの“正義王の裁判”を利用して私は逃げたも同然の男だから、今も王宮で戦う盟友達にすべてを押し付けて逃げた男なのだから。
「……っ!彼を、殺すのですか?」
「イシスはそうするつもり、けど……彼は一体何?神にここを教えられたとか訳分からない事をほざいている化け物みたいで、恐ろしいわ……」
恐ろしい?
私が知っている彼はそんなに多くない、私達の権力闘争の延長線上で婚約者を殺された哀れな男と見る事も出来るが、彼は無自覚な悪人だと見る事も出来る。彼が踊らされた事は可哀相だと同情に値するが、悪徳大臣は退場した、悪徳宰相は力を失った、これで満足してはくれないのか……。
周囲には研ぎ澄まされた刀の音が響き渡っている。
「……イシスがこれほどに苦戦するとは、彼にそこまでの力があるとは思えないのですが。」
「だからこそ、化け物なのよ。イシスは一流よ、技も速さも動きにも無駄がない。だけど、あり得ない事に剣の心得があるとは思えない彼がイシスと互角で戦っているのよ……まるで、神が彼に恩寵でも与えたかのように。」
「神が恩寵を……」
奇跡などの存在はおとぎ話の中だけだと思っていた、運も実力の内と言うように人間が干渉できない何かを神は支配していると思うが、恩寵などというモノを受けた(?)人間を今まで見た事もなかった。
目線を塀の方に下げて、両手両足に力を込めて剣を握って、剣のぶつかり合いの音を聞き続けるが音が鳴り止む気配は感じられず、私が外に出てからまだ数分程だというのにもう1時間、1日は経ったような感覚に襲われた。
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「……っ!」
何なんだこの男は。
イシスがこの男マイク=ワンスと対峙して持った感想はこの一言だった。
彼がいい加減に振り回すレイピアをサッと素早く避けて、体の前に暗器を構える。
武術の心得はさほどなく、動きには無駄があり剣を扱う者としては拙い。だが、気迫だけなら剣士そのものである。
(前に、これと似たのに遭遇した事がある……)
内務大臣様の依頼だっただろうか、それよりも前だったか……。ああ思い出した、これは狂信者と同じなんだ!何かを信じる連中は厄介この上無い、この男が放つのはソイツらと同じ空気であった。
「侯爵を出せぃ!」
「だから、ここには居ないって!」
斬撃を受け流しながら、間合いを詰めて彼にジリジリと近寄っていく。イシスの暗器は尺が短いのであくまでも接近戦で使うものである、そして彼の殺し方は人気の無い路地裏での不意討ちや相手の懐に入り込んでからの殺しが多かったので今回のような戦いは数える程度である。
そして、彼の心臓めがけて今までで1番力のこもった斬撃を放った。
「ぐぐぅ……!」
彼は右腕を押さえて、その場に立っていた。
右腕から血がにじみ出て痛そうである。
(信じられない……何故!!)
確かに心臓を狙った筈なのに、斬撃は到底あり得ない軌道を描いて彼の右腕を掠めたのみであった。
ナゼ、お前はそこに立っていられる!
「クッソ、今日は歩合が悪い……。」
「あの火星人、逃げやがった!」
慌てて彼を追いかけるが、何故か都合良く霧が立ち込めて、遂に彼の姿を見失ってしまった。
敵を逃すという暗殺者失格な事を仕出かしてから、イシスはトボトボと屋敷の方に戻っていくその道中で考える。
さっきの奴の行動には疑問点がいくつかある。
まず、どうやって侯爵がここにいるか知ったのか。次に、自分が互角に追い詰められる程の技術と運のよさはどこから湧いたのか。
(1つ目は、僕に鎌をかけようとしたと無理矢理な解釈をするとして、2つ目は……)
確かに最近は殺しは請け負って無かったので多少のブランクはあっただろうが、あんな動きに無駄が大有りの素人に負けるほど自分が弱く成り下がった覚えはない、キチンと鍛練も怠らずに行っていた。
「くそう……!」
地団駄を踏んでから足に力を込めて、塀の上にスッと跳躍して登った。
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「あっ帰ってきた!」
ルナ先生が安堵の表情で言う。だが、イシスの表情は暗い。
「侯爵、本当にごめん……あんな男に僕が逃げられるなんて、信じられない。」
「はぁ!?あんた、あんなどう見ても素人に負けたの!?それでもプロ?」
私は思わず息を呑んだ、あのマイク=ワンスという男にイシスから逃げられる程の腕前があるとも思えない。
「ルナ先生、彼だって頑張ったのですから……そこまで言う必要は無いんじゃないですか?」
「貴方もね、もっと自分を大事になさい。平時なら私もここまで怒らないわよ、だって小皺とか増やしたくないし髪の毛が白くなるのも嫌だもの。でもね、あの男は貴方の命を狙っているのよ!それを取り逃がすなんて、どうなるか分かっているの、またしつこく来るわあの男、しつこさだけは私が会った中で随一だから。」
「そうだよ、侯爵。ルナ先生の言う通りだ、これは僕の失態だ。」
息を切らしながら申し訳なさげに言うイシスの事を思うに、私もため息をついて言う。
「イシス、まずは何があったのかを聞いてから貴方の失態かどうかは判断します。」
「貴方達親子ってそういう甘い所があるから足元掬われたのよ。」
ルナ先生の言う皮肉めいた言葉を無視して、イシスの言う事に耳を傾ける。
聞いた感想は様々だ。
「彼も“女神の愛妾”………?」
「いや、それだったらルナ先生が彼の思考を読み取れない筈だろう?」
“女神の愛妾”何らかの特殊能力を有しており、大帝国の王家の末裔のみしか受け継がれないモノ。……彼には、それに準ずる力があるという事だろう。
「それもそうか……貴方が狙い損ねたなんて事は?」
「こう見えて僕は集落の中ではピカ3だったんだよ!さっきまでは1度も狙いを外したことすら無かったのに……。本当にあり得ない軌道だったんだ!」
神の恩寵……先程話していた現実味の無い結論に私達は至るしか無かった。
「私だってそんなメルヘンワールドに入りかけてる答えは出したくなかったのだけれど、そうなるわよね………。」
「ですね……。」
3人で頭を抱える羽目になる。
頭を抱えてなんとか現実的な答えをひねり出そうとしていると声が響く。
「3人とも、何をしているの?」
いつのまにか、ネグリジェ姿で寝ぼけ眼をこすってあくびをしながらこちらをこてんと首を傾げて彼女は見ていた。
「ああ、エリザベス王女。侯爵、貴方はもう行きなさい。この答えは私が考えておくから。
王女、これはちょっとした座談会的な集まりでして……気にするようなモノではありません、ねえイシス。」
「う、うん。侯爵はビックリさせてごめんね、こんな刀まで持ち出させてしまうくらいに驚かせて。」
2人はあくまで彼女の耳にあのマイク=ワンスの事を入れたくないようだった。私だってそうだ、あの耳障りな宇宙人の話など彼女の前でしたくない、ここはあの2人の話し合いをしていたという言い訳に乗らせてもらおう。
「そうです、少し2人と話し合いを。
心配かけてすみません、話がつい盛り上がってしまい……。」
「ふぅん、じゃあもう寝ましょう。貴方が居なくてとても寂しくて寒かったわ、私の事を温めてちょうだい。」
エリザベスはショーンの腕を引っ張って母屋の方に戻っていく。
それを2人は、険しい顔を解いてほほえましく見ていた。
____私はその時、このような事が起きていた事など知るよしもなかったのです。それを知ったのは、かなり後の事でした。
この先は、話が暗くなりそうです。嫌な方はこの先回れ右をよろしくお願いいたします。
エピローグまで、4話程の予定です。




