ある人の自己主張
後悔は動かなかった、何もしなかったから生まれると思います。結果が全てですが、結果すら作れない人にとやかく言われる事はないと愚考します。
ある人曰く、普通が一番だと言う。それは至極最もだと思う。健康な身体で生まれ、たいした病にもかからず、適当な会社に入り、給料を貰い、その金でやりたいことをし、されとて高望みせず、分推量を弁え、社会の流れに沿って行き、風見鶏のように世論に逆らわず、自らの意思は労働により得た金で行える範囲内。それ以上は身を崩すのみであるから、周囲の動きに従う。
しかし、一番ではあるが、面白味に欠けると思う。その一番は自我が希薄である。
だから、普通という言葉に偽物の重みを持たせる。普通が一番、普通に生きれれば良い。普通というものにどれだけの価値を着ければ、虚無感から逃れられるのか。根底の観念に存在しているのではないか?
ある人の自己主張は、普通という概念を人生の中でどれだけの虚飾を付けられるかのゲームではないか、というものであった。
ある人は、私の友人です。
友人の人生観を自分なりにかみ砕いてみました。
普通という素体をどれだけオシャレに着飾らせるかというゲームなり、ファッションで、他人をコーディネートするのもありらしいです。
ではでは。