96:逃れる事を叶わせぬ防壁
村で戦いが繰り広げられる一方、チビネコレディを守りながら逃げる者達。
村から離れていくにつれて、ナイフは飛んでこなくなる。
「ここまで来れば大丈夫そうだな」
「ま……前見てください!」
そこには魔物の軍団が集っていた。
鋼の体を持つ猛犬が。
燃える炎の蛇が。
鎧を装備したゴブリンが。
胞子を溢すキノコが。
種族が大きく異なる魔物が一様に逃げてくる人間を待ち構えていたのだ。
「これも粛清者の仕業なのか!?」
「今はそんなことはいい! 襲ってくるぞ!」
一体一体はそこまで強力ではないが、数が多すぎる。
この数は相手できないと悟って、来た道を戻っていく。ナイフの射程圏内に入ることになるのは分かっていたが、魔物が束になって自分達に襲いかかる悪夢のような光景を見せられて、そんなことを気にしている余裕は無くなっていた。
魔物に道を塞がれたのはどの方角も一緒で、逃げる者の大半は村へと後戻り。
大半なのは強かに魔物の軍団を突破した者もわずかにいたから。
「やっぱりだ。こいつら猫娘しか狙わねぇぜ!」
目の前に迫った危機を前に、人間は自分の命大事さにかくも非情になれるものだ。
どう考えても野良魔物ではないこいつらは粛清者が用意した魔物だと踏んで、狙われているチビネコレディを突き倒し囮にし、自分達は囮が狙われている内に逃げる。
読み通り魔物はそれを追うことはせず、倒れたチビネコレディを押し潰すかのような勢いでなだれ込んでいく。
「ああああッ!」
甲高い悲鳴が辺りに響き、すぐに魔物の叫び声に書き消される。
チビネコレディは己の運命を悟り、目を閉じて死神の誘いを待つしかできなかった。
ゴキッグチュッっと、骨が折れ肉が裂かれ苦痛と共に命が絶たれていく。
ただし、チビネコレディのではなく、襲いかかっていた魔物の軍団の。
「おいっ! 無事か!?」
そこにいたのはエリー。
ローレの捜索中に悲鳴を聞き取り、助けに入ったのだ。
既に右半身が黒く蝕まれていながらも、左手で、両足で、鋭い歯で、鬼神のごとく魔物を薙ぎ倒していく。
容易く命が失われる光景に恐れをなした魔物達は、これ以上攻撃を仕掛けることなく、距離を取った。
「ッハァ、流石に数が多かったな」
いくら強者のエリーとはいえ、あの数を相手に無傷とはいかなかった。
立つ足でさえおぼつかなくなり、土の上に腰を下ろす。
腕を焼かれ、腹を刺され、血は止まらない。
このまま治療を施さなければ死に至ってもおかしくはない怪我だ。
「と、とにかく村に!」
「村は駄目っ! テドおじさん達が戦ってる!」
「……その戦ってる相手ってのは誰だい?」
エリーは一番出血のひどい腹部を抑えながら訊いた。
「粛清者と名乗っていました……」
「……マジかよ」
想定していた最悪の事態。
そのあまりにも唐突な来訪に恐怖だとかを抱いている暇はない。
エリーはじわじわと血が抜け回らなくなってくる頭を使い、最善手を探る。
「村の戦況はどんな感じだ」
「何人かで戦ってようやく足止めになっている状態です!」
恐らくはただの人間に対しては粛清者も本気で命を奪いにはきていない。
そもそも粛清者は人間の味方なので、殺す気で戦っていたら矛盾が生まれる。
「村はそいつらに任せて良さそうだな」
多少腕に覚えがある人間が数人集まっても、魔王にすら恐れられていた粛清者に勝てるとは思っていなかったが、死ぬこともないだろうと村への援護は後回しになる。
「そうなると、この雑兵を片付ける方が先か?」
今も距離は離れつつも、壁だけは崩さずここから先は誰も通すまいと立ち塞がる魔物。
力ずくで崩そうにも今のエリーにそれが出来る保証はない。
「人手が欲しいな」
村の冒険者とチビネコレディ。
それら全員に得物を持たせて集めれば、魔物の壁に穴をこじ開けることは可能だろう。
どこか一ヶ所でも開けばあとはどこまででも逃げればいい。
だが問題も一つあり、
「もし魔物の壁で辺りが囲われてるようだったら、他の方向に逃げた人は村に逆戻りしてるかもしれません!」
このチビネコレディの予想は寸分として違っていない。
もし戦力を集めるならば結局は村に戻る必要がある。
粛清者の手が届く場所まで戻る危険についてはエリーも理解しているが、それが戻らない理由にはならない。
「戻るぞ!」
エリーは近くに落ちてたゴブリンの死体から肉を喰らい、僅かでも体力を回復してから立ち上がる。
相当弱っている筈だが、それを悟らせないよう強く魔物を睨み付け、チビネコレディを狩ろうと近付いていた魔物を後ずさらせる。
まともに歩くことさえおぼつかなくなったエリーの体をチビネコレディ達が支えながら一行は村へ。