7月の2人
7月になって太陽が痛いほど日差しを注いでいる……だからだろうか、慣れないまま王宮から出たと思い込んでいたのに実際はすっかり馴染んでいたのか、慣れない生活環境の変化で私は熱を出して数日間寝込んでしまった。
「はい、あーん」
口元にスプーンが待ってこられる。
ただし、持ってきているのはショーンじゃなくてヘンリーなのだけれども……。
「ヘンリー……私はこれにどう反応したら良いの?」
「ん?普通に口を開けていればそれで良い。
ベスはちょっとばかし俺の好みとは違うかなぁ……だから、妙な心配しなくても大丈夫だぜ?」
またいつものおふざけが始まった、彼はこういう人間なのだ。
「何それ?貶されているのか安心しろと言われているのか分からないんだけど!」
「後者に決まってんだろ?それにしても、つくづくショーちゃんにはもったいねぇな……今からでも遅くねぇ、俺の方が圧倒的に好条件だけど?」
「質の悪い冗談ね、そんな事でほいほいついていくほど私は子供じゃないわ。」
「うん、知ってる。
羨ましーなぁ、こんなに俺の事を見てくれる女欲しいなあ。なぁショーちゃんよ、お前は本当に幸福者だ。」
入口でゴゴゴゴと黒いオーラを纏って凄んでいる人物に気づいたヘンリーは慌てて話をずらそうとする。満面の笑みではあるが、眼はまったく笑っていない。
「はい、実にそう思いますが……ヘンリー、そこに正座を。少々おふざけが過ぎます。私のエリザベスさんになんて事を言っているのでしょうか?」
「はいはい、反省してるって。
お前ら2人は、これから時間なんて有り余るんだ、忙しい俺が王宮での出来事を話しに来たついでにちょっと癒しを求めるくらい良いだろ?」
「王宮で何かあったんですか?」
新婚さんは良いねぇ……だなんて茶化しを交えつつさりげなく話題をずらすのに成功する辺りヘンリーもまだまだ現役なんだなぁと感心してしまう。
「いや?別に普通だ、ユーロ=バードミルは相変わらずの『敗者を嬲らず、勝者は傲ることなかれ』主義を貫いているぜ。いやー勝者は違うんだねぇ、俺もこの姿勢だけは感謝感激しちゃった!ああ、そこだけだけどな、他はまったく感謝感激してない!」
「貴方達の仲って不思議ですね……水と油なのかと思いきや、案外そうではない……。」
「うん?ショーちゃんよ、俺とアイツも似たもの同士だからな、ほら意外と共通項あるだろ。」
名門公爵家出身で、歳もそれなりに近く、バツイチ子持ち、そして何故か親子兄弟仲が悪い。そして、真っ黒い何か闇を抱えている。
うん、確かに多いわね。
「ちょい待て、俺のどこが闇抱えているんだ!俺はアイツみたいに根暗でもないし、ほらどっからどう見ても太陽のような男だぜ俺は!」
「そうね……でも、なんか貴方と内務大臣様は似ているのよ」
「気に入らんな、アイツと似ているっていうのも。ベス、俺はもう少しコイツと話したら帰る、だがその前に1つだけ言っておく……コイツに酒は飲ませるなよ、コイツは服脱ぎ出したり人の唇は奪おうとするわで酒癖悪いからな。」
「ええ!?うん……分かった。」
ヘンリーの苦い顔を見る限り嘘という訳では無さそうだ……ここで笑い話みたいに言うって事は未遂よね………?
「っていう訳で、またな!
じゃあ、ショーちゃんはちょっと来てくれ。」
2人はそのまま部屋から出ていった、私またベッドで横になった。
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あずま屋の白薔薇を懐かしそうに見ながら、ヘンリーは『女房が好きだったんだよな……』としみじみと言う。
「話とは……?」
「お前、本当に酒だけは飲むなよ?あれ冗談でもなんでもなくって本当に俺の貞操の危機だったんだから、未遂で済んで良かったわ!(※『男達の恋と陰謀』を参照。)」
本題を言えと言った私に対して、ヘンリーはムッとした顔で言ってくる。
大げさに貞操の危機と言われても覚えが無いものはしょうがないと思う。
「そう言われましても覚えていません……」
「本当に腹が立つ!いいか、よく聞け。
お前、いつだかに俺がアベルのガラスのハートが粉砕させた事があっただろう?そのちょっと後に俺らで飲んだじゃん、その時だ。酒を勧めたのは俺だったしそれは俺が悪かったと思っている。だが、お前は浴びるように飲んであっという間に酔い潰れて、事もあろうに俺の事をベスと間違いやがったんだ!アベルが防いでくれたからなんとかなったが、そうじゃなかったら俺は今頃男として終わってたわ!」
ダラリと嫌な汗が背中を流れる。
想像しただけで気持ち悪い……良い歳した男2人、男盛りを過ぎた男と年齢で言えば枯れた男のキスだなんて(未遂とはいえ)想像したくもない……。
「まったく、翌朝お前は何事もなかったかのように、あれを忘れるために飲みまくって二日酔いで頭が割れそうに痛い俺とアベルを呆れたように叱ったのを聞いて、どれだけ脱力したか分かる?」
「それは本当にごめんなさい……」
ヘンリーのお叱りに私は、あまりの衝撃にこう声を絞り出すのが精一杯だった。
「あー俺はそんな昔の酒の失敗を言いに来たんじゃねぇよ、そこまで暇を極めてはない。
俺の乳兄弟にお前らを養子にしてくれる奴が見つかった、ちゃんと信頼は置ける。だから、お前は2ヶ月後を楽しみに待っていれば良い。」
「それを言いに来たんですか……?いや、なんかもっと重大な事でも言いに来たのかと思ったのですが……。」
ヘンリーがいつもよりもふざけて、おどける時は何か悪い事が有った時と決まっている。それはたいてい、女にフラれた時や仕事での失敗とかだった。
「お前の命を狙う輩がもぬけの殻になってるお前の邸宅の周りをしぶとくチョロチョロとしまくってる、外にイシスを置いているとはいえ気をつけておけよ。」
「分かってます……!」
心配するヘンリーに私は静かに頷いた。
「それで“ショーン=オンリバーン”として死んだ後は、お前には参謀になってもらいたい。戸籍上貴族ではなくなるお前を大臣、宰相に据えるのは今の現実的にほぼ不可能だが、助言者としてまた支えてくれるとありがたく思う。……あくまでこれは叶うかも分からない俺の妄想だ、お前が市井で暮らしたいと言うのなら止めはせん。
まぁ、2、3ヶ月後には答えを出しておけるように考えておいてくれ。じゃあ、ベスの事をちゃんと可愛がってやれよ……。」
ヘンリーはそう言って屋敷から出ていった。
私は、白薔薇を見つめながら部屋の方へと帰っていった。
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「………それで、奴は殺せたか?」
「も、も、申し訳ございません!それがまだ……」
屋敷から出て人目に付かない所に停めておいた馬車に乗り込んでから、ヘンリーは険しい顔で配下の男に聞く。
「何故だ?怒っているんじゃない、お前達を奴の殺害を依頼して何日経ったと思っている。1人の男に何故お前達が手こずるのか知りたいだけだ!」
「私どもだって、何度もいきました!なのにいつも寸前の所で何か邪魔が入るんです。ある時は見回りの騎士団が来たり、ある時は目の前から布が飛んできて目眩ましになったり…まるで奴には、神でも味方についているようにいつも寸前で何かしらの邪魔が入って……。」
配下の男は目をやや逸らして言い訳を考えるような素振りを見せたが、嘘を言っているような反応はない。
「神でも?冗談は止めろ。
それにしても、そんな偶然が何度も?アイツの悪運が強いのか、俺らの計画性が無いのかどっちだ……。とにかく、マイク=ワンスを殺せ。気に食わないアイツの言葉を借りるのは嫌だが、とっととあの蛆虫を殺せ!お前らを捨て駒にする気はない、命ならこのヘンリーと内務大臣が保障するから。」
「………分かりました。
でも、何故そのマイクという男を仲が悪いと評判だった外務・内務両大臣が手を取り合って狙っているのか、それだけは聞いてもよろしいでしょうか?」
配下の男は控えめに恐る恐るこちらを窺いながら聞いてきた、本来ならそれに答える必要も無いのだろうがなんとなく誰かに聞いてほしくてヘンリーは口を開いた。
「簡単に言えば、アイツはマイクの事が不要になったからだな、他にもあるのかもしれんがそれは知らんな。ああ、俺の方はというと何もあの裁判の件で仇を討とうとかそういうんじゃない、あの裁判は本人が望んだものだ、だからそこに異論はない、俺らは負けたんだ。
王宮とはそういう所だ、お前だって少しは知っているだろう?どういう所かは。」
男が頷いた。
貴族に、王宮にかかわることが出来る身分にいる限り、あそこがどういう所か嫌でもその闇を覗く羽目になる。誰かが汚名を被り、汚名を着せられ、あそこほど難解で汚ない所はない。
__怜悧な外務大臣がそう弱音を吐くように言うのを男は意外に思って耳を傾けていた。
「この依頼は、ただの俺の自己満足だ。
俺達は1度負けた、だが完膚なきほどに敗れた訳ではない。アイツは全てを背負って、残りの者にチャンスを残した。どうしてそのチャンスを、1人の男が一生を棒に振って残してくれた希望を何の関係もない正義のヒーロー気取りに踏みにじられなければいけないんだ?
奴は、いいや奴と同類の人間達はよってたかって、今度はショーちゃんの命とアベルの政治生命まで奪おうとしている。なぁ、俺達はそこまで奪われるような何かをしたか?してないだろ?
だから、そのチャンスを踏みにじり、これまでのように華々しいとは言えない茨の道かもしれんが、必死に生きようとしている侯爵の第2の人生を邪魔される事が俺には許せん、ただそれだけだ。」
「なるほど……分かりました。」
男は凄んだ俺に驚いたようだったが、重々しく頷いた。
「ショーちゃん……」
屋敷にかくまっている彼は想いを遂げて、とても幸せそうだった。だが、ヘンリーは屋敷で胸に鈍く光るルビーの大臣バッチをしていない彼と話した時に少しだけ寂しさを感じた。
彼は、誰よりもあの紅きバッチが似合う人だったから。
「あーあ、また王宮に帰ったらあの馬鹿息子に怒られるのか……まったくヤダヤダ。」
その寂しさを誤魔化すようにヘンリーは、ぶつくさ言いながら王宮での仕事の事を考えた。




